27_北の大地で始まる、わたしが見守る魔王な奥様と、旦那様の物語
【前回までのあらすじ】
旦那様に、あやうく全てがバレそうになりました。
そうしたら、何故か奥様が誘拐犯みたいな扱いに!?
旦那様に妙な疑いを掛けられたと、奥様が文句をまくし立てる一幕もありました。
ですが、その勢いのお陰で話はうやむやになり、奥様の秘密はバレずに済んだのです。
結果的には、丸く収まったと言えるでしょう。
さて、騒ぎが一応収まった後、奥様はマヤ母のマーサを診察しました。
奥様の診立てでは、血の巡りが悪くなる病らしいです。
栄養を十分に取り、奥様が調合した薬を服用すれば、やがて完治するとのこと。
旦那様と相談し、奥様が食料と薬を差し入れることになりました。
ご近所同士、互いに助け合いましょう、ということらしいです。
マヤ父母はとても恐縮しましたが、奥様には子供達の笑顔が十分なご褒美だったみたいです。
「おねえちゃん、ありがとう! 大好き!」
子供三人に抱きつかれた奥様の顔は、だらしなく緩んでいましたから。
やがて用事を済ませた御二人は、マヤ達に別れを告げて家路につきました。
旦那様に対しては、あらぬ疑いを掛けられたと、いまだ奥様はご立腹です。
ずんずんと、旦那様を放置して先へと進みます。
まあ本当はですね? あらぬ疑いどころか、まさに正鵠を射ていたのですが。
奥様、都合よく忘れてますが、初対面の時にマヤと弟達を飴玉で手懐けましたよね?
さすがは旦那様、奥様のことをよく理解しています。
「ごめんよ、ローズ。そろそろ機嫌を直してくれないかな?」
「妻を疑う旦那様なんて、知りません!」
旦那様が謝っても、奥様はつんと顎を上げて取り合いません。
やれやれと肩を竦めた旦那様が、奥様の背中を見遣って穏やかな笑みを浮かべます。
本人は気付いていませんが、奥様は旦那様の優しい眼差しにいつも見守られているのです。
――――そのことを知っているのは、世界中でわたしだけでしょう。
いきなり駆け出した旦那様が、獲物をさらう鷹のように奥様を抱き上げました。
「ちょっと、付き合ってほしいんだ」
うひゃんと、耳元で囁かれた奥様が奇声を発しました。
旦那様は、奥様を町の外の丘陵地帯へと連れ出しました。
久々にお姫様抱っこされた奥様は、すっかり上機嫌です。
町の壁を飛び越えた時など、悲鳴をあげて旦那様の首っ玉にかじりつきました。
あまりにもわざとらしい甘えっぷりに、ヤスリで魂を削られていく気分です。
そんなお二人を眺めていたら、ふとしたアイディアが浮かびました。
(いっそのこと、お二人で冒険者稼業を始めればよろしいのでは?)
そうすれば様々な隠し事や問題点を、一挙に解決できるではありませんか。
(夫婦冒険者です。旦那様ならすぐさま頭角を現し、町一番の冒険者になること請け合いです!)
こんな簡単なことも考えつかないようでは、まだまだ奥様も未熟ですね。
わたしは自分の思い付きを自画自賛し、得意になりました。
(二度と、そのようなことを言ってはならん)
それはまるで、見知らぬ他人を突き放すような冷淡さでした。
深く、そして静かに奥様が激怒しています。
さざ波一つない鏡のような湖面に見えながら、その奥底では憤怒が煮えたぎっています。
その激情で、わたしを傷付けないようにと自制心を働かせたのでしょう。
奥様は念話の接触を拒み、心を閉ざそうとしました。
わたしを残して、奥様の心が遠ざかる。そのように感じた瞬間、
(申し訳ありません! なにとぞお許しください!)
我を忘れ、必死になって許しを乞いました。
わたしには、闇夜で泣きじゃくる幼子のように訴えるしかありません。
奥様と共にある、わたしはそのためだけに存在しているのです。
もしこのまま奥様が心を閉ざしてしまったら、わたしは存在する意味を失ってしまいます。
罵詈雑言を浴びせられようと、怒りをぶつけられようとも構わないのです。
だから――――
わたしを独りにしないでください!
(王都を脱出してからの、旦那様のはしゃぎっぷりを憶えているか?)
奥様に再び語り掛けられた時、わたしは安堵のあまり溶けてしまいそうになりました。
(…………はい、憶えております)
奥様の機嫌を損ねないように、恐る恐る答えます。
(もうよい、気にするな。そなたに畏まられると、調子が狂いそうだ)
(…………わたしはいつだって、礼儀正しくお仕えしていますよ?)
奥様の朗らかで柔らかな感情が、わたしを羽毛のように包みます。
(あれは、過大な責任から解放された反動だったと思う。聖騎士として剣一本で王家を支え、国を守り、民を救ってきたのだ。それが重荷でなかったはずがない)
奥様の思念が、悲哀の色調を帯びます。
(その挙句が、魔王に一騎討ちを挑み、致命的な傷を負ってしまった)
(致命的な、傷?)
(そうだ。旦那様は最後まで、余の命を奪わぬよう戦い、そのため不覚をとった。自ら癒やして一命こそとりとめたものの、いかなる魔術や魔法でも治療不可能な、後遺症を負ってしまったのだ)
驚愕するわたしに、奥様は淡々と告げます。
(もはや旦那様に、かつての強さはない。最強の聖騎士は、とうに失われているのだ)
(奥様、それは――――)
しかしわたしには、それ以上の言葉を続けることができません。
(余は一騎打ちの勝敗に拘泥し、旦那様はその先を見据えて戦った。だから余は、敗北を認めたのだ)
いま考えてみれば、確かに不審な点がありました。
天変地異もかくやという激闘に敗北しながら、なぜか奥様が軽傷だったこと。
そしてその些細な傷を魔法で癒さず、自然治癒に任せたことなど。
あの当時、愚かなわたしは奥様の生還を喜ぶあまり、重大なことを幾つも見逃していたのです。
(最強でなくなった旦那様に、二度と剣を持たせたくない。少なくとも本人が望まぬ限りは)
奥様の切々とした訴えに、心が痛みました。
(身命を賭して万人に尽くしたのだ。後は安らかで、平穏無事な人生を送らせてやりたい。それが余の――――)
奥様が指を伸ばし、自分を抱えている旦那様の顎を愛おしそうに撫でます。
(――――いや、《わたし》の望みなのだ)
魔王の身でありながら国を飛び出し
復讐を呼号しながら妻として寄り添い
夫婦共に王国を出奔して各地を転々と流浪し
旦那様を養うのだと意気込んで冒険者となり
旦那様に冒険者を勧めたわたしに怒りを覚え
全ては三年前の、あの一騎討ちから始まったのです。
その時、わたしは、ある疑念に捕らわれました。
拭っても拭いきれない、空恐ろしいほどの疑いです。
(奥様は――――魔王様は、我らの王であることが重荷なのでしょうか?)
もしや旦那様への想いは、ご自身の境遇と重ね合わせた共感なのでは?
(いいや、そんなことはない)
しかし奥様は、きっぱりと否定してくださいました。
(そなたも、国も、民も、余の喜びでこそあれ、重荷だと思ったことは一度もない)
本音でしょうか。いえ、奥様の言葉を疑うなど、無二の側近であるわたしには許されません。
奥様との念話が途切れて、しばらくしてからです。
旦那様は町から離れた丘の上に立つと、抱きかかえていた奥様を慎重に下ろしました。
「見てごらん、ローズ」
御二人の眼前には、夕日に染まる北の山脈が広がっていました。
それは、奥様の本当の髪と瞳と同じ、薔薇色の世界です。
奥様と旦那様は沈黙のまま、自然の織り成す雄大な景色を眺めました。
「どうだろう、ローズ。ここに定住しないか?」
やがて旦那様が、静かに告げました。
「聞くところによると、冬場は不便らしい。雪の降らない季節は、幻獣がやって来る。暮らすには、ちょっと厳しい土地かもしれない。でも仕事も見つけたし、余計なしがらみもなく、新しい生活を始められると思うんだ」
奥様は含み笑いをしながら、傍らの旦那様を見上げました。
「それに、夕日が綺麗ですものね?」
「うん、まあ、それもあるけど…………」
旦那様が、照れたように頭を掻きます。
その顔の赤みは、夕日のせいばかりではないようです。
(結局は、根が単純なだけなのだよ、旦那様という人は)
奥様は苦笑しつつ、旦那様にそっと寄り添いました。
せっかく良い雰囲気なのです。わたしは遠慮いたしましょうか。
御二人から離れ、わたしは高く高く、天空に昇ります。
やがて眼下で重なる、二つの影を見下ろしながら。
――――さあ、ここから新たに始まるのです。
わたしが見守る魔王な奥様と、旦那様の物語が。
【感謝御礼】
たくさんの方々に読んで頂き、ありがとうございました。
本作品はここで一区切りとして、完結させて頂きます。
もし機会などがありましたら、再開したいと思います。
改めて、ありがとうございました。
うちの奥様と旦那様の物語は、いかがでしたか?




