18_汝、手を洗え!
【前回までのあらすじ】
魔族嫌いの神官相手に、格の違いを見せつけてやりました。
さすが奥様です!
(どういうことなのだ、これは? 何かの陰謀か?)
奥様が、ブツブツと思念を撒き散らしながら歩きます。
冒険者ギルドを出てから、ずっとこの調子です。薬草採取にも身が入っていません。
正直、うっとおしくなってきたので、探りを入れてみることにしました。
(それにしても、報酬金額が増えて良かったですね)
すると奥様は、ガックリと肩を落としました。
(そなたは、ほんっとうに抜けているな?)
(いきなりなんですか!? ひどいですよ奥様!)
(あのな、よーく考えてみろ? 増えた報酬は、どこから出ているのだ?)
(はて? あの子供達が用意しているのでは?)
(…………なら、どうやって銀貨一枚を手に入れたと思う?)
(魚の代金として、奥様が支払ったものでは?)
子供であるマヤ達が、他に銀貨一枚を稼げる仕事があるとは思えません。
すると、どうなるのでしょうか?
奥様が魚を手に入れ、銀貨一枚と銅貨一〇枚払う。
銀貨一枚で、子供達はギルドに依頼を出します。銅貨一〇枚はギルドへの手数料に消えます。
奥様が採取した薬草が子供達の手に渡り、奥様は銀貨一枚を手に入れます。
その銀貨一枚に銅貨一〇枚を加えて、子供達から魚を購入する――――なるほど。
(これが経済というやつですね!)
(違うだろ馬鹿者!)
奥様の念話は、もはや絶叫レベルです。
(いいか! 最初の報酬金額通りなら、あの子達の手元に銀貨一枚がまるまる残る計算だったのだ!)
奥様は立ち止まり、ガシガシと髪を掻き毟ります。
(なのになぜ、金額を上乗せする! 意味が分からん!)
あの奥様? そんなことをすると不審に思われて――――
「あ、あのローズ嬢、どうかしましたか?」
おずおずとディオネが声を掛けました。そう、例によってお邪魔虫達が尾行しているのです。
しかも今日は三匹、いえ二人と一匹です。ディオネとトールは、付き人に大出世です。
その身を挺して奥様の身を守ろうとした、献身的な態度を評価したのです。
ところで、どうして神官戦士まで一緒なのでしょうか。
「ふん。先程から見張っていれば、怪しいやつだ」
神官戦士は鼻を鳴らし、奥様を胡散臭げに一瞥します。
「おい、ハイド。なぜお前までついて来るんだ」
ディオネが不機嫌そうに睨みます。
「そいつに危険がないか、監視しているんだよ」
「お前、まだそんなことを!」
(…………こやつ、本気で始末してもよろしいですか、奥様?)
(そなたも性懲りないな。気にしなければいいのだ)
奥様は呆れ気味に、ぬるいことを仰います。
――――またですか? また浮気疑惑ですか?
いい加減にしてほしいのはこちらです。
確かに見目は、髭面のトールや、さえない旦那様よりも数段上でしょう。
ですが、魔族を悪魔と見做す、ヘルザ教とやらの神官戦士なのですよ?
人族による他種族排斥には、断固とした態度で臨む奥様とは思えません。
「まあまあ、いいじゃねえか」
トールが、ぽんぽんとディオネの肩を叩き、こっそり耳元に囁きます。
「嬢ちゃんの護衛が増えたと思えばいいのさ」
ディオネが不満そうです。そもそもなんですか、その護衛というのは?
曖昧な笑みを浮かべた奥様は、気を取り直して薬草採取に専念しました。
◆
「おーい、ほんとーに食わねえのか? ぜんぶ頂いちまうぞ?」
「結構だよ。自分の分はちゃんと用意をしてある」
そうです、余計なお節介は止めなさい、トール。
昼頃になり、奥様のお弁当が振る舞われる時間となりました。
もはや遠慮がなくなったディオネとトールは、いそいそとシーツの上に座り込みます。
「まったく、魔族の料理したものを、よく口にする気になれるな」
ハイドのぼやきも、トールの耳を右から左に耳を通り抜けます。
彼は期待に満ちた目でシーツの上に並べられた料理を眺め、唾を呑みこみました。
「あ、魚もあるのかあ」
奥様が準備した料理の中に、魚の酢漬けを発見したトールの顔が強張ります。
「まあ、せっかく用意してくれたんだから…………」
もごもごと口ごもりながら、トールは酢漬けを摘まもうとしました。
その手を、ぴしゃりと叩く奥様。
「トール君?」
恐い笑顔で奥様にたしなめられ、トールがたじろぎます。
渡された濡れ手拭いで爪の間まで汚れを拭き取ると、おずおずと両手を開きました。
「よろしい」
奥様のお許しを頂いたトールが、再び酢漬けに手を伸ばします。
「学習しないやつだな」
ディオネがすまし顔で手を拭い、同じく奥様に両手を見せました。
「トールとディオネが、手を拭いただと!?」
いきなりハイドが叫び、驚愕の眼差しで仲間達を見詰めます。
「いや、俺らだって手ぐらい拭くだろ…………たまには?」
バツが悪そうに呟き、トールは酢漬けを口に放り込みます。途端に、その顔が綻びました。
「文明人として、食事前に手を綺麗にするのは当然だろ?」
ディオネがうそぶき、美味しそうに酢漬けを咀嚼します。
「何を言っているんだよ! 僕があれだけ口を酸っぱくして説法しても、まるで聞く耳を持たなかったじゃないか!」
「あー、まあ、その、なんだ?」
「ローズ嬢に、その、諭されてな?」
手を綺麗にするまで食べさせませんと、奥様にさんざん叱られましたからね。
胃袋をしっかりつかまれた二人に、反抗する術はありませんでしたよ。
「魔族が手拭いを!? そんな馬鹿な!」
信じられないという面持ちで、ハイドがよろめきました。
「不潔で不浄の権化である魔族が、どうして?」
「…………ちゃんと手を清潔にしないと、お腹を下しますから」
魔族が侮辱されたのに、奥様は怒りをみせません。
それどころか、むしろ弁解じみた口調でした。
一方のハイドは、奥様の言葉に衝撃を受けたようです。
「まさか、神の教えを実践する魔族がいるなんて」
よほどショックだったのでしょうか。とうとうハイドは膝をつきました。
「しかも無知蒙昧で野蛮な輩どもを、正しき神の道に導くとは…………」
「おいこら、誰が野蛮だ!」
「お前がどういう目でわたし達を見ていたのか、よーく分かった」
仲間達の非難がましい視線にも気づかぬ程、ハイドはかなり落ち込んでいます。
地面にうずくまる甲冑姿は、まるで亀のようです。
「…………今まで僕のやってきたことは、いったいなんだったんだ? 仲間さえ正しき道に導くことのできない僕に、神の教えを世に広めるなんて出来るのか?」
「あ、あの! せっかくの機会なので、あなたの信じる神の教えを聞かせてもらえませんか?」
際限なく憂鬱になる神官戦士に、奥様が慌てて頼みました。放っておけばよろしいのに。
「…………いいだろう! ヘルザ教の正しき教えを、僕自ら語ってやろう!」
急に元気を取り戻し、立ち上がる神官戦士。
こいつはどうやら、根は単純な男のようです。
――その昔、開祖ケルンは人の世の苦しみを救う手段を求め、放浪の旅にありました。
――しかしついに荒野のただ中で力尽き、まさに息絶えんとした時です。ケルンは女神ヘルザと邂逅したのです!
熱く語るハイドに、彼の仲間はうんざり顔です。おそらく何度も聞かされた話なのでしょう。
――女神はケルンを神の国へと誘いました。空腹のあまり倒れそうな彼の前に、まさに天上の正餐と呼ぶべきご馳走が並べられました。
――飢えのため、礼儀すら忘れて料理に掴み掛ろうとしたケルンに、女神は仰いました。
――汝、まず手を洗え、と。
――ケルンは、女神の言葉を無慈悲だとなじりました。
――飢えた者の前に料理を並べながら、何故手洗いなどという儀礼を行えと言うのか。人は腹が満たされてこそ、礼節を重んじるのではないかと訴えました。
――すると女神は、この世界の真理を説いたのです。
――手洗いは儀礼にあらず。世界には呪いが満ちている。それは目に見えぬほど微細であり、不浄や汚物を苗床に広がるのだ。呪いの一部には、汝の手を介して食物に移り、胃の腑に入って病をもたらすこともある。もっとも忌まわしい呪いは人の体内で増え、疫病となって世に災いをもたらすこともある。その呪いを祓うには、まず清浄なる水で目に映る不浄を流せ。呪いはその不浄に潜むことがあるのだから。
――ケルンは平身低頭し、己の不明を恥じました。そして女神に、人々を呪いから人々を守るための智慧を授けて欲しいと懇願しました。
――そうしてケルンは、女神ヘルザの使徒となったのです。
――やがてケルンは故郷に戻り、女神の智慧を広めるために教団を設立したのです。
――これがヘルザ教の成り立ちです。ヘルザの教えを守る土地では子供が健やかに育ち、病に苦しむ人が減りました。人々は女神ヘルザに感謝を捧げ、その教えを世に広げるように努力しました。
一気に語り終えたハイドは、胸の聖印を握りしめ、恍惚とした表情で手を掲げます。
「ああ、美しき女神ヘルザよ。この哀れなしもべを、今日もお守りください」
そしてヘルザの神官戦士は、傲岸な態度で奥様を見下ろします。
「世間には各々の神を信奉する教団は数あれど、ヘルザの教団は独特だ。多くの神官が治癒術で神の威光を知らしめているが、我が教団はそれらと一線を画し、民に女神の啓示を説いている。魔族の女よ、それが何だか分かるか?」
「病を未然に防ぐ諸々の行い。丈夫な身体を作り、習慣と環境を改め、病をあらかじめ防ぐこと。即ち」
神官戦士の視線から顔を背け、奥様はぼそぼそと呟きます。
「予防です」
「…………だから、どうして魔族なんかが、神の啓示に通じているんだよ」
がっくりと膝をついたハイドが、恨めしそうに呟きました。
自慢ではありませんが、奥様は無駄知識の宝庫なのですよ!
それにしても、何かが引っ掛かります。
大事なことを見逃している、そんな違和感がありました。
【次回のよこく】
『19_奥様が聖女!?』
例によって、奥様の態度が怪しいです。
それにしても、はて? 何か忘れているような?
それでは明日、またお会いしましょう。




