34_奥様と好みが一緒です
【前回までのあらすじ】
魔王城の見習い達は、海辺を満喫しているそうです。
思う存分、遊びほうけなさい。
冒険者ギルドの帰り道、奥様は一人の男を見掛けました。
道の外れの寂しい場所で、周囲に人影はありません。
非常に厳つい容貌の男です。
頑丈そうな下顎と太い頬骨、盛り上がった眉の部分、彫の深い顔面。
頭部は上下につぶれた印象を与え、額が後ろに傾斜しています。
がっしりとした腕が長い、筋骨隆々とした巨漢でした。
『あれ、蛮族ですよね?』
『ああ。ここで蛮族を見掛けるとは』
奥様も軽く驚いた感じで、その男を見詰めます。
なにせ蛮族が人里に姿を現すなど滅多にありませんから。
毛皮の腰巻に編み上げのサンダル、腰に提げた黒い石製のナイフと斧。
そこまでは普通に蛮族らしい恰好でしょう。
胴鎧や籠手など、金属製の武装をしているのは珍しい。
荒野で原始的な生活を営む蛮族は、基本的に他種族と交流しません。
だから金属製品など、文明の産物を手に入れる機会も少ないのです。
蛮族の男は猫背気味の格好で、ずっと一人で佇んでいます。
まるで彫像のように、身動き一つしません。
『様子がおかしいですね。何か困っているのかも』
『珍しいな? そなたが見ず知らずの者を案じるとは』
『どういう意味ですか。わたしだって相手次第では、多少の気遣いはします』
『相手次第とは?』
『わたしは初対面の相手を、種族や外見で判断します』
『うん知ってる。ちなみに、そなたのそれは偏見というのだ』
『なるほど、偏見ですね。承知しました。そして―――』
『いや。承知しましたではなくて改めろ』
『そして蛮族には、割と好感を持っているのです』
『ほう。それは初耳だが、なにゆえだ?』
『わたしは面食いなので』
『…………』
しばしの沈黙の後、
『…………ふぇ?』
お間抜けなお顔を晒した奥様が、蛮族をまじまじと見詰めます。
『やはり大事なのは外見でしょう』
『え? ああいうのが良いのか?』
『はい。奥様と好みが一緒なので』
『ええっ!?』
奥様はびっくり仰天、目がまん丸に。
『口さがない連中は、旦那様のお顔を無味乾燥などと揶揄していますが』
『よしどこのどいつだそいつらはとっちめてやるから教えろ』
『わたしも奥様と同じく、逆にそこそこ魅力的だと思ったり思わなかったり』
『え? ああうん、ありがとう? 逆に? そこそこ?』
『主と趣味嗜好を共にするのも、側近のたしなみなのです』
奥様はもう一度蛮族を確認してから、空を仰いで唸ります。
『いまの話の流れのどこかに、不本意な部分があったはずなのだが…………』
『奥様、そんなことよりも』
『ああ、うん。なんかモヤモヤするが、後回しだな』
奥様は真面目な顔になり、蛮族に近付きました。
どうやら奥様も、蛮族の様子が普通でないと感じていたみたいです。
「あの、どうかしましたか?」
奥様は蛮族の前に立ち、相手の顔を見上げました。
「顔色が悪いようですが」
そう、黒に近い褐色の肌のせいで分かりにくいのです。
間近に観察すれば、明らかに蛮族の顔から血の気が失せていました。
額にはびっしょりと汗が滲み、顔をゆがめて顎を食いしばっています。
「あの――――」
奥様が手を伸ばし、蛮族に触れようとした時です。
『ダメです!!』
わたしが警告するのと同時でした。
ぐえっと蛮族の喉が鳴り、いきなり吐き出したのです。
――奥様に、一瞬の躊躇もありません。
汚れをいとわず、倒れ掛かる蛮族を抱きかかえました。
「覆え!!」
鋭い鞭のような命令に、気配遮断で周囲の注目を遮ります。
奥様は魔法を紡ぎ、地面に撒かれた吐しゃ物を一瞬で灰にしました。
「町の外へ出るぞ!」
「御意!」
奥様は蛮族を抱えたまま町中を駆け抜け、外壁を飛び越えます。
「どちらに!」
「あそこだ!」
奥様の視線を追って位置を特定、次元門を開いて潜りました。
抜け出た先は平原に点在する森の一つ、町から遠く離れた場所でした。
「家に戻って薬箱と筆記道具、それと古着を頼む」
「承知しました!」
わたしは家に戻って命じられた品を用意すると、すぐに奥様の許へ。
既に奥様は森の奥に移動し、清水が湧き出る小さな泉の側にいました。
ぐったりとした蛮族は、苔の褥に横たえてあります。
「ご苦労」
奥様は立ち上がって蛮族から距離を取り、目を閉じて意識を集中しました。
眩い光と共に、奥様の全身を逆巻く白い炎が包みます。
「奥様!?」
汚れた衣服が一瞬で白い灰になり、一糸まとわぬ姿に。
「いきなりやめてください!?」
もちろん奥様は火傷一つ負わず、髪の一筋さえ焦げていません。
「単なる消毒だ」
奥様は灰を手で払うと、渡した古着に袖を通しました。
蛮族がうめき声をあげ、虚ろな目を奥様に向けます。
奥様は蛮族の許に戻って膝を着くと、診断を始めました。
瞼をひっくり返し、首筋に触れ、口を開けて舌と喉奥を覗き込みます。
蛮族は抵抗せず、されるがまま。意識が朦朧としているのでしょう。
「安心して。ちゃんと治してあげるから」
奥様は優しく励ますと、蛮族に触れていた手を炎で包みました。
「病気なのですか?」
「…………ああ」
「家に連れて行かないのですか?」
弱っている者を拾い、面倒を看ることについては、とやかく言いません。
それが奥様という方なのだと、とうの昔に諦めました。
「もしかすると、疫病かもしれん」
奥様は深刻そうな顔で、きゅっと唇を噛みました。
「とりあえず魔王城に預けてみては?」
医師団も設備も整い、適切な治療が受けられでしょう。
「蛮族の病は魔族に罹らぬが、獣族や人族には罹るのだ」
奥様は複雑そうな表情で、横たわる蛮族を見詰めます。
「もし悪性の疫病だった場合、魔王領が大変なことになる」
「では、どうするのですか?」
「この場所で治療を試みる。町で同じ症状の者が出ないか、監視を頼む」
「承知しました」
「この周囲一帯を立ち入り禁止とする。何者も近寄らせるな」
「お任せください」
久しぶりに、まっとうなご下命を頂戴した気がしますね。
「ところで奥様ご自身は、どうなのですか?」
「案ずるな。魔王が病に罹るはずがなかろう?」
どうなのでしょうか。可能性が皆無とまでは断言できません。
そして、何を言っても無駄だというのも分かりきっています。
奥様は持ってきた筆記具で、さらさらと文をしたためました。
書き上げた便箋は宙に放ると、くしゃくしゃと自ら折れ曲がります。
鳥の形になった便箋は、森の梢をすり抜けて飛んでいきました。
「旦那様に事情を記して知らせた。しばらく留守にすると」
ああ、なるほどです。旦那様も人族、疫病に罹る可能性がありましたね。
そこで、非常に重要な問題に気付きます。
「そういえば、旦那様の食事はどうするのですか?」
「結婚前は自炊していたから心配なかろう。面倒ならば外食すればいい」
それならば、まあなんとかなる、のでしょうか?
でも、旦那様が自炊する姿が、まったく想像できません。
ほんとに大丈夫なのでしょうか。
【次回のよこく】予約掲載設定:来週_2024/10/15_火曜日 PM12:10
『 35_冒険者と旦那様』
心配なのは、食事だけではありません。掃除に洗濯もあります。
果たして旦那様は、奥様がいなくて生きていけるのでしょうか。




