表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

むかしむかしあるところに

 むかしむかし、あるところに一匹の子ぎつねがいました。


 きれいな金色の毛を持つきつねでした。子ぎつねはお母さんきつねと一緒に山で裕福とは言えないものの、ウサギやねずみを取って質素ながら幸せに暮らしていました。


 でも、ある冬、お母さんきつねは陰陽師という人間に殺されてしまいました。


 お母さんきつねはたまに山を訪れる人間を騙して、お金を盗んでいました。そして、お母さんきつねは冬になると人間に化けてその盗んだお金で人里に売ってある食べ物を買ってきて、子ぎつねに食べさせていました。


 そうやって、きつねの親子は厳しい冬もなんとか越してきました。だけど、お金を盗む事は悪い事です。

 山に人を騙すきつねが出ると噂になってしまいました。きつねの親子が暮らしていた時代は、都で一番偉い帝様を騙していたきつねもいて、きつねは悪者として見られて風あたりも強くなっていたのです。


 一冬を越していく毎に、噂が広まって行きます。そして、とうとうきつねを退治するために陰陽師がやってきたのです。


 お母さんきつねと陰陽師の戦いは三日三晩、昼も夜もなく続きました。子ぎつねは隠れている事しかできませんでした。でも、子ぎつねはお母さんきつねが傷ついていく所を見ていられませんでした。そして、我慢できずに飛び出してしまいました。


 飛び出した子ぎつねの目に入ったのは倒れるお母さんきつねです。そう、子ぎつねは間に合いませんでした。飛び出した所で何かが変わるわけでもありません。だけど、間に合わなかった事がひどく子ぎつねを傷つけました。


 子ぎつねは悲しさに打ちのめされてその場にへたり込んで泣きました。子ぎつねに影が覆い被さりました。子ぎつねが顔を上げると、そこにはお母さんきつねを退治した陰陽師が立っていました。陰陽師も長い戦いでぼろぼろです。だけど、子ぎつねに戦う力などなく、自分も退治されてしまうんだと怖くてその場を動けません。子ぎつねはそのままふるふると震えていると、陰陽師は子ぎつねに何もせず立ち去ってしまいました。


 どうして陰陽師が自分を退治しなかったかは子ぎつねにはわかりません。でも、陰陽師は子ぎつねに手を出しませんでした。


 お母さんきつねが退治されて子ぎつねは一人になってしまいました。この寒い冬を一人で乗り切らなければなりません。泣いてばかりはいられませんでした。子ぎつねはお母さんきつねのお墓をつくって弔った後、残されたお金を手に人里に下りる決意をしました。冬を越すために食べ物が必要です。特にこの山は冬になると食べる物がなくなります。だけど、人里には蓄えられた食べ物があります。食べ物を買うために子ぎつねは人に化けて人里に下りました。


 山を下りた子ぎつねは人里へと足を伸ばします。冬で雪が降っている外にいる人間はあまりおらず、見つけるのに時間がかかりました。子ぎつねは勇気を出して人間に話し掛けました。


「すいません。これで食べ物分けてください」


 お母さんきつねから教わった人間の言葉を子ぎつねは言います。子ぎつねが話しかけた人間はこちらを見ました。すると、見る見るうちに顔を青くして逃げて行ってしまいました。


 置いてけぼりにされた子ぎつねはぽかんと立ち尽くします。どうして人間が逃げて行ったのか。理由がわかりませんでした。その場で何が悪かったのかを考えていると、先ほど逃げた人間が戻ってきているのに気が付きました。


 それを見て、子ぎつねは愕然とします。先ほど逃げた人間がたくさんの人間を連れてきたのです。集まってきた人間たちは各々に鍬や鋤、棒を持っていました。子ぎつねは人間たちの放つ不穏な空気に後ずさります。とても刺々しく、今にも破裂しそうなピリピリとした空気に、子ぎつねは恐怖しました。逃げ出したくても、怖くて足がすくんで動きません。必死に足を動かして逃げようとした時には、もう子ぎつねは人間たちに囲まれてしまいました。子ぎつねが逃げるには何もかもが遅かったのです。





 子ぎつねのとぼとぼと雪の上を踏みしめ、歩く後ろの方からは人間たちの喜びの声が聞こえます。「化け狐に勝ったぞ」「あやかしを追い払ったぞ」「俺たちもやればできるんだ」とお祝い事のように喜色の歓声が飛び交っていました。子ぎつねが術で貴重な木の葉からつくった服は汚れ、破けてぼろぼろです。子ぎつねの体も至るところにアザができて、足取りも覚束なくフラフラになっています。


 人間たちに石を投げられたり、叩かれたり、蹴られたりしながらも、子ぎつねは一瞬の隙をついて逃げ出すことができたのです。子ぎつねは何がなんだかわかりませんでした。いきなりこんな目に遭うとは予想だにしませんでした。そのせいで、持っていたお金も全部落としてしまい、無一文になってしまいました。


 後ろを振り返れば、人里は灯りがつき、とても楽しそうな声が聞こえてきます。子ぎつねの目尻に涙が溜まります。だけど、涙を落とすことはしませんでした。落ちる前に拭って、泣き叫びたいのを我慢しました。


 子ぎつねは人間の声を聞きたくなくて、無我夢中に歩きます。そして、気付いたら知らない山の中でした。住んでいた山とは逆の方向に逃げて来てしまったのです。戻るわけにもいかずに、知らない山の中を進むしかありませんでした。


 程なく進むと水の音が聞こえてきました。水の音の方へと足を進めると、一本の川が見えてきました。川の水で口をすすごうと、顔を近づけるとそこにはぴょこんと狐耳を生やした女の子の顔が水面に映っていました。


 金色の耳に、金色の目。そして金色の髪。背中には大きな金色の尻尾。


 ようやく、子ぎつねはどうして自分が人間たちに襲われたのかを理解しました。子ぎつねは人間に化けられていなかったのです。どうしようもなく、不完全で、未完成な変化だったのです。


 子ぎつねはまともに耳も尻尾も隠せず、髪や目の色さえ黒にできないことを不甲斐なく思い、うなだれてしまいました。どれくらいうなだれていたのでしょう。気が付けば辺りは暗くなっていました。


 顔を上げると、ぽちゃん、と川で魚が跳ねているのが見えました。くぅとお腹がなります。子ぎつねはお母さんきつねが死んでから何も食べていません。つまり、お腹がすいたのです。だけど、魚がいるのは真冬の川の中です。魚を取るには、川の水が冷た過ぎます。


 くぅうぅ。


 子ぎつねのお腹の音が鳴り響きます。ぽちゃん、とまるで子ぎつねを誘うかのように差中が飛び跳ねます。こくりと子ぎつねは喉を鳴らしましたが、結局水飲むだけに留めました。少しだけ、足をつけたのですが、耐えられる冷たさではありませんでした。


 夜になればなるほど、寒さが厳しくなり、降っている雪も激しさが増してきました。こんこんと降り積もる雪の中、子ぎつねは夜を明かせる場所を探す事にしました。このまま川辺にいても寒くなるだけで辛くなるだけです。体力もつきかけた今、少しでも寒さを凌げる場所を探して、耐えるしかありませんでした。


 震える足を必死に立たせて歩いて探します。歩けば歩くほど、すっぽりと雪が足を覆っていきました。早くしないと歩く事さえ難しくなってしまいます。足を動かして山を登っていくと、ほんのりと灯る明かりが目に付きました。その光を見てびくりと肩を振るわせます。なぜなら、光のあるという事はそこに人間がいる可能性が高いからです。だけど、人間の住む周辺は獣が少なくて安全であることも子ぎつねは知っています。でもそれは人間に見つからなければということが前提です。子ぎつねは少し迷いましたが身を屈めて、その光の方へと進んで行きました。


 すると、草葉の影から見えたのはいくつかの建物に、鳥居。きれいな石畳は雪が退かされていて、そこにまた新しく雪が広がっていました。神社だ、と子ぎつねは思い、辺りを見回します。今の所、人間は見当たりません。神社の建物の縁側の下の隙間に目が行きました。あそこならば、雪と風くらいは防ぐ事が出来るかもしれません。


 そう考えると、早く体を休めたくて仕方ありません。子ぎつねはもう体力の限界でした。何も食べず、傷つけられ、この雪の降る寒い山の中を歩いてきた子ぎつねにとって自分の体を動かすことはひどく重く、そして冷たく感じられました。本当ならもうこの場で腕も足も投げ出してしまいたい気持ちでいっぱいです。考えが足りないと言ったらそこまでですが、もうこれから寝床を探す気力も湧かない子ぎつねは草葉から身を乗り出して──転びました。


 自分が転んでしまった事に気が付いて、子ぎつねは急いで顔を上げて、人間に気付かれていないことを確認してほっと胸をなでおろします。もう一度、立ち上がろうとしましたが、目の前が眩んで立つ事が叶いませんでした。視界がぼやけ、手足が痺れて、まるで岩になったかのように重くて動かせません。


 雪の中に沈んでいく子ぎつねの体が、寒くて凍えて震えるはずの体が、ぴくりとも動かずに震える事もしないで氷のように心も凍り付いて、そこにあるだけです。しんと静まり返った雪の中、自分の荒い息遣いだけが子ぎつねの耳に届きました。


 ──もう何も出来ない。


 そう子ぎつねは感じ取りました。動くことも、生きることも、何も出来ないと。


 こんこんと、雪が自分の上に降り積もっていくのだけは、はっきりと感じ取れました。いいえ、雪と一体になるのを感じました。


 ──死ぬんだ。


 視界はぼやけ、世界が白に染まっていきます。耳に届く息遣いも小さく小さくなっていきます。それを止めることは出来なくて。それに動く心はなくて。


 でも、最後に瞳から、まるで最後の温かさを手放すように、涙が一粒だけすっと流れたような感触を子ぎつねは感じて、広がる白い世界に呑み込まれました。





 ぱち、ぱち。ぱち、ぱち、ぱち。


 何かが弾けるような音が子ぎつねの耳に入りました。薄く開けた目には光が差し込んできます。ずっしりと重みのある温かい衣服が子ぎつねの上に重ねられていました。熱っぽい頭と重い体、繰り返す荒い息で考えなど働かずに朦朧としてぼんやりと目が空中をさまよいます。


 さっと視界を何かが横切ります。その横切ったものは子ぎつねのおでこへとぴたりとくっつきました。子ぎつねはおでこに広がるひんやりとした感触に目を閉じます。そのひんやりとした感触がおでこから、頬へ、そして首元へと移ろいで行きました。


「ケガはいいんだけど、まだ熱が下がらないか」


 温かみのある優しい女性の声がして、何かが手を握ってくれ、「がんばるのよ」と耳元でささやかれます。その声が、温かさが、子ぎつねの中にある懐かしさを込み上げさせました。


「……母……様」


 消え入りそうな声で、それでも精一杯に声を出して、手を握り返しました。握り返した手に伝わるその温もりが失ったものを補うように子ぎつねの中に広がっていきます。そして、懐かしいその温もりに意識を預けてぼんやりとする頭を深い眠りへと任せました。





 小鳥の泣き声がだれた耳をくすぐり、優しい光が目に入り込みます。薄く開けた目がぼんやりと移す景色が子ぎつねの頭の中に入ってきました。


 ──屋根?


 建物の中に入った記憶がない子ぎつねは首を傾げ、自分の上に掛けられた衣服を見て顔を青ざめました。


 ──人の家っ!?


「んっ」


 肩を振るわせ聞こえた声のほうに顔を向けると囲炉裏越しに一人の女の人が横になっているのが見えました。呑み込まれそうなほどに黒い髪を床に広げ、今まで見た事がないほどのとてもとてもきれいで美しい女の人が丸まるように体を縮ませていました。


 子ぎつねはなんで自分がここにいるのかわかりません。どうして人の家で寝ていたのか、まったく皆目見当付きませんでした。


 ──怖い。逃げないと。


 子ぎつねの頭の中は恐怖でいっぱいになります。ここにいた理由はともかく、ここに居続けたらきっと痛い目にあってしまうという思いがたちまち子ぎつねの身を振るわせます。寝ている女の人を起こさないように、子ぎつねは逃げようと決心します。掛けられていた衣服をそっと退かして、立とうとして、動かしていた体が止まります。


 寝ていたはずの女の人と目が合ってしまったのです。起こさないで逃げるはずだったのに。逃げないといけないはずなのに。子ぎつねは体を動かせません。


 ──どうしようどうしようどうしよう……。


 頭で必死に考えても答えなど出ません。女の人は寝ボケ眼をこすりながら、少し微笑んで見せました。


「よかった」


 と、女の人の声が聞こえたような気がしました。じわりと滲んだ汗が粒となって頬を伝わります。子ぎつねはいつの間にか荒くなっている息にも気付かず、目を見開き、硬直したままです。耳もしっぽもピンと伸ばし、毛も逆立てて警戒します。女の人が立ち上がり、子ぎつねの方に近づいて来ました。


「ひっ」


 小さく悲鳴を上げて後ろに床を蹴って飛びずさり、足をもつれさせて尻もちをついてしまいました。子ぎつねはもう怖くて何も出来ずに腕で頭を覆い、身をまるめて縮こまって震える事しか出来ませんでした。ピンと張っていた耳としっぽもしゅんと力なく垂れて、ぎゅっと目をつぶります。


 きしりと床を踏む音がだんだんと近づいてきて、子ぎつねの目の前にまで来るとピタリと止まります。音もない時間。それが怖くてたまりませんでした。一体、何をされるのか、殴られるのか、蹴られるのか、引きずり倒されるのか。次にされる事に耐えるために必死に歯をかみ締めました。しかし、女の人は目の前で止まったまま、何もしてきません。そおっと目を開くと鼻先近い所に女の人の顔があった。


「ひぃやっ」


 にっこりと笑みを浮かべる女の人に後ずさろうとして、「だーめ」と女の人に腕を掴まれ、子ぎつねの体はぽんっと女の人の体に吸いこれるように、そのまま引き寄せられてしまいました。子ぎつねの体が震えているのに気付いたのか女の人はその震えを止めようとするように手を子ぎつねの背中と頭に優しく置いてなで始めました。


「逃げるなんてひどいわ。だいじょうぶ、怖がらなくてもいいの。何も痛い事なんてしないから」


 そう言って女の人は子ぎつねのおでこに手を当てます。子ぎつねは一瞬体をびくつかせ、されるがままに大人しくしているしかありませんでした。だけど、おでこに当てられた手のひんやりとした感触にどことなく安心感を覚えて、震えが次第に収まっていきました。


「まだ、少し熱があるわね……」


 女の人は心配そうに呟きました。女の人が悩んだように声を漏らして、背中に回された手に力が入ります。


 くううぅ。


 部屋に一つの音が鳴り響きました。最も、音の中心は子ぎつねのお腹です。こんな危ないときにまで、空腹に耐えられない自分が恥ずかしくて子ぎつねはふるふると震えます。くすりと女の人が笑う声が聞こえました。子ぎつねはそのまま抱えられて、また元の場所へと戻されて、寝かされ衣服を体を上に被せられました。


「じっとしているのよ」


 女の人は人差し指と立てて、子ぎつねに言います。


「ご飯を用意するからね。逃げたら駄目よ。逃げたらご飯食べられないんだからね」


 強く言い残して女の人は部屋の外へと出て行きました。逃げるなら今です。部屋に一人残された子ぎつねはどうしようか悩みます。残るべきなのか、逃げるべきなのか。あの女の人は自分を傷つける事をしないかもしれないと思えました。しかし、子ぎつねの考えは経験から悪い方へと傾きます。


 ──今、あの女の人は他の人間を呼びに行ってるのかも……。


 子ぎつねの背筋にぞくりと悪寒が走ります。悪い方に考えるとそれから止まりませんでした。


 ──たくさんの人間に呼ばれる。殴られるっ! 蹴られるっ! いやだいやだいやだっ!


 居ても立っても居られずに、子ぎつねはまた被せられた衣服から這い出て、立ち上がり、そして部屋の外に出て逃げようと扉に向かいました。扉を開くと冷たい風が吹きこんできます。寒さに身を震わせながら、外に目をやると真っ白い世界が広がっていました。


 雪がこんこんと降っています。


 止む気配もなく、延々と振り続けていました。寒さに耐えて、冷たいのを覚悟して子ぎつねは外に足を踏み出しました。


「こーら。心配してきてみたら、もう」


 顔を声の方に向けた時にはすでに女の人にがっしりと両手を腰に回されて抱き上げられてしまいました。


「ひゃっ、あぅあっ」


 驚きの声を上げて、必死に腕から逃れようともがきます。


「暴れないの。まだ熱があるんだから、大人しくして。何もしないから、ね」


 子ぎつねがもがいていも女の人はびくともしないで、また部屋の中に戻されました。先程と違うのは、女の人が離してくれないことです。子ぎつねは膝の上に乗せられて、逃げられないように抱きつかれていました。もがいても逃げられないことが悔しくてたまりません。怖くて怖くて仕方ありませんでした。


「っうぇ、っふぇ」

「あー、ほら泣かないで。本当に痛いこととか、怖いことなんてするつもりないんだから」


 女の人がぎゅっと抱きしめてきました。子ぎつねはそのことに戸惑います。


「ねっ。何もしない──わけじゃないけど、痛いこととかはしないから」


 泣き顔のまま女の人の方へ顔を向けると、満面の笑みがありました。そして──


「ひゃっ」

「やっぱり、耳としっぽふさふさ~。もふもふ気持ちいー♪」


 思いっきり、耳としっぽをなでまわされます。耳に頬をぐりぐり押し付けられて、しっぽを手でわしゃわしゃとなでられ、こそばゆくて身をよじります。手で押し付けられる頬を押しのけようとしたとき、しっぽを触っていた手が子ぎつねの脇へと差し込まれました。


「ふぇっ?」


 女の人は「ふっふ~ん」と鼻息を立てて、にやりと笑いました。


「スキ、ありっ! そーれ、こちょこちょこちょこちょ──」

「うひゃっ、あひゃ、あははは、あはははははっ」


 子ぎつねの体を女の人の手が縦横無尽に駆け巡ります。脇、首、足の裏とくまなくこしょぐられていきました。それに子ぎつねは耐え切れずに笑い声を上げてしまいます。


「あはっ、あはははっ、っが、げほっごほっ」


 笑いすぎて喉を詰まらせて咳き込んでしまいました。女の人は慌てたように子ぎつねの背中をさすります。


「ご、ごめんね。やりすぎたわ。熱あるのにね」


 さすり終えた後、女の人は子ぎつねを膝の上に寝かせて衣服を子ぎつねの上に掛けました。子ぎつねが少し荒くなった息を整え終えた頃を見計らって女の人が口を開きました。


「まだ、名前を言ってなかったわね。私の名前はさおり。ここで神様やってるの」

「……神……さま」

「そうよ。神様なのよ、すごいでしょ」


 耳を触り続けながら、さおりが言いました。


「人間じゃ……ないの?」


 一瞬、さおりの表情が暗くなったような気がしました。ただ膝枕をされているので、そう見えただけかもしれません。それよりも、さおりが人間でないことにほっとしました。


「ええ、残念だけど人間じゃないの。人間は嫌い?」


 さおりの問いに頭を横に振って答えました。


「人間は……こわい」


 言葉の最後は震えていました。それが響いて全体に伝わるように体が震えます。


 ──人間にお母さんが殺された。殴られた、蹴られた、引きずり回された。だから……怖い。


 そっと頬にさおりのひんやりとした気持ちのいい手が当てられました。


「人間にも……いろんな人がいる。あなたが泣いたり、怒ったり、笑ったりするように。人も同じでたくさんの感情を持っている。怖い人もいれば、優しい人だってちゃんといる。だから──」


 言葉を紡ぐさおりの表情は微笑むような表情で悲しそうでした。悲しいのを耐えて微笑んでいるのか、それとも微笑んでいても悲しさに耐えられずにその表情をしているのかは判断が出来ませんでした。


「──だから、人間を嫌いにならないで」


 さおりの言葉に子ぎつねは答えられません。さおりは子ぎつねをそっとなでます。にっこりと笑みを作って、悲しさなど見せずに。


 さおりが子ぎつねに笑顔を向けていると、がらがらと部屋の扉が開きました。


「持って来たよ。さおり様」


 男の声に心臓が跳ね上がります。そして、子ぎつねは一瞬で飛び上がり、部屋の端へと逃げ転がりました。扉の方にお椀を乗せたお盆を持った男の子が立っていました。


 それは不揃いに切られた黒髪、切れ長な目で不機嫌そうな表情をした少年でした。少年は部屋に入ってきて、さおりのそばにお盆を置きます。


「ありがとう、藤丸」


 部屋の隅で縮こまっていると、藤丸と呼ばれる少年と目が合いました。藤丸は切れ長な目を細めて、子ぎつねを睨みます。「ひぅ」と子ぎつねは怖くて声を出しました。


「藤丸。睨まないの」

「だって……」


 ムッとしてみせる藤丸に対して子ぎつねは目を逸らしました。藤丸はそのまま子ぎつねを睨み付けます。


「こいつ、『あやかし』だし」


『あやかし』という言葉に子ぎつねは身を震わせ、目には涙を滲ませました。『あやかし』であったがために、子ぎつねの母親は殺され、自身も村人達によって酷い目にあってしまったのです。子ぎつね自身は『あやかし』が何なのかをわかっていません。でも、人間に嫌われ、暴力を振るわれる存在だという事は理解していました。だから、子ぎつねはその言葉を聞いて、目の前の男の子が怖くて仕方ありませんでした。その子ぎつねの様子に藤丸は驚いたような表情をみせ、さおりは藤丸の頭を小突くと慌てて近寄ってきます。


「大丈夫よー、何もしないからね。大丈夫、大丈夫」


 ぎゅうっとさおりが子ぎつねを抱き締めます。子ぎつねに伝わるさおりの温かさに落ち着きを取り戻して行きました。子ぎつねは鼻を啜り、しゃくりをあげましたが泣き止みます。藤丸は気まずそうに顔を逸らしていたところにさおりが言いました。


「藤丸、あやまりなさい」

「うっ…………ご、ごめんなさい」


 訳がわからないと言う顔で謝る藤丸に子ぎつねはきょとんとし、さおりは付け加えて言います。


「『あやかし』と言うだけで判断しないの。いい? こんなに可愛くて無垢な子が悪い子なわけないでしょう」


 ぷんすかと怒るさおりはそこでピンときたような顔をしました。


「そうよ、藤丸。あなたがこの子の世話をしなさい」


 突然のさおりの発言に子ぎつねと藤丸は驚きました。そして、子ぎつねは泣きそうな顔に、藤丸は不満そうな顔になります。


「いやだ」と言ったのは藤丸。それに対してさおりはにっこりと微笑みました。


「だ・め・よ。藤丸がお世話をしなさい。年も近そうだしいいじゃない」


 さおりの笑顔に気圧されて藤丸は何も言えず、そして「ねえ」とさおりは子ぎつねに同意を求めますが、子ぎつねは首を立てに振ることも出来ずに固まってしまいました。


「あらあら、固まってかわいい。で、聞くの忘れていたんだけど──」


 くすくすと笑うさおりが子ぎつねの頬をいたずらに突き、言いました。


「あなた、ここに住まない?」


 子ぎつねは目を真ん丸にして、さおりを見上げました。


「住むわよね?」


 にっこりと笑顔を見せるさおりによって、子ぎつねと藤丸の新たな生活が強制的に始まるのでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ