44_魔王様は、こう語りました
次元門から、魔王城上空に躍り出た奥様。
直下を飛ぶ竜族を発見するや否や、一気に加速して急降下。
「とりゃっ」
螺旋のように旋回させた障壁をまとい、竜族を蹴り落しました。
奥様は、さきほど新魔法の実験に失敗したばかり。
おそらく半分は、腹いせの八つ当たりなのでしょう。
練兵場に墜落した竜族は、生きていますがダメージが大きいのか。
足元がふらついていて、飛び上がれない様子です。
そこに駆け付けた兵士達が、武器を掲げて襲い掛かりました。
竜族も翼や尻尾を振り回して追い払いますが、無駄というもの。
何度吹っ飛ばしても、兵士達は立ち上がっては襲い掛かります。
取り押さえるのは、もはや時間の問題でしょう。
空に残った竜族どもは、奥様を脅威とみなしのか。
距離を置いてこちらを囲んだ竜族どもを、奥様が数えます。
「一八体か。よしよし、上手くいったな!」
満足そうに笑う奥様、どうやらご機嫌は直ったようですね。
「おいこらてめえっ! 邪魔すんじゃねええ!!」
嫌ですね、耳障りな罵声が聞こえました。
ふむ、翡翠の塔の頂上に、別の竜族が転がっていますね。
綱でぐるぐる巻きに拘束した竜族の傍らには、ベレスフォードの姿が。
「俺の獲物を横取りすんな! このクソやろう!」
…………ちょっと斬り刻んでまいりましょうか。
「大目に見てやれ。あやつは今回の殊勲者だからな」
わたしが殺気立つと、奥様が鷹揚に笑います。
「あの馬鹿のどこに勲功があるのですか」
竜族どもを何度も取り逃がしているという報告だったはず。
「これはもう、ぜったいに斬首がいいと思います」
「女官長の時に比べると、ずいぶん手厳しいな」
「そうですか? えこひいきしているだけなんですが」
「えこひいきはな、してはダメなやつなんだぞ」
えっ? どうしてですか?
奥様は周囲の竜族どもを、ぐるりと見回しました。
『一体ずつ襲ってくるのが、余としては厄介だったのだ』
奥様が偽装魔法を一部解除すると、瞳が赤みを帯びます。
増加した魔力によって、詠唱の大半を強制的に破棄しました。
『今更ですが、どうして竜族はそんな真似をしたのでしょう』
天空の覇者をきどる竜族は、とにかく傲岸不遜で自信過剰なのです。
根本的に他種族を侮っているし、脆弱な人族なんて虫けら扱いです。
わざわざ一体ずつ魔王城に襲い掛かるなんて、らしくありません。
群れをなし、圧倒的な火力で地上を焼き払う。
それが竜族の基本的な戦い方なのですから。
「ほんとに今更だな」
奥様が苦笑いするのと同時でした。
力技で発動した魔法の衝撃が、領都全体を震わせます。
世界を侵蝕し、法則を書き換え、塗り替えられる現実。
異常を感知した竜族どもが動揺しますが、とっくに手遅れ。
全員で突撃して妨害するか、そもそも奥様が現れた瞬間に逃げ出すか。
そうすれば、万に一つでも助かる可能性があったものを。
古の決戦魔法、魔法使いの戦場。
その有効範囲から逃れる術はありません。
周辺空域ごと竜族どもを閉じ込めれば、偽装魔法は不要。
金色の髪が赤々と染まり、新緑の瞳が真紅の輝きに変じます。
「一つ、そなたらに教示しよう」
魔王ヘリオスローザ陛下の御言葉が、朗々と響き渡りました。
「竜族は現在、天空の覇者を自称しているが、それは勘違いなのだ」
生意気な生徒を諭す時の口調で、魔王様は穏やかに語ります。
「今のそなたらは、ある意味で水底を泳ぐ魚と同じなのだから」
魔王様、わたしは分かっていますよ?
全然悪気はないし、単に事実を指摘したつもりなのでしょう?
でもですね? たぶんそれ、最大級の侮辱になっていますから。
案の定、竜族どもは一斉に怒号しました。
いくら愚かでも、既に相手が尋常ではない存在だと悟ったはず。
それなのに激しい怒りに我を忘れ、戦闘態勢に入ります。
後先考えずにこちらに迫り、炎を吐き掛けようと顎を開きました。
何の予兆もなく、唐突に暴風が吹き荒れました。
子供の戯れのような無秩序さで、大気の奔流が周囲をかき乱します。
その勢いの凄まじさに、竜族どもは逆らうことができません。
上下左右に振り回され、木っ端のように翻弄されるだけです。
『海を水が満たしているように、世界を大気が包み覆っている』
荒れ狂う気流の中心で、魔王様は静かに佇んでいました。
静謐に満ちた領域で、竜族にも通じる汎用念話を発信します。
『そなたたちは魚と同様に、いまだ大気の底を泳いでいるに幼生に過ぎない。流体の密度など環境に対する適応の差はあっても、本質的な意味で変わりはない』
たとえ相手が敵であれ、無駄知識を披露する機会は決して逃さない。
これこそが恐るべき、魔王様の強制学習講座。
その退屈さは比類がありません。
『逆に、こんな状態になると』
始まりと同様に、大気の奔流が消失しました。
慌てふためき、体勢を立て直そうとする竜族ども。
懸命に羽ばたきますが、むなしく落下します。
空を飛べる。それだけの優位で、他種族に対して尊大に振舞う生き物。
そんな竜族が、なす術もなく無限の空を墜落してゆくのです。
笑えばいいのか嘲ればいいのか、判断に困ります。
『大気がなければ、大地の縛りに抗うことができないし』
苦しげにもがきだす竜族、完全に混乱している様子です。
『陸上に打ち上げられた魚のように、呼吸もままならなくなる』
つまりだなと、さらに続けようとする魔王様は、しつこいと思います。
『天空の覇者の称号は本来、そなたらが進化した星々の――』
「魔王様魔王様? さすがにもう聞いていないと思いますよ?」
ぐったりして動かなくなった竜族ども。
無意味に頑丈な連中ですから、意識を失っただけでしょうが。
「…………そなた、続き、聞きたいか?」
「嫌ですが?」
不満そうな魔王様は、パチリと指を鳴らします。
黒い触腕だけが何十本も、ぬるりと出現しました。
それらが竜族どもを捕獲すると、戦術魔法を解除しました。
召喚した異神の触腕は、絡め取った竜族どもを投げます。
ポイポイと投げ方は雑なのに、正確に練兵場に落ちました。
「あやつらの後始末は、どのように?」
「決まっておろう」
魔王領を襲撃した連中です。慈悲を施す理由はありません。
「女官長に連絡して――――」
一条の閃光が、魔王様の脇をかすめます。
閃光は、そのまま吸い込まれるように空の彼方へ消えました。
魔王城の方向から、こちら目掛けて飛んでくる青銅色の竜族。
そのうなじに当たる部分に乗っているのは、間違いありません。
「あのたわけ! どういうつもりですか!!」
魔王様の御前なのに、思わず怒鳴ってしまいました。
ベレスフォードは弓を構え、魔王様を狙っている。
これは、まあいいでしょう。
いえ、全然良くないですが、あいつが反抗的なのはいつものこと。
問題なのは、敵である竜族と手を組んでいることです。
「あー、そうかー。まいったな、これは」
困惑した様子の魔王様が、手を一振りして火球を放ちました。
竜族を丸ごと飲み込みそうな灼熱の炎を、光の矢が貫きます。
火球は崩れるように爆発して、跡形もなく消滅しました。
魔法殺しの、ゼルヴァ・パラオンですか。
魔王城防衛のために貸し与えたものを、魔王様に向けるとは。
急上昇する竜族は、そのまま上空へと駆け抜けました。
「あれ、そーとー怒っているよなー」
魔王様はぼやくと、宙を蹴るようにして加速しました。
領都上空から遠ざかり、緑化地域を通り過ぎます。
やがて前方に横たわる大河に到達すると、方向を転換。
そのまま大河の流れに沿って、上流へと飛翔しました。
後方斜め上空から竜族が、やや身体を傾けて追ってきます。
そこに乗ったベレスフォードが、次々と光の矢を放ちました。
魔王様は左右に進路を変えつつ、それを延々と回避します。
「さすがにもう、ぶった斬ってもいいですよね?」
「あー、うむ。いや、それはちょっと……」
魔王様は気まずそうに顔を背け、口ごもります。
「魔王様?」
「こちらも悪いことをしたなーと、思わないでもない訳で」
「………………魔王様?」
「いやな? 餌といったら人聞きが悪いが、竜族の群れをおびき寄せるために」
あえてベレスフォードに、城の守備に就かせたのだと白状しました。
もともとベレスフォードは、陸上での戦いを得意とする武将です。
飛行能力を持つ竜族は、相性の良い敵とはいえません。
それなのに魔王城の守りを任せるなんて、変だなーとは考えていました。
いい気味だと思い、わたしも黙っていましたが。
ふむふむ。 魔王様の考えそうなことを推測してみましょうか。
幼少のみぎりより傍らに侍っていたのです。
やろうと思えば、かなり良い線までいくと自負しております。
例えば、そう――――
ベレスフォードでは竜族を追い払うので精一杯ですが、逆もまた同じ。
ひたすら繰り返す竜族と守備側の、代わり映えがしない攻防。
竜族の性格からして、いずれ我慢できなくなって総力戦を挑むだろう。
「そこを一網打尽にしようと、企んだのですね?」
「まあ、はい」
なんてことでしょう。
土壇場になって、横合いから獲物をかっさらうつもりだったなんて。
「素晴らしい策ですね! さすが魔王様、やり口が汚いです!」
「ちょっと言い方」
おそらくベレスフォードも、自分が体よく利用されたと気付いたのでしょう。
あいつの面目は丸つぶれ、ざまあみろです!
魔王様は、ぽりぽりと頬を掻きました。
「それに、あやつなら必ず魔王城を守り通せると思って」
無造作に火球を三連射、直線状に並んでベレスフォードどもに迫ります。
やつらは避けることなく、火球に突進しました。
一つ目、二つ目、三つ目と、光の矢を放って貫きます。
爆発した紅蓮の炎が広がり、辺り一帯を覆い尽くしました。
その中から、ベレスフォードと竜族が飛び出しました。
炎が完全に消滅する前に、生身で突入したのです。
耐性のある竜族とは違い、ベレスフォードは相応のダメージを負ったはず。
しかし何事もなかったかのように弓を構え、矢継ぎ早に放ちました。
次々に命中する光の矢が、魔王様を幾層にも覆う多重障壁を消滅させます。
そして最後の障壁がなくなると、弓を放り捨ててしまいました。
破幻弓は、実体には効果がありませんから。
魔王様は、あいつが獅子神王の血統だから抜擢したのではありません。
わたしや女官長とは違い、忠誠心など持ち合わせていないのです。
何度も反乱騒ぎを起こすし、いつまでたっても不遜な態度を改めようとしません。
それなのに魔王様は、大事を託すほどにベレスフォードを信用しています。
――それが、たまらなく悔しく、妬ましい。
ベレスフォードが、加速する竜族から飛び降りました。
背に負っていた斧槍に引き抜いて、勢いのまま魔王様に肉薄します。
「うおおおおおお!!」
振りかぶった斧槍を、障壁を失った魔王様に叩き付けました。
魔王様は、基本的に魔法使いです。
武術の心得など、児戯にも等しい格闘術ぐらいでしょう。
しかし直上からの攻撃ならば、狙いは頭部に限られています。
迫る斧槍に対し、魔王様は片腕をかざしました。
普通ならば腕ごと断ち割ってしまう勢いと鋭さです。
ところが魔王様の肉体は強化され、生半可な武器は通じません。
斧槍は皮膚を切り裂き、一筋の血を流すに止まりました。
「此度の働き、大儀であった」
魔王様の労いの言葉に、眼を瞠るベレスフォード。
魔王様は素早く斧槍の柄を掴んで引き寄せ、殴り飛ばしました。
「まあ、溺れたりはせんだろう」
くるくると宙を飛んで、最後は水柱を立てて大河に落ちました。
「そなた、よく我慢してくれたな」
「…………横から手を出すほど無粋ではありませんよ」
後ろめたゆえに、魔王様は真っ向から勝負を受けたのです。
それがベレスフォードにとって最大限の報奨にもなるから。
「余のことを一番に理解しているのは、やはりそなただな」
「まあ、それほどでも…………」
それほどでもありますけどね!
その点だけは、旦那様はもとより女官長でさえ及びませんけど!
魔王様は、うろうろと飛び回る竜族に目を向けます。
『そなた、逃げられると思うなよ?』
こっそりと逃げ出す機会を窺っていたのでしょう。
青銅色の竜族は、尻尾を丸めてうなだれました。




