29_北の大地に春がやってきました
本編再開、本日二話目です。
この地での暮らしも、そう悪くはありませんね。
奥様も、だいぶ馴染んできた感じです。
北の大地は、すっかり春の陽気となりました。
南からは渡り鳥が飛来し、冬ごもりの巣穴から動物達が這い出てくる。
それはメスを巡る、オス同士の熾烈な戦いの開幕を意味しました。
あけすけに言えば、発情期です。
ご苦労なことです。そこまで頑張る理由が分かりません。
それでも期間限定な分だけ、野生の生き物というのは慎み深いのだと思います。
なんせうちの奥様と旦那様ときたらもう年がら年中――――
まだ夜も明けきらぬ時刻に、寝室から旦那様が姿を現しました。
最近の旦那様は、奥様よりも早起きなのです。
暗い廊下から玄関まで歩き、扉を開けてそのまま家の外へ出ました。
軽く伸びをすると井戸に近付き、桶に水を汲み上げます。
庭の花壇や菜園の水撒きが、旦那様の日課に加わったのです。
北の大地を領するエルランド公国。その最北に位置する町ベルクド。
奥様と旦那様が、この町で暮らすと決めた翌日のことでした。
お二人は一緒になって借家の庭に花壇と畑を作り始めたのです。
手ずから小石を拾い集める奥様と、鍬を振るう旦那様。
肥料を施して土が整うと、腰を屈めて丹念に種を植えました。
魔法に頼らず地道に作業する姿を見て、わたしは腑に落ちたのです。
花や野菜を育てるのは、この地で生きるという意思の表れなのだと。
物思いに耽りながら見守っている内に、朝の水撒きが終わりました。
旦那様は桶と柄杓を片付けると、井戸端で諸肌を脱いで身体を拭います。
お顔は平凡なのに、鍛え抜かれた肉体は非凡でした。
旦那様より筋骨隆々とした男どもは、ごまんといるでしょう。
ですが旦那様の身体には、研ぎ上げた剣のような凄みがあります。
聖騎士として戦い続けた、無数の傷跡が見受けられます。
中でもひと際目立つのが、右肩から脇腹まで一直線に走る刀傷でした。
かつて旦那様は、魔王である奥様との一騎打ちに臨みました。
そして決着の間際に、旦那様は大怪我を負ったそうです。
生き残ったのが不思議なぐらい、深い傷跡でした。
そのことを奥様は、今でも気に病んでいるみたいです。
でもまあ、あまり気にしなくてもいいのでは? と思うのです。
だって旦那様、それが縁で奥様と結ばれたのですから。
むしろ大陸一美しく献身的な妻を娶れて、逆に幸運だと――
『何を見ている?』
『うきゃあああああっ!?』
痛いイタイイタイって奥さまあっ!?
旦那様の観察に集中して、奥様の接近に気付きませんでした!
がんじがらめに拘束する魔法から抜け出そうと、必死にもがきます。
「旦那様。外で水浴びなんて、はしたないですよ?」
お説教しながら、奥様は旦那様に乾いた手拭いを渡します。
お姫様育ちな奥様は、行儀に関して口うるさいのです。
『もう放してくださいってば!』
『旦那様の裸を堂々と盗み見るとは、いい度胸だな?』
『い、いいじゃないですか! 減るものじゃなし!』
なんて心が狭いのでしょうか、うちの奥様は!
『早起きできないのが悪いんです!』
奥様に代わって旦那様を見守っていたのに、この仕打ち!
『だいたい一晩中励みすぎなんですよ!!』
『なあっ!?』
一瞬にして真っ赤に上気した奥様の集中力が乱れます。
その隙を突き、さっと魔法の拘束から抜け出しました。
春の陽気に当てられたせいなのでしょう。
ここ最近のお二人は、以前にも増してイチャつくようになったのです!
『朝寝坊するほど盛らないでください!』
『こっ! このおっ!?』
羞恥心のあまり、魔法を乱発する奥様。
動揺しても魔力を一切漏らさぬ制御は、お見事です。
ですが! 油断さえしなければ簡単には捕まりませんから!
「花も野菜も順調に育っているよ」
わたしと奥様の密かな攻防に気付かず、旦那様は首筋を拭います。
花壇に視線を向けて満足そうに微笑む、その瞬間でした。
『――――陛下! 魔王城が襲撃を受けました!』
遠く魔王領から、緊急念話が届いたのは。
【次回のよこく】予約掲載設定:来週_2024/09/09_月曜日 PM12:10
『 30_うちの女官長はマジメですか』
奥様が魔王領を留守にできるのは、女官長のおかげです。
でも、ちょっと頭が固いといいますか、融通が利かない面も。




