温故悔新
ある初冬の宵、Sはインターネットを通じて、仲が良い大学の友人と会話していた。
「S、単位が危篤状態なのに、昨日からレポートが一文字も進んでいないんだ。俺は一体どうすればいい……」
「教授に土下座する」
「いや、それはもうやった」
嘘をつけ、とSは目配せでツッコミを入れる。
「サークル活動に死力を尽くすからそうなるんだ。学生の本分は学業だって僕の妹が言ってた」
そんな中身のない四方山話の最中、突然友人が叫んだ。
「時代は俳句だ!!」
二人の間に沈黙が降りる。数分の膠着の後、折れたのはSだった。
「……ああ、お前は明治生まれだったな」
「ちがーう! 俺は生まれながらのデジタリアンだ」
「文系にデジタルをかたる資格はない。それより、今度は俳句研に入ったのか?」
Sの問いかけに、友人が得意げに答える。
「その通り。そうだ、ここで一句披露してやろう。目には青葉山時鳥初松魚……」
どうやら友人は、Sがその句を知らないと思っているようだ。Sは呆れを隠さずに言った。
「どうせならオリジナルが聞きたかったな」
「な、なぜばれたんだ? 理系に俳句がわかるわけ……」
「時代はハイブリッドだ」
「ぐう」
Sにやりこめられた友人は、気を取り直して説明を始めた。
「ふふ、もちろん俺の好きな句として紹介するつもりだったんだ。これは、初夏の季節感を視覚・聴覚・味覚で表現した、味わい深い句なんだ」
青葉の色に山時鳥の鳴き声、初松魚の味。なるほど言われてみれば面白い、とSは思った。しかし、その情景をありありと想像できるわけではなかった。
「でも、いまいちピンとこないなあ。古い句だし、現代には合っていないんじゃないか」
「そりゃ昔の人は、自然とかけ離れた生活なんて想像もしなかっただろう。しかしSよ、現代風にするとしたら、どんなものが入ると言うんだ? そうだ、文句があるならアレンジしてみろよ」
友人の無茶ぶりに困り果てるSだったが、少し楽しそうだとも思ったので考えてみることにした。夏っぽいものを思い浮かべようとしたが、どうにも現代人には季節を感じる能力が欠如しているらしく、全然出てこない。浮かぶのは、恒温の部屋でネットサーフィンをしている自分ばかり。結局Sは、季節感がまるでない句しか作ることができなかった。
「よし、まあこんなもんだろう。目にはグラス電子の歌姫フードポルノ……」
そうSが歌うと、友人は真面目くさってうんうん唸り始めた。審査に要した時間、実に三秒。友人がおもむろに口を開いた。
「いや、普通に零点だ」
「えー、なんで。これでも知恵を絞ったんだけど」
「まず季語がない時点で俳句になっていないだろう。それに、初夏はどこに行ったんだよ。これじゃあ季節感のキの字もないじゃないか」
もっともな批判なので、Sは特に不服ではなかった。しかし、友人の言葉はひどく現実から逃避しているように感じて、気付けばSは思ったことを口走っていた。
「でも人類はもう、目も耳も口も退化してしまって、このサイバースペースの外では季節感どころか、五感さえ満足に生じやしないじゃないか……」