07_北の大地の事情
【前回までのあらすじ】
冒険者登録をしようとした奥様。
しかし、お節介な冒険者と、忌々しいエルフに邪魔をされ、試験を受ける羽目になりました。
奥様によれば、この町の付近一帯は、幻獣と呼ばれる存在の通過地帯なのだそうです。
幻獣の形状は千差万別。鳥や獣を模したもの、あるいは既知の生物とは似ても似つかぬ姿をしているとか。
そして人族やエルフだけならともかく、魔族や獣族、家畜などを襲う厄介な存在です。
幻獣は、生き物ではありません。体内にある魔石を核とした、疑似生物だそうです。
一定以上のダメージを与えると、幻獣は魔石を残して消滅します。
残った魔石を、人族は売買しています。名の由来通り、そこには魔力が宿っているからです。
種族的に保有魔力の少ない人族は、大規模な魔術行使や連続使用に耐えられません。
そこで魔石の魔力を補てんして、自身の能力以上の魔術を発動するのです。
――弱小種族である人族台頭には、魔石が重要な役割を果たしてきた。
そのように、奥様は学校で生徒達に講義されたことがあります。
――高品質な魔石には、非常な高値がつく。しかし品質が高い魔石ほど、強力な幻獣に宿る。
――幻獣を倒して魔石を採取するのは、時として利益に見合わぬほど危険な仕事なのだ。
そんな危険と隣り合わせな幻獣討伐に、冒険者の中でも特に無謀な連中が挑みます。
食い詰めた冒険者などが一山当てようと、北の大地に乗り込むのです。
時に大怪我を負い、中には命を落とす者も少なくないとか。
危険だと承知しながら、幻獣討伐に挑む冒険者達。
奥様がなろうとしている冒険者とは、そういう愚かな連中なのです。
つまり、ギルドマスターなどと偉ぶってみても、所詮は無謀で愚かな冒険者達の総元締めという意味でしかありません。
しかもエルフのギルドマスターとなれば、もはや恥の上塗りのような肩書きでしょう。
(なのになぜ、魔王ともあろうお方が、エルフなぞの言いなりになるのですか!)
わたしが延々と諫言していたら、奥様はうんざりしてきたようです。
(依頼を受注するには、冒険者に登録するしかないのだから仕方あるまい)
結局奥様は、あの小癪なエルフの思惑通り、冒険者の登録試験を受ける羽目になってしまいました。
ですが、問題はそれだけではありません。
(エルフには、妖精眼があります。もし奥様の正体が露見したら)
(案ずるな。エルフの能力は、余に届かん)
奥様は自信満々に答えます。奥様が仰るならば、その点は大丈夫なのでしょう。
(それよりも問題なのは)
振り返った奥様の視線の先には、後ろからついてくる女冒険者がいます。
不貞腐れた態度をあからさまにして、奥様と目が合うと、ぷいっと顔を背けたました。
(……………奥様?)
(余計な真似をするな! ここは余に任せておけ!)
奥様は立ち止まり、女冒険者が追い付くのを待ちました。
「自己紹介がまだでしたね。わたしはローズ、最近この町に引っ越してきました」
「…………ディオネ、冒険者です」
「ごめんなさい。お忙しいところ、付き添ってもらって」
「…………まったくです」
(こいつっ!)
(いいから!)
わたしをなだめる奥様の気遣いを愚かな女冒険者、ディオネは悟りません。
それどころか、不躾な視線で奥様の頭のてっぺんからつま先まで、じろじろと観察したのです。
「だいたいなんですか、その恰好は? ふざけているのですか?」
「え? 服装がどうかしましたか?」
(おい!? どこか変なところがあるのか!)
(いいえ? そのようなことはありませんが)
奥様は慌ててご自分の格好を確かめますが、おかしいところなど特に見当たりません。
頭にはスカーフを巻き、青の上着に革の胴着、スカートと、いつもと変わらぬ服装です。
白いエプロンに染み一つなく、手に提げたバスケットは買い物にも使っています。
奥様が外出する際の、定番な格好です。あえて難を言えば地味、でしょうか?
もっときらびやかなドレスをお召しになるよう、いつもお勧めしていますが聞き入れて頂けません。
(性根がねじ曲がっていて、難癖をつけているんですよ、きっと)
(そなたも人のことは言えないからな?)
(どういう意味ですか!?)
「あいにく外出着で一番良いのが、これなのですが」
奥様が弁解すると、ディオネめはガックリと肩を落としました。
失敬な態度ですね! 奥様は質素倹約を心掛けているのです!
「あーまーいいですよそれで。では試験官として監督しますので、採取依頼を遂行してください」
「はい、分かりました」
「今の季節、大型の幻獣が現れることはありません。ですが、小型の幻獣はそれなりの数が南下を始めています。もし逃げきれないと思ったら、すぐにわたしの後ろに隠れてください」
「はい、承知しました」
しおらしい態度で答える奥様を見て、ディオネがぼそっと付け加えます。
「…………まあ、その場合は試験失格ですが」
奥様が冒険者になろうとしているのが、よほど気に食わないようです。
一方の奥様は散歩気分なのか、時折立ち止まっては辺りの景色を眺めました。
北には氷河を頂いた山脈を望み、周囲は緩やかにうねる緑の丘陵地帯。
雪解け水の川が流れ、針葉樹林の生い茂る森が幾つも点在しています。
東西を岩壁が剥き出しになった山塊に挟まれた、箱庭のような地形です。
(なかなか風光明媚な場所ではないか。旦那様も、この眺めを一目で気に入っていたしな)
荒涼とした地域が多い魔王領に比べれば、確かに緑が多いかもしれません。
(でも、景色でお腹は膨れませんよ?)
(無粋だな、そなたは。まあ自然は雄大だが、危険な土地だしな)
奥様は北の山脈に目を向けます。
(あの山脈の切れ間を伝い、極北の地から幻獣が南下してくる。地形上、幻獣達はこの土地を通過することになる。それを迎え撃つために、あの町が拠点として築かれた。冒険者達がこの周辺地帯を哨戒し、幻獣達を討伐する訳だ)
(景色は良くても物騒な土地では、暮らすのに不便そうですね)
(まあな。しかし幻獣の南下を押さえるという点では、好都合な地形なのだ。他の地域だと、幻獣は広範囲に散開して移動するので、周辺国は相当苦労しているらしい)
わたしは北の山脈を眺めました。峻厳な白い峰が延々と連なり、まるで何者もの立ち入りを拒む防壁のようです。
(あの山脈の向こう側が、幻獣の故郷なのですか)
(ああ。極北の地で幻獣が次々と生まれているらしいが、さて、どうなっているのやら。一度見物してみたいものだ――――まあ、行けないのだが)
(行けない? 奥様ならひとっ飛びでは?)
魔族でさえ越えるのが難しそうな山脈ですが、魔王である奥様なら問題なさそうに見えます。
(盟約の禁則事項だ。魔王は、極北の地に足を踏み入れてはならないと定められている。具体的には、あの山脈を越えてはならないのだ)
盟約。地上のいかなる法にも道理にも縛られぬ魔王が、唯一従わねばならない契約です。
(そのようなこと、まったく存じませんでした)
(歴代の魔王も、わざわざ盟約の禁則事項を言い触らしたりしないからな)
そんな念話を交わしながら、奥様は地面に生えている草を、コテを使ってどんどん採取します。
なぜか、愛用の園芸コテを持ち合わせていた奥様。
随分と用意がいいと、不思議に思いました。まるでこのことを予想していたみたいです。
それにしても、随分と色々な種類の植物を集めていますね。
「あの、ローズ嬢?」
奥様の後ろを歩くディオネが、遠慮がちに声を掛けました。
「はい、なんでしょうか?」
「…………採取依頼の内容は覚えていますか?」
「もちろんですよ」
奥様が自信満々ですが、ディオネは何か言いたげです。
「そうですか…………ところで、どちらに行かれるのですか?」
「あの森の中に。もっと色々とあるかもしれませんので」
「もう十分ではないですか? そろそろ帰りませんか?」
「まだまだ入りますから」
奥様が半分にも満たないバスケットを叩くと、ディオネは顔をしかめました。
この丘陵地帯には、小さな森が幾つも点在していました。
うねる緑の海に浮かぶ、小島のような感じです。
いずれも一〇分とかからず通り抜けるほどの範囲に、背の高い針葉樹林が密生しています。
その森の一つに踏み入ると、ディオネはきょろきょろと周囲を見回しました。
(あの者、少々落ち着きがありませんね)
黙々と採取作業に専念する奥様に、ディオネの様子を伝えます。
(森の中は視界が利かないからな。幻獣の奇襲を警戒しているのだろう)
(なるほど――――十数体ほど、森の外にそれらしき気配を感じますが)
木立に遮られて、いままで察知できなかったのは不覚でした。
(どうなさいますか?)
わたしが尋ねると、奥様は難しい顔になりました。なにやら迷っている様子です。
(…………あまり関心をもたれるような、目立つ真似はしたくない)
地面にしゃがみ込んだ奥様が、ディオネを横目でちらりと眺めました。
(かといって、彼女に任せると試験は不合格。そもそも彼女の実力が不明だしな)
なぜ目立ってはいけないのか分りかねますが、そういうことならわたしの出番でしょう。
(わたしが処分してまいります)
奥様はしばらく考え込み、頷きました。
(ディオネに気取られぬように)
(承知しました、奥様)
わたしは梢をかすめて森の上まで上昇すると、接近する気配を目指して飛びました。
さて、幻獣との初遭遇です。
多少なりとも、手応えのある相手だと嬉しいのですが。