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02_わたしが見守る魔王な奥様の復讐_後編

【前回のあらすじ】

魔王である奥様と、聖騎士である旦那様が結婚してから二年目のある日のこと。

奥様というものがありながら、旦那様に王女との縁談が持ち上がったのです。


時を同じくして、魔王領の軍勢が王国に迫っているとの知らせが入りました。

 

 

 大まかな座標に転移し、周辺地域を飛び回ること一時間余り。

 ようやくのこと、進軍する一万程度の軍勢を捕捉しました。

 遥か上空から見下ろせば、色鮮やかにひるがえる旗印が認められます。

 隊列を組んで行進する兵士達は、まぎれもない魔族でした。



「軍の一部が魔王領を進発、国境地帯へ移動中との情報を、女官長が知らせてきたのだ」

 女官長は、魔王領の情報を定期的に奥様に報告しているのです。

 通常の政務は、奥様の父上である先代陛下が代行されています。

 ですから重要な案件についてのみ、女官長からの情報を基に指示を送っていました。

 奥様が魔王領に直接お戻りになることは滅多にありません。

 そう、今回のような緊急事態以外には。



「指揮官は誰でしょうか?」

「ベレスフォードだ! まったくあいつときたら!」

 魔王様は空中に浮かびながら、器用に地団太を踏みます。

 ああ、あの筋肉馬鹿ですか。いえ、馬鹿にしている訳ではありませんよ?

 基本的に諸将はみんな馬鹿なので、ある意味普通と言えるのです。

「このまま進軍すると、明日には王国の国境を越えるのでは?」

「その通りだ」

 なるほど、だから焦っておいでだったのですね。

 魔族の軍勢が国境を越えれば、王国との和平条約は破棄、即開戦となりましょう。

 まあ、それならそれで構わないというのが、わたしの感想です。

 しかし奥様がそれを望まぬなら、その御意志に従うまで。

「では、わたしがベレスフォードを討ち取って参りましょう」

 ベレスフォードと、主だった者の首を刎ねれば、残った軍勢を掌握するのは簡単です。

「いや、時間がない」

 それまで焦っていた奥様が、スッと静謐な表情になります。


「余が征く」


 奥様は、魔法による偽装を解除しました。

 黄金の髪と新緑の瞳が、太陽のように眩しい薔薇の真紅へと変化しました。

 抑えていた魔力が奔流となって溢れ出し、周囲の空間を歪めます。

 やがて魔力は渦を巻いて収束し、その身を鎧のように包みました。


 魔族の頂点に立つ、魔王領の絶対強者。

 八旗将を従え、八万の軍勢を統括する総司令官。

 魔王、ヘリオスローザ陛下。


 この御方こそ、わたしが永遠の忠誠を捧げた主でございます。


 飛翔魔法を全開にした魔王様が、凄まじい加速で降下しました。

 上空の異常に気付いたのでしょう、眼下の軍勢が隊列を乱します

 大気を切り裂き、白い蒸気の軌跡を残し、魔王様は大地に激突しました。

 凄まじい衝撃に大地は大きく抉れ、噴火のように土煙が空へと昇ります。

 地震のごとき揺れと、降り注ぐ大量の土砂に、軍勢は大混乱に陥りました。

「静まれえっ!!」

 ベレスフォードの怒号が、雷鳴のように轟きました。

 その咆哮には敵をすくませ、味方を鼓舞する能力があります。

 やがて混乱が収まった軍勢の前に、土煙の中から人影が現れました。

 言わずと知れた魔王様です。その御姿には、汚れ一つありません。

「久しいな、ベレスフォード」

「ああ、陛下。久しぶりだな」

 軍勢の先頭にいた巨漢が応えました。


 獅子の頭に漆黒の鎧、巨大な斧槍を肩に担いだ、獅子神王の末裔。

 八旗将の一柱を担う、猛将ベレスフォードです。

 一軍の将でありながら徒歩なのは、その重量を支えられる騎獣がいないからです。

「相変わらず口の利き方がなっていないな」

 ぶっきらぼうなベレスフォードの物言いに、魔王様は呆れ顔です。

「武将は、お上品な口先よりも腕っぷしだ」

「確かに礼儀作法を期待して、お前を抜擢した訳ではないが」

 諦めたようにため息を吐いた後、魔王様は威圧を放ちました。


 辺りを押し潰すようなプレッシャーに、最前列にいた雑兵が腰を抜かしてへたり込みます。

 しかし、さすがは腐っても八旗将。ベレスフォードは一歩も引きません。

「余の命に背き、軍を率いて王国に進むのはいかなる所存か、申し開きしてみよ」

「申し開きなんてねえよ」

 魔王様の言葉に、ベレスフォードは斧槍で肩を叩きました。

「陛下の目を覚ましてやろうと思っただけだ」

「ほう?」

 ベレスフォードの不遜な態度に、魔王様は目を細めます。

「大層な戯れ言をほざくではないか」

「戯れ言かどうか、自分の格好を見てから言いやがれ!!」

 ベレスフォードが吼えました。

 その気迫たるや、側に控えていた武将が落馬するほどです。


「余の格好がどうした?」

「そのピンクのひらひらはなんだよ!」

「エプロンだが?」


 魔王様が、しれっと答えます。

「なんで魔王がエプロンをしてやがる!」

「その方は無知だな」

 小馬鹿にしたように、魔王様は鼻を鳴らしました。

「これは実に機能的な装備でな。料理中の汚れを防ぎ、洗い物では濡れた手を拭くのに便利なのだ」

「だから! なんで! 魔王が料理や洗い物をしてやがるんだよ!」

「…………愚かだとは思っていたが、その方がそこまで愚かだとは思わなかったぞ?」

「誰が愚かだよ!」

 お前ですよ、ベレスフォード。自覚がないのでしょうか?

 いえ、自覚がないから愚かなのでしょうね。

「誰かが料理せずして、どうして食事を供することができようか」

「魔王が料理なんて、くだらねえことやるなって言ってるんだよ!」

「くだらないだと?」

 魔王様の眼差しが、極寒の冷やかさを宿します。

「いま吐いた台詞を、シスシスに伝えてやろうか?」

「な、なんだよっ!? 女房は関係ないだろ!」

 奥様の侍女だった栗鼠獣族の女性、シスシスのことを思い出します。

 とても愛らしい娘だったのに、どうしてこんな馬鹿に嫁いだのでしょうか。

「毎日、そなたのために食事を用意している彼女に、夫は調理など下賎な輩の…………」

「そこまで言ってねえ! やめろよマジで!」

 それまでの傲岸不遜さが嘘のように、ベレスフォードが狼狽えます。

「あいつが泣き出すと、すげえめんどくせえ――――」

「ほう?」

「あ、いや、今のも嘘だから。お願いだからあいつには言わないで」

「いいだろう。黙っていてやるから、さっさと家に帰れ」

 魔王様が面倒くさそうに、シッシッと手を振ります。

「わ、分かったよ。ほんとに内緒だぞ?」

 殊勝な態度になったベレスフォードが、踵を返そうとして――――


「じゃ、ねえええっ!」


「…………チッ」

「舌打ちしやがったなっ!?」

「貴様ほどの馬鹿でも、さすがに騙せんか」

「誰が馬鹿だ!」

 だから、お前ですよ。魔王様はやれやれと肩をすくめました。

「魔王が国を空け、他国で人族の妻となってうつつを抜かしている。だから王国との戦端を開き、かの国で魔族の排斥感情を再燃させれば、余が国へ戻るとの算段であろう?」

「お、おう? たぶんそんなところだ」

 なぜ、お前が首を傾げるのです。

「誰に吹き込まれたか知らんが…………なんかもー面倒になってきたぞー」

 魔王様が、がっくりと肩を落としました。きっと、事態を穏便に収めようとしていたのでしょう。

 ですが、そろそろ忍耐が尽き掛けているようです。

 むしろ馬鹿を相手に、よくぞここまで我慢したと誉めてあげたいです。

「わたしはいま、大変に忙しい。寸刻を争うほどに時間が足りないのだ」

 やたらと多忙を強調すると、魔王様の姿がフッと掻き消えました。


「失せろ」


「グボオオ――――――――ッ!?」

 一瞬で相手の懐に飛び込んだ魔王様の拳が、ベレスフォードの腹に打ち込まれました。

 たった一撃、それだけで分厚く頑丈な装甲に亀裂が走り、鎧が砕け散ります。

「エビの殻を剥くために開発した魔法だ」

 そう言って胸を張る魔王様。とっても得意げです。

「中身を傷付けず、ツルリと簡単に殻が剥けるのだ」

 魔王様、ベレスフォードが血反吐を吐きながら、のたうち回っていますよ?

「すまんすまん、この調理魔法が未完成だったのを忘れてた」

 魔王様は申し訳なさそうにぺちっと頭を叩くと、ベレスフォードに回復魔法を飛ばしました。

「…………料理の実験台にするんじゃねえよ」

 口の端から垂れる血を拭いながら、よろよろと立ち上がるベレスフォード。

「よし、それだけ減らず口を叩けるのなら命に別状はないな」

 魔王様はニッコリ笑います。

「シスシスを悲しませる訳にはいかんからな。安心しろ、死なないように十分気をつけよう」

 魔王様は慈愛に満ちた眼差しで、周囲に群がる魔族達を見回しました。


 いつになく圧倒的な魔王様の気迫に、一万の軍勢の腰が引けます。

 青い空の一点に、突如として黒雲が湧き出し、渦を巻きながら急速に範囲を広げました。

 瞬く間に黒い帳で覆われた空に、青白い稲光が走ります。ドロドロと不気味な雷鳴が轟きました。

「命令に従っただけのそなた達も同様だ。安心するがいい」


 天空より無数の稲妻が矢のように降り注ぎます。

 そして畑を耕すように、大地が断続的に炸裂しました。

 絶叫と、それを掻き消す爆音。次々と空中に吹き飛ぶ魔族の兵士達。

 辺りは一瞬にして、阿鼻叫喚の恐慌状態となりました。




 魔王様は御言葉通り、安全と安心の丁寧な稲妻の爆撃で、一万の軍勢を壊滅させました。

 全員真っ黒焦げになって悶絶しましたが、この程度で魔族の兵士がくたばりはしないでしょう。

 魔王様は、満足げに累々と倒れ伏す軍勢を見回しました。

「こうして手加減が可能になったのも、サヤエンドウの筋取りで修業を積んだ成果だな!」

 そうでしょうか? わたしには、両方とも面倒だという共通項しか見出せません。

 魔王様の仰ることは、わたしでも理解できない時があります。

「こうしてはおれん! 急いで帰らねば!!」

 時間を思い出したのか、魔王様は慌てて飛翔魔法を展開します。


「…………待てよ」

 風をまとった魔王様に、首から下を地面に埋められたベレスフォードが声を掛けます。

「なんだ! まだ文句があるのか!」

「なんで、そんなに急いでやがる?」

「知れたことっ!」

 一声叫ぶと、魔王様は地面を蹴りました。

「急がねば晩御飯の支度が間に合わぬ!」


「そんなこったろうと思ったよドチクショウ!!」

 大空に翔けあがった魔王様に、思いっきり罵声を浴びせるベレスフォード。


 負け犬の遠吠えですね。ああ獅子でしたか――――ぷっ。


      ◆


 奥様は竈の前で、火に掛けた鍋をかき混ぜています。

 実に楽しそうで、鼻歌を鳴らしながら腰を振っていました。

 その姿はどう見ても、温かい食事で夫を迎えようとする良妻の姿そのもの。

 …………とても復讐を目論む魔王には見えません。


「奥様?」

「ん~~♪ なんだ~~?」

「奥様が、旦那様から受けた屈辱とはなんなのですか?」

 王城での出来事を報告する前に、聞いておかねばと思いました。


 奥様が、ぴたりと身動きを止めます。その背には緊張感が漂っていました。

 聖騎士との一騎打ちの顛末を、奥様は欠片といえど漏らしたことがありません。

 わたしは、踏み込んではならぬ領域を冒してしまったのでしょうか?


 しかし奥様は、お怒りになった様子もなく料理に戻ります。

「この国までつき従ってくれたそなたには、毎日苦労を掛けている」

 それどころか、珍しく労いの御言葉まで頂戴しました。

「いえそんなことは――――」

「だから、そなたにだけは話しておこう。余がどのような屈辱を受けたのか」

 奥様は天井を仰ぎ、遠い目をされます。

「あの決戦の日の、一騎討ちのあらましを」



 ――戦場で初めて相まみえた時、聖騎士ユリエスが尋常ならざる者だと分かった。

 ――それこそ余に迫る力量だと、瞬時にして悟ったのだ。

 ――彼が一騎討ちを申し出た時、余はそれを受けた。

 ――挑戦を無視して全軍に突撃を命じれば、確かに戦そのものは勝利しただろう。

 ――しかし、余は魔王だ。強者からの挑戦を受け、これを倒さねばならぬ宿命にある。

 ――同時に、脆弱な人族風情がそこまで高みに至った奇跡を惜しいとも思った。

 ――だから戦いの前に、余は聖騎士に命じたのだ。


 ――余の婿になれ、と。


「きゃああああっ!」

 予想外の告白に、わたしは思わず嬌声をあげてしまいました。

「奥様が! 奥様から旦那様に結婚を申し込まれたんですか!」

「う、うむ。まあ、かえりみれば、そういう見方もできるかな?」

 往生際の悪い奥様が、ごにょごにょと言葉を濁します。

「しかし、しかしだな! あやつはにべもなく断ったのだ!」

「え~~それはひどいですねえ」

 まあ初対面の、それも魔王から結婚を申し込まれれば、普通の人族なら断るでしょうけども。

「それだけではない。あろうことか、余に対して許されぬ暴言を吐いたのだぞ!」

「どんなことを言われたのですか!?」

「いいか! あやつは! 人族風情が、余に向かってこう言ったのだ!」

 奥様が顔を朱に染め、ぎゅっとおたまを握り締めました。


「汝こそ俺の妻になれ、と」


「………………」

「臆面もなく、そうほざいたのだ! 魔王領を統べる余に求婚するなど、なんという増上慢か! それだけではない! 優雅で美しく、夜空に輝く星々でさえも恥らう貴女を刃に掛けるのは、魂が引き裂かれる思いだと! あやつは戦いが始まる前から勝ったつもりでいたのだぞ!」

 奥様は罵りながら、軟体生物のように身体をクネクネとよじっています。

「それで、どうされたのですか?」

 わたしは、醒めた口調で続きを促します。

「なんやかやあって余は敗れた」

「はやっ!」

「うむ、いろいろと面倒だからな」

 きっと優雅とか星も恥らう辺りしか憶えていないのでしょうね。

 しかし、確信をもって断言できますが、その下りは奥様の脳内補正です!

 あの旦那様に、そんな気障なセリフを考える頭はありません!

 あんまりキレイなんでびっくりしたとか、その程度の賛辞だったのでしょう。

 まあ、魔王を前にして大した度胸ですが、それを素で言えるのが旦那様なのです。


「しかし、あやつは敗れた余に止めを刺さず、軍勢を退けてほしいと頭を下げた。勝者に従うのは、敗者の義務だ。撤退を約束すると、あやつは感謝を述べて自陣へと戻ってしまった」

 そして奥様は、口を閉ざしてしまいました。そのまま沈黙し、続きがありません。

「――――え? あれ? 妻になれとかはどうしたんですか?」

「そうなのだっ!!」

 奥様が怒りのまま、おたまを竈に叩きつけます。

 竈の角が欠け、へし折れたおたまが天井まで飛びました。

「何事もなかったように、求婚については一言も触れなかったのだ!」


 …………どうやら、全ての真相は見えてきたようです。

 奥様から伴侶になるように命じられた旦那様は、気軽に答えたのでしょう。

 ――残念だけど婿にはなれないよ。君みたいな可愛い嫁さんは欲しいけどね。

 そこで魔王様の脳内補正が働き、妻になれと変換されたに違いありません。

 なぜ脳内補正が働いたかというと、奥様の結婚願望が原因でしょう。


 求婚魔族一〇〇名の撃退と、衝撃の即位以降、全ての魔族たちは奥様に心服しました。

 だけど同時に、魔王様を女性と見る男はいなくなったのです。

 強大な力を誇る、魔王の中の魔王。

 そのような女性を妻に欲しがる男など、いるはずがありません。

 ですが奥様も、長寿な魔王の基準では年若い娘なのです。

 側仕えの侍女達が一人、また一人と嫁ぐのを、羨ましそうに見送っていたのを憶えています。

 ちなみに、その侍女の一人が現在ベレスフォードの妻になっている、シスシスでした。

「それでは、復讐というのは」

「そうだ! 偽りの妻となり、身も心も余の虜となったそのあかつきに正体を明かしてやるのだ!」

 そして離婚してやるのだ、あの日受けたのと同じ屈辱を与えてやるのだと叫びながら、奥様は竈の火加減を調整しました。ちょっと薪が多過ぎたようです。

 ですが、なるほど。そういうことでしたら、構わないでしょう。

 いまだ意気盛んに復讐計画をぶち上げる奥様に、告げました。


「旦那様に縁談が持ち込まれています」


 ◆


「お帰りなさい、あなた」


 夕暮れ時、家に戻ってきた旦那様を、奥様は玄関で迎えました。

 いつものように渡された剣を受け取ります。

 家の中では剣を妻に預けるのが、旦那様の習慣です。

 旦那様は思い悩み、ひどく沈んだ様子です。

 奥様を見る目は後ろめたそうで、その後の破局を予感させるものでした。

 しかし奥様は常と変わらぬ態度で、旦那様の部屋で着替えを手伝います。

 風呂場に連れて行き、甲斐甲斐しく背中を洗うのも、いつもと一緒でした。

 お疲れ様でした。旦那様を労う言葉も同じです。

 微笑を絶やさず、仕事で疲れた夫を癒す、優しい妻の姿でした。

 そして風呂から上がり、向かい合って夕食の席に着いた時、旦那様は頭を下げました。


「すまない、ローズ」


 奥様の微笑みは、むしろ優しさに満ちていました。




「まあ、予想されたことだな」

 わたしの報告を聞き終えた奥様は、驚きもせず平静さを失いませんでした。

「旦那様は、一騎討ちで魔王を退けるほどの武威を誇っているのだ。先の戦を勝利に導き、平和をもたらした旦那様に対し、民の信望と支持も厚い。国王にしてみれば、自らの地位を脅かす厄介な存在だろう」

 へし折れたおたまの代わりを、ちょこっと顎に当てて考え込みます。

「その場合、支配者が採るべき方策は二つしかない。一つは冤罪を着せて処刑、いや暗殺だな」

「ですからわたしに、旦那様の護衛をさせていたのですか」

 なるほど、腑に落ちました。浮気監視の建前ではなかったのですね。

「そうだ。あと一つは、旦那様を王家そのものに取り込んでしまうことだ」

「では、今までルクレーシア王女に結婚話がなかったのは」

「旦那様との婚姻を狙っていたのだろう」

「ですが、旦那様がお断りになるかも」

 そう、奥様の本心は分かりませんが、旦那様が奥様に惚れているのは明白です。

 たとえ国王に命じられたとしても、素直に従うとは思えません。

「断るはずがなかろう?」

「なぜでしょう? 旦那様は――――」


「旦那様は、この国と民を深く愛しておられる。それこそ単身、魔王に挑むほどに」


 奥様の浮かべた表情を見て、胸が締め付けられました。

 なんと透き通って、そして儚げな微笑みなのでしょうか。

「魔族との和平が成ったいま、国王にとって唯一の脅威は旦那様その人しかいない。もし旦那様が反逆したらと、恐れているはずだ。だから王女を降嫁させることで、旦那様の忠誠心を試しているのだ。王家のためなら、たかが魔族の女など捨ててみせろと、最後通牒を下したのだ」

 奥様は他人事のように、淡々と推測を述べます。

「旦那様に選択の余地はない。君臣の和と国内の平穏のため、これを必ずや受け入れるだろう」


「奥様! 魔王領に戻りましょう! いますぐ!」

 わたしは、思わず叫んでしまいました。

「こんな茶番に付き合う義理などありません! こちらから出て行ってやりましょう!」

「余は逃げぬ。たかが人族風情に離縁されるなど、何程のことがあろうか」

 奥様は、傲岸不遜な態度で言い放ちました。

 ですが、奥様は気付いていないのです。

 ――――ご自分の手が、悲しいほどに震えておられることを。

 でも、わたしの口から、それを申し上げることはできませんでした。



「どうされたのですか、旦那様?」

 そして奥様は、頭を下げている旦那様に問い掛けました。

 そこには微塵の怒りもありません。ただ穏やかな覚悟だけが感じられます。


「本当にすまない。俺は明日、この国を出奔しようと思う」

 奥様は、きょとんと間抜けな顔をされました。わたしも同じ思いです。

「え、え~~と、出奔と言われますと?」

「つまり、この国を去って別の土地へと行こうと思うんだ」

 王女との結婚話が、どうして出奔につながるのでしょうか。

「な、なぜですか!?」

 よほど意外な言葉だったのか、奥様がテーブルに身を乗り出します。


 そう、時に思慮深い奥様の予想を越えてしまうのが、旦那様という人なのです。


「…………もうこの国に、俺は必要ないんだ」

 伏せていた顔を上げた旦那様は、寂しそうに笑いました。

「戦うしか能のない俺は、この国に居場所がないんだ。だから、出て行く」

「そんなことはありません! 旦那様はこの国にとって必要な方です!」

 旦那様の言葉は、奥様の状況分析に通じています。

 その罪悪感からでしょうか、旦那様の言葉を必死になって否定するのは。

「ありがとう。でも、そのこと自体は構わないんだ。だってこの国が平和に、人々が安心して暮らせる世の中になったんだから」

 旦那様のおつむは正直言ってアレですが、物事の本質を見抜く嗅覚に優れています。

 王女との結婚話にも舞いあがることなく、その裏に潜む国王の思惑を嗅ぎ取ったのでしょう。

「だから明日、この国を出る」


「……………………」

 決意が固いと見たのか、奥様はそれ以上追及しません。

 ただじっと、旦那様の顔を凝視するだけです。

「ローズ、頼みがあるんだ」

 旦那様も、澄みきった視線を奥様に返します。

「俺と一緒に、旅に出てくれないか?」

 旦那様は再び、頭を下げます。

「俸給はなくなるけど、蓄えがあるから数年は食べていけると思うんだ。その間に仕事を見つけて一生懸命働くよ。たぶん、いやきっと苦労を掛けると思うけど」

 言葉を一端途切らせ、旦那様は深い想いを込めて告げました。


「どうか、俺と添い遂げてほしい」


 まるで、二度目の求婚のような言葉。

 そのままじっと、奥様の返答を待つ旦那様。

 王女との結婚よりも、国王への忠誠よりも、国への愛よりも、奥様を選んだ旦那様

 つまり、奥様に身も心も虜になっている証拠ではないでしょうか?

 これは千載一遇の好機! 奥様、いえ魔王様が復讐を遂げる絶好のチャンスでは!


「はい、ついて行きます、一生」


 ですよねえ~~~~

 さあ、これから忙しくなりそうです。

 旦那様と奥様は、今晩中に荷物をまとめなくてはなりません。

 国王は追っ手を掛けるでしょう。魔王領に動員令を発して邪魔を、いえ、それはダメですね。

 王国に危機が迫れば、きっと旦那様はここに留まるでしょうから。

 では、これから王城に乗り込んで、内部から引っ掻き回すとしますか。

 聖騎士出奔の発覚がなるべく遅れるように、大騒ぎを引き起こしてやりましょう。


 ――――さて、これで奥様は復讐を諦めるのでしょうか?

 いいえ、きっと諦めないでしょうね。

 なぜなら、復讐を諦めない限り、旦那様とずっと一緒にいられるのですから。



 わたしが見守る魔王な奥様は、本当に困ったお方です。

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