23_捧げなさい、完全なる勝利を!
【前回までのあらすじ】
突如として出現した幻獣の大群、町に危機が迫ります。
ディオネの背に飛び乗った奥様が、高らかに命じます。
さあ、突進です!
「ああもうっ!」
やけっぱちになったディオネが剣を鞘に収め、身体強化の魔術を発動しました。
彼女も、ようやく理解したようです。
奥様を背負いながら幻獣の群れを誘導し、町への進路から逸らすしかないことを。
双方の事情を考えれば、それが最善な選択です。
奥様は前方をビシッと指差し、高らかに命じました。
「幻獣どもに向かって、突進しなさい!」
「え!? ちょっ! ちょっと待ってください。
真っ正面から行くと思っていなかったディオネが、反論を試みました。
しかし、八万の魔王軍総司令官である奥様に対して、抗うだけ無駄というもの。
「征け! ディオネ!」
「は、はいっ!!」
地面をえぐるように蹴り、ディオネが駆け出しました。
その反動が、奥様を大きく揺さぶります。
「落さないようにしっかりと支えて!」
加速によって生じた突風に負けぬよう、奥様が大声で命じました。
ディオネはすぐさま、自分の腰に回された太腿を抱え直します。
そしてつい、率直な感想を叫んでしまいました。
「けっこう太いですね!」
「………………死ぬか?」
「えっ! なんですか!」
ドスの効いた奥様の脅しは、風にかき消されて彼女の耳に届かなかったようです。
(誉められたと思えばいいじゃないですか)
(ぜんぜん誉めておらん!)
(旦那様だって、お好きじゃないですか…………太いの)
(なぜ知っているっ!?)
(なぜと言われましても。旦那様の手つきをみれば、一目瞭然としか)
(覗き見するな!)
覗いてなどいません。見られるのが嫌なら、人前でイチャイチャしないことです。
(そんなことより、ほら)
「ローズさんっ!?」
幻獣の群れが、もう目前です。どうやら複数の種類が混在しているようです。
「敵前回頭! 取り舵いっぱい!」
「えっ!?」
「左に曲がりなさい!」
「りょ、了解!」
幻獣の群れ鼻先で急ターンするディオネ。
幻獣の一部が跳躍して頭上から襲い掛かるのを、左右にかわして走り続けます。
「やつらを北西の方角に誘導しなさい!」
奥様の指示にまごつくディオネ。彼女もかなり混乱しているのでしょう。
「こっちよ!」
「イタたたたたたたたっ!?」
容赦なく耳をねじ上げられ、ディオネの悲鳴が響きます。
方向転換した奥様達に、幻獣の群れが追いすがりました。
しかし幻獣同士の間隔が広がり、一部が置き去りにされそうになりました。
複数の種類が混在しているために、速度差が出てしまっているようです。
(まずいな。離れすぎると、足の遅い幻獣が進路を戻してしまう)
獲物を追い、襲い掛かる幻獣は、目標を失うと再び南下してしまいます。
「進路変更! こっち!」
「口で言ってください!」
再び耳を引っ張られ、ディオネが泣きそうな声で訴えます。ほとんど騎獣扱いです。
わたしは上空にあがり、幻獣の群れを観測しました。
そのイメージを念話で伝えると、奥様が進路の調整を指示します。
方向転換を繰り返し、引き離されそうになる幻獣を追い付かせます。
その結果、足の速い幻獣に最接近されることもしばしばありました。
それをディオネは、持ち前のフットワークで回避します。
背後をとられて奥様に危害が及ばないように、必死になって駆けずり回りました。
しかし、いくら身体強化を掛けていても、体力は無限に続きません。
汗を流し、息切れを始めるディオネ。しかし彼女の足は緩みません。
奥様をしっかり支え、その指示を懸命にこなします。
そんな彼女を、奥様は言葉で励まそうとはしませんでした。
どんなに幻獣が間近に迫っても、魔法の一つも放ちません。
奥様は、あの女冒険者を信じているのです。
だから進路の指示に専念し、その身は彼女に任せているのです。
――――嫉妬の炎に、身を焦がされる思いでした。
あの姿は本来、わたしと奥様だけの関係なのです。
黒々とした感情を抑えつけ、わたしは情報を送り続けました。
奥様が信じる者を、わたしも信じる。それが第一の側近である、わたしの自負なのです。
刻々と状況は変化し、やがて幻獣の現在地と町の方角が、最適な角度になりました。
(奥様!)
「真っ正面に全速力! あの丘の上に!」
奥様が指差す方角に、淡く色づく丘が見えます。
ディオネが、渾身の力を振り絞って駆けました。
体力の最後の一滴まで、己の足に注ぎます。
幻獣の群れが、どんどん引き離されます。
鈍足なタイプの幻獣達は、地形の起伏で視線を遮られました。
奥様達の姿を見失った幻獣達は再び群れ集い、南下を再開します。
その進路に、町はありません。
しかし依然として、わずかな数ですが足の速い幻獣が追いすがります。
一〇体ほどの幻獣と、距離を置きながらの追跡劇は、丘の上に到着するまで続きました。
丘の上に到着したディオネが、ゆっくりと奥様を下ろします。
息も絶え絶えの彼女は、しかし地面に倒れ込む無様を晒しません。
膝をつくことなく、剣を抜いて向き直ります。
「…………ここで…………待っていてください」
苦しい息の下、それだけを告げ、迫る幻獣に対峙します。
奥様に、逃げろといいません。疲れ果てているはずなのに、その表情はむしろ爽やかでした。
…………わたしは、再び湧き上がる嫉妬心を抑えねばなりませんでした。
絶対に奥様を守る、その決意を固めたディオネ。
そんな彼女の正面に回った奥様が、その額に接吻しました。
魔王が内包する魔力の内、わずか一滴にも満たない分量です。
ですが、それを額から注がれた人族にとっては、膨大なものになります。
自らの身体に生じた劇的な変化を、本人はどのように感じているでしょうか。
「そなたに、祝福を」
身を離した奥様は、呆然とするディオネに告げます。
「わたしに、完全なる勝利を捧げなさい」
奥様に命じられ、ディオネが突撃しました。
先ほどまでとは比較にならない加速で、幻獣に迫ります。
風よりも早く薙ぎ払った彼女の剣が、降り注ぐ陽光に煌きました。
▼▼▼
その丘の上は、様々な花が咲き誇っていた。
白や青、それに薄いピンクの花々が、緩やかな風に花弁を揺らして春の訪れを告げている。
自然の花畑の上に、精根尽き果てたディオネが、ついに倒れた。
すでに幻獣の姿はない。いまこの場所に見えるのは、彼女とローズだけだ。
「幻獣は一旦北に逆戻りした上で、町への直進路からも逸れました。これでもう大丈夫でしょう」
この後、ギルドマスターに報告すれば、狼煙で後背の公国に連絡するだろう。
そうなれば軍が防衛体制を敷き、幻獣の群を殲滅するはずだ。
幻獣の群れが通過するまで、町は住民が壁の内側に閉じこもれば問題ない。
突如として町に迫った危機は、回避されたのだ。
古い時代の騎士に憧れる彼女は、密かな達成感を噛みしめる。
弱者を助けるため、勇敢に戦う。幼い頃、そんな騎士道の物語に胸を躍らせていた。
家宝の甲冑を身にまとい、冒険者になったのも、そんな幼い頃の記憶があったからだ。
騎士にはなれずとも、冒険者となって困っている人々を助けられたなら、そんな想いがあった。
だからこそ、この北の大地にやってきた。幻獣の災いから人々を守る盾になろうと。
だが、想像以上に冒険者の生活は厳しかった。
世に持て囃されるほどの大活躍をする冒険者など、ほんの一握り。
大多数の冒険者は日銭を稼ぐのがやっとの有り様である。
追い詰められた冒険者は、一山当てようとして幻獣討伐に赴く。
しかし身代を築くほどの魔石を手に入れるのは難しいのが現実だ。
危険を冒して、時には大怪我を負って引退する者も少なくない。
そんな過酷な冒険者の生活が、未熟な彼女の心をすり減らし、疲れさせた。
それでもなお胸にくすぶり続ける騎士道の物語。
もしすっぱりと諦めたら、どれほど楽になれるのか。
ミルチルの頼みをあえて断ったのは、自分の幼稚な未練を断ち斬るためだった。
母を想う、健気な子供達を見捨てる。それは冒険者として、正しい選択だったはず。
だが、日に日に罪悪感が増すばかりで、心が安らぐことはなかった。
だけど今日、ささやかだが夢を叶えることができた。
町に迫る危機を回避するために、正義の剣を振るえたのだ。
たぶん、この出来事は誰にも称賛されることはないだろう。
それでいいと、彼女は思う。真の騎士道は、名誉を求めることではない。
黙々と、誰に知られることもなく、ただ人の世に尽くすことなのだから。
「ディオネ」
空の青さを眺めていると、ローズが彼女の許へと歩み寄った。
花畑の上で手足を広げ、仰臥するディオネに微笑みかける。
「跪きなさい」
その威厳に満ちた声音に、ディオネはすぐさま跳ね起きた。
命じられるがまま片膝を着いて、ローズを見上げる。
ローズは時に、逆らい難い雰囲気をまとうことがある。
そして優しさと思慮深さを併せ持つ彼女に対し、ディオネは自然と敬愛の念を覚えた。
「大儀でした、ディオネ」
慈愛に満ちた労いと共に差し出される手を、ディオネは茫然と見詰める。
古の騎士には、現代では廃れた徳目がある。
それは貴婦人への献身だ。
誠実と純愛、そして勝利を捧げる相手として、騎士は自らの貴婦人を思い定める。
時には主君を捨てて放浪することはあっても、騎士は貴婦人を違えることがない。
「恐縮です、マイ・レディ」
ローズの手を取ると、うやうやしく唇を押し当てる。
その時、一陣の風が花びらを巻き上げた。
舞い散る花びらに包まれ、ディオネは天に祝福された気持ちになる。
頬を紅潮させた彼女は、ローズとの出会いに運命を感じるのだった。
ちなみに、この季節外れな幻獣の大群の発生には、原因があった。
北の山脈の谷間で、大規模な雪崩が発生したのである。
雪崩によって埋もれていた幻獣が表層部に出てきて、一カ所に寄せ集められたのだ。
全ての事件が解決した後、とある魔王は調査を命じた側近から、詳細な報告を受けた、
。
先日、自分が誘発させてしまった地震。あれが山間部では、かなり大きな揺れになったらしい。
そして雪崩の原因が、その地震にあると知った魔王は、盛大に頭を抱えることになるのだった。
【次回のよこく】
『24_孝行娘の危難』
面倒事は全部片付いた、そう思いましたのに。
もう一波乱、ありそうです。
――第5章 奥様と孝行娘――
それでは明日、またお会いしましょう。




