38_奥様をダメにする魔法
【前回までのあらすじ】
奥様と旦那様の二度目の対決は無事終結、良かった良かった。
でも二度あることは、三度あるともいいますから…………
「それじゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃいませ、旦那様」
今朝もまた、奥様は仕事に出掛ける旦那様をお見送りです。
「はい、お弁当です」
奥様がバスケットを両手で掲げ、旦那様に差し出します。
「ずいぶんと量が多いね?」
旦那様は重さを測るように、受け取ったバスケットを上下させました。
いつも使うものより、二回りは大きいでしょうか。
「おやつにベリーパイを入れておきました」
パッと、旦那様の顔が輝きました。
ベリーパイ、大好物ですものね?
「いっぱい作ったので、仕事場の方々にも分けてください」
「え? ……ああ、うん」
旦那様は歯切れ悪く答え、あいまいに頷きます。
「独り占めにしたらダメですからね」
奥様は人差し指を旦那様の鼻先に突き付け、釘を刺しました。
「しないよ、そんなこと」
心外だといわんばかりに、唇を尖らせる旦那様。
拗ねた表情が、なんだか子供っぽいですね。
チチッ!
奥様の唇が、奇妙な音を鳴らしました。
「え? なに?」
「はい? どうかしましたか?」
奥様は素知らぬ顔で首を傾げます。
とぼけないでください。いまの短縮高速詠唱ですよね。
訝しげな旦那様に対し、奥様はシラを切り通しました。
奥様は遠ざかる旦那様の背に手を振り、実にご機嫌です。
「なぜ、旦那様以外にも施しを?」
ベリーパイの件について理由を尋ねてみました。
「ここの住民にとって、旦那様は新参の余所者だ」
奥様は神妙な面持ちで、左右の親指と人差し指を互い違いに合わせます。
指先で組んだ長方形の枠を、ジッ覗き込みました。
「そうですね?」
「もしかすると、旦那様を疎んじている輩が職場にいるかも」
「それは、まあ」
でも旦那様は、そんなことを気にしないと思いますよ?
踏まれても踏まれても伸びる、雑草みたいな精神力ですから。
「そこでだ。仕事仲間と甘いものを分かち合い、親睦を深めさせるのだ」
指で作った窓枠を覗き込む奥様の口元が、ふにゃりと緩みます。
「ふむ、魔王城の見習い達に使った手口の応用ですね」
見習い達がケンカをすると、よくお菓子を与えていたものです。
甘いものを一緒に食べると、確かに仲直りしていました。
なるほど、改めて納得です。
旦那様が絡むと、奥様が心配性になるということが。
「ところで、いったい何をなさっているのですか」
にやけている奥様の背後から様子を伺います。
指の窓枠の中に、口を尖らせた旦那様の顔が映っていました。
「……………うわあ」
「むくれた旦那様の顔も、なかなか趣があるな!」
先ほど唱えた呪文の効果なのでしょう。
どういう原理か知りませんが、緻密すぎて実物みたいです。
「いつの間に、そんな魔法を創ったのですか?」
「今後の課題は、これをいかに永久保存するかだな!」
「…………がんばってください」
職場での夫の立場に配慮して、手土産を持たせる。
普通に評価すれば、内助の功で夫を支える良妻なのになあ。
良妻な奥様は、旦那様の絵姿を眺めてご満悦な様子。
どうしましょうか、これ。
うちの奥様が、取り返しがつかないほど駄目になっています。
◆
家事を手早く済ませた後、奥様も家を出ました。
向かう先は、久方ぶりの冒険者ギルドです。
マヤ母のための薬草採取のついでに、適当な依頼を見繕うためです。
冒険者ギルドに到着すると、ちょうど中から冒険者の一団が出てきました。
その武装と背負った荷物からすると、遠征に出発するところでしょうか。
奥様と言葉を交わしたことはありませんが、顔は何度か見掛けたことがあります。
「いってらっしゃい、ご武運を」
「…………あ、ああ」
奥様が挨拶すると、リーダーらしき男が、ぎこちなく頷きます。
他の連中も似たり寄ったり、目を逸らしてしまうやつもいました。
まったく、相変わらず礼儀を知らない連中ですね。
『奥様の足元にひれ伏し、地面に額をこすりつけるべきでしょうに』
『いや、うっとうしいだろ、それは』
冒険者達がそそくさと立ち去ると、奥様はギルドの中に足を踏み入れました。
「ねーねーいいでしょー」
「あのね? ダメなものはダメなの」
「ぼく、ぼうけんしゃになりたいのー!」
なにやら騒がしいですね。
冒険者ギルドの新米受付嬢、栗鼠獣族のミルチル。
受付カウンターの前で、彼女の腰に子供が抱き着いていました。
ふわふわした金髪と青い瞳。年の頃は八歳ぐらいでしょうか。
困り果てた様子のミルチルが、懸命に子供を説き伏せています。
『どうしたのでしょうか?』
『…………』
返事がありません。奥様、じっと子供を観察しています。
まったく。またもや悪癖が出てしまったのでしょうか?
「あっ、ローズさん! 良いところに!」
奥様に気付いたミルチルが、ブンブンと手を振ります。
「この子、冒険者になるってきかないんです!」
冒険者志望? あんな子供が?
ギルド加入に年齢制限はないとはいえ、さすがに幼すぎるのでは。
「勝手に入ってきちゃって。ローズさんからも言ってやってください!」
そうミルチルが訴えると、金髪の子供がこちらを見ました。
奥様に向ける瞳は無垢そのもの、キラキラと輝いています。
子供はパッとミルチルから離れ、奥様に走り寄りました。
「ママ――――!」
「ええっ!?」
驚きの声を上げるミルチル。
『奥様!? いつの間に隠し子を!!』
わたしの冗談を無視して、奥様は片手を差し延べると、
ガシッと、子供の顔面をわし掴みました。
「ローズさん!?」
ミルチルが悲鳴を上げました。
それを無視し、奥様は片手で子供を目の高さまで持ち上げました。
「ローズさん! 放してください!」
慌てて駆け寄ったミルチルが手を伸ばし、奥様の腕にしがみ付きました。
しかし奥様は微動だにせず、ダランとぶら下がる子供を睨みます。
『…………あの、奥様? ひょっとして』
「なんの騒ぎなの?」
「ギルドマスター! ロ、ローズさんが!!」
奥から出てきた黒髪のエルフに、ミルチルが助けを求めました。
「いったい――――」
黒髪エルフは、奥様がぶら下げた子供に気付くと、ため息を吐きます。
「ウィッキー、あなたですか」
「…………ご存知の方ですか?」
奥様の声が、低く響きます。ドスが効いていました。
間違いありません、奥様は怒っています。
黒髪エルフが、ごくりと喉を鳴らしました。
逃げずに踏み止まったことだけは、褒めてあげましょう。
さて。エルフが気圧されて、いい気味だとは思うのですが。
『奥様、そこまでに。ミルチルが』
荒事向きでない栗鼠獣族の少女は、張り詰める緊迫感で青ざめています。
奥様はミルチルの表情をチラリと確認すると、
「ごめんなさい、こわがらせちゃって」
ポイっと、ウィッキーとやらを放り捨てました。
「ひゃあっ!」
びっくりするミルチル、しかしウィッキーはくるりと宙で反転。
軽業師のように足元から着地しました。
「あー、ひどい目にあったー」
具合を確かめるように、ぐるぐると首を回します。
無邪気で幼げな容貌に、すっかり騙されました。
「ウィッキー。帰参早々、問題を起こさないでください」
「えー? ぼくが悪いのー?」
エルフにたしなめられ、ウィッキーは不満そうに頬を膨らます。
「仲良しになろうとしただけなのにー」
「あ、あの、ギルドマスター? その子をご存知なのですか?」
「……ああ、ミルチルは会ったことがありませんでしたね」
恐る恐るミルチルが尋ねると、エルフの眉間にしわが寄ります。
「彼の名はウィッキー。ギルドに所属する冒険者です」
「冒険者なんですか!? そんな子供が!」
「ミルチルちゃん、そいつはグノムよ」
じろりとウィッキーを一瞥し、奥様がミルチルに注意します。
「見た目は子供だけど、五〇年は生きた年配者だから」
「おしい! 五五歳だよー!」
目を真ん丸にするミルチル、可愛いですね。
「仲良くしてね、お姉ちゃんたち!」
あっけらかんと、そのグノムは笑いました。
【次回のよこく】予約掲載設定:来週_2024/11/11_月曜日 PM12:10
『39_奥様の天敵?みたいなもの』
そりが合わないというか、とにかく連中とは相性が悪いみたいです。
ほら奥様、あまり頭に血を昇らせるとーーーー




