15_奥様の企み!
【前回までのあらすじ】
髭面の大人まで、子ども扱いする奥様。
許容範囲が広すぎです!
奥様が冒険者を始めてから、五日ほどが経ちました。
その間に行った依頼は子供達のための薬草採取ばかりで、はっきり言えば赤字続きです。
なにしろミルチルへお菓子を差し入れたり、相変わらず尾行を続ける冒険者二人には昼食を施しているのです。
なんのために冒険者になったのやら。
まあ、奥様が張り切っているので、特に問題はないのですが。
そんなある日のこと、珍しく例の薬草採取の依頼が出ていませんでした。
奥様は首を傾げながらも初めて、他の採取依頼を選んだのです。
特筆することもなく無難に仕事を終え、ディオネとトール達と別れました。
(そう言えば、トールが大人しくなりましたね)
ギルドを出てから、先程の髭面トールの態度を訝しみました。
初日の馴れ馴れしい態度が嘘のようで、むしろ奥様を微妙に避けている気がします。
わたしが不審に思っていると、奥様がしみじみと語りました。
(男の子というのは、そういうものなのだ。年頃になると、態度が素っ気なくなる)
思春期ですか、あの髭面がっ!
(あの子達は今頃、どうしているかな)
魔王城で奥様が半ば育てた、男の子達のことを思い出したのでしょう。
懐かしそうに口元をほころばせ、優しい眼差しで空を見上げました。
(幼い頃は皆、余に求婚してくれたっけなあ)
――ボク、おおきくなったら、へーかとけっこんするんだ!
そんな風に言われるたびに、ヤニ下がっていましたね。
(…………大人になったら、すっかり忘れられてしまったが)
慈愛に満ちた瞳が、どんより曇って光を失いました。
さて、どうやってお慰めしたら良いものやら。
あいにく、陳腐で子供だましな、安っぽい台詞しか思い浮かびません。
(あれですよ、きっと奥様は、旦那様と結ばれる運命にあったんです)
(なるほど! そうだったのかっ!)
凄い効き目です! 陳腐で安っぽい台詞が効果テキメンです!
(運命の出会いかあ…………いやいや? あくまで復讐のための夫婦だけどな?)
(はあ、またそれですか)
(おい、何か言いたそうだな?)
(いえ? ですがお優しい奥様が、旦那様に酷いことを出来るはずもないですし)
(なにおう! 出来るわい!)
ついうっかり本音を漏らしたら、奥様が反論します。
(はいはい、そうでございますねー)
(くっ! ならば試しに、旦那様を惨たらしい目に遭わせてやろうではないか!)
意地になった奥様が、憤然とした様子で商店街へと乗り込みました。
どうやら旦那様は、お試しで惨たらしい目に遭わされそうです。
(夜はまだ冷え込むから、春野菜のスープにしてくれよう!)
夕食のメニューを検討しながら、奥様は店頭に並ぶ食材を見定めます。
(身体が温まってほっこりする、旦那様の可愛い間抜け面が目に浮かぶわ!)
(ですが奥様? それでは旦那様が喜んでしまうのでは)
(くくく、しかしスープには、旦那様の大っ嫌いな赤ニンジを入れてやるのだ!)
奥様が、意地悪そうに口元を歪めます。
(なんだかちょびっと、惨たらしい風味がしますね!)
(であろ? 擦り下ろした赤ニンジとひき肉、香辛料を混ぜて肉団子にすれば、赤ニンジの混入に気付くまいて!)
そこは気付かれないと意味がないと思いましたが、黙っておきます。
(なんと悪辣な! では旦那様が肉団子を食べてしまえば…………)
(哀れ旦那様は、栄養豊富な赤ニンジで健康にされてしまい、風邪にも罹らないだろうな!)
邪悪な企みであろうと、健康に気を遣う。
これがわたしの敬愛する主でございます。
奥様は八百屋の前に立ち、台に並べられた赤ニンジを見詰めました。
決して妥協しない。その覚悟を宿した双眸に、店の主人がごくりと喉を鳴らします。
そしてついに、奥様の手が至高の一本に伸びていきました!
「ひどいよおじさん!」
甲高い叫びが、商店街に響き渡りました。
視線を転じれば、この町で唯一の魚屋の前で、女の子が店主に食って掛かっています。
年の頃は一〇歳ぐらいでしょうか。黒い髪の少女が、怒りに肩を震わせていました。
「何度も言っているだろうが! こんな活きの悪い魚じゃ半額だって高いぐらいだ!」
魚屋の店主が、居丈高に怒鳴り散らします。
「そんなはずないよ! とってから、すぐにここにもって来たんだもん!」
大の大人相手に、少女は一歩も引きません。
彼女の後ろには弟でしょうか、二人の男の子が怯えた様子で身を寄せ合っています。
魚屋といっても、鮮魚はほとんど扱っていません。海から離れた場所なので、大部分が燻製や塩漬けです。
生の魚と言えば、小さな川魚ぐらいなものです。
察するにあの三人の姉弟は、町中に流れる小川で獲った魚を売ろうとしているのでしょう。
しかし店主が難癖をつけ、買い取り価格を下げようとしているようです。
「さっきまで生きていたんだよ!」
女の子は、大の大人相手に粘りますが、さて、どうなることやら。
「見てみろ! ほら、ここだよ!」
店主はザルを差し出し、指で魚の頭を突っつきます。
「目が死んでやがる! それと生臭え!」
プフッ! 面白いことをほざく店主です!
「嫌なら他を当たりな!」
これが止めになりました。女の子は悔しそうな表情で、ずいっと手を差し出します。
もったいぶった態度で店主が銅貨を数枚、その小さな手に落としました。
女の子は弟達の手を引いて、逃げるように立ち去りました。
周囲の買い物客が、ひそひそと囁き合っています。
(なかなか面白い見世物でしたね、奥さ――――)
奥様のご尊顔を拝したわたしは、そっと距離を置きました。
八百屋を離れた奥様が、無言のまま魚屋に近付きます。
魚屋の店主は、いま買ったばかりの川魚を店先に並べていました。
店主よ、暢気に鼻歌を鳴らしている場合ではないですよ?
「もしもし、そのお魚は新鮮なのかしら?」
奥様が呼び掛けると、店主は振り返って満面の笑みになりました。
さすが商売人、子供達を怒鳴っていたのが嘘みたいな、人の良さそうな笑顔です。
「へいらっしゃい! さっき獲れたばかりの、新鮮な魚ですよ!」
奥様は、甘くしたたる毒のような微笑を咲かせました。
「お高いのかしら?」
「いえいえいえ! いまならお安くして、一〇匹で一銀貨に一〇銅貨です!」
いかにも、端数を値切って下さいと言わんばかりの値段設定です。
それでも元値を考えれば、ぼろ儲けでしょうが。
「あらまあ、とても安いわねえ。なら全部下さいな」
しかし奥様は値切りもせず、言い値で一〇匹の魚を買い求めました。
大きな葉でくるまれた魚をバスケットに納めると、奥様はさっさと立ち去ります。
(あの、奥様…………ひょっとしてお怒りになっています?)
(別に? なぜそんなことを訊く?)
奥様は白い歯を覗かせて笑いますが、まるで竜のごとき凶悪な目付きでした。
進むに従い人家から遠ざかり、次第に畑の畝が広がっていきます。
人族の辺境の町や村は、周囲を防壁で遮り、その内側で耕作や畜産を営みます。
この町の防壁は、発展した都市とは違ってそれほど高いものではありません。
人族同士の戦争目的ではなく、あくまで幻獣対策だからでしょう。
小型の幻獣はわざわざ防壁を乗り越えず、迂回してしまうので、あまり高い壁は必要ないそうです。
幻獣というのは大昔からの続く天災のようなもの。
その時代を担う列強種族がそれなりに効率的な防衛体制を築くのだと、奥様に講釈して頂いたことがあります。
それはともかく、奥様の歩いている道は自宅の方向ではありません。
奥様は無言でしたし、わたしも別に理由を尋ねたりしません。
長年連れ添ってきたので、奥様のお考えなど一目瞭然なのです。
やがて畑のあぜ道の先に、しゃがみ込む女の子が見えてきました。
道端で泣きじゃくる女の子の傍らには、弟達が心配そうに寄り添っています。
彼女達に近付いて座り込んだ奥様が、女の子の顔を覗き込みました。
「こんにちは、お嬢さん。どうして泣いているのかしら?」
ハッと顔をあげた女の子は、慌てて袖で顔を拭いました。
彼女の服はあちこちが擦り切れ、補修の跡が目立ちます。裕福な家の子ではないのでしょう。
「なんでもない」
泣いているところを見られて気恥ずかしいのか、女の子は仏頂面で答えます。
「わたしはローズ。お嬢さんのお名前を教えてくれるかな?」
「…………マヤ」
「わあ、可愛い名前ね! お嬢さんにぴったりだわ!」
手放しに絶賛され、マヤと名乗った女の子がはにかみます。
「ねえ、マヤちゃん。お姉ちゃん、迷子になってしまったの、道案内をしてくれないかな?」
「…………別にいいけど」
奥様が心底困った顔で頼み込むと、マヤは頷きました。
「ありがとう! これ、お駄賃ね?」
奥様はバスケットから飴玉を取り出し、そっとマヤの口に押し込みました。
驚いたマヤが、反射的に吐き出そうとして、その甘さに驚いたようです。
弟二人にも飴玉を与えると、同じように表情を輝かせました。
…………子供を手懐ける奥様の手口に犯罪臭を感じるのは、わたしだけでしょうか?
【次回のよこく】
『16_奥様の呪い!』
うちの奥様を怒らせると、とんでもない目に遭いますよ?
ご用心ご用心。




