05_いらっしゃいまシェ!
【前回までのあらすじ】
北限の町で仮住まいを始めた奥様と旦那様。
「余は、冒険者になろうと思う」
旦那様をヒモにするため、奥様の奮闘が始まります!
リオリスは北限の辺境にあり、町の規模そのものは大したことがありません。
繁華街にあたる場所など、町の中央道に二〇余りの店舗が軒を連ねているだけです。
この町で唯一の商店街なのですが、店先をざっと眺めても品揃えが豊富とは言えないでしょう。
客を呼び込む声もなく、どこかのんびりとした空気が漂っていました。
そんな商店街の端っこに、ちょっと雰囲気の異なる外観の建物が見えます。
一見すると倉庫のような大きさと、飾り気のなさです。
外壁がかなり煤けて、周囲からかなり浮いた印象を与えます。
ガラの悪そうな男が二人、その建物の入り口を塞ぐように大声で立ち話をしてます。
通行人達は、彼らと建物を避けるようにして足早に通り過ぎていました。
奥様は、そんな怪しげな建物に近付き、男二人に声を掛けたのです。
「もし、少々お尋ねしてもよろしいですか?」
「なんだよ、うるせ――――」
男の一人が声を荒げようとして、途中で口ごもります。
「こちらの建物が、冒険者ギルドでしょうか?」
奥様をまじまじと見てから、男達は互いに顔を見合わせました。
「あの、もしもし?」
「――――あ、ああ、そうだぜ」
男達は薄汚れた皮鎧に、柄が錆ついた剣を引っ提げています。
無精髭に脂の浮いた皮膚、長いこと風呂どころか顔さえ洗っていない感じです。
おそらく、この連中が冒険者なのでしょう。野卑で野蛮というイメージ通りです。
「ありがとうございます。ちょっと前を失礼しますね?」
奥様は、男達の間をすり抜けて建物の入り口に行こうとしました。
思わずといった感じで、男達がぱっと後ろに下がります。
「あら、どうもすみません」
「お、おう?」
奥様が笑顔で会釈したのに、男達はぎくしゃくと応えたました。
冒険者というのは、まともな挨拶もできない連中のようですね。
冒険者ギルドのロビーに立ち入ると、中にいた連中が一斉に視線をこちらに向けました。
人数は五名。武装しているので、やはり冒険者なのでしょう。
じろじろと値踏みしてきますが、奥様はそよ風ほどにも気にしません。
魔王就任以来、周囲の注目を集めるのは慣れっこなのです。
颯爽とロビーを横切り、受付とおぼしき場所に近付きました。
カウンターには一〇代半ばの少女が、がちがちに緊張して座っています。
彼女を見て、驚きました。茶と黒の縞模様が入った髪と、房毛の生えた三角耳。
(ご覧下さい奥様! あの子、栗鼠獣族ですよ!)
(ああ、そのようだな)
奥様が眼前に立つと、栗鼠獣族の少女はぴょこんと起立して頭を下げました。
「い、いらっしゃいまシェ! 本日はどのようなご依頼でシュかっ!」
(聞きましたか奥様! かみました! 二度もかみましたよ!)
(うんうん、そうだな? いいから落ち着け)
「可愛いお嬢さん、年は幾つかしら?」
奥様だって、目尻を下げているじゃないですか!
「ひゃっ、はい! 一四です! 先月から勤め始めた見習いです!」
栗鼠獣族の娘が、直立不動で答えます。
「今日が初めての受付です! どうぞよろしくお願います!」
「若いのに偉いわね」
奥様は手に提げたバスケットから、お手製の飴玉を取り出しました。
「お一つ、どうぞ?」
少女は目をぱちくりさせた後、ぶんぶんと首を振りました。
「い、いえ! お客様から心づけを受け取ってはいけない規則なので…………」
と言いつつも、目は飴玉に釘付けですね?
「あら、まあ、そうなの?」
奥様は頬に手を当て考え込む振りをして、口を大きく開けました。
「あーん」
「あーング!?」
つられて口を開けた少女の口に、飴を押し込みました。
最初は目を白黒させていた少女が、ぽあっと笑顔を咲かせます。
「すごく甘くておいしい!」
そうでしょうとも。それは魔王領で栽培された、上質の砂糖で作られていますからね。
嬉しそうにコロコロと口の中で飴を転がす少女の姿に、奥様は満足そうです。
どうやら奥様は、この栗鼠獣族の少女を子供認定したようです。
良かったですね。奥様に子供認定して頂けると、色々と特典がありますよ?
「はっ!? と、ところでどのようなご依頼でしょうか?」
唐突に仕事を思い出した少女が、飴玉を頬っぺたに一時退避させて尋ねました。
(奥様! もう一個、飴玉を与えて下さい! そうすれば両の頬っぺたが膨らみますから!)
ああ、つまみ食いをしていた侍女のシスシスを思い出します。
頬袋をパンパンにしてしらばっくれていた彼女の、なんと愛らしかったことか!
しかし、わたしの懇願はあっさり無視されました。酷いですよ、奥様。
「いいえ、依頼ではなくて冒険者登録をお願いしたいの」
「――――は?」
栗鼠獣族の少女は、可愛らしく小首を傾げます。
「どなたがですか?」
「え? わたしよ? 冒険者になろうと思って」
ぽかんと開けた少女の口から、ぽろっと飴玉が転げ落ちました。
彼女はカウンターを転がる飴玉を慌てて拾い、口に戻そうとします。
「いけません!」
奥様がペシッと、少女の手から飴玉をはたき落としました。
「落ちたものを拾い食いしてはダメでしょ!」
「え? でも…………」
「でもじゃありません! お行儀が悪いですよ!」
ああ、これが歳月の流れなのでしょうか。少女を叱る奥様を見て、感慨に耽ります。
(御幼少のみぎり、落ちているものをやたらと口に入れ、叱られていた奥様が、よもやこんなにも立派になるとは)
(いったいいつの話だ!?)
落ちた飴玉をハンカチにくるんでしまうのを、少女が涙目で見詰めます。
「ほら、あーん」
しかし奥様が二つ目の飴を口に放り込むと、途端にご機嫌になりました。
「――――て、そ、そうじゃないよ! おかあさ――――あ?」
「お母さん?」
にこにこ笑顔な奥様、すごく嬉しそうですね?
「ま、間違えました! えーと、お、お姉ちゃんです! 冒険者なんてなっちゃダメですよ!」
「あら? でも聞いた話によると、冒険者登録は誰でも出来るって」
「そ、そうですけど、でもダメです! 冒険者って危なくて汚くて、とっても臭いお仕事なんです!」
ふと辺りを見まわせば、冒険者達の一部が袖の臭いを嗅いでいます。
まあ獣族は、一般的に鼻が利きますからね。気になるのでしょう。
でも、いいのでしょうか? 仮にも冒険者ギルドの職員がそんな発言をしても。
ムムッと上目遣いで睨む、栗鼠獣族の少女。
その頑なな態度にすら、いじらしさを覚えます。ですが奥様は、少々困惑気味の様子です。
むくつけき男相手なら、胸倉を掴んで吊るし上げればいいでしょう。
しかし、子供認定した相手には、とことん甘いのが奥様なのです。
「ミルチルの言う通りだ」
不意に、横合いから声を掛ける者がいました。
「素人が遊びでやれるほど、冒険者は甘い仕事ではない」
一人の冒険者が、敵意のこもった眼差しを奥様に向けていました。