36_奥様の迎撃準備
【前回までのあらすじ】
そういえばディオネ達を、しばらく見掛けませんね。
すっかり忘れていましたが、生きているのでしょうか。
町から遠く離れた小さな森の奥。
泉の側に横たえた蛮族の衣服を、奥様は剥ぎ取り始めました。
「まあ破廉恥な」
「うるさい、あっちいってろ」
奥様に邪険にされ、とても悲しいです。
病人を前に、薬師として意識は切り替わったみたいです。
薬箱から一粒の種を取り出すと、蛮族の腹に置きました。
手をかざして呪文を唱えると、種が芽吹きます。
さほど時間を掛けずに成長し、血のように赤い花を咲かせました。
「それ、本当に効くのですか?」
魔王城でも、よく奥様が患者に使っていた魔法です。
「この植物が体内に根を張ると、自己治癒能力を高めるのだ」
奥様は泉からコップで水を汲み、調合した薬を混ぜました。
それを吸い口で何度も飲ませつつ、蛮族の容態を観察します。
「なるほど?」
「劇的な効果はないが、病気全般に効くから重宝している」
言われてみると、蛮族の呼吸が落ち着いてきた気がしますね。
「奇妙な植物なんですね」
奥様は呪文を唱え続け、植物の成長をさらに促しました。
咲いた花は実を結び、弾けて種を撒き散らします。
そこから新たな芽が出て増殖していきました。
「まあ、寄生植物だからな」
こともなげに答える奥様。
蛮族の鼻の中で芽吹いた種を、そっと摘まみ出しました。
「ちょっと奥様?」
「取り扱いに注意すれば大丈夫」
「取り扱いを間違えると?」
「体液を搾り取られて干からびる」
「ほんと、気を付けてくださいね」
まあ、大丈夫でしょうけど。
奥様の魔法の扱いは非常に高度で、洗練されています。
高位魔法使いなら、四人分の働きにも匹敵するでしょう。
でも奥様は、最初から魔法の扱いに長けていた訳ではありません。
幼い頃は、まともに魔法を発動させることさえできなかったのです。
生来の膨大な魔力を制御できず、たびたび魔法を暴発させました。
失敗してベソをかく幼い奥様の、なんと愛らしかったことか。
幼かった奥様は、毎日魔王城のあちこちを吹き飛ばしていたのです。
そんな奥様に、やがて転機が訪れました。
奥様の《魔法使いローズ》は、単なる変装ではありません。
神霊や英霊の化身を自分に憑依させる、降霊術の一種なのだとか。
奥様は化身という鋳型に自らをはめ込むことで、魔力量の抑制に成功。
さらに化身に刻まれた知識と技術、高度な魔力操作も会得しました。
こうして稀代の魔法使い、ローズが誕生したのです。
やがて日も暮れ、赤い花が蛮族の身体を覆い尽くしました。
顔だけ覗いた姿は、なんだか埋葬の一種みたいですね。
気が付くと、奥様は別のことに没頭していました。
左右の指をクネクネと絡めて印を結び、ブツブツ呪文を唱えています。
やがて紡がれた魔法の量が、魔導書一冊分にも及んだ時でしょうか。
奥様の眼前に、幾層もの魔法陣が出現しました。
「奥様? なぜに戦支度をしているのでしょうか?」
真ん中の魔法陣には、周辺地域の地形図が投影されています。
これって、古式ゆかしい戦術魔法じゃないですか。
魔法陣が完成したのか、ふうと吐息を漏らす奥様。
うっすらと、額に汗がにじむほど集中していたみたいです。
「夫婦の間で、隠し事はよくない」
「どの口が言いますか」
唐突に飛び出した戯言を、羽虫のごとく叩き落としました。
「ご自分の正体を旦那様に隠しているじゃないですか」
「そんなことはないぞ? 魔王かと訊かれたら正直に答えるし?」
そんなこと普通は訊いたりしません。
「問題が起きたら、ちゃんと伝えることが大事だ」
奥様は指を広げると、まず親指から折り曲げます。
「疫病の可能性がある蛮族を、町の外に連れ出した」
それは先刻、魔法で旦那様に送った手紙の内容でした。
魔族には罹らない病なので、自分が治療を行う。
しばらく留守にするが、家で待っていてほしい。
食事の支度が面倒ならば、町中で外食するように。
作り置きの薬があるので、マヤ達に渡すこと。
「こう伝えたのだが、どう思う?」
「どう、とは?」
「旦那様はちゃんと家で待っていると思うか?」
しばらく考えてから、わたしは答えました。
「緊急事態ではありませんし、大人しく従うでしょうね」
「うむ。旦那様は馬鹿ではない。ちゃんと道理を弁えている」
「馬鹿ではありませんが、ちょっとアレですよね?」
「なんだアレとは。とにかく、余も同じ見解だ」
奥様は胸に手を当てると、確信を込めて告げたのです。
「ならば旦那様は、ここに来るぞ」
「言っている意味が分かりません」
どうして、そういう結論になるのでしょうか。
「旦那様の行動予測は、ここぞという時に限って外れるのだ」
「……はあ」
「きっと、こうする。必ず、ああする。そう考えて油断すると」
諦めの色濃くにじんだ口調です。
「旦那様は、真逆のことを仕出かすのだ」
「いくらなんでも考えすぎでは――――」
――戦場での一騎討で、魔王を殺さなかった聖騎士。
――王女降嫁の件では、奥様と共に出奔した旦那様。
いえ、そういう方でしたね。
魔法陣全体が、警告するように激しく明滅しました。
こちらに接近する青い光点を、地形図が映し出します。
その意味するところは、たぶんそう。
「あーもう! ほんとっ! なんで来ちゃうかな――!!」
頭を抱え、奥様は叫びました。
【次回のよこく】予約掲載設定:来週_2024/10/28_月曜日 PM12:10
『37_それは犬も食わないやつという』
再び繰り返される魔王と聖騎士の対決。勝敗の行方は、なんて。
どうせ大したことにはーーーーえっ?




