09_奥様の冒険者デビュー!
【前回までのあらすじ】
とうとう冒険者になってしまった奥様。
さあ、がっぽがっぽと稼ぎまくります!
今日も旦那様は、仕事探しでお出掛けです。
旦那様に弁当を持たせて見送ると、奥様は拳を握り締めました。
「よし! 今こそ余の真の力を発揮する時ぞ!」
張り切った奥様が壁に手を当てて念じれば、家中の窓がバタバタと外へ開きます。
もちろん家の周辺に人影がないのは確認済みです。
「まずは家の掃除からだ!」
しかし本当に今が、真の力を発揮する時なのでしょうか?
腕を一振りして、室内の大気を掌握。
奥様の意思に従ってつむじ風が幾つも巻き起こり、家中を駆け巡りました。
屋内のあらゆる場所、家具の隙間からタンスの上のホコリまで巻き上げ、家の外へと押し出します。
その間、奥様は雑巾を構え、床の汚れを仇敵のように睨み付けます。
そして獲物に襲い掛かる野獣のように、しゃがみ込んでせっせと床を磨き始めました。
雑巾掛け魔法は開発中なので、そこは手作業です。
その後、あらゆる魔法の奥義を駆使し、洗濯から夕食の下拵えまで一気に片付けました。
全てを終えると、かなり疲れた様子でした。戦闘よりもむしろ、家事の方が大変なようです。
ですが奥様は、とびっきり爽やかな表情をしていました。
そのまま休む間もなく、奥様は家を飛び出します。
その向かう先は、もちろん冒険者ギルドでした。
◆
ギルドの受付嬢ミルチルが、こそこそと壁伝いに移動していました。
人目を忍ぶように身を屈め、前方を警戒しながら掲示板の下まで到達します。
そして胸に抱えていた一枚の依頼票を、こっそり掲示板に鋲止めしました。
「――――ふう」
一仕事やり終えた感じで、彼女は出てもいない額の汗を拭うのでした。
「こんにちは、ミルチルちゃん!」
「ひょわっ!?」
びょんと、栗鼠獣族ならではの身軽さで跳びあがるミルチル。
「ろ、ローズさんっ!? い、いつの間に!」
「ごめんなさいね、背後が隙だらけだったものだから、つい」
暗殺者みたいなことを言ってから、奥様は手を伸ばします。
「それで、いったい何をしていたの?」
「な、なんでも――――ダメですっ!!」
ミルチルの答えを待たず、奥様は掲示板から先ほどの依頼票を剥がしました。
【ヒレルリ草 二〇株の採取】
報酬は…………銅貨四枚? 子供のお使いですか?
とてもじゃないですが、冒険者が請け負う報酬額とは思えません。
「か、返して! 返してください!」
ぴょんぴょんと跳びあがり、依頼票を取り戻そうとするミルチル。
彼女の額を掌で押さえながら、奥様は依頼票を読みました。
「…………ねえ、この依頼票って、ちゃんと上司の方の許可を得ているの?」
「ミョッ! もちろんですよ!」
奥様の問いに、ミルチルはぎくりと身体を強張らせました。
ぱっちりした栗色の目がきょろきょろと泳ぎ、実に分かりやすいです。
奥様はしばらく考え込み、その依頼票をミルチルに渡しました。
「なら、この依頼を受けるから、手続きをお願いね?」
ばっと顔をあげるミルチル。
笑顔を咲かせたのも束の間、すぐに表情が曇ります。
「でも…………町の外は危険ですから」
奥様がすでに冒険者になってしまっても、まだ納得できない様子です。
きっと奥様の身を案じているのでしょう。実に健気で愛い少女です。
「大丈夫、お姉ちゃんに任せなさい!」
奥様はトンと、拳で胸を叩くのでした。
◆
(なぜ、このような依頼を請けたのですか?)
町を出て、緩やかな丘陵地帯を歩く奥様に尋ねました。
奥様の冒険者デビューを飾るのに相応しい、澄み切った青い空です。
それなのに銅貨四枚の薬草採取という、しょぼい初仕事なのです。
安い報酬もさることながら、ミルチルの態度がいかにも怪しい。
大層な悪事を企んでいるようにも見えませんが、裏がありそうな気がします。
(まあ、よいではないか。冒険者初日なのだし、肩慣らしだと思えば)
そんな風にはぐらかすので、どうにもスッキリしません。
(この辺りの植生も把握しておきたいからな)
(植生、ですか?)
(ああ、一通り周囲を探索し、薬草の種類と分布状況を調べるのだ)
奥様の仰ることが、いまいちピンときません。
(あの、奥様? 幻獣の討伐と薬草に、どのような関係があるのですか?)
(やはり理解していなかったか…………幻獣討伐などやらん)
奥様の発言は、驚くべきものでした。
(どういうことですか!? 魔石でお金をがっぽがっぽ稼ぐために冒険者になられたのでは!)
(冒険者になったのは薬草採取が目的だ。冒険者は職業柄、傷薬は必需品だ。しかし掲示板に残っていた依頼票を確認したが、予想通り原料となる薬草の採取は人気がないようだな)
それはそうでしょう。一山当てようと、わざわざこんな僻地に乗り込んできたのです。
ちまちまと薬草採取で稼ぐ気にはならなはずです。
(だから薬草の類は品薄だし、傷薬はかなり割高だ)
なるほど。町に到着してから商店街を覗きまわったのは、市場調査というやつですね。
(だから薬草採取を地道にこなせば、それなりに稼げるはずだ)
仰ることは理解しましたが、納得がいきません。
(奥様なら、幻獣を根こそぎ狩り尽くすことも可能でしょうに)
昨日遭遇した幻獣から推し量ると、さほど手強い相手ではありません。
(あまり派手に動くと目立ちすぎる。そうなったら…………)
(そうなったら?)
返答をためらう奥様を促します。
(旦那様にバレて…………叱られる)
(はい?)
(いやな? ほら、幻獣討伐とか、危ないだろ?)
――――何の寝言をほざいているのでしょう、この魔王様は?
モジモジしながら歩く奥様を見て、すぐさま察しました。
(お手洗いですか? あそこにちょうど良い感じの茂みが)
(ちがうわ戯け! いいか! 余が冒険者などという危険な仕事をしていると知られたら、きっと旦那様が怒るだろう。無論、余の身を案じてのことだがな!)
(…………それほど心配するとは思えませんが?)
奥様の正体はご存じなくても、旦那様は魔法使いローズの実力は十分承知しているのです。
(そこはほれ、大丈夫だと分かっていても、あ、あ、あ)
(あ?)
(あ、愛する妻に、いささかでも危険があると知れば、心配性の旦那様のことだ、きっとひどく案じるだろ? もしかすると、夜も眠れなくなるやもしれん)
真っ赤になった奥様が、ぼそぼそと続けます。
(…………はあ、そんなものでしょうか)
(いやはや困ったものだな! あ、愛され過ぎるというのも! 旦那様はいささか過保護なところがあるからな! まったくもう! 魔王たる余の心配など、千年早いわ!)
いきなりしゃがみ込んだ奥様が、ゴスゴスと地面を拳で殴り始めました。
奥様の体内で魔力が大きく膨れ上がり、偽装が解けそうになっていたのです。
そのため、拳から地面に魔力を逃がしているのでしょう。
わたしの感覚が、地下深くに蓄積され続ける魔力を捉えます。
地殻にも影響が出ているようですが、大丈夫なのでしょうか、これは。
口元をニマニマとさせながら、地面を殴り続ける奥様。
ちょっと偽装が解け、赤く染まり掛けた瞳は、むしろピンク色です。
その微笑ましい光景を眺めていると、ぴんと閃きました。
(…………では、もう復讐の機が熟したのですね)
(えっ?)
ぴたりと、奥様の手が止まります。
(ですから奥様は、旦那様の身も心も虜にしてから、復讐するのですよね?)
(――――あああっ!? う、うむその通りだ!)
しばらくポカンとしていた奥様が、焦ったようにコクコクと何度も頷きます。
奥様、すっかり忘れていましたね?
(それほど旦那様が惚れ込んでいるのなら、もう十分なのでは?)
(え? いや? だって? その、ねえ?)
慌てふためく奥様の姿に、名状しがたい愉悦を覚えます。
(ま、まだだ! 余の姿を見た途端、嬉しさのあまり尻尾を振ってじゃれつく位でなければ!)
犬ですか、旦那様は。というか、もうそんな駄目な感じになっている気もしますが。
(なるほど。そんな風になった旦那様を、奥様はお捨てになるのですね?)
(――――え?)
(ああ、無慈悲に離婚された後の、旦那様の姿が想像できます。絶望のために目は虚ろになり、心を病んで四六時中、奥様の名をブツブツと呟くようになるのでしょうね、きっと)
(ええええっ!?)
途端に青ざめる奥様を見て、一気にテンションが上がります!
(降りしきる雨の中、奥様の姿を探し求め、あてもなく裏通りをさ迷う旦那様。ぐっしょりと雨に濡れた身体は寒さに蝕まれ、食事もろくに喉が通らずに瘦せ細った旦那様は、ついに力尽きて道端に倒れるのです。暗い夜空を見上げ、最後に奥様を呼びながら、人知れず惨めに)
(や、やめんかバカモノがあああ―――――!)
つい、想像してしまったのでしょう。
奥様は、もはや涙目でした!
【次回のよこく】
『10_女冒険者の実力』
あの女冒険者が、こっそり後をつけてきました。
それでは明日、またお会いしましょう。