40_領都アレキスタール
大陸における国家統治は、単一種族主導が常識である。
その最も顕著な例が、大陸中央諸国家の人族であろう。
人族は他種族を政治から締め出し、国家権力のほぼ全てを独占していた。
さらには人族を優遇することで、その権力基盤を維持している。
北方の帝国は他種族も登用しているが、絶対数は少なかった。
ところが、この常識に当てはまらない領域が存在する。
それは大陸最南端に位置する、魔王領であった。
かつて魔族は、近隣諸種族を次々と征服していた時代があった。
魔王領は拡大の一途をたどり、支配下の種族の数も増えてゆく。
領土と種族が増えれば統治も多岐に渡り、複雑化するのは必然である。
ところが当時の魔族は、現代以上に戦うことしか頭にない連中だった。
権力や統治に関わるのが面倒臭く、ひたすら血沸き肉躍る戦場を望んだ。
なんでも宰相に任じられた魔族は即日、最前線に逃亡したらしい。
そんな魔族だからこそ、丸投げしちゃったのである。
自分達が征服した他種族に、領内統治の全てを。
煩わしい厄介事を押し付けた魔族は、喜び勇んで戦場を駆け回った。
これが魔王領における、被征服種族の台頭を促す契機になる。
やがて時は流れ、被征服種族は魔族と同等の地位を獲得した。
こうして魔王領は、結果的に多種族国家となったのである。
領都アレキスタールは、大河を臨む高台に築かれた魔王領の主都である。
格子状に区画化された領都の家屋は、ほとんどが簡素な焼き煉瓦造りだ。
領都を一望すると、全体的に地味で単調な印象は拭えない。
人族最大の版図を誇る北方帝国の帝都は、荘厳な建築物が数多く建ち並ぶ。
外観という点で比較すれば、領都は帝都よりも遥かに見劣りするだろう。
しかし社会基盤に関しては、領都は他種族の主要都市を圧倒していた。
領都では塵芥を定期的に収集し、他国のように路上に散乱などしていない。
上下水道が隅々まで整備してあり、水洗便所や浴室も普及している。
道路は舗装され、大浴場や競技場などの各種娯楽施設もある。
市場は活気に満ち、領内の産物や南洋諸島との交易品が溢れていた。
領都を訪れる各種族には、人族の商人も大勢いる。
初めて訪れた時、彼らは一様に領都の先進性に驚愕した。
魔族蔑視の者も、いかに故国が不潔で不便であるか思い知ってしまう。
――領都には糞尿の悪臭は微塵もなく、暮れゆく通りに、家々からは刺激的で芳しい香辛料の香りが漂う。
このように書き記したのは、帝国生まれの人族文学者だ。
彼は領都の快適さに惹かれ、そのまま居ついてしまったクチである。
しかし、やはり種族的な感性の違いというものはあるようだ。
魔族や獣族に対する偏見は減っても、人族には理解しがたい部分が確かに存在した。
「うおおおおっ!? 見たか今の!」
「ああっ! やっぱスゲエーな!」
「いけー! 叩き込めええっ!」
「おーい! 酒はまだかー!」
「ツマミもたりねーぞ!」
領都は現在、お祭り騒ぎの真っ最中である。
市街地では屋上テラスに上った住民達が大騒ぎしていた。
酒とツマミを呑み食らい、丘にそびえる魔王城を眺めている。
彼らの優れた視力は、その光景をはっきり捉えていた。
それは一体の竜族と八旗軍の、熾烈な戦い。
次々と炸裂する炎が魔王城を赤く照らす、大激闘だった
最近の領都で一番の話題といえば、度重なる竜族の襲撃である。
なにせ竜族は、魔族と並び列強種族の中でも武闘派として知られている。
これを迎え撃つのが八旗軍の部隊と、それを率いる猛将ベレスフォード。
天空の覇者たる竜族と、魔王に次ぐ武威を誇る八旗将の対戦だ。
この絶好の対戦に、物見高い領都住民が熱狂しないはずがない。
誰もが仕事を放り出し、見晴らしの良い場所に陣取って観戦していた。
ちなみに中央諸国家の人族にとって竜族とは、天災と同義だ。
ひと昔前、竜族の侵攻で危うく焼き滅ぼされそうになった小国の例もある。
そんな危険極まりない生物の襲来も、領都住民にとってはお祭り騒ぎになる。
侵入者である竜族側を応援する声も少なくない。
敵とか味方とか、そういう細かいことを気にしない連中が多いのである、
むしろ強いヤツが敵側にいた方が面白いとさえ思っている。
こういう感性が、人族には理解できないのである。
やがて酔っ払いどもが、つまらない口論から殴り合いを始めた頃。
その日の戦闘が終了した。
「てめえ逃げんな――! 戻ってきやがれ――!!」
魔王城は、古代遺跡を基礎として建てられている。
迷宮大図書館に架空庭園、そして高くそびえる翡翠の塔である。
遠ざかる竜族に向かって、その翡翠の塔に立つ偉丈夫が怒鳴った。
獅子の頭に黒みを帯びた黄金のたてがみ。
通常の攻撃を通さぬほど分厚い、全身を覆う毛皮と筋肉。
魔王領では知らぬ者がいない、八旗将ベレスフォードだ。
悠々と飛び去ってゆく竜族を睨み、彼は牙を剥き出しにして悔しがった。
拳を握って歯噛みするベレスフォードは、ふと気配を感じた。
翡翠の塔の屋上部分を端に寄り、視線を下方の魔王城に向ける。
そしてテラスに立つ女官長と小間使いの姿を認めた。
もう一度空の彼方を睨んでから、翡翠の塔と魔王城の間に張った綱を掴む。
ほとんど垂直に近い綱を、ベレスフォードは滑るように伝い降りた。
テラスに着地した八旗将の偉容に、針鼠獣族の小間使いが身震いする。
隣の女官長に涙目で助けを乞うが、容赦なく目顔で促された。
恐る恐る前に進み出て、エールのジョッキを乗せたトレイを掲げた。
手が震えてエールがこぼれ、今にも取り落としそうである。
ベレスフォードは素早くジョッキを受け取り、一気に飲み干した。
「あんがとよ。美味かった」
お腹に響く重低音の声に、愛想笑いのせいで覗く鋭い牙。
悲鳴をあげた小間使いはトレイを投げ出し、しゃがみ込んでしまう。
反射的に身体を丸め、恐怖のあまり棘のように尖った髪を逆立てた。
「可哀そうなことさせんなよ」
ぐずぐずと、鼻を鳴らしながら立ち去る小間使い。
その背を見送り、ベレスフォードが非難がましく呟く。
獣族の全てが、図太い神経の持ち主という訳ではないのだ。
「新入りの適性を試しておきたいと思いまして」
「俺で度胸試しするな」
腹立たしそうな抗議を、女官長は澄まし顔で聞き流した。
「先程は見事な戦いぶりでした。さすがは八旗将随一の猛将ですね」
蕩けるような笑顔で褒め称えるが、ベレスフォードは胡散臭げである。
「……………皮肉か?」
「まさか。城内の皆が、感謝していますとも」
女官長は少女のように小首を傾げ、言葉を続ける。
「でもいい加減、不逞の輩を捕獲してほしいのが本音ですが」
「あいつらが尻尾を巻いて逃げ出すせいだろ!」
女官長の台詞に、ベレスフォードが食って掛かる。
彼の言葉通り、竜族は無理押しをしないのだ。
ひとしきり猛攻を仕掛けると、さっさと撤退してしまう。
追跡の手段がないベレスフォードでは、見逃すしかないのが現状だ。
「逃げる相手が悪い。なるほど、一理ありますね?」
女官長は困り顔で、白い頬に手を添える。
「いかがでしょう。逃げずに大人しく捕まるように頼んでみては?」
「喧嘩売ってんのか?」
ベレスフォードの全身から、凄まじい気迫が溢れる。
先程の小間使いならば卒倒したほどの、暴力的な威圧だった。
しかし女官長は穏やかに佇んだまま、毛筋ほどの動揺も見せない。
女官長ティレシアスは、魔王領の実質的なナンバーツーである。
先代魔王である摂政の手綱を握り、女官達を率い、各部門の調整役を務める。
物柔らかな態度で周囲と接し、城内の信任が厚い。
しかしながらベレスフォードを始め、魔王に無礼な連中には辛辣なのだ。
「まあいい。それで用件はなんだ?」
口で敵わないとみたのか、ベレスフォードは忌々しそうに舌打ちした。
魔王が不在中、魔王領で最も多忙なのは女官長であろう。
皮肉をいうためだけに足を運ぶ暇などない、そのぐらいは察せられた。
「領都に侵入してくる竜族についてですが」
上っ面だけの笑みを消すと、女官長は状況をまとめて報告した。
竜族の体色は多彩で、有名な上位個体の異名にちなむことも多い。
個体識別が容易なので、今回の襲撃に関与する無名な竜族二〇体を観測した。
その二〇体が一体ずつ、順繰りに襲来しているのが現状だった。
どこから竜族が飛来しているのか、現段階で不明である。
彼らの本拠である竜の谷は、遥か西方の彼方なのだ。
いくらなんでも遠い竜の谷を往復しているとは考えられない。
どこかに潜伏しているはずなのだが、偵察隊は発見に至っていない。
そもそも竜族の襲撃理由が、未だに謎なのである。
女官長も詳しくないが、魔王と竜王は何度も戦闘を繰り広げているらしい。
魔王が竜族の群れを徹底的に痛めつけたこともあったとか。
そんな話を、とある魔王側近から漏れ聞いたことがある。
しかし過去の因縁の報復にしては、中途半端な感じなのだ。
同格の列強種族を侵攻するには、明らかに戦力不足である。
しかも一体ずつで攻撃を仕掛けるなど、群れで戦うことが多い竜族らしくない。
竜族の頂点に立つ竜王は傲慢で獰猛な上に、奸智に長けているという。
いったい何を企んでいるのかと、女官長は警戒しているのである。
「さっぱり分からん」
女官長の詳細な報告を、ベレスフォードは一刀両断した。
「つまり、あれだ。俺は今まで通りでいいんだろ?」
魔王城を守り、敵が襲ってくれば撃退する。単純明快だ。
「まあ、そうですが」
「俺に、ややこしい話をするな、時間の無駄だ」
やれやれ、仕方ねえなやつだと、ため息まで吐く始末だ。
女官長の口元がひきつる。なぜ、上から目線で威張れるのか。
「潜伏している竜族を発見した場合、わたしに任せて頂けますね?」
色々と言い返したいのを我慢して、女官長が言質を引き出そうとする。
魔王自身が城の守りに、ベレスフォードを指名したから遠慮していた。
本当は初回攻撃を防げなかった汚名返上を、自身の手で成し遂げたいのだ。
「別にいいぜ。でもよ、いいのか? 余計なマネをして」
ベレスフォードは興味なさげに答えてから、ふと首をひねった。
「コレは、陛下の望んだことなんだろ?」
「…………どういう意味ですか。説明してください」
八旗将の言葉に、女官長は不審そうに目を細める。
「説明しろと言われてもなあ」
うーむと呻き、ベレスフォードは耳の後ろ辺りを掻いた。
「らしくないだろ? トカゲどもにやられっぱなしなんて」
言葉足らずな台詞を、女官長は深く考え込んで解釈する。
一方的に攻められて後手に回るなど、いつもの魔王らしくない。
逆に今の状況そのものが、魔王が想定したものだとしたら。
「…………陛下には、何か深い思惑があると?」
「深いか浅いかは知らねえが」
ベレスフォードが、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「あのバカ、どうせまた下らねえことを――っと」
トンッと、ベレスフォードが床を蹴る。
巨体が軽々と宙を跳び、テラスの手すりに降り立った。
「バカ? バカなあなたが、陛下のことをバカ呼ばわりですか?」
女官長の全身から、多量の魔力が漏れ出す。
濃密な魔力はドロドロと滴り落ち、足元で汚泥のように広がった。
「俺は頭の悪いバカだが、陛下は頭の良いバカだろ?」
ベレスフォードは愉快そうに、その異様な様子を眺める。
「あのバカが何を企んでいるか知らねえが――――」
盛大な破壊音と共に、手すりが木っ端みじんに吹っ飛んだ。
空中に投げ出され、ベレスフォードは残骸と共に落下した。
魔王城のテラスは、地上から一〇層目にある。
たまたま窓に目を向けていた者達は、墜落する八旗将の姿にギョッとした。
「思い通りにはさせねえよ」
ベレスフォード不敵に笑い、くるりと回って着地体勢をとった。




