30_うちの女官長はマジメですか
【前回までのあらすじ】
だいたいですね、うちの奥様は心が狭すぎます。
旦那様の肉付きを観賞していただけじゃないですか。
魔王城襲撃の急報を受けてから出発するまで、一刻ほど掛かりました。
朝食の準備や旦那様の見送りなど、主婦は朝から大忙しなのです。
多少出遅れたところで、大した問題ありません。
わたしがいれば、北限の町から大陸南端の魔王城までひとっ飛び。
怖いぐらい有能な側近ではありませんか。
次元門を潜った先の座標は、どんぴしゃりの魔王城直上。
そのまま落下すると、高くそびえる翡翠色の塔が迫りました。
【大灯台】と呼ばれる、領都で一番高い建築物です。
なんでも【迷宮大図書館】や【架空庭園】と同時代の遺構なんだとか。
領都観光の目玉の一つです。
王宮上で減速した魔王様は、ひらりとバルコニー降り立ちました。
周囲の気配を探ってみれば、大勢の者達が右往左往しているのを感じます。
魔王城を襲撃された動揺が、まだ収まっていないのでしょうか。
魔王様はバルコニーの手すりに寄って、領都を見下ろしました。
見た目は簡素なレンガ造りの、ほぼ砂色が占める単調な色彩でしょう。
しかしこれこそが、奥様が手塩に育てた都市なのです。
二〇万の領民が暮らす領都に迫るのは、かろうじて帝都ぐらいなもの。
実質的には大陸で一等に繁栄する大都市なのでした。
わたしが魔王様の帰還を念話で伝え、待つことしばし。
バルコニーに女官長がやってきました。
黒い執事服に身を包んでいるので、本日は女性体なのでしょう。
雌雄同体の女官長は、気分次第で男女いずれかに変態可能。
でも、なぜか男性体の時は女官服を、女性体の時は執事服を着用します。
どちらも良く似合ってはいるのですが、選択理由は謎なのです。
「面目次第もありません、陛下」
女官長は魔王様の前に進み出ると、優美な動作で片膝をつきました。
青い瞳に、長く艶やかな濃紺の髪。
老若男女を問わずに魅惑する、魔性の美貌。
女官長ティレシアス。
摂政である先代魔王を監督し、内外に目を光らせる魔王様の代理人。
わたしは魔王様の側近ですが、女官長は腹心といったところでしょうか。
「夜明け頃、西方から一体の大型飛行生物が襲来しました」
挨拶を省き、いきなり報告を始める女官長。
なんだか雰囲気が暗く、いつもの余裕が感じられません。
「飛行生物は、魔王城をかすめるように通過して」
女官長が視線を向けた先に建つ尖塔が、真っ黒に焼け焦げています。
「炎を浴びせ掛けると、そのまま飛び去りました」
怪我人はおりませんと付け加え、女官長は深々と頭を垂れました。
「…………竜族か?」
眉をひそめ、独り言のように呟く魔王様。
腕を組んだ格好で、黒ずんだ尖塔を思案気に眺めます。
表情は冷静で、紅玉の瞳に怒りや苛立ちの感情は窺えません。
「目撃証言から、おそらく」
女官長が、硬い口調で答えます。
――竜族ですか。
大陸西部に割拠する、魔族と同じ列強種族の一角です。
その巨体を覆う硬いウロコは、通常の剣や魔術を弾き返すほど。
岩を削る鋭い爪に、背中に生えた翼で空を自在に飛びまわる。
さらには灼熱の炎を吐き出すなど、なかなか芸達者な連中なのですが。
所詮は図体のでかいトカゲの類に過ぎませんけどね。
「魔王城への攻撃を防げず、さらに狼藉者を取り逃がす大失態」
女官長は長い髪を手繰って、白く嫋やかなうなじを露わにします。
「いかようにもご処断を」
まるで断頭台で斬首を待つ、罪人みたいな格好ですね。
「あのな、ティーレ? そーゆーのは、いーから」
げんなりとした魔王様が、女官長を愛称で呼びました。
いい加減な連中が多い魔王領の中で、女官長は責任感が強い部類です。
魔王様に領内のあれこれを任され、いささか気負いすぎているのでしょう。
「そんな大げさに考えないでも大丈夫ですよ?」
気落ちしている女官長を、わたしも宥めました。
わたしの存在を知る彼女とは、同僚のような間柄なのです。
多少は元気づけてやろうという気持ちにもなります。
「この程度の失態で、魔王様がお怒りになるはずありません」
なにせ、たびたび反旗を翻した連中ですら、ブッ飛ばしたら無罪放免なのですから。
「わたしの無礼な言動の数々を許しくださる、寛大な方ですからね」
すると魔王様、顔をしかめて憮然とします。
「ぜんぜん悪びれておらんし」
「あなたと一緒に扱われるのは不本意です」
女官長も複雑そうな表情で、溜息を吐きます。
「自覚があるなら改めろっていっても改めないだろうし」
「陛下を茶化す暇があるなら、仕事を手伝えと思うことも度々で」
なぜでしょう、二人そろって矛先をこちらに。
「ひどい言い掛かりですが、否定はできません」
「否定できないなら言い掛かりではなかろう」
「いえ、魔王様の無聊をお慰めするという建前がありますので」
「いま建前だと言ったな?」
「相変わらず口が達者ですね」
「ほんと、困ったものです」
「自分で言うな自分で」
三人で掛け合いをしていると、次第に女官長の表情が緩みます。
頃合いを見計らい、魔王様は西の彼方に視線を向けました。
「……おそらく、また来るだろう」
そう呟いて、魔王様は思考の沼に入り込んでしまいました。
こうなると、周りの声が聞こえなくなってしまうのです。
バルコニーに風が吹き、魔王様のエプロンの裾がひらひらと翻りました。
「何か竜族がらみのトラブルがありましたか?」
そもそも、なぜ竜族は襲撃してきたのでしょうか。
「いえ。特に何も聞いていません」
魔族の誰かが、腕試しに竜族に喧嘩を吹っ掛けたのかも。
そう考えたのですが、この線は薄いようです。
もし竜族と戦ったのなら、魔族が自慢しないはずがありません。
そして噂となって、必ず女官長の耳にも入るでしょう。
「これまで竜族は、魔王様を警戒してきました」
女官長が語り出しました。真剣な顔なのに艶めかしい。
「……そうですね?」
「魔王領に接近することさえ稀だったのに」
「ええ、まあ」
女官長は一瞬ためらってから、懸念を言葉にします。
「竜王が関与していると思いますか?」
声をひそめた女官長が、無意識に指先で唇をなぞりました。
色の薄い唇ですが、大変瑞々しく潤っています。
「ふむ。どうして女官長は、いちいち仕草が艶っぽいのでしょうか」
常々抱いていた疑問が、ついポロッと。
「はあっ!?」
素っ頓狂な声を上げ、女官長が目を丸くします。
美しさという点では、魔王様が勝るでしょう。
ですが色気ならば、女官長に軍配が上がります。圧勝です。
「今度、魔王様に指南してもらえませんか?」
旦那様との倦怠期予防に、魔王様も色香のイロハでも学ぶべきでは?
「こんな時に何を言っているのですか!?」
怒られました。迫力がすごい。
時と場合によっては、魔王様さえ叱りつけるのが女官長なのです。
それにしても竜王ですか。
獰猛な性格ですが、なにより厄介なのが、その狡猾さです。
もしも、この件が竜王の意図するものなら、いったい何を企んでいるのやら。
「考えても仕方ないですね」
すぐ面倒になったので、次元門を開きました。
「ちょっと竜族どもに殴り込みを掛けてきます」
「えっ?」
わたしの言葉に愕然とする女官長。
「ついでに竜王の首も刎ねてきましょうか」
「竜族との全面抗争を引き起こすつもりですか!?」
さすが女官長、そこまで考えが及んでいませんでした。
「いいですね、それは!」
ウキウキと気持ちが弾んでしまいます。
「うーむむむむ」
いきなり魔王様が唸り声を上げました。
「…………シチューか?」
「夕食のメニューを考えている場合ですか」
難しい顔をしていると思ったら。
きっと脇道に逸れた思考が、ポロっと漏れたのでしょう。
魔王様は眉間にしわを寄せ、ため息を吐きました。
「竜族の件は、とりあえず様子見だ」
「…………はい、魔王様」
ジロリと睨まれたので、しぶしぶ次元門を閉ざします。
女官長が、あからさまに胸をなでおろしました。
「城に耐火の結界を張っておく。竜族一体なら、大した被害にはならんだろう」
対策がまとまったのか、魔王様は矢継ぎ早に指示します。
「城下は安全だろうが警備を増やせ。城内の年少者は避難を。離宮を使え。有給休暇扱いだ」
「承知しました、陛下」
「あとは、そうだな……」
ちょっと悩むそぶりを見せてから告げます。
「城の守りには、ベレスフォードを常駐させておけ」
「ベレスフォード殿を、ですか?」
魔王様の指名が意外だったのでしょう。女官長は訝しそうです。
「竜族相手ならば、もっと他に適任の方が」
「案山子の真似事なら、あのバカでも務まりますよ」
反論しようとする女官長に、わたしも言ってやりました。
どうせ暇を持て余しているでしょうから、こき使うべきです。
「ベレスフォードに、宝物庫を開放しろ。」
魔王様の宣言に、ギョッとして身を強張らせるに女官長。
「陛下! それはいくらなんでも――――」
「いいな、ティーレ」
「…………仰せのままに」
念押しされた女官長は、表情を消して一礼しました。
次元門を潜り抜け、裏庭に降り立った奥様。
勝手口から家に戻った途端、玄関からノックの音が響きました。
「奥様奥様、まだ髪と瞳が」
慌てて出迎えようとした奥様に注意します。
「おっといかん」
ささっと撫で付け、新緑の瞳と黄金の髪を装います。
さらにエプロンの裾を整えると、玄関の扉を開きした。
「こんにちは、ローズお姉ちゃん!」
扉の外には、孝行娘のマヤが立っていました。
「「おねーちゃん!」」
マヤの両脇を、彼女の弟ローンとアルがすり抜けます。
「こらあんた達!」
奥様の膝に飛びつく弟達を、マヤが叱りました。
奥様はしゃがみ込むと、幼い男子達を抱きかかえ、
「いらっしゃい、みんな!」
満面の笑みを浮かべました。
奥様は子供達に井戸端で手を洗わせた後、食堂へと案内しました。
「今日のお魚です!」
マヤから魚籠を受け取ると、代わりに奥様は小さな包みを渡します。
「じゃあ、これ、お母さんのお薬ね」
包みの中身は病弱なマヤの母親のため、奥様が調合した薬です。
獲ってきた小魚と交換というのが、奥様とマヤの取り決めでした。
無事に取引が終われば、お楽しみの時間です。
テーブルの上には温かく甘いお茶と、クッキーを山盛りにした皿。
「さあ、めしあがれ!」
奥様の掛け声と同時に、マヤ達がオヤツに手を伸ばします。
お手製のクッキーを姉弟が頬張り、奥様が嬉しそう。
――うっとおしい竜族どもめ。
炊事洗濯に庭の手入れ、マヤ達を丸々と肥えさせる計画等々。
忙しい奥様を煩わせる、羽虫みたいな連中です。
魔王城の留守を預かる者達には、ぜひ頑張ってほしい。
奥様の笑顔を見守りながら、そう思いました。
【次回のよこく】予約掲載設定:来週_2024/09/17_火曜日 PM12:10
『 31_いざ、ピクニックへ!』
子供達を連れて、町の外へ遊びに出掛けましょう。
はしゃぎ過ぎないか心配です。奥様が。




