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45_さあ、殴り込みましょう!

 大陸東部に広がる山岳地帯。

 その最奥地にあるのが竜族の根拠地、竜の谷(ドラゴンバレー)です。


 深い谷底を蛇行して流れる、紺碧の川。

 白い岩肌の断崖絶壁に生い茂る、緑の鮮やかさ。

 高い崖の上から落ち、ベールのようにたなびく滝の飛沫。

 それらの色彩の組み合わせは、実に鮮やかです。

 竜族の住処には、もったいない景観ですね。


「ほらほら魔王様、良い眺めですよー?」

「…………ふーん?」

「もう。いつまで拗ねているのですか?」

 ツンと顎を上げ、ご機嫌斜めな魔王様。

 空の上から臨む雄大な景色に、目もくれようとしませんでした。



 領都を襲った竜族どもを一網打尽にした後のことです。

 思えば被害状況を確認しようと、魔王城に立ち寄ったのが失敗でした。

 これから竜の谷に赴くと告げたら、邪魔が入ったのです。

 どこからともなく現れた、魔王様の子飼いの侍女衆。

 彼女達は魔王様を取り囲み、口々に訴えました。


「陛下、なにとぞお召替えを!」

「そのエプロンも、とっても素敵だとは思うのですよ?」

「ですが魔族の王たる陛下は、格式と伝統を重んじなければ」


 もっともらしい台詞を並べ立て、魔王様を化粧部屋に押し込んだのです。

 そんな訳で今の魔王様は、いつものエプロン姿ではありません。

 侍女衆がお針子達と一緒に仕立てた衣装を着用していました。


 それは儀礼軍装と呼ぶべきものでしょうか。

 優美な刺繍が施されたスカートの裾から覗く軍靴。

 軍服風の上着に金色の肩章が輝き、襟元が高く立ち上がっています。

 軍の将校と、宮廷の舞踏会で踊る貴婦人を一緒くたにした感じです。


 魔王領の伝統も格式も、まったく関係ありません。

 完全に侍女衆の趣味丸出しでした。

 彼女達の最近の流行りは、北方の帝国風の意匠(デザイン)みたいですね。



 こうしてエプロンを取り上げられてしまった魔王様は、

「別によいではないか、エプロン。すごい便利なのに」

 ぶつぶつと愚痴をこぼし、すっかりヘソを曲げてしまった次第なのです。


「エプロンうんぬんは、あの者達の口実ですから」

 着替え終えた魔王様を観賞する、あの侍女衆のだらしない笑顔。

 魔王様をおしゃれにする情熱が、尋常ではありません。

「まったく。魔王様を着せ替え人形扱いするとは」

「別にそれは構わんのだが」

「そうやって甘やかすから、あの者達は調子に乗るのですよ?」

「エプロンがないと落ち着かない。どうにも頼りない気がする」

 そう言いながら、腰回りをパタパタとはたきました。

 魔王様の主婦化が、ますます進行中みたいです。

「ところで魔王様、周りが少々騒がしくなってきましたね?」


 相手をするのが面倒なので無視していたのですが。

 魔王様は三〇〇体以上の竜族どもに包囲されていました。


 ぎゃあぎゃあ喚いてはいますが、襲ってくる気配はありません。

 遠巻きに飛び交って、こちらを警戒している感じですね。

 さらに後続が次々と接近中、包囲網はさらに厚くなりそうでした。

「せっかくの出迎えなのですから、やつらに御言葉を賜っては?」

「――うん? ああ、そうだな」

 我に返った魔王様が、周囲を見回します。

 魔王様は胸を反らして息を吸い込むと、


「出迎え大儀! 魔王ヘリオスローザである!!」


 高らかな名乗りが、雷鳴のように大気を震わせます。

 高密度の魔力を帯びた声が、竜の谷全体を揺さぶりました。


 直近で魔力を浴びた竜族どもが、一斉に悲鳴をあげました。

 滅茶苦茶に飛び回って衝突したり失速したりと、大混乱を引き起こしたのです。

「どうしたのだいったい!?」

 竜族どものあまりの混乱ぶりに、魔王様までも慌ててしまいました。

「ひょっとして、先の戦いで魔王様が叩きのめした連中なのでは?」

 以前に竜族の群れが、些細なことで人族の国を焼き払おうとしたのを思い出しました。

 そこに魔王様が介入し、竜族どもを散々に蹴散らしたのです。

 無駄に長生きなので、当事者達はほぼ残っているでしょう。


「おそらく魔王様の恐ろしさが、骨の髄まで沁み込んでいるのかと」

「――――ふむ。余のことを憶えていたか」

 魔王様が納得顔で頷きます。

「……あれ、どういうことでしょうか?」

 竜族どもの混乱ぶりを見る限り、魔王様の存在は十分に抑止力となっているはず。

 それなのに、なぜ――――


「アイツが出てこないな」

「そういえば、いったいどうしたのでしょう」

 だらだらと長話をしていたのには、それなりの理由があります。

 竜族の王、竜王が現れる待っていたのです。


 しかし竜王の姿はもとより、その気配すら感じません。

 出てくるのは雑魚ばかりで、ただ時間が過ぎるばかりです。

「怖気づいて巣穴に隠れているのでは?」

「まさか、そんなはずはなかろう」

 そうですね。竜族の支配者である竜王は、その性根は非常に獰猛です。

 自分の支配領域に他種族の王が侵入して、黙っているはずがありません。


「どうしますか? いったん出直しますか?」

「いや。なんとしても今日中に決着をつけねばならん」

 難しい顔で考え込む魔王様。

「もし余がいない間にアイツが領都を攻めたら、相応の被害が出る」

 ぐるりと竜族の群れを見回します。

「あの者に見覚えがある。確か竜王の代理だ」

 魔王様が一体の竜族に目を付けました。

 わたしは竜族の個体を区別しませんし、わざわざ記憶もしません。

 しかし、その竜族は鱗が銀色なので、ちょっと目立ちます。

「あの者なら、色々と事情を知っているだろう」


 魔王様が言い終える前に、わたしは次元門を開きました。

 次元門を潜り抜けた先は、目星をつけた竜族の背中でした。

 そこに降り立つのと同時に、魔王様は足元を魔法の鎖と楔で固定しました。

 もう振りほどくことは不可能、絶対に逃げられません。

 長い首で振り向いた竜族と、魔王様の目が合いました。


「すまないが、ちょっと話を聞かせてもらえるか?」

 魔王様は丁寧な言葉遣いで頼みましたが、脅しと受け取ったのでしょうか。


 縦に瞳孔が裂けた竜族の瞳には、心底からの恐怖が窺えました。



「余が来たぞー!」

 巨大な岩窟の前で、魔王様が奥に向かって声を張り上げます。

 ここまで案内させた銀の竜族が、慌てふためいて逃げ出しました。

 大きな羽ばたきの音を背に、魔王様はさらに呼び掛けます。

「おーい。余だ余だ! 魔王だぞー!」

 ですが反応はなく、魔王様は岩窟の中へと足を踏み入れました。


 先程の竜族によれば、ここが竜王の巣穴なのだとか。

 欺いたのではないことは、岩窟の幅と高さからも分かります。

「領都の大通りよりも広いですね、ここは」

 これほどの規模の洞窟を必要とするのは、竜王以外にいないでしょう。

「まあ、あの図体だからな。それにしても妙な話だ」

 なんでも竜王は、ここ一〇周期ほど姿を現していないようなのです。


「竜の谷の外に出ていないはずなのだが」

 魔王様は、各列強種族の王の動向に注意を払っています。

 彼らが本拠地から離れれば、すぐに察知できるでしょう。

「妙だな…………」

 腐っても列強種族の王なのに、その気配が一切関知できません。

 不在なのか、あるいは何らかの手段で気配を隠しているのか。


「魔王様、どうやら到着したみたいです」

 光が届かない闇の中を、わたしが先導しました。

 かなり奥に進んで、ついに行き止まりを感知したのです。

「これは、なんでしょうか?」

 竜王の気配は感じませんが、奇妙な空間の歪みを捉えました。


 奥様が短く呪文を唱えました。

 すると一転、淡い輝きが闇を追い払いました。

 微小な光の粒子が、幾筋もの緩やかな流れとなって周囲を照らします。

 そこは魔王城でさえすっぽり包み込めそうな、巨大な空間でした。

 そのちょうど中央辺りに、異様なモノが浮かんでいます。

 真っ黒な球体が、空中に浮かんでいるのです。


 黒い球体に近付いて、見上げる魔王様。

 腕を組んでしばし考え込んでから、いきなり魔法を放ちました。

 ほとばしる雷光が、黒い球体に襲い掛かります。

 バチバチと目映い光は黒い表面に触れた途端、吸い込まれました。

「断鎖空間だな。外部からの干渉を受け付けない時空の狭間だ」

 魔王様が首を傾げ、黒い球体を不思議そうに眺めます。

「ひょっとして、あの中にアイツがいるのか」

「解除できそうですか?」

「不可能ではない、が」

 眉間にしわを寄せて、魔王様は唸り声を漏らしました。

「下手をすると暴走して、竜の谷全体が呑み込まれる」

「それはぜひ見てみたいですね!」

 さぞや壮大な見世物になるでしょう。想像するとワクワクします。

「絶対に駄目だ」

「なぜですか」

「旦那様と観光旅行に来るかもしれないから」

「なるほど。それもそうですね」

 あの美しい眺望は、是非とも旦那様にご覧に入れたいです。


「では僭越ながら、わたしが」


 宙に浮かび、黒い球状を正面に捉えました。

 一拍置いて、斬撃を放ちます。

「なるほど?」

 小指の爪ほどの切れ目が走りましたが、一瞬で塞がりました。

 空間を斬り裂き次元を開く能力ですが、薄皮一枚にも届かないようです。

「どうだ? いけそうか?」


「はい、全く問題ありません」


 一撃目、二撃目、三撃目、四撃目

 切れ目が塞がる前に、さらに斬ればいいだけ。

 斬って、斬って、斬って、さらに斬りつける。

 僅かな傷痕に重ねて、重ねて、重ねて、重ねる。

 ほんの僅かずつですが、確実に傷痕は深くなっていきます。

 動かない対象なのです。

 毛筋ほどのズレもなく、斬撃を重ねるなど造作ありません。

 瞬きの間に束ねた一〇の斬撃を、さらに一〇倍にして放ちます。

 自らの存在が根底から軋み歪むほどの負荷を、魔王様には気取らせません。

 偉大な魔王様の側近なのです。

 この程度の作業など、難なくこなせねば面目が立ちません。

 この断鎖空間の最奥部に潜むモノに届くまで、何百回でも何千回でも。

 斬って斬って斬って斬って斬って! 

 もっと鋭くもっと速くもっと深く!!


「うっとおしいわ!!」

 黒い球体からニョッキリと、でっかい竜族の首が生えました。


「てめえか! このクソ魔王があ!! ふざけたマネしやがって!!」

 クワッと大顎を開き、魔王様に吠え掛かります。

 肉声ではなく魔術による発声。

 竜族は口の構造上、汎用言語を扱えません。


 黒い石英のようなウロコに覆われた、ゴツゴツとした表皮。

 後頭部か伸びる大小何本もの、らせん状にねじれた角。

 頭部だけでも、魔王様とはウシとネズミ以上に大きさが違います。

 この馬鹿げたほどの巨体の持ち主が、当代の竜王。

 黒晶竜フィアフィールです。


「アハハハッ! な、なんだそのアハハハハハッハ!」

 魔王様、お腹を抱えて大笑いしました。


 ヒーヒーと苦しそうに身をよじりながら、竜王を指差します。

 仮にも列強種族の王を相手に失敬ですよ、魔王様。

 確かに見栄えが良い格好とはいえないでしょう。

 ニョッキリ首だけ伸びた姿は、寸詰まりのヘビみたいでプフッ!


 竜王が、キュっと目を細めた次の瞬間です。

 ゴオッと、逆巻く炎の柱が魔王様を包みました。

 竜王ともなれば視線を凝らすだけで、業火が生じるのです。


「久方ぶりだな、竜王よ」


 火柱の中から、魔王様の声が響きました。

 もちろん、こんなぬるい焚き火が通じる方ではありません。

 カーテンを引っ剥がして端から丸めるように、炎を手繰り寄せます。

 さらに掌でギュッと圧縮した挙句、結晶化してしまいました。

「さすがは竜王、高密度な竜炎だ」

 宝石のように煌めく結晶を透かし見てから、魔王様は懐に収めます。

「……あいかわらず小癪なヤツだな」

 焼け焦げ一つない魔王様に、憮然とした雰囲気を発する竜王。


 そんな竜王を、魔王様はジッと観察します。

『特に変わりはないように見えるのだが』

 一〇周期もの間、引きこもっていた理由を探ろうとしているのでしょうか。

『気にはなるが、後にするか』

 竜王の顔面は粗削りした鉱物みたいで、顔色なんて読み取れません。

 諦めた魔王様は、気安く片手を挙げました。

「一別以来だが、達者でいたか?」

「…………うるさい、とっとと帰れ」

 そっけない態度で鼻を鳴らす竜王、ちょっとした突風です。

「久方ぶりに会うのに、随分とつれないではないか」

 前髪をあおられた魔王様は、気にした様子もなく続けます。

「前回の会盟でも代理を寄越しおって」

「……エルフどもの茶番に付き合っていられるか」

 ムスっとした竜王の返答に、魔王様が苦笑します。

「いつまでも根に持つな。人族の件は、そなたも賛成しただろうに」

「反対しなかっただけだ。無駄話をしにきたのか?」

「いいや。だが本題の前に雑談ぐらいいいだろ? そういえば――」

 魔王様は何気ない風を装いながら、


「このたび、余は結婚しました」


 えっ? なんで? いま言うことですか、それ?

「……けっこん?」

「竜族にたとえるなら、(つがい)を得たという意味だ」

 すまし顔で説明する魔王様、ちょっと口角が上がっています。

 ああ、なるほど。自慢したかったのですね、魔王様。


 ぶはっと、竜王が噴き出しました。

 バタバタと、魔王様の衣装が煽られます。

「番だと! 冗談はよせ!!」

 ギュオオンという吠え声は、たぶん笑っているのでしょう。大爆笑です。

「てめえみたいな魔力バカに、番ができる訳ねえだろ」

「どういう意味だっ!!」

 暴力バカの台詞に、魔王様は大憤慨。

「手よりも先に魔法をブッ放す、あぶねえヤツだろうが、てめえは」

「そなたにだけは言われたくないぞ!」

 驚きました。まさか竜王が、そんな風に魔王様を評価していたとは。

『さすがは魔王様! 暴力の権化のような竜王に一目置かれるとは!』

『ほめてないだろ!』

『これで名実ともに、大陸一の破壊者の座は魔王様のもの!』

『いらんわ!』

「てめえみたいなやつを番にする雄がいるとしたら」

 やれやれと首をひねり、

「よっぽどの命知らずのアホか、見る目がねえマヌケな――――」


 ドッゴオン、と。

 魔王様の飛び蹴りが、竜王の鼻面に炸裂しました。


「うちのだ…………余の伴侶を侮辱するとはな」

 蹴りの反動で舞い上がった魔王様は、ピタッと宙に止まります。

 その身からは溢れる魔力は、煮えたぎる溶岩みたいでした。

「いま、この場で死ぬか、竜王?」

 魔王様の蹴りでも、さすがに竜王ともなればびくともしません。

 ただ、驚いたように目を見開きました。


 灼熱の瞳も城門破りの蹴撃も、互いに軽い挨拶代わりに過ぎません。

 本気で戦えば周辺一帯に被害が及ぶ、それが列強種族の王というもの。

 魔王様は、この洞窟を吹っ飛ばすような魔法を放とうとしています。


『本当に、よろしいのですか?』

 わたしは怒れる魔王様の背後に控え、念のため確認しました。

 勢いに任せて竜王を叩きのめすのも、それはそれで痛快でしょうけど。

『ちゃんと手順を考えていたのでは?』


 ぐぬぬと、悔しげにうめく魔王様。

 口汚い悪態を二言三言吐き捨て、感情を抑えます。

「【箱舟の守護者】フィアフィールよ」

 魔王様は盟約に則った、儀礼的な称号で呼び掛けました。

 これには竜王も口を閉ざし、耳を傾けるしかありません。

「【大図書館の保管者】ヘリオスローザが問う」

 洞窟内で反響して隅々まで響き渡る、魔王様の声。


「汝は魔族と竜族の全面対決を望むのか?」

「…………なんだと?」


 挑発すれすれの発言に、竜王の瞳孔か細くなりました。

 いつもなら、ここで戦いが始まってもおかしくありません。


「竜族二〇体が、余の領都に攻め込んだ」


 石英の表皮に、ピシリと青白い火花が散りました。

 外見上の反応はそれだけで、唸り声一つ発しません。

 一体の竜族から始まった襲撃と、領都で繰り広げられた戦いの顛末。

 全てを話し終えた後も、竜王は沈黙を守りました。


「こたびの件は、汝の意図した事か?」

 内心では違うだろうと、魔王様も考えているでしょう。

 わたしも竜王の関与は薄く、一部の暴走だと睨んでいます。

 ですが、そんな事情は関係ないのです。


「もう始末したのか?」

 領都に攻め込んだ竜族の末路について、竜王が質します。

 やつらは魔王様の領都を侵すという、大罪を犯したのです。

 生かしておく理由があるとは、まさか思わないでしょう。


 魔王様が片手で合図したので、竜王の眼前で次元門を開きます。

 黒い穴からゴロゴロと、竜族どもがこぼれ落ちました。

 頑丈な綱で、がんじがらめにした竜族が一九体。

 山のように積み重なった竜族どもが、ギャウギャウと泣き喚きました。


「生かしたまま捕らえたぞ」

 ふんぞり返る魔王様。殺すまでもなかったと言わんばかりです。

「…………やりやがったのか」

 哀れっぽく鳴く竜族どもの醜態を見て、竜王が低くうなります。


 捕らえた竜族の尻尾は、全て断ち切りました。


 竜族にとって尻尾を失うのは、最大級の恥辱なのだとか。

 竜族の取り柄である飛行能力にも、相当な支障が出てしまいます。

 いずれ生え代わるまでは、竜族内での階位は最底辺となるでしょう。

 命を奪わないのなら、このぐらいのケジメは当然です。


「そいつらから話を聞いてもいいか?」

「え、あ、うん?」

 怒り狂って暴れ出すかと思いきや、竜王は冷静さを失いません。

 密かに戦闘態勢を整えた魔王様が、拍子抜けしたようです。

『なんと言っているのですか』

 竜王と竜族が、竜語で応答しています。

 連中の言葉が聞き取れないので、魔王様に訊いてみました。

『まあ、最初の予想通りの内容だな』

『ですから、どういう内容なのですが?』

 偉そうにひとり納得する魔王様、ちょっとイラっとします。


『恋の季節、というやつだな』

『頭は大丈夫ですか?』


 冗談抜きで、魔王様が心配になりました。

『冬が明けた今の季節は、ちょうど竜族の繁殖期でもある』

 表面上は正気に見えるので、とりあえず安堵します。

『竜族にとって理想の伴侶とは、雌雄いずれも勇猛果敢であることなのだ』

『はあ、なるほど?』

 魔族基準でも、分からない話ではありません。

『そこで自らの勇敢さを喧伝するため、度胸試しみたいなことをする』

『度胸試し?』

『そうだな…………例えば噴火口の溶岩に突っ込むとか』

『バカですか、トカゲどもは』

『竜族でも、さすがに火傷をを負う者が続出したらしいが』

『バカですか、トカゲどもは』

『色々な方法が試されたが、どれも陳腐化してきたらしいな』

 数百周期も繰り返せば、そうなるかも。

『そこで若い竜族達は、新しい企画を思いついて実行した』

『へえ?』


『魔王城を炎上させるという試みだ』

『バカですか、トカゲどもは』


『年経た古竜と競っても、未熟な若竜に勝ち目はない』

 基本的に竜族は、年齢を重ねるごとに強くなる生き物ですからね。

『そんな古竜でさえ恐れる魔王、その居城に被害を与えたとなれば――――』

 魔王様が、ひょいっと肩を竦めます。


『異性から大いにモテて、番が選び放題に』

『バカですか、トカゲどもは』


 どう考えても無謀でしょうに。

 おそらく、魔王様と直接対峙した世代ではないのでしょう。

 それにしても魔王様の恐ろしさが伝わっていないのでしょうか。

 古竜にさえ及ばないひよっこが、魔王様にちょっかいを掛けるとは。

『どうやら若い竜族は、余を侮っていたらしい』

 魔王様が視線を竜族どもに向け、楽しげに微笑みます。



『なぜなら余が、一騎打ちで人族に敗れたからだ』



 思わず、言葉に詰まりました。

『どこでそれを聞いたのか知らぬが、こう思ったのだろうな』

 ――人族に敗れる魔王など恐るるに足らず、と。

 列強種族はもとより、力ある種族の大半が人族を侮っています。

 そんな連中に、もし魔王様が旦那様に敗れたと知れたなら。


『余の敗北による影響が、既に大陸各地に出ているのかもな』

 その可能性を、完全に失念していました。大失態です。

 現在の大陸の安定は、魔王様の武威によるところ大です。

 力で首根っこを押さえていた連中が、水面下で蠢動するかも。


 ひょっとすると動乱の時代の幕が開けるかもしれません。


『なんかこう、ウキウキしてきますね!』

『そなたは、ほんっとうに暢気だな』

 だって、再び魔王様が大活躍するかと思うと、もう!

『つまり魔王様は』

 いまだに竜族どもが、哀れっぽく訴えています。


『連中をはめましたね?』

『………………………なんのこと?』

 無邪気さを装い、魔王様が子供っぽく小首を傾げます。

『お年をお考えください』

『なんだとこら』

 わたし的には可愛いですけどね?

『全ては魔王様のもくろみ通りなのですね?』


 魔王城の攻防が延々と繰り返すことで、竜族どもが増長する。

 一、二体を返り討ちにしても、残りが逃げ出しては意味がない。

 全て捕らえて罰を与えることで、改めて竜族全体に釘を刺す。

『そういう筋書きだったのでしょう?』

『あー、うん、まーそんな感じ?』

『魔王様?』

 へらッと笑って目を逸らす魔王様、すごく怪しいです。


 若い竜族どもを、ジッと見下ろす竜王の感情は読み取れません

 ――いざとなったら、捕らえた竜族達を逃がせ。

 あらかじめ魔王様から、そのように指示を受けています。

 竜王のことですから、配下の失態に激怒して消し炭にしかねません。

 やっぱり魔王様は甘いというか、お優しい方なのです。


「話は分かった」

 懸念していた事態にはならず、竜王は事情聴取を終えました。

 ひな鳥のように騒がしい竜族どもを無視し、魔王様をギロリと睨みます。

「それで? 何が望みだ?」

「竜族の非を認め、一〇〇周期の魔王領域不可侵を盟約の下に誓え」

 魔王様の要求は、実質的な宣戦布告に等しいはず。

 大空の全てが自らの領域と主張する竜族に、一時的とはいえ制限を設けるのです。

 竜王の反発は必至、魔王様は喧嘩を売る気満々なのでしょう。

「それで? 断る、と言ったらどーすんだ?」


「決まっているだろ!!」


 魔王様は正面に手を突き出し、くるりと指先を円を描きます。

 その動きをなぞらえ、燦然と輝く円環が次々と竜王の首を絞めました

 七つに増えた輝く円環が、高速回転を開始。

 竜王の首を切断しようと、黒曜の鱗をガリガリと削りました。


『魔王様! まさかこの魔法は!?』

『そのまさかだ』

 魔王様が気障ったらしく髪を掻き上げます。

『食材を輪切りにするため開発した、調理魔法の一つだ』

『あーやっぱりですかー』


『根菜から城砦まで、なんでも均等に切断できる優れモノだからな』

 魔王様は肉でも野菜でも、正確に切り分けたがりますから。

 そんなの適当でいいのに、妙なところで几帳面なのです。

『とはいえ、相手が竜王では、拘束する程度がせいぜい――――』

 ブルッと、竜王が無造作に顎を振りました。

 途端に魔法の円環が、全て砕けて四散しました。


「――――ふむ。さすがは竜王だな」

 あっけなく魔法を破られたのに、魔王様は悔しがる様子はありません。

 むしろ好戦的な笑みを浮かべました。

 基本的に他種族との揉め事を解決するのは、法や道理ではありません。

 力こそが最も効果的で、最終的な手段です。

 だからこそ列強種族の王には、圧倒的な力が求められるのです。

 列強種族の王の中で、竜王の強靭さは群を抜いています。

 なにせ魔王様が本気を出しても、簡単には壊れないほどですから。

 魔王様にとって竜王は、たいへん貴重な喧嘩相手なのです。


「あのなあ、話の途中だぞ。断ったらって、仮の話だろーが」

「えっ? でも断るんだろ?」

 きょとんと、心底不思議そうに問い返します魔王様。

「ならば、さっさと戦おうぞ。時間がもったいない」

 あのなあと、嘆息する竜王。

「なんでもかんでも暴力で解決しようとするな」


 驚愕、絶句。竜王以外の、わたしも含んだ全員が驚倒しました。

「力の優劣なんて所詮は仮初め、戦いの勝敗に本質的な価値はない」


 なんか! 竜王が、らしくないことをのたまっています!

「上辺の勝利で自らの主張を押し通したとしても意味はない」

「ど、どうした竜王! 気でも触れたか!?」

「少し、思うところがあった。それだけだ」

 竜王は鼻先で、竜族どもを示します。

「こいつらは好きにしろ。てめえで尻拭いするのがスジってもんだ」

 魔王様は目を見開き、身動きできない様子。若い竜族どもも同じです。

 何が起きているのでしょうか。とても現実とは思えません。


「今回の一件は、我ら竜族に非があると認める。さらに今後一〇〇周期」

 竜王が、厳かに宣言します。

「竜族は魔王が管理する領域に立ち入らないことを盟約に誓う」

 盟約に誓えば、たとえ列強種族の王とて反故にはできません。

「じゃあ、オレは戻るぞ。思索の途中だったからな」

「し、思索だと!?」

 胃袋と筋肉で生きる竜族が!?

「それとな、なんでも魔法をぶっ放して解決するのは止めた方がいい」

「キサマが言うな!!」

『魔王様と同類の癖に!!』

『おいこら!』

 すると竜王が、微笑んだような気がしました。

「けっこん、おめでとうさん。幸せってやつになりな?」


 そう言い残すと、竜王の首が黒い球体に引っ込みます。

 まるで幻が解けたように、辺りはひっそりと静まり返りました。

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― 新着の感想 ―
軍服の上からエプロン、も良いと思います。
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