24_孝行娘の危難
【前回までのあらすじ】
思うにですね、世の中に起きる騒動の大半は、遡れば奥様が原因のような気がします。
さすが魔王の中の魔王ですね、奥様!
「やってしまった――――っ!」
叫んだ奥様が、両手に顔を埋めてしまいました。
幻獣討伐の功として、奥様から指先への接吻を許された後、ディオネの態度が一変しました。
長年仕える従者もかくやという気遣いで、奥様に接するようになったのです。
歩く先にちょっと窪みでもあれば、
「足元に気をつけて」
そう注意を促して、爽やかな笑顔と共に手を差し延べたり。
冒険者ギルドの前に到着すれば、先に立って扉を開けたり。
テーブル席につこうとすれば、背後にまわって椅子を引いたり。
とにかく奥様の一挙手一投足を見守り、なにくれとなく世話を焼こうとしました。
そんな奥様とディオネを、生温かい目で見守るトールとハイド。
身の置き所がなくなった奥様が帰ろうとすれば、家まで送ると主張する始末です。
ディオネを男どもに押し付け、奥様はほうほうの体で逃げ出してしまいました。
「自業自得です。なぜ、御手を与えたのですか」
あんなことをしなければ、こんなことにはならなかった筈です。
「いやまあ、随分と頑張ったから、彼女好みのシチュエーションで労おうと思って…………」
奥様にしてみれば、ごく軽い気持ちだったのでしょう。
しかし奥様は、自然と発露するご自分のカリスマを自覚されていません。
騎士と貴婦人について奥様から講釈された時に、こう思いました。
真の貴婦人とは、まさに奥様であると。
魔王領の姫君として育ち、魔族の頂点に立って万民を率いる奥様は、言ってみれば貴婦人の中の貴婦人。
庶民暮らしに馴染んでもその気品は隠しきれず、女王や王妃、王女に令嬢など、並みいる凡百など足元にも及びません。
そんな奥様に賞揚され、騎士に憧れるディオネが舞い上がるのは当然の結果です。
「そなただって、余計な演出をしたではないか」
奥様が恨めしそうになじります。
確かに花びらを風で舞い上げたのは、わたしの仕業でした。
「いえ、せっかくのシーンなので盛り上げようかと」
ディオネに対して、色々と思うところがない訳ではありません。
ですが、奥様に対する忠誠心を確たるものとするのは、決して損にはならないはず。
表立って動けないわたしの代わりに、きっと奥様のために働いてくれるでしょう。
そんな感じで人気のない道を歩いていると、向こうから誰かがやってきました。
子供に手を引かれた、人族の女性です。子供達には見覚えがありました。
「「おねえちゃんっ!」」
そう、マヤの弟達です。すると彼女が、マヤの母親でしょうか?
遠目にも線の細さが目につき、話に聞いた通り、あまり身体が丈夫そうには見えません。
実際、奥様が急ぎ足で近寄ってみれば、血色が悪くて息も絶え絶えの有様でした。
「あ、あなたが、む、娘の話していたローズさんですか?」
苦し気に胸を押さえたマヤ母が尋ねます。
「そうですが、いったいどう――――」
奥様の問いが終わる前に、マヤ母が縋り付いて叫びました。
「む、娘が! わたしの薬草を採りに、町の外へっ!」
ざわりと、大気が揺らぎました。
背後の林から、気配に敏感な鳥達が一斉に飛び立ちます。
「落ち着いて、事情を簡単に教えてください」
しかし表面上は穏やかな奥様に促され、彼女は説明しました。
彼女の名前はマーサ。マヤの母親で間違いありませんでした。
なんでもマヤが薬草を採って来ると弟達に告げ、町の壁の崩れた隙間から外に出たそうです。
内緒にするように言い含められた弟達ですが、姉を心配して母親に報告したのです。
「冒険者ギルドに依頼を! 娘を助けてください! お金は必ず用立てます!」
必死に訴えるマーサに、奥様は力強く頷きました。
「分かりました、冒険者ギルドへはわたしが連絡します。あなたは家で待っていてください」
「で、ですがっ!」
「マヤちゃんは、必ず連れて戻ります。それに、もしかしたら途中で引き返しているかもしれません。入れ違いになるといけませんから」
病の身でありながら娘を案じて興奮するマーサを、奥様は少しばかり威圧します。
それで頭が冷えたのでしょう、渋々引き下がるマーサ。
必ず家に戻るように、そう念押しした奥様は、来た道を駆け戻りました。
「ギルドに戻るのですか?」
「そんな時間があるか!」
奥様は背後を振り返り、残してきた親子がこちらを見ていないことを確認します。
「飛ぶぞっ!」
「ちょっ!? ちょっと待ってください!」
止める間もなく、地を蹴って大空に翔け上がる奥様。
金色の髪が、みるみる赤く染まります。
新緑の瞳が真紅の輝きを放ちます。
一瞬で魔王の相を露わにした、ヘリオスローザ陛下。
町を見下ろす上空に到達すると、鋭い視線を丘陵地帯へと向けました。
――――どうやら魔王様の理性は、蒸発してしまったようです。
マヤを探すことに焦るあまり、その圧倒的な気配を隠すことを忘れています。
魔王様に追い付いたわたしは、即座にその姿を覆い隠します。
間に合ったのでしょうか? 眼下の町には、旦那様がいるのです。
数瞬とはいえ、魔王様の気配が放たれたのです。勘付かれた可能性は皆無ではありません。
もし奥様の正体がバレたら、夫婦生活の危機です!
地上を探ってみましたが、旦那様の姿は視認できません。
屋内にいれば、かろうじて誤魔化せるのですが――――いえ、あれは。
そやつは、明らかにこちらを認識し、注視していました。
ギルドマスター、シルファ・シルヴィン。
冒険者ギルドの建物の二階テラスに立ち、こちらを見上げる黒髪のエルフ。
彼女とわたしは、互いの能力を駆使した攻防を繰り広げます。
侮るなよ、背信の民エルフよ。
ご自慢の妖精眼など、わたしの気配遮断に通じるものか!
「――――見つけた」
魔王様が囁くと、スッと指先を前方に向けました。
「開け!」
「御意!」
いざという時、わたし達の間に多くの言葉は要りません。
長い年月、お側にお仕えしているのです。魔王様が欲することなど、瞬時に悟ります。
勅命に従い、わたしは次元を切り裂いて転移門を通しました。
空中に開いた漆黒の断裂に、迷わず躍り込む魔王様。
わたしも後に付き従う寸前――――眼下のエルフを一瞥しました。
お前が何を見たのか、どう判断したのかは知らぬ。
だが、我が身が可愛いのなら全てを忘れ、口を噤むがいい。
警告を込めた殺気を放ち、エルフを射貫きました。
【次回のよこく】
『25_魔王様、降臨!』
刮目して見よ!
これぞ魔王の中の魔王、ヘリオスローザ陛下であるぞ!
それでは明日、またお会いしましょう。




