6.初めての依頼
久しぶりに、とても楽しい夢を見た。小さい頃の夢だ。内容は曖昧だが、リズとカインが出てきたのは憶えている。
二度寝して続きを見たい誘惑と戦いながら、体を起こす。毛布が肩からずり落ちるのを、触覚だけで感じる。辺りは薄暗く、部屋の奥の方が少し明るい以外は、光源が無いようだった。
(どこだっけ、ここ)
体内時計が示す通り、今の時刻が朝の八時前後だとすると、明らかに自分の部屋ではない。西向きとは言え、バルコニー付きの大きな窓を遮って、こんなに暗くはできないはずだ。
視界がはっきりしてくるとともに、周りにある物体を認識できるようになる。ガラクタにも見える品々が、雑多に並べられていた。
ひびの入った陶器のコップや、何故か十本近く積み重なった箒はともかく、一抱えもある金属製の三角錐など、初めて見た人には何に使うものなのか絶対に分からないだろう。だがニーアにとっては見慣れたものだ。
(そうだ、倉庫で寝たんだった)
昨日の夜の出来事が、唐突に思い出される。リズと遅くまでお喋りしたあと、部屋のベッドは彼女に譲って、自分は二階の倉庫を使ったのだ。ここで寝たのは、まだ前の店主が居たとき以来だった。
「ニーア、起きた?」
奥の天井に空いた穴から、リズの顔がひょっこりと現れた。
「朝ごはん買ってきたから、一緒に食べようよ」
「……うん」
欠伸を噛み殺しながら、ニーアは小さく頷いた。上行ってるね、という言葉とともに、リズが穴の向こうに消える。
壁に設置された梯子を上ると、ベッドに座ったリズがサンドイッチを用意していた。少しお行儀が悪いが、そこか作業机ぐらいしか食べる場所がない。
「ニーアはいつもこのぐらいまで寝てるの?」
隣に座るニーアにサンドイッチを手渡しながら、リズが尋ねた。ニーアはぷるぷると首を振る。
「ううん。九時ぐらい」
「ええー! そんな遅くまで寝てたら、勿体なくない?」
「寝るのも遅いから」
「明かりにお金かかるでしょ?」
「うーん、一応、魔道具店だし」
明かりの魔道具のメンテナンスは自分でできるし、補充用の魔石も安く手に入る。とは言え金がかかっていることに違いは無いので、本当は早く寝た方がいいのだが。
「リズは?」
「あたしは日が昇る一時間前には起きるかな。毎日弓の練習をしてるんだ」
そう言って、壁に立てかけた弓と矢筒を指さす。彼女の弓術の才能はかなりのもので、まだ町にいた頃ですら、大抵の大人よりも上手かった。
「早起きなんだ」
「冒険者なら普通だよー」
「……私、冒険者にはなれなさそう」
「あはは」
笑い声をあげるリズにつられて、ニーアも口許を綻ばせた。こんな風に誰かと朝食を取るのなんて、久しぶりだ。
「さーて!」
サンドイッチを食べ終えると、リズが突然すっくと立ちあがった。
「冒険者の基本は依頼解決から。頑張って行ってみよっか!」
「え、べつに私、なりたいわけじゃないんだけど」
「細かいことは気にしない!」
いつにも増してテンションが高いリズ。彼女に引っ張られるようにして、ニーアは出かける準備を始めた。
「うーん、全然いいのないね」
「そうなの?」
掲示板の依頼書を凝視していたニーアは、隣に立つ友人に目を向けた。リズは首を傾け、立てた人差し指を頬に押し付けながら、不満げに口を尖らせている。
「そうなの。冒険者ギルドだったら、ここまで酷いのばっかりなんて時ないよ。ほら、これなんていくらなんでも安すぎない?」
彼女は一枚の依頼書をびしっと指さした。ニーアに適正な報酬額など分かるはずもないが、確かに安い。なにせ五日もかかる依頼なのに、ニーアの魔道具修理一回分とほぼ同額だったのだ。
「ギルドにこんなの貼ってあったら文句言うよ、あたし」
冒険者として許せないものがあるのか、リズはぷりぷりと怒っていた。
(あんまり使われてないのかな)
ニーアはフードの奥の視線だけを動かして、周りの様子を観察した。掲示板を見ていく人はちらほらといたが、誰も依頼書には目を向けない。依頼を貼った人も、誰かが受けてくれたらラッキー程度に考えているのかもしれない。
「これが一番ましかなあ。どう?」
そう言ってリズが剥がし取った依頼書を、ニーアは覗き込んだ。依頼内容は屋敷の掃除。期限は特になく、二人でやれば半日で終わる程度の広さらしい。報酬は決して高くはないが、ぎりぎり妥当と言える範囲だ。
「うん、これでいい」
ニーアは迷わず頷く。簡単だし、失敗することもないだろう。店に戻って使えそうな魔道具を見繕ったあと、二人は早速依頼人の元へと向かった。
屋敷の扉を叩くと、人の良さそうな老婆に出迎えられた。彼女の説明を聞き、二人は手分けして掃除することにした。一人で住んでいるそうだが、それにしてはかなり広い。昔は子供や孫がいたが、皆他の町へ引っ越してしまったそうだ。
家の中で最も大きな部屋を見つけると、ニーアは持ってきた五本の箒を床に下ろした。今は使われていないらしいその部屋は、物が何もなく閑散としている。
「『起動』」
五本のうちの一本に手をやって、魔法の言葉を唱える。すると、箒はまるで生き物のように起き上がり、地面を掃き始めた。床に溜まった埃が舞い上がる。
箒は半径50センチほどの範囲をうろうろしながら、一方向に掃き出しているようだ。ニーアはそれが部屋の奥を向くように調整したあと、柄を押しながらゆっくりと歩く。通り道にある埃が、進行方向に追いやられていく。
(うーん)
ニーアは心の中で唸った。一応役には立っているものの、これだと普通の箒で掃除するのとあまり変わらないだろう。少しだけ楽をできるぐらいだ。
「わ、すごいね」
すぐ近くにあった開きっぱなしの扉の向こうから、リズが顔を出す。彼女はニーアの隣を歩きながら、箒を興味深そうに見ていた。やがて一緒に壁際まで行く頃には、埃は綺麗に集められていた。
「でもそれ、ほっといても勝手に掃除してくれたりはしないの?」
すぐに、彼女もその改良案を思いついたようだった。ニーアは困ったような表情を浮かべる。これを作った時にも、同じことは考えたのだが……。
「一応、できる。柄に触って、『掃除』って言えば……」
「『掃除』」
説明が終わらないうちに、リズがその単語を口にした。彼女の指先は、わずかに柄に触れている。
「あっ」
ニーアが声を上げると同時に、箒が猛スピードで動き出した。折角集めた埃をまき散らしながら、部屋の逆側まで高速で移動していく。二人はげほげほと咳き込んだ。
「どうやったら止まる?」
「『停止』って……」
「わかった!」
すぐに走り出すリズ。壁にぶつかり続ける箒の柄を上手く掴んで、魔法の言葉を唱えた。暴れていたそれがぴたりと止まるのを見て、ニーアはほっと息をつく。
「自動で動かすの、難しくて」
「あはは……ごめん」
リズは困ったように笑っていた。この箒形の魔道具は元々店で売るつもりだったのだが、自動化がどうしても上手くいかずに諦めたのだった。
ニーアが別の一本を『起動』させていると、突如、リズがぽんと手を叩く。
「でも工夫すれば使えそうだね。何本か並べてみたら?」
なるほどと思って、ニーアはこくこくと頷いた。試しに二本並べて押してみると、人力よりは早く掃除できそうだった。まあ、何度か箒同士がぶつかって、ひっくり返ったりもしていたが。
「棒に繋げばいいかも。横に長い棒に固定すれば」
「あ、確かに!」
と、新商品のアイデアを出しつつ、二人は掃除に励んだ。
掃除が終わるころには、辺りはすっかり暗くなっていた。予定よりも遅くなってしまったのは、色々な魔道具を試していたからだ。休憩時間に美味しいお茶とお菓子をいただいて、お喋りに精を出しすぎたからというのもある。
割り増しで報酬を払おうかという申し出を断って、二人は屋敷を後にした。荷車を引いたリズが、満足げな表情で言う。
「んー、やっぱり誰かの役に立つのは嬉しいね! その上お金も貰えるんだから」
隣を歩く友人の顔を、ニーアはちらりと見た。疲労困憊の自分と違って、彼女はまだまだ元気そうだ。荷車も交互に引く予定だったのに、完全に任せきり。本当は乗せてもらいたいぐらいだが、さすがにそんなことは言わない。
「依頼受けたのなんて久しぶりだよ。半年ぶりぐらいかな」
「そうなの?」
ニーアは意外そうな顔をした。冒険者なら誰でもやるものだと思っていたからだ。
「そうそう、うちのパーティはみんな依頼嫌いだからね。ジークなんて、ずーーっと地下迷宮に籠ってたいなんて言ってるし。だから依頼を受けるのはお金に困った時ぐらいだよ」
そういう冒険者も結構いるよ、とリズは注釈を付ける。
「地下迷宮は、好きじゃない?」
「そんなことないよー」
ニーアの問いかけに、リズは笑いながら首を振った。
「地下迷宮探索は探索で面白いよ、やっぱり。大変だったり危なかったりもするけど、財宝が見つかった時はすっごく嬉しいしね」
楽しそうに語るリズを見て、ニーアは少し羨ましくなった。彼女は精神的にも技能的にも、冒険者に向いているようだ。これが天職というものだろうか。
それに対して、自分の方はどうだろう。確かに魔道具は好きだが、とても客商売に向いているとは言えない。作る方だけやりたいのに、と常々思う。
もっと大きな町に行けばそんな仕事も成り立つのかもしれないが、ここでは少し厳しい。できるとすれば、ジュグラス魔道具店に置いてもらうぐらいだが……。
「明日は魔物退治でもしてみる?」
突然のその言葉に、ニーアは目を見開いた。勢いよく首を振る。
「無理だよ、絶対無理」
「あはは、冗談だって。それにそんな依頼無いよね、きっと」
手をひらひらとさせるリズを見て、ほっと胸を撫で下ろした。確かに、今日見た限りでは魔物退治なんてなかった。魔物が出る森の奥に用事がある人なんて少ないし、もしあっても、退治するより避けたり追い払ったりする方が簡単だ。
リズも森のことが頭に浮かんだのか、ふと思い出したように言った。
「そう言えば、小さいころに森に入ったことがあるよね。カインと三人で」
「うん」
ニーアはこくりと頷く。三人でというか、自分はほとんど二人に付いて行っただけだ。ごく浅い所までしか入らなかったが、大人たちに酷く怒られたのを覚えている。
「今から考えたら、あれが冒険者になろうと思ったきっかけなんだよねー」
「そうなんだ」
初耳だった。昔のことを思い出しているのか、彼女は遠くの方をぼんやりと見ながら歩みを進めた。
しばらくそうしていたあと、不意にニーアの方に顔を向ける。
「明日も依頼やる?」
「用事があるから、明日は無理」
「そっかそっか。じゃあ、いい依頼探しておくからね!」
「うん、ありがとう」
ニーアはこくりと頷く。次の依頼の話に花を咲かせながら、二人は歩き続けた。