43_魔王城の攻防
大気を斬り裂き、一つの飛翔体が魔王領都に急接近していた。
鼻面から長い尻尾の先までの全長が、二〇メートルを越える巨体。
力強い四肢と、長大な翼。頑丈な顎に、ずらりと生え揃った鋭い牙。
頭部から生える角状の突起物に、陽光を反射して鈍く光る青銅色の鱗。
魔力で操作した気流で推力を得て、高速飛行を可能とする巨大生物。
列強種族の一角、竜族の個体である。
青銅色の竜族は、火の粉混じりの息を吐き出した。
感情が昂った時の、竜族の生理現象である。
現在の忌々しい状況に、この竜族は抑えがたい苛立ちを覚えていた。
初回の魔王城襲撃は、あっけないほど簡単に成功した。
小手調べのつもりで城塔の一つを黒焦げにしたが、妨害も反撃もなかった。
そのせいで遠征に参加している竜族達に、侮りと慢心が生じたのである。
列強種族に挙げられているが、やはり魔族なんて大したことはないと。
そして当初の予定通り、竜族達は順繰りに単身で魔王城襲撃に臨んだ。
誰が最も戦果を挙げるか、彼らは競い合った。
ところが防御態勢を整えた魔王城側が、猛烈に反撃してきたのである。
竜族と魔王城は、互いに決定打に欠ける一進一退の攻防が続く。
空を制する竜族側の被害は軽微であるが、膠着状態に陥ったこと自体が許容できない。
竜族は他種族に対して圧倒的であるというのが、彼らの世代の認識なのだ。
だから魔族を一蹴できない状況に、竜族達の乏しい忍耐力は尽きかけていた。
いつまでも、この状況を引き延ばすことはできない。
これ以上長引くようなら、なりふり構わずに叩き潰す。
その判断を下す役目を担い、青銅の竜はさらに加速した。
進路上に魔族の都を捉え、高度を下げる。
小細工抜きで上空から堂々と襲うのが、これまでのパターンである。
今回は魔族側の監視を掻い潜り、発見を遅らせるため低空から侵入する。
この程度の稚拙な戦術でさえ、竜族的には屈辱なのだ。
青銅の竜族は、瞬く間に領都に到達。
巻き起こした突風が地上の露店などを薙ぎ払い、大騒動となった。
そのまま一気に居住区を通過し、高台に建つ魔王城に接近する。
一番手前の城塔に狙いを定め、カッと顎を開いて口腔に魔力を凝縮。
そして高温の火焔弾を生成して撃ち放つ。
次の瞬間、火焔弾が暴発した。
ほとんど目と鼻の先で起きたので、避けようがない。
紅蓮の炎に頭から突っ込み、一瞬だけ視界が遮られる。
その僅かな間に、すぐ目の前に城壁が迫っていた。
衝突が確実と思える距離、しかし竜族は種族の本領を発揮する。
急制動のために翻した翼で、反射的に巻き起こした疾風を受け止める。
城壁に身を削るようにして急上昇し、なんとか正面衝突を回避した。
その瞬間を狙いすまし、一〇余りの大槍が飛来した。
鋭い穂先の集中攻撃を受け、竜族の鱗が弾け飛んだ。
城壁の歩廊に身を隠していた兵士達が、さらに槍を投げつける。
魔王八旗軍、その中でも選りすぐりの精鋭部隊だ。
通常よりもふた回り太い槍を、彼らの剛腕は勢いよく投擲する。
ほとんど攻城用の大型弩砲のごとき集中砲火だ。
しかし目標は、戦闘特化の竜族である。
荒れ狂う風をまとって障壁となし、槍の突進力を絡めて受け流した。
肉体的な損傷は軽微だが、むしろ誇りが受けた傷跡が鋭く深い。
地上を這う劣等種族相手の不覚に、烈火のごとく激怒した。
一旦城壁から離れた竜族が、身をよじるようにして反転急降下。
魔力を帯びた翼が衝撃波を放ち、兵士達を吹っ飛ばした。
城壁から投げ出され、地面に墜落する兵士達が続出。
着地姿勢も取らず、頭から落ちた連中もいる。
人族ならば全身打撲や頸椎骨折など、死傷者続出という状況だ。
しかし、そこは頑丈さが取り柄の魔族である。
むっくり起き上がると、何が楽しいのかゲラゲラ笑い出す。
そして性懲りもなく城壁をよじ登り、竜族に槍を投げ放った。
「ちくしょう! 楽しそうだな!」
大はしゃぎの部下達の様子を見下ろし、ベレスフォードは悔しがる。
彼が独り立っているのは、先史文明の遺構である翡翠の塔の頂上だ。
王宮の北側にそびえ立つ、領都で一番高い建築物である。
その頂上からは、領都全体をも一望のもとに見渡せた。
ベレスフォードが、手にした武器を構える。
それは絡繰り仕掛けが施された、奇怪な形状の大弓だ。
矢をつがえぬまま、ただ弦を引き絞った。
弓に組み込まれた機構が回転し、耳障りな不協和音を奏でる。
白く輝く光の矢が、紫電を撒き散らしながら現れた。
ベレスフォードの全身が雷気を帯び、体毛が逆立つ。
しかし構えを崩さず、ジッと狙いを定めてタイミングを窺う。
集中攻撃を退けて上昇した竜族は、宙を泳ぐように方向転換する。
正面の王宮に狙いを定め、くわっと顎を開いて火焔弾を放った。
断末魔の絶叫のような弦音を響かせ、異形の大弓が光の矢を射出する。
まっしぐらに飛んだ光の矢に貫かれ、火焔弾は再び暴発した。
破幻弓、ゼルヴァ・パラオン。
宝物庫の奥深くに封印されていた、過去の魔王の遺作の一つである。
その能力は、魔力を崩壊させる矢を生成して射出するというものだ。
魔法はもとより、魔力を素にする竜族の炎さえも破壊する。
竜族の襲撃を防いできた一端を、この武具の能力が大きく担っていた。
――おのれ、地這い風情が!
青銅竜は邪魔者を睨みつけ、怒りの咆哮をあげる。
翼を翻すと翡翠の塔に目掛け、まっしぐらに飛んだ。
多くの竜族は、地上を這う生物のほとんどを個体として認識しない。
人族などは、それこそ虫けら程度にしか思っていない。
過去には、人族の都市を些細な理由で焼き払った歴史もある。
肥大化した種族的傲慢さだが、ここに至ってようやく認めた。
ベレスフォードが、自らの敵なのだと。
――この爪で引き裂き、牙で嚙み千切ってやる。
翡翠の塔に接近して、頂上に着陸した。
そこは竜族の巨体が自在に動けるほどの広さはない。
獲物と対峙するために端に寄れば、尻尾の半ばが屋上からはみ出てしまう。
わざわざ降り立ったのは、頭上から襲って圧し潰しては興ざめだからである。
竜族の偉容を存分に見せつけ、己の矮小さを思い知らせてやろうという思惑だ。
首を高々と掲げて翼を広げ、竜族は猛々しく咆哮した。
「馬鹿か、てめえは?」
次の瞬間には、ベレスフォードは竜族の懐に飛び込んでいた。
手にしていた大剣を、竜族の胸部に叩き込む。
強靭な鱗が弾け飛び、肉を斬り裂いた。
竜族の巨体からすれば致命傷には程遠い、浅手にすぎない。
しかし竜族は、その痛みに大仰に吠えた。
ベレスフォードは素早く飛び退り、獅子の獣面をしかめる。
「なんだって、敵の前で無防備になるんだ?」
竜族の威嚇や体格差に対し、別に畏怖を覚えたりしない。
むしろ、でっかいほどほど斬りがいがあるなと思うだけ。
これは別に、ベレスフォードに限った感性ではない。
魔王軍の将兵というのは、だいたいそんな感じなのだ。
傷付けられた竜族は怒り、前脚を伸ばして掴み掛る。
ベレスフォードは避けず、真っ向から踏み込んで迎え撃つ。
低く構えた体勢から全身のバネを駆使して、大剣を振り抜いた。
鈍色の刃が、岩をも砕く強靭な爪を弾く。
予想外の、痺れる様な衝撃を受け、竜族は思わずひるんだ。
その隙を逃さず、ベレスフォードは竜族の足元に突進する。
すれ違いざま、体重の掛かった片足の膝裏に大剣を叩き込む。
思わずバランスを崩した竜族は、反射的に身体を翼で支える。
再び距離を置いて対峙した時、竜族は愕然とした。
両眼を見開いてベレスフォードを凝視する。
体格差は歴然、なのに体勢を崩されたことが信じられない。
「やっぱりな。こんなこったろうと思ったぜ」
一方のベレスフォードは、つまらなそうに吐き捨てる。
「地上で、まっとうに戦ったことがねえんだろ?」
確信めいた口調で訊くと、竜族から当惑した雰囲気が漂う。
「てめえらは、自分達が最強だって勘違いしているらしいな」
大剣を肩に担ぐと、鼻を鳴らして嘲った。
「飛ばない竜族なんて、図体がでかいだけの獲物なんだよ」
竜族は、非常に知能の高い生物である。
年数を経るごとに学ぶことなく知識を得て、言語を取得する。
ベレスフォードの台詞を理解した途端、激情がその全身を貫いた。
理性を失いかける寸前、かろうじて気付いたのである。
あの忌々しい弓が、離れた位置に置き捨てられていることを。
絶対に逃げられないよう、この場を全て業火で覆えばいい。
骨まで残さず焼き尽くし、灰にしてやる。
最大出力の火焔を放とうと、竜族は大きく息を吸い込んだ。
怒りに目がくらんだまま、最後まで不審にすら思わない。
ベレスフォードの足元に転がる、運搬用の麻袋のことを。
「おらよっ!!」
麻袋を蹴り上げると、緩めてあった口紐がほどけた。
中身の香辛料の粉末を、竜族に真正面からぶちまける。
翡翠の塔の頂上から、領都中に悲痛な絶叫が響き渡った。
大量の香辛料は、竜族の鼻と喉と眼球に激痛をもたらした。
特別に刺激の強い激辛香辛料を厳選したブレンドなのだ。
七転八倒するほど悶え苦しみ、呼吸困難に陥って意識が混濁する。
しかし、そこは強靭な生命力を誇る竜族だ。
しばらくすると激しい苦痛から回復し、正常な思考を取り戻す。
そして竜族は、拘束されている自分に気が付いたのである。
「そいつは、大海蛇漁の銛綱に使われるやつだ」
綱でグルグル巻きにされた竜族が、必死にもがていて逃れようとする。
しかし竜族よりも巨体な大海蛇ですら、引き千切ることができない代物だ。
両脚や翼、首を幾重にも縛られては、身動きすら困難な状況だった
「さて、どうしてやろうかな?」
傍らに立ったベレスフォードが、竜族を見上げる。
かろうじて顎を縛られてない竜族は、喚き立てることしかできない。
「どうせ卑怯とかなんとか、ほざいてんだろ?」
その様子から推測して、ベレスフォードは肩を竦める。
「手加減してやったんだぞ。ありがたく思え」
竜族は顎を閉じると、ジッとベレスフォードを見詰めた。
やがて喉奥から、重低音の唸り声をあげ始める。
魔力を伴った唸り声は領都の空を越え、遥か彼方まで伝播した。
それは竜族が、仲間と交信するための手段である。
やがて四方の彼方の空に、ぽつんと影が浮かぶ。
影は接近するに従い大きくなり、その形が明らかになる。
全方位から集結したのは、一九もの竜族の群れ。
竜族達は魔王城の上空を旋回し、地上の様子を窺う。
中央諸国ならば抗うことすら困難な、圧倒的な戦力だった。
捕らえられた竜族は、目を細めて嘲笑う。
仲間達への通信の意味は、ごく単純だ。
――全てを、焼き滅ぼせ。
もう面倒な小競り合いを投げ捨てる。魔族の本拠を焼き払う。
長引く襲撃に飽きた仲間達から委ねられた、最終判断だった。
本気で。若い青銅の竜は本気で、そう決断したのである。
「これだよ、これ! こうでなくっちゃ!!」
上空の竜族の群れを眺め、ベレスフォードは歓喜した。
弾む足取りで捕らわれの竜族に近付き、満面の笑みを浮かべる。
「よくやった! 偉いぞ! 見どころあるじゃねえか!」
大声で褒めちぎり、上機嫌で竜族の鱗をバシバシ叩く。
はしゃぎまくるベレスフォードの態度に、竜族は困惑する。
「ようやくだ! これでようやく本気で戦えるな!」
何を言っているのか、青銅の竜族には分からない。
分からないが、この状況を心から喜んでいるらしい。
竜族はベレスフォードに、一抹の気味悪さを覚えた。
「さてと、客を盛大に出迎えて――――」
不意に、ベレスフォードが黙り込んだ。
ギンと天を仰ぎ見て、ギュッと拳をに握りしめる。
その視線は竜族達がいる位置よりも、さらに上空だ。
青銅の竜族もまた、その気配を感じていた。
なんとか首をねじり、視線を空へと向ける。
天空に、黒い裂け目が生じた。
それは竜族のスケール感では、ごく小さな亀裂に過ぎない。
だが、そこから溢れ出す気配が、尋常なものではない。
いきなり、一体の竜族が弾かれたように落下してきた。
凄まじい勢いのまま、魔王城近くの練兵場に墜落する。
相当なダメージを負ったのか、竜族は起き上がれずにもがいた。
「…………ああ、なるほど。そういうことだったのか」
新たな状況に混乱する竜族の聴覚が、歯ぎしりを捉える。
「おいこらてめえっ! 邪魔すんじゃねええ!!」
それは竜族の咆哮にも劣らぬ、雄叫びのような罵声だ。
「俺の獲物を横取りすんな! このクソやろう!」
それから起きた事態は、青銅の竜族の理解力を越えてしまう。
信じがたい光景を目の当たりにして、全身が震え出す。
――こんなことは、ありえない!
――アレが、あんなモノだなんて、そんなはずがない!
――だって! だって! 確かアレは――――
ベレスフォードは、竜族に向かって斧槍を振り下ろした。
次々とロープを切断して縛りを解くと、竜族の頭に立つ。
斧槍の切っ先を突き付けると、ギラギラと両眼を光らせた。
「てめえに逃げ場はねえ。命が惜しけりゃ、戦うしかねえぞ?」
――頭がおかしい! まともじゃない!?
竜族は、正気を疑うような言葉に目を見開く。
逃げるとか戦うとか、そういう次元の話ではないからだ。
「だから俺と組んで、一緒にやっちまおうぜ!」
――どうしてそうなる!?
しかし、その目を見て冗談でもなんでもないのだと悟った。
笑みを浮かべて誘うベレスフォードに、おぞけをふるう。
アレと戦おうとする精神構造の異常さが、とてつもなく恐ろしい。
次第に精神が麻痺して、竜族は何も考えられなくなった。
「よろしくな、相棒!!」
勝手に決められた竜族は、反論もできずに呆然とした。




