14_奥様が浮気!?
【前回までのあらすじ】
接近する幻獣の群れ。
トールとディオネは迎え撃つことにしたようです。
奥様の御前です、無様をさらさないようしなさい。
幻獣が迫っていると、警告したトール。
彼は前方に向かって剣を構えると、肩越しに奥様を振り返ります。
「心配はいらねえぜ! お嬢ちゃんには指一本触れさせやしねえ!」
そう言い放つと、髭面の奥で不敵に笑います。
「よく見ていろよ! 遊びじゃねえ、本当の冒険者の戦いってやつを!!」
トールとディオネが並び、奥様をかばうように立ちはだかりました。
(うんうん、張り切っておるな。男子たるもの、ああでなくては)
トールの大きな背を、目を細めて眺める奥様。
その横顔には明らかな好意、いえ愛情めいたものが感じられます。
まさか奥様が、浮気心に目覚めた!?
だとしたら、これまでの奥様の不可解な態度も理解できます。
もし万が一、奥様があの男に魅かれたのだとしたら――――まあ、別にいいんじゃないでしょうか?
そもそも奥様は、魔王なのです。人族の王でさえ、複数の妃を娶ることがあるのです。
それを考えれば奥様も、愛人の五人や一〇人、はべらせて当然な訳でして………………
そんなことを考えている内に、前方の丘を越え、幻獣の群れが姿を現しました。
その数、二〇体余り。二足歩行で、大人の胸の高さほどもありません。
鋭く尖った前肢を垂らし、しゃかしゃかと小刻みに走ってきます。
甲殻類と人型を合わせたような外観をした幻獣が、群れを成して迫ってきました。
前回を大きく上回る数ですが、ディオネに臆する様子はありません。
身を屈めて前傾姿勢になると、彼女は一気に駆け出しました。
その速度は、明らかに魔術による加速。
彼女はそのまま、幻獣の群れに突撃しました。
人族は魔力や身体能力に劣り、魔族はもとよりエルフにさえ及びません。
生まれながらにして脆弱な人族は、他種族に対抗するために《魔術》を編み出しました。
《魔法》を分解し、微々たる魔力でも発動できるようにしたのが《魔術》だそうです。
ディオネの強化魔術は、特に速力に特化しているようです。
彼女は、幻獣の群れの端をかすめるように駆け抜けました。
後方へと回り込んだディオネに釣られて群れが分かれ、半数が追い掛けます。
なるほど、戦力を分断するために、ディオネが囮となったのでしょう。
残り半数がこちらに、つまりトールへと殺到します。
彼は長大な剣を構え、群れを真っ正面から迎え撃ちました。
一閃。振るった剣に巻き込まれ、三体の幻獣がバラバラになって吹き飛びます。
幻獣が魔石へと還るのも確かめず、トールは振るった勢いのままに回転し、さらに剣を薙ぎ払います。
それはまるで竜巻のようで、技もへったくれもありません。
剣を振り回し、ぶちのめすだけの力技です。
しかし、幻獣相手には正しい戦法でしょう。
他人と技を競い合う剣技など、幻獣相手には意味がありません。
いかに素早く、幻獣の防御力を突破してダメージを叩き込めるかが、重要なのです。
まあ、優雅さの欠片もありませんが。
そんな戦い方を可能にしているのも、やはり魔術による身体強化。
彼は一撃の威力を高めるために、身体能力を強化させています。
ディオネが幻獣の群れを攪乱し、トールが殲滅する。そのような役割分担みたいです。
あっという間に目の前の群れが減ったところに、ディオネが残りの幻獣を引き連れてきました。
今度は二人並んで、幻獣を迎え撃ちます。
一人でも余裕だったのです。連携する二人は、たやすく幻獣を殲滅していきました。
その時、ちらりとトールが背後を振り返り――――口が半開きになったのです。
何事かとその視線を追いましたが、特に不審なものはありません。
奥様が、昼食の準備をしているだけです。
シーツを地面に敷き、その上に用意していたお弁当を並べていました。
「何やってんだよ、あんたは!?」
トールの叫びは悲鳴混じりで、とても騒々しいです。見て分からないのでしょうか?
「もうすぐ食事の準備が整うから、頑張ってね?」
「待てよ! ちょっと待てよおいっ!!」
「トール!」
ディオネの警告に、彼は反射的に剣を振るいました。
それはわずかに遅く、幻獣の鋭い爪が腕をかすめました。
ディオネの剣が、すぐさまその幻獣を貫きます。
「すまねえ!」
「油断するなバカ者!」
ディオネは叱りましたが、大勢は決しています。
幻獣の最後の一体を破壊すると、トールの顔が怒りに染まります。
肩をいからせ、ずかずかと歩いて奥様を見下ろしました。
「おい、どういうつもりだ」
声を低くして凄み、奥様を睨みつけます。
「どうかしたの?」
「幻獣を目の前にして、何を呑気に飯の準備をしてやがる!」
トールの怒声など、奥様にはそよ風ほどにも通じません。
「あなたが言ったのよ? わたしのこと、守ってくれるって」
笑顔で切り返す奥様に、トールは唖然としたようです。
「だから、お昼ご飯の用意をして待っていたの」
その通り、奥様はお忙しい方なのです。
幻獣の殲滅などという些事は、お前達が片付けて当然でしょう?
不意に奥様は眉をしかめ、眼差しが険しくなりました。
「そこに、お座りなさい」
目の前の地面を指差し、命じました。
声に潜む魔王の威厳に打たれ、トールがふらふらと膝をつきます。
奥様は、傷を負った彼の腕を、てきぱきと処置しました。
袖をまくり上げ、傷口を水筒の水で洗います。
薬草を潰して塗ると、化膿止めの呪いを施してから包帯を巻きました。
「今後は決して油断せず、怪我をしないように注意しなさい。いいわね?」
奥様の厳しい口調に、トールがようやく我に返りました。
「え? いや? なんで俺が怒られる流れなの? なんか違くないか?」
「いいわね?」
「う――――はい」
奥様にギロリと凄まれ、完全に委縮したトールが頭を下げます。
それを満足そうに見詰めた後、奥様は手を伸ばしました。
「トール君は素直で偉いぞ?」
よしよしと奥様に頭を撫でられ、トールは顔を真っ赤にして狼狽します。
黙って見守っていたディオネが腹を抱えてうずくまり、懸命に笑いを堪えました。
…………まさかっ!? そんな馬鹿なことがあり得るのでしょうか!
(奥様奥様奥様っ! この男のこと、どう思いますか!)
(なんだ、いきなり。そうだなあ、不良ぶって格好をつけているが、根はとても良い子だぞ?)
奥様の返事に、ようやく合点がいきました。
驚くべきことに奥様は、トールに子供認定を下していたのです!
子供認定。それは情愛を注いで保護育成すべき対象として、奥様が相手を認識することを意味します。
ちなみに子供認定の命名は、奥様研究の第一人者であるわたしです。
たぶんトールが、邪念をまったく持たず、奥様の肩に腕を回したことが原因です。
恐ろしいことに奥様は、それを子供がじゃれつくのと同レベルで認識したのでしょう。
まあ、仕方がないのかもしれません。
長い歳月を生きる奥様にとって、人族の一〇歳も三〇歳も誤差の範囲なのですから。
ていうか、やっぱりそうだと思ったのですよ!
奥様が旦那様以外の男になびくなど、あり得ないって確信していました!
(しかし、さっきはヒヤッとしたな。心配して過保護に扱うとヘソを曲げられそうだし)
男の子の扱いは難しいと、奥様は愚痴を垂れ流します。
それから奥様は、ディオネとトールの二人に、昼食を振る舞いました。
あらかじめディオネの同行を予想していたので、余分に用意してあったのです。
昼食後、薬草採取を再開しましたが、特に問題なく完了しました。
仏頂面のトールと、にやにや笑いっぱなしのディオネを引き連れ、奥様は町に戻りました。
▼▼▼
今晩もまた、ギルドに併設された酒場で飲みふける二人の姿があった。
「トール君? もっと野菜を食べなさい?」
「…………おい」
「食べかすが髭にくっついているわよ? ほら、取ってあげるから」
「…………おい、こら」
「その髭、トール君には似合わないわね。わたしが剃ってあげましょうか?」
「いい加減にしやがれ!」
トールが怒鳴ると、ディオネは突っ伏してテーブルをバシバシと叩く。
「トール君!! トール君だって!」
よほどツボにはまったのか、ローズの真似をしては大笑いするディオネ。
そんな彼女を、トールは憮然として見下ろしながら考え込む。
彼は、ディオネに対して内緒にしていることがある。
もし知られたら、必ず激怒するだろうからだ。
昼間の幻獣との遭遇は、偶然ではない。
彼が、幻獣達を誘導したのだ。
目の前で死闘を演じればローズが恐れおののき、冒険者を止めるだろうと踏んだのである。
髭面のために粗野に見られがちだが、彼は意外と面倒見の良い性格をしていた。
ローズに関するディオネの悩みを、自分が泥を被って解決してやろうと目論んだのだ。
その結果、ディオネ自身に笑われる羽目になったことに、彼は釈然としないのだが。
それはともかく、彼の当ては完全に外れた。
怯えるどころか、幻獣との死闘をよそに、ローズは平然と昼食の準備をする始末であった。
あれは虚勢などではない。間近に迫る幻獣など、彼女は歯牙にも掛けていなかったと彼は確信する。
たおやかな外見に反して、ローズの胆力は尋常ではない。
何者なんだ、彼女は。
そんな疑念と一緒に、彼の脳裏にローズの笑顔が過ぎった。
――あなたが言ったのよ? わたしのこと、守ってくれるって。
まさか、あんな台詞を本気で信じたのか?
初対面の胡散臭い男を、しかも冒険者に過ぎない俺の言葉を?
トールは、急に顔が熱くなるのを感じた。
慌てて頭を振って酒を呷った後、彼はふと思い至る。
頭を撫でられた経験など、母親以外では初めてだったことに。
彼の胸の奥で、自分でも理解できない感情がざわめくのであった。
【次回のよこく】
『15_奥様の企み!』
実は奥様、けっこう邪悪なんですよ?




