上
【序文】
人魚の肉を食らった為、娘は年老いる事がなくなった。
しかし、夫に先立たれ、父に先立たれ、頼るものを失くした娘は、次第に村人から疎まれていく。
娘は寄る辺を求めるかの如く、いつしか尼と成り、諸国を巡って貧しい人々へ手を差し伸べ続ける。だがそれでも、娘の寂寥の晴れる日は訪れなかった。
朽ちぬ我が身に世を儚んだ娘は、岩窟に篭り自ら食を断って、数百年の生涯に幕を下ろした……。
これが、不老長寿の命を得た娘『八百比丘尼』の伝説である。
石川県石川郡稔郷村で起きた痛ましい事件。その唯一の物的証拠となる『東雲譲』の日記を紐解く前に、あえて、私はこの伝説を持ち出す事にした。
私の郷里がどの様な場所か、何故、『人形村』などと呼ばれる様に成ったか。その所以を語る上で、触れて置くべきだろうと考えたからだ。
八百比丘尼の伝説と言えば岐阜県、そして、福井県が有名だ。しかし、あまり知られてはいないが、同じ北陸の一県である石川県にも、それも、彼の事件の温床となった郷村に、八百比丘尼伝説は残っている。
郷村とは、明治から昭和にかけ日本に存在した自治体の名称で、石川県の他にも、京都府、岡山県などに存在していた。
その成立には、江戸時代からの村落制度の名残りや、明治期に施行された町村制が大きく関わっている。しかし、そこら辺の事情は割愛させてもらう。稔郷村での事件は、郷村が成立してより半世紀以上後の出来事であり、制度の変遷が影響を及ぼしたとは考え難いからだ。
ここでは、郷村が既存の村を合併させたものである事。そして、自治組織であった以上、そこには強い発言力を持った領主が居たという事。この二点を、頭の片隅にでも留めて置いてもらいたい。
さて、事件の舞台と成った稔郷村へ話を進める。石川県にあった郷村は、現在の、野々市市と白山市の二つを合わせた広大な地域に及んでいた。
それ故に郷村内でも、漁業の盛んな海沿いの地域と、稲作の盛んな山沿いの地域で、それぞれに異なる自治体勢を組んだ。前者の日本海に面した地域を揚郷村、後者の白山連峰を望む地域を稔郷村と呼ぶ。
石川県に残された八百比丘尼伝説は、その二つの郷村を跨いで展開していく。あらましはこうだ。
揚郷村の内灘浜に、人魚の死骸が揚がる。それを見付けた漁師たちは、不老長寿の妙薬と知って、各々が人魚の肉を持ち帰った。
しかし、いざ持ち帰ってはみたものの皆、気味が悪くなり、その肉を口にしようはしない。漁師の一人の子供だった、八百比丘尼となる娘を除いては……。
不老長寿となった娘は、他の伝承の例に漏れず、住んでいた揚郷村を追われる事と成る。そうして、娘が辿り着いたのは、山沿いの稔郷村だった。
ここから唐突に、伝説は艶めかしさを帯び始める。
稔郷村に住みついた娘は、生来の美しさから、村一番の分限者の男に見初められ、夫婦の契りを交わす。男は、容色の衰える事を知らぬ娘との間に、幾人もの子供を成した。
だが、そんな逢瀬も長くは続かない。男は妻子を残して、年若くも不帰の客と成ったのだ。それは恰も、妻に、そして、子供たちに精気を絞り取られた様な、憐れな最期だったと言う。
夫に先立たれた娘にも、そうした自覚があったのかも知れない。娘は男の四十九日が過ぎると早々に、尼と成り稔郷村を去って行った。
これが、石川県に伝わる八百比丘尼伝説のあらましである。後は、『岩窟に篭る』というステレオタイプへと合流し、八百比丘尼の死で物語は幕切れに向かう。
これから記すのは、その様な伝説の生まれた地で、身の毛もよだつ怪異に見舞われた男の日記だ。
本文は、漢字とカタカナでのみ書かれていた原文を、ひらがな交じりの文章に書き直してある。現代人に馴染みのない表現も、意訳を交えて、当世風に改めておいた。
それらに加え、簡単な説明文を日記の前後に添えている。本文を読み進めるにあたって、合わせて目を通してもらえば、分かり良いはずだ。
それから、この場を借りて、謝意を述べさせてもらいたい。
貴重な資料を閲覧するに際し、一方ならぬ御尽力を頂いた、泉先生。日記の書き直しを、ご指導ご鞭撻で支えて下さった、室生先生。お二方に賜ったご助力に、深く感謝を申し上げます。
並びに、稿を起こすについて、お力添え下さった皆さん。そして、この稿を読む貴方にも、感謝しております。
何故、この事件に興味を持ったのか。私はあえて、その理由を書く事はしなかった。
しかし、この先の稿を読み進めさえずれば、貴方にもそれが伝わる。貴方自身に芽生えた興味であり、理由だとして、自ずから感じ取る事が出来るであろう。
最後に成るが、稔郷村における八百比丘尼伝説の、語り残した部分をお話して、序章の締め括りとする。
不老長寿を得た娘は、幾人もの子を産み落とした。その中には稀に、上半身が人、下半身が魚という子供も居たとされている。
夫婦は異形に生まれ付いた子らを持て余し、その様な子供が生まれる度、海に通ずる手取川へ流していた。
いつしか、稔郷村と呼ばれていた土地は、『人魚の生まれる』村、人魚村と呼ばれる様に成った。
【東雲譲の日記】
彼の綴っていた日記を見せる前に、まず、彼自身の人となりについて書いておく。
終戦から二年後の昭和二十二年。東雲譲は、当時二十五歳で、関東の某大学校に席を置いていた。
成績は、可も無く、不可も無くと言ったところであったが……。当時の若者の大半がそうだった様に、彼自身も戦争に取られ、学業に費やすはずの時間を奪われている。その為に未だ、最終学年へ進級する事が出来ずに居る。その頃の彼の悩みと言えば、もっぱら、それであった。
家族と呼べるものはない。勿論、彼だって木の股から生まれた訳でなく、父、母というものに育まれている。しかし、元々病弱の気があった母親は、彼の幼年学校時代に息を引き取った。
母亡き後、男手一つで養ってくれた父親も、彼が高等学校に上がる時分に帰らぬ人と成っている。
父母の他に頼るべき者のなかった彼は、その時点で天涯孤独の身の上に成り、孤独のまま戦地へ赴き、待つ者も居ない日本へ戻ってきたのだ。
それでも戦中は、闇屋の真似事なんかで、どさくさ紛れに学資を稼ぎ出せてはいた。だが、それも戦後を迎えては……。生き馬の目を抜く本職の商売人たちには、とても敵わない。彼は瞬く間に、貧窮を極める事と成った。
これから見ていくのは、そんな窮状にあった彼の、昭和二十二年七月十四日から、八月二十一日までの出来事である。
「七月十四日――曇り。晴れ間なく、午後は蒸し風呂の様な暑さ。
今日、学部より無期休講の通知を受ける。
最終の復員船が横浜へ寄港してから、一週間。講師連中にしてみれば、まだまだ、学問を施している場合ではないのだろうが……。窮状に喘いで居るのは、こちらも同じだ。
学士さえ修得して居れば、この道で職を得る方便もあるだろうに……。」
復員船は、日本を遠く離れ、海外の戦地へ送られた兵士たちを帰還させる為の船。復員輸送は終戦の昭和二十年から始まり、この年の昭和二十二年に、最後の便が本土へ帰着した。
復員者の情報は、ラジオなどを通じ、広報されていた様だ。彼もおそらく、そう言った情報媒体を通して、復員者、及び復員船の情報を得ていたのだろう。
「七月十五日――曇り。雲間より日は差せども、暗澹として重苦しい。
意を同じくする同士十二名と、管理棟前で座り込み、『大学側の不当なる号令には、徹底抗戦』、『学生を顧みない休講、これを断固拒否』の声を上げた。しかし、これが何程の効果を生むだろうか……。
夏場なのも災いした。この暑さでは長くは持たんと、奴らにこちらの腹を読まれている。それでも今しばらくは、これを続ける他はない。……不毛とは知りつつ。」
「七月十六日――明け方よりの雨、降り止まぬ。
今日も、管理棟前で座り込む。
声を張り上げても、雨音に掻き消される。まんじりともせず睨み付け様にも、前髪より垂れ落ちた雨粒が、瞼を閉ざす。
思い出されるのは、軍へ召集される前に、新谷の奴と飲んだ事……。あいつは、『文学など下らん。そんなものは、腹の足しにも成りはしない』と言った。
酔いも手伝い、あの晩は、殴りかからんばかりに抗議したのを覚えている。だが今にして思えば、確かに、あいつの言った通りだったかも知れない。インクが付いていては、胃袋の詰め物にも出来ないからな……。」
雨の日の座り込みは、相当、腹に堪えたらしいな。翌日からの三日間、日記は書かれていない。
その代わりと言ってはなんだが、3ページ分、白紙を破いた形跡がある。彼が、どのような腹で過ごしていたか。そこから、容易に想像できるだろう。
「七月二十日――正午過ぎまで、晴れ。大陸よりの風強く、日暮れ前に通り雨。
座り込み、六日目。今日、ささやかながら変化があった。大学職員から手紙を渡されたのだ。
そうは言っても、残念ながら、大学側が我々の抗議に折れた訳ではない。手紙を受けたのは私個人であり、学部長からの返事でもなかったのだ。
少なからず落胆する同士を前に、先ず、一読する。流麗な文字で、手紙にはこう記されていた。
〈お前がその大学に籍を置いて居ると知り、手紙を寄越した。お前の住所が分かぬので、お前に渡す様に託け、この手紙は大学側に預けた。それについて、大学側には、お前からも礼を言って欲しい。〉
そこで、背後から手紙を盗み見ていた同士諸君が、どっと沸いた。勿論、私としても礼を言う積りはさらさらなかったし、それはこれからも変わらないだろう。……記述を、手紙の文面に戻す。
〈自分はお前の遠縁の者で、名前を荘野初音と言う。是非、一度会って、お前と話をしたい。手紙を大学側に預けた七月十九日から、五日後の七月二十四日まで、東京駅丸の内駅舎近くの『caller』という喫茶店で待つ。五日の間は、店の開く正午にはそこへ行き、日が暮れぬ内は待って居る。お前の都合の良い日には、必ず、自分を訪ねて欲しい。自分は目に付く色のワンピースを着て、店の奥の席に座っている。〉
正直言って、渡りに船であった。日がな一日を座り込んで過ごす事に、ほとほと、嫌気が差して居た。
手紙の差出人が女だった事もあり、日頃から、やれフェミニズムだ、やれ男女同権だと、文士気取りの同士諸君は快く送り出してくれる様だし……。明日、早速、荘野初音なる婦人に会ってみようと思う。」
これまでの日記の文面に比べ、文字数の多さ、それに、表現の豊かさが際立っている。
天涯孤独の身の上と、とうに諦めていた。そんな彼宛てに舞い込む、縁続きの者のだと名乗る手紙……。戦中の苦難を味わった彼には、思うところも一入だったであろう。
「七月二十一日――快晴。明け方より茹だる様な暑さ、蝉の鳴き声に陽炎立つ。
件の喫茶店の開く前に、丸の内駅舎へ着く。
戦災の瓦礫が残る駅舎の傍。一目で、彼女が荘野初音だと解かった。
袖のある白と水色のワンピースに、ベージュのつば広帽子という、手紙に書かれていた通りの垢抜けた装い。いいや、人目を引くのは、何も彼女の格好だけではない。
透ける様な白い肌と、腰の辺りまで伸びた黒髪。小柄だがスラッと伸びた手足は、まだまだ着物姿の多い駅舎前でも、洋装を気後れさせない。その端正な顔立ちを見ていると……父も、母も、無論、私にも似ては居らず……遠縁だという手紙の内容が、怪しく思われる。
しかしながら、彼女にも私の事が一目で分かった様だ。上品な物腰とは不釣り合いな愛想の良い笑みを浮かべ、会釈をしてきた。
こちらへ歩み寄ろうと、肩から下げた鞄を揺らす姿があまりに儚げで……。私は思わず、彼女の方へ駆け出していた。
今日は、ここで手を休める。考えるべき事が山積みで、どうにもいけない。」
「七月二十二日――寝床より出て、ぼつぼつと日記に取りかかる内、夕立。
同士諸君は今朝も、座り込みを敢行しているのだろう。そうと知りつつも、身体が動かぬ。
原因は分かっている。昨日の、荘野初音との会見……。あの時間が私から、大学側と争う気力を奪い去ったのだ。
我々はあの日、ステンドグラスのはめ込まれた扉をくぐり、『caller』の奥のテーブルで顔を突き合わせた。
先に立って店内を歩く彼女へ、初老の店主は頭だけ下げて、誘導めいた事はしない。おそらく、事前に何らかの合意が成されていたのであろう。
席に着いて、つば広帽子をとり、それから、彼女は何と言ったのだったか……。そうそう、彼女は言ったのだ。
『こんな時間にお呼び立てしたから、きっと、お昼はまだですよね。良かったら、ご一緒に頂きませんか。』
そして、ここのところ碌なものを食べていなかった私は……我ながら何の見栄を張ろうとしていたのやら……始め、彼女のありがたい申し出を断っていた。
彼女は、私の不調法な態度に嫌な顔一つ見せず、下手に出るかの様に、命じるかの様に、食事の相手をしろと促してくれた。私にはその時、はっきりと解かったのだ。彼女は私よりも年上であり、かつ自分が私よりも長じているのを心得ていると……。
結局、店主が腕を振るった、焼き飯とも、ピラフとも付かない食事をとる。お世辞にも、満足のいく味とは言い難かった。少し困った表情をしていたのを見るに、彼女も同じ意見だったのだろう。
しかし、食後に饗されたコーヒー。あれは、美味かった。
おそらく、米軍の放出品なのであろう。昨日の会見において、どれだけ、あの芳醇な味わいに助けられたか分からない。
彼女はソーサーごとカップを持ち上げ、コーヒーを一啜り、二啜り。それから、私に向けて話し始めた。その内容を要訳し、以下に記す。
〈急に呼び出されて驚いたろうが、自分の願いを入れ、訪ねてくれた事に感謝する。初対面の顔にどことなく、自分の父親の面影を見た。それで、お前が待ち人だとすぐに分かった。こちらに来る用事があったので、一度会いたいと思っていたお前に、思い切って連絡をした。これよりは親類同士、気兼ねなく交流を持とう。東京の大学に籍を置くお前は、自分の一族の出世頭だ。自分も鼻が高い。〉
丁度、そこで、一杯目のコーヒーを飲み干していた。やけに喉が渇いた理由は、こそばゆさもさる事ながら……何とはなしに、彼女の言葉が持って回ったものと聞こえたからであろう。
彼女の注文で、私のカップに二杯目のコーヒーが注がれる。ポットを持った店主がテーブルを離れるのを待って、私は尋ねた。
〈てっきり、両親の話を聞かれるのだと思っていた。何故、その事に触れようとしないのか。そして、用事のついでにしては、五日の間、半日を待ち惚ける覚悟でいたのが解せない。何か目的があって、私を呼び出したのではないのか。〉
成るたけ角の立たぬ様に、気を配りはした。しかしながら彼女は、目に見えて色を失っている様だった。
艶やかな黒髪を揺らし、彼女は謝罪の言葉を述べる。それから私に向け、本心を語り始めた。
〈自分が今度東京を訪れたのは、確かに、お前と会うのが目的だった。堅苦しく受け取られぬ様、偽ってしまったのだ。どうか、許して欲しい。ただ、お前が自分の父親に似ているのも、前々からお前に会いたいと思っていたのも、本当の事。お前にも、お前の両親にも面識はなかったが、人伝にお前の素性は知っていた。それでお前に、ずっと、頼みたい事があったのだ。今度の会見の真の目的は、察しの通り、それである。〉
何度となくコーヒーで舌を洗う内、私も、彼女も、苦味にピンと来なく成って居たらしい。二人して、白湯を飲むかの様に、コーヒーを流し込んでいく。
グラインダーで豆を挽く音を遠くに聞きながら、熱の篭った彼女の話が続いた。
〈自分は、石川県石川郡の稔郷村という土地から来た。願いと言うのは、自分と共にその地へ帰り、娘に勉学を教えてやって欲しいのだ。大学に籍を置くお前ならば、それが出来るだろう。〉
そこで当然、私は尋ねた。
〈娘さんは幾つに成るのか。……十二歳。それでは、幼年学校を卒業する年頃。その様な娘さんに私などが、学生の身分で満足な教育を施せるとは思えない。〉
加えて、どこの馬の骨とも分からない者を連れ帰り、大丈夫なのかと訊いて置きたかったが……よした。
彼女はまた黒髪を揺らし、しっかりと頷く。
〈それに関しては、問題ではない。自分の娘は病弱で、幼年学校へは通えなかったのだ。それだからお前は、ほんの子供に手習いを教える積りで居てくれれば良い。自分と共に稔郷村へ来てくれたなら、逗留している間、決して不自由さえる様な事はしない。それのみならず、手当も出すと約束する。どうか、自分の願いを聞き届けて欲しい。〉
私には勿体無い程の厚遇なのだろう。我が身の現状を鑑みれば、一も、二もなく、飛び付くべき……。それと頭では知りながら、どうしても、彼女の話に一抹の不安が過るのだ。
〈私に教えられる事は少ないだろう。それでも、修学には相応の時間が掛かるに違いない。貴女は一体、どの程度の期間、私に教育係をさせる積りでいるのか。〉
彼女は事も無げに答えた。
〈お前にも都合があろうから、それは尊重する。その上で、お前さえ良ければいつまでも……。〉
結局、私は即答を避けた。答えの出せぬまま、先に進めぬまま、こうして筆を走らせている。
唯一つ確かな事は……席を離れる際に渡された茶封筒。
〈些少だが、受け取って欲しい。無理を聞き入れ、会いに来てくれた礼だ。それに、しばらくこの地を離れるのなら、色々と物入りになるだろう。〉
彼女はそう言って、席を立った私の手に、それを握らせた。
絡みつく様な彼女の冷たい指の感触。そのムズ痒さ中でも私には、はっきりと分かった。封筒の中身が、少なくはない額の紙幣であると……。そして、私の懐具合など、おそらくは無期休講の憂き目にあっているのも、彼女は先刻承知なのだと……。それと知った上で、この機に私を訪ねたのであろう。
私はとうとう、その金を拒み切れなかった。いいや、もらえるものは全てもらっておけと、心のどこかで意を固めていたのかも知れない。……始めから私に、選択の余地などありはしなかったのだ。
言われるがまま控えた彼女の宿泊先の番号が、手帳にある。明日の朝、私はそこに電話をするのだろう。教育係を引き受けると言う為に……。
一日中考え込んで居たので、やけに疲れた。ただ座り込み、声を張り上げているより、何倍も肩にくる。だがその分、妙な高揚感がある事は否定できない。
今晩は、この心持を空き腹に抱えて、眠る事にする。
……帰り際、もう一つだけと前置きした上で、私は彼女に尋ねた。娘の名は何と言うのか。彼女の娘は、瑠璃子と言うそうだ。」
数ページに渡る長文を書き終え、気抜けしたのであろうか。翌二十三日は、日記をつけてはいない。
その為、彼は二十三日に、初音へ電話を掛けたのか。掛けたのであれば、それはどの様なやり取りであったのか。そこの部分は、一切、判然としていない。
そして、その辺りの説明が成されないまま、日記は二十四日へ進む。
「七月二十四日――快晴。皮肉にも、絶好の後始末日和。
滞納していた家賃を清算する。それから、八百屋で西瓜を三つ買った。
一つは大家に、後の二つは長屋の連中に切り分けた。甘い物の手に入り辛い時勢、皆大いに喜んでくれた。何よりだ。この長屋の住人には、世話をかけてばかりだったから……。
長屋の連中への礼を済ませた後、残った金を闇市で煙草変えた。自分の懐に入れた2カートンを除き、全て、同士諸君へ渡す。早々に戦線を離脱する詫びと、後を頼む気持ちを込めて……。これがいずれ、ここへ戻る私の、助けと成るかも知れない。
煙草をやらない朋輩には、家財道具をくれてやった。目ぼしい書物は事前に除けておいたので、碌なものもない。しかし、卓袱台と、和箪笥は、存外に好評であった。
初音にもらった金をすっかり使い、別れの挨拶を済ます事が出来た。別れ際の皆の表情を思い出すと……初音には感謝してもし切れない思いだ。貧すれば鈍すと言うが、何の置き土産もなく立ち去ろうものなら、喧嘩別れは必至の事であったろう。……まぁ、今にして思えば、それも悪くはなかったが……喧嘩ならばまたここで、懐を膨らませ帰ってから、酒の肴に騒げばよかろう。二年も、三年も、屋を空ける訳ではなし……。
この部屋でこうして日々を記す事も、しばらくはない。そう思えば感慨深くもある。それと同時に、向こうでの生活に思いを馳せ、胸踊らせている自分も居るのだ。
稔郷村までは三日がかりの道程だと、初音には言われている。向こうへ着いてからも、忙しさに取り紛れ、呑気に日々の綴っては居られないかも知れない。
それでも私は、彼の地へ、この日記を持参する積りだ。この日記を携え、石川の地で見分を深め、必ずや、一回りも、二回りも飛躍してみせる。そして、この日記を携え、また、ここへ戻って来るのだ。今は夜具すらないこの部屋に……。
人に聞かせるのは恥ずかしいので、人知れずここに誓う。」
稔郷村へ赴く意を固めた彼は、翌日から、初音と共に二日がかりの大移動を始める。
日記の次の日付は、七月二十六日。村へ到着する前夜、投宿した旅館で記されたものだ。
「七月二十六日――晴れ。白雲、東より西へ流れる。
東京から、埼玉、長野と、鈍行列車を乗り継ぎ、今日、富山に入った。
近頃は、地方への買い出し組でごった返していると聞いてはいたが……。聞きしに勝るとはこの事であろう。
それでいて立ち往生するでもなく、こうして無事に富山の地を踏めた。それは、偏に、辰蔵のお陰なのだ。
辰蔵は、今度の初音の上京に同行してきた男だ。
年の頃は五十路の手前と言ったところ。小柄だが肩幅があり、よく日焼けした身体はガッチリとたくましい。全てはこの如何にも百姓然とした男が、華奢な初音のため混雑を掻き分け、手抜かりなく宿泊場所を手配した事で、円滑に回転したのである。
人で鮨詰め車中、小石を蹴散らす振動に肩を左右へ揺すりながら、二人の間柄を尋ねてみた。
それに対して辰蔵は、
〈自分の家は先祖代々、荘野から稲田や畑を貸してもらっている。だから、自分にとって初音は主人であり、そう言う自分は下男であろう。〉
と、そんな返事をして、初音を困らせていた。
しかし、傍目から見れば、二人の間柄はもっと、こう……謹厳な、恰も封建制度下の、姫と、家臣との関係を見ている様な気にさせる。まぁ、それは、伏して初音に仕える、辰蔵の態度ばかりが理由ではないが……。
それにしても、初音を蝶よ花よと扱うのは、ともかくとしてだ。時折、私にまで殿様扱い、お大臣扱いをしようとするのには参った。おそらく、初音と縁戚関係にあるのを聞かされているのであろうが……ただでさえ狭苦しい客車の中、どうにも息が詰まる。
この一点を除けば、辰蔵は気さくな好い男だ。
明日はいよいよ、石川県に入る。列車を金沢市で下り、そこからはバスに乗り換え。昼過ぎには、稔郷村の荘野の家に着けるそうだ。何もかもが、楽しみだ。」
石川県での新生活を目前にして、彼の期待の念は否応も無く膨らんでいく。長らく続いた閉塞感より解放された事、それに、初音や辰蔵の人となりに触れた事も、彼の気持ちへ弾みをつける要因となった。
そして翌七月二十七日、一行は予定通り、稔郷村へ到着する。これ以降の日記は、村落での生活の間に記されたものだ。
「七月二十七日――曇り空、当地にて晴天に変わる。
日が青空にある内、稔郷村、荘野家の屋敷に着く。
私に約束された厚遇から、想像はしていたが……。家屋敷のこの宏壮さは、私の想像を遥かに越えて、圧巻だった。まったくの別世界に迷い込んだ、そんな、尻のむず痒い気持ちに成ってくる。
度はずれしているのは、家屋敷だけではない。使用人と思わしき人間の数も、十ではとても利かないだろう。少なく見積もっても、二十人は下らないはずだ。
そんな大家に招き入れられた私は、今、私室として与えられた部屋で、この日記をつけている。
今更ながら、私は化かされているのではあるまいか。
つい四日前には、夜具のない部屋で雑魚寝をしていたのだ。それが今や、煌々(こうこう)と輝く電球の灯りの下、書机に向かい思うさま筆を走らせている。とても、現実の続きの出来事とは思えない。
後ろには、布団が敷かれている。さっきまで話し相手に成ってくれていた初音が、手ずから敷いていったものだ。
〈縁続きの者が世話を焼くのは、当然。〉
彼女はそう言って笑った。
今ならば私にも分かる。初音の何気なく口にした言葉の重みが……。辰蔵の答えた『主人と下男』という言葉が……単なる喩え文句ではなかったのだと……。
ここが別世界だとすれば、さしずめ竜宮城。それならば、初音は乙姫で、辰蔵は亀というところか。
浦島太郎の私は、鯛や平目の舞い踊りはなかったものの、夕食の席ではそれに劣らぬ歓待を受けた。
私の顔見せという意味を込め、荘野の親族居並ぶ中、酒席は催された。
刺身では、飛魚、黒鯛、煽り烏賊。取り分け、のどぐろという魚の分厚い白身は、旬を外しているそうだが旨かった。
他にも、鮎の塩焼き、小鉢に入った熊の肉、猪肉の煮物など、山海の珍味が贅を凝らした趣向で振る舞われた。……焼き物に関してずぶの素人の私だが、皿一枚にしろ、その見事さには目を見張るものがあった。余程、大枚を叩いて買い集めたに違いない。
そうそう、酒席に置いて忘れてはならいもの。酒について記すのがまだであった。名を菊姫と言い、この土地の地酒だそうだ。これがまた旨い。
戦中戦後と、『酔えるから』と理由で飲んで居た、どぶろくの出来そこない。あれとは、まさに雲泥の差。濁った喉の詰まる様な味に比べ、あの清酒の澄んだ味わいときたら……こうして調子よく筆が進んでいる事からして、しばらくは、悪酔いと無縁で居られそうだ。
しかし、多少、食らい飲み過ぎたかも知れない。心地良い熱が指先を包んで、いつまでも筆を離せそうにないのだ。
眠りに着く前に、もう少し筆を進める事にする。
酒席にて会したのは、初音を含め十五人。皆一様に親切で、
〈親類筋から東京の大学に籍を置く者が現れ、鼻が高い。〉
と、私を褒めそやした。
物の本に、『地方は未だ閉鎖的で、肉親、縁者にのみ胸襟を開く』とあったが……。この奇妙なまでの馴れ馴れしさに、その片鱗を見た気がする。しかし折に触れて、『奥歯にものの挟まった様な』と、彼らから感じるのは何故だろう。
思い返せば、列車の中での辰蔵も、どことなく言葉を濁す事があった。……一体、何の話をしている時だったか。
何にせよ、すんなり下座に導かれた事でも、客としてではなく、身内として扱われているのは間違いないだろう。
それにしても、今宵の酒席で、瑠璃子とも会えるとばかり思っていた。
病弱だと聞いてはいたものの、
〈自分の居室から身体が動かず、食事もその部屋で取って居る。今日は親族一同集まった為、座を外す事が出来なかった。しかし普段ならば、家長の許しを得て、自分が食事の世話する事もある。〉
と、初音が話すのには驚いた。
まず、瑠璃子の身体がそれ程までに悪いのかと、驚く。そして、家長である初音の父親が、娘に食事の席を離れる事を許すとは……そこでまた、驚いた。
初音の父親であり、瑠璃子にとっては祖父に当たる、荘野大志。今度の戦争の為、相次いで二人の息子を失くしている。
初音に言わせれば、『後継ぎを失った心労で、すっかり老けこんだ』そうだが……何の、何の……。
一族の者を見渡す眼光は鋭く、私へ名を尋ねる声付きにも凄みがあった。それに、耄碌している者にどうして、これだけの財を守っていられようか。
GHQの政策で私財を没収された財閥、華族が、戦後には随分と居た。それに引き換え、この屋敷の中には未だ、素封家としての体裁が保たれている。
その栄耀栄華は偏に、大志があの鋭い眼差しでもって、睨みを利かせているからであろう。
それだけに、幾ら愛娘、愛孫のためだとは言え、普段から食事の中座を許すとは……。何とも信じ難い事に聞こえる。だが、私の様な厄介者が自分の屋敷に住むのを、それもわざわざ、東京から引っ張って来るのを認めたのも……。それに、あの目。あの鋭い眼差しが、不意に、怯えた様に成るのを思い返すと……いいや、こんな事は、私が考えるべき問題ではないし、知るべき問題でもないはずだ。
私はただ、初音の娘の為に教鞭を取る。それ以上を望まれては居ないし、私がそれ以上を望むべきでもない。そうだ、何を心配する必要があると言うのか。
初音には明日の朝からと頼まれている。明日、いよいよ、瑠璃子に会うのだ。
瑠璃子の為の教材は向こうで見繕って来た。読む事を勧めようと、何冊か本も持参した。そして、この様に素晴らしい環境あれば私でも、荘野の家人の期待に応える事が出来るはずだ。
この日記も明日からは、瑠璃子の学習度合いを評価する時間となろう。」
「七月二十八日――晴れ。
今日、瑠璃子に会う。」
この一文が記されてから、七月二十九日、三十日と、彼は日記を書いては居ない。
次に記すのは、月末の、七月三十一日に書かれた日記である。
「七月三十一日――未明より雷雨。頻く頻くの落雷に、送電が止まる。
今朝も瑠璃子の居室に赴く。しかしながら、
〈瑠璃子が雷を怖がっている。これでは勉強に成らないだろうから、今日はもう、自分の部屋に戻ってくれて良い。〉
と、初音に言われ、こうして部屋で一人、雷鳴に耳を傾けて居る。
瑠璃子の居室から戻る道すがら、お糸さんから古風な燭台とマッチを渡された。
流石に、ここに住んで長いだけの事はある。石川が雷の多い土地柄と知ってはいたが、東京暮らしの染み付いた私には、『雷が電柱に当たらぬ内、事前に送電が止まる』と言う発想は出て来ない。
無論、東京でも、戦後の電力事情による計画停電はあったが……。あんなものは、とにかく寝て過ごすだけの時間と思っていた。
そこへ来ると今は、こんなにも風雅な時を満喫できている。それもこれも、お糸さんのお陰だな。
蝋燭の灯りを頼りに筆を滑らせ、雨の音に雑念を削ぐ。いつか夢に見た、晴耕雨読の生活。浅くとも、その中へ我が身を埋められた気に成って来る。
そうそう、記すのを失念していた。
お糸さんはここの使用人の一人で、女房集の取り纏め役の様な女性だ。付け加えて、私をこの地に連れてきた『亀』の……辰蔵の女将さんである。姉さん女房だそうな。
この土地に来て三日。辰蔵夫婦には、世話に成りっ放しだ。何か礼をしたいのだが、二人とも煙草は吸うだろうか。
……昼食までにはまだ、多少の時間が残されている様子だ。
ここ二日の間、書くべきか、書かざるべき、悩んで居たのだが……思い切って、瑠璃子の事を記そうと思う。『アレ』はこれから、望むと望まざるとに関わらず、私の生活の中心に据えられる事と成るのだから……。さて、どこから記せば良いのか……。
七月二十八日。その日は、今日とは正反対の、心地よい晴天であった。
私は小脇に抱えられる程度の教材と、軽い気持ちで、初音の後ろを歩む。母屋を抜け、庭園を横切る渡り廊下を進みつつ、白山連峰の雄大さを取り入れた借景を眺める。そうして、渡り廊下の先に現れたのが、『アレ』の……いや、瑠璃子の居室である離れであった。
その時は率直に、随分な扱いをしているものだと思った。確かに、十二の娘の居室としては勿体無い様な、立派な離れではある。しかし、瑠璃子は荘野家直系の娘であろう。それもいずれは、彼女の婿と成る男が、この荘野家を継ぐのだ。……仮に、初音が再婚をして、その相手との間に男児が生まれれば……話は別だが……
だが少なくとも、今のところは、瑠璃子こそがこの家の跡取り娘に違いない。
それを、病弱だからと言って、母屋から遠ざけるとは……。その時まで、離れの奥にある居間へ通されるまで、私はそんな事を思っていた気がする。
義憤もあったと思う。ある種の使命感すら感じて、彼女の前に立ったのかも知れない。それ故……瑠璃子を見た瞬間、全身の骨が抜け落ちんばかりに驚いた。
蒼白い顔は明らかに、生きた人間のものではない。……それが等身大の人形であると気付くのに、たっぷり、数瞬を要したと思う。
ぐらぐらと揺れる視界の中、遠くに初音の声が聞こえていた。しかし、教材を取り落とすまいと必死だった為、彼女へ返した愛想笑いは、ぎこちないものだったろう。
自分は、この家の者たちに担がれているのか。あるいは、夢を見て居るのかも知れない。頭の中では困惑が、止めどなく渦巻いていた。
目の前の座布団に腰を下ろせと、初音が言っている。それに気付いた時も私は、安堵した半面、気味が悪かった。何せ、腰を下ろせば、卓子を挟んで人形と……瑠璃子と面と向かう事になるのだから……。
それでも、ここまで来てしまったのだ。私は逃げ出す訳には行かない。
意を決し、座布団に尻を突き、卓子に教材を乗せる。そして私は、初めて、真っ直ぐに瑠璃子の顔を見たのだ。
瑠璃子の顔を見た時、正直に言って……美しいと思った。
それまでは、その面差しを直視せず、下膨れした市松人形の顔を想像していた。だが実物はどうだ。
瑠璃子を作るのに、どんな美貌を手本にしたかは知らない。あるいは、天女のそれを思い描きながら、仕立てられたのだろうか。いずれにしろ、あの人形の……瑠璃子の美しさ、繊細さは、偽物ではないのだ。あれこそはまさに、『生き写し』であろう。
……そう、あの日も今の様に、息を飲み、瑠璃子の顔を見つめていた。すると横合いから、笑いを交えた初音の声が聞こえる。
〈そんなに繁々と、見ないでやってくれ。瑠璃子が恥ずかしがっている。〉
初音のその一言で、浮足立っていた私は、現実へと突き落とされた。そうして、気付く。辰蔵が、荘野の親類たちが、何に対して歯切れの悪そうにしていたのか。大志が怯えた様な目で見て居たのは、初音だったのだと……。
あの日より、もう三日。三日も、人形遊びか、ままごと遊びの延長の様な生活が続いている。
皆、私には親切だ……。しかし、誰一人として私に、この状況を、真実を語ろうとはしない。そう言う私も、誰かに瑠璃子の事を尋ねられない。
危ぶむ気持ちはある。いや、だからこそ……。
……今、若い使用人の女が、初音からの言伝を寄越しに来た。
〈瑠璃子が、お前にも一緒に居て欲しいと言っている。お前さえ良ければ、昼食は離れで取ってもらえないか。〉
と、そう言う内容だそうだ。……恐ろしい……私は恐ろしい……。」
「八月一日――快晴。庭園よりの薫風に、乾いた苔の香を覚える。
昨日の日記には、気の滅入る思いを書き連ねた。しかし、雷雨が止み、暗雲が消え、明り取りからの日差しに透かして見れば……案外、どうという程の事もないのかも知れない。
何と言っても、人形は人形だ。うんともすんとも言わず、ただただ、目の前に置かれているのみ。
私は、この離れへ人の気配が近付いた時だけ、人形に向かって指導の真似事をすれば良い。それで十分、茶菓子を持って様子を窺いに来る初音を、誤魔化す事が出来ている。
そう、慣れてしまえば、どうという事はないのだ。むしろ、こうして日記をつけ、静かに本を読める……まぁ、私には気に入った文章を朗読する癖があるから、静かとは言えないかも知れないが……とにかく、十二の娘の教育係をする事に比べれば、ずっと、優雅な生活を送らせてもらっている。
朝昼晩と上げ膳据え膳で食事が与えられ、部屋の掃除も昼間に、私がこの離れに居る間に片付く。見られて困るのは、こうしてつけている日記くらいのもの。
結果的には、当初思っていたのより気楽な生活を、私は送らせてもらっているのだ。
そうなると……不思議なもので、妙に気が大きく成ってもきて……荘野の親類や、使用人たちの態度は私に遠慮しての事だ。彼らは皆、私の心の準備が出来て、私の方から瑠璃子について確かめにくるのを、待っている。……と、あの歯切れの悪さも、そんな風に感じられてくるのだ。
まさか、真っ向から初音に問い質す……そう言う訳にも行くまい。だが、荘野家に縁の深そうな辰蔵夫婦であれば、何かしら教えてくれるのではないか。
明日の晩、夕食の後に、辰蔵の家を訪ねてみようと思う。東京から持参した煙草には、早速、働いてもらう事に成りそうだ。」
翌八月二日、日記はつけられていない。
抑えがたい好奇心を目前にして、人が習慣を維持する事は難しい。おそらく、彼の場合もそうだったのであろう。なぜならば好奇心ほど、恐怖を忘れるのに都合の良いものはないのだから……。
彼は今、彼自身が思うより、危ぶむべき所に居るのだろう。
「八月三日――午後、蒸し暑さに汗止まらず。夕刻、刺す様な西日にも蝉鳴きやまず。
昨日八月二日の晩。日も暮れ、蝉の鳴き声が蛙のざわめきに変わる頃、私は辰蔵の住まう家に向かった。懐には抜かりなく、煙草二箱を携えている。
その夜の夕食もまた、豪勢なものであった。
こちらに着いた日の酒席は、てっきり、私を持て成す為の酒肴かと思っていたのだが……どうやら家長である大志の食道楽こそ、毎夜の、贅をした夕餉の理由だったようだ。
そう言えば、膳に並ぶ料理を私が珍しがる度、大志は目を細めていた。自分の手配りした馳走が喜ばれ、彼なりに面目を施した気分であったのだろう。
普段、親類たちは各々屋敷で夕食をとる為、大志に感想を述べる者は居ない。
初音は、透ける様な白い肌、たおやかな黒髪の、傍らを飾るのには持って来いの佳人である。しかしながら、還暦を過ぎた粋人が蘊蓄を語って聞かせるには……手応えが足りない。その儚げな美しさ故、かえって座を湿らせるのであろう。まぁ、こう言う時に必要となるのは、やはり、男手。
その点で言えば私など、程良く若輩者で、格好の話し相手と言う訳だ。
使用人連中は、新参者への気遣いも含めてだろうが、
〈ここのところ大志の機嫌が良く、自分たちも助かっている。面倒だなどと思わず、どうぞ、自分たちの主の話し相手をしてやってくれ。〉
と、促し、励ましてくる。
初音もこの、私の予定外の務めに関しては、
〈お前のお陰で最近は、座を離れるのに気を揉まなくて済んでいる。それでなくとも、自分はああ言った場面が不得手。娘の為こんな田舎へ着てもらった上、父の酒の相手までしてもらって、感謝してもしきれない思いだ。〉
と、頻りに恐縮していた。
そんな会話の折、一度だけ、初音が呟いた事がある。
〈兄か、弟、どちらか一人でも戦争へ取られず、この村に残って居てくれたなら……。お前にも、娘の指導に専念してもらえるのだが……。〉
言い終えてすぐ、口に手を当て、彼女は私に謝罪した。今度の戦争では、誰もが多くの者を失っている。私だって何度となく、戦争さえなければと思ってきた。
戦争さえなければ、早くに親を亡くす事もなかったろうし……二十代前半と言う充実した時間を、無為に過ごさずとも済んだろう。
しかしながら、皆も、私も、彼女同様、それを声高にするのを良しとはしない。苦しんだのは自分だけではない。そして、未だ、誰もが苦しみから抜け出せずに居るのだ。
私にしてみれば、外地に残してきた戦友たちの事もある……。
そんな私が、誰かの代わりを果たせるとは思えない。だがそれでも、この地に赴いた以上は何かを、何かの役目を担える様、微力を尽くしたいと思っているのだ。心底から、強く。……まぁ、瑠璃子の教育係という役目は、出会い頭で転んだ訳だが……。
随分と話が脱線した。しかし昨晩も、丁度のこの辺り。こんな事を考えている間に、辰蔵の家の前へ着いたのだった。
〈ボロ屋だが、気が向いたら訪ねてくれ。〉
辰蔵はそう言って、屋敷からの道順を教えてくれた。
荘野の家屋敷に比べれば、小作人の住まいらしく、慎ましい家屋。それでも私の元居た部屋よりは、数段居心地が良さそうだ。この村を訪れてから初めて、ほっと、一息吐けた気がする。
もしかしたら辰蔵は、荘野の家での暮らしに私の息が詰まると見越し、助け舟を出していてくれたか。……今更ながらに、そう思えてくるのだ。
予想通りと言っていいだろう。辰蔵の家の敷居を跨ぐ成り、大歓迎を受けた。
持参した煙草が喜ばれた事に、まずは、一安心。そこからは将棋盤が、間を取り持ってくれる。
どうやら辰蔵、村で評判に成る程の将棋愛好家で、年中を『相手欲しや』で過ごしているらしい。……何の事はない。私を招いたのも、大部分は、『将棋を打てそうだ』と見越してのものだった訳だ。
ところで、自慢ではないのだが……。鼻水垂らした小憎の時分から、この手の陣取り遊びが、私は大の得意なのだ。失礼ながら、将棋を駒の取り合いと勘違いしている者に、遅れを取るはずもない。
そうした訳で昨晩は、ほどほどに負かし、大いに喜ばれたのである。結局、瑠璃子についての疑問は、切り出せず終いだったが……。
こうして日記をつける内、大分、日も傾いて来た。あと小一時間もすると、人形と差し向かいの、この状況から解放される。
〈手土産などいらない。是非、明日の夜も、出来るなら毎晩でも、将棋を打ちに来てくれ。〉
辰蔵からはそう勧められた。もしこれが本心であれば、藪から棒に、私が瑠璃子の事を尋ねるなら……あの人の好い夫婦を困惑させてしまうだろう。そして、肩の力を抜ける場所と、折角の遊び相手を、同時に失ってしまうかも知れない。だがしかし、明晩こそは問おう。この人形は、瑠璃子とは何者かを……。」
「八月四日――快晴。カンカン照りの日差しにも、青田瑞々しくそよぐ。
稲作農家の多いこの地域では、夏真っ盛りの今頃が、農閑期に当たるそうだ。
その為、一年の内に数度ある祭りでも、夏祭りが一番盛大なものと成る。朝食の後、縁側に腰かけ霙を食べつつ、初音が教えてくれた。
初音はあの細い身体で、パクパクと、よく頬張る。私が一杯食べ終える間に、彼女は、都合三杯のガラスの器を積み上げる。急いで食べるからだと言うのを、懲りずに何度となく額を抑えていた。
スカートから放り出した膝下をバタつかせ、頭を抱える姿を見るに……つくづく思った。
〈瑠璃子は腹の中の働きも弱いので、こんなに美味しくても、冷たいものは食べさせられない。そんなあの子を気の毒に思い、自分もこう言ったものを控えていた事があった。しかし、それがかえって、瑠璃子に肩身の狭い思いをさせていた様だ。それに気付いてからは私も、変な遠慮をしなくなった。それでもまだ、自分には割り切れて居ないところがある。『あの子の分まで』…。そうした考えが、ついつい、頭を過ってしまう。〉
流石に身体の芯が冷えたのだろう。青褪めた顔で四杯目の霙を食べながら、初音はそう言った。まったく、つくづく思う……。その一言さえ、その一言さえなければと……。
二晩続けてではと、少々気の進まない思いもあった。だが、そこは思い切って、辰蔵の言葉に甘える事にした。
辰蔵の家に着いてみれば、どうも私の来訪を予期して様で、水の張った木桶に大きな西瓜が冷やしてあった。改めて自分の厚かましさに恥じ入りながらも、喉を潤してくれる西瓜は、ありがたい。そして尚、ありがたい……お糸さんは一週間後に迫った夏祭りの準備で、公民館へ行っているそうだ。
瑠璃子の事を聞き出すこれ以上の機会は、おそらく、もう巡って来ない。その確信が私の背中を押した。
将棋盤を挟み向かい会う、私と辰蔵。二人とも、左手には豪快に切り分けられた西瓜、そして、右手で駒を動かしていく。
地力は私が上。勝負が進めば進む程、辰蔵の考慮時間は伸び、話など出来なくなっていく。つまり、瑠璃子に関して切り出すならば、序盤の内にでないと不味い。それが分かっていながら……。いざと成ると、あれやこれや思い惑って、いつしか物怖じしてしまう。
あげくの果てには、私の考慮時間が伸びていく始末。しかしながら……無論、宮本武蔵を気取る積りもないが……今度の勝負では、相手を待たせた時間が功を奏した。
私の胸に一物あり。そう見抜いてであろう。辰蔵の方から、こんな話を聞かせてくれた。
〈この稔郷村は、近在の者たちから、『人魚村』と呼ばれている。その所以は、彼の有名な八尾比丘尼がこの村で所帯を持って居たという伝説。そして、もう一つ。八尾比丘尼と、その夫との間に生まれた子供……。二人の間に幾人も生まれた子の、ほとんどは人の姿をしていた。しかし、稀に、二本の脚を持たず、その代わり魚の尾びれの付いている者……人魚が生まれた。〉
それは辰蔵にとっても、語るに忍びない話。この家を訪れた時の私がそうだった様に、喉を潤さんと欲して、西瓜に齧り付いていた。
私は余程、辰蔵の昔話を止め、瑠璃子について聞き出そうかと思った。だが、そんな時に限って……将棋盤の上に現れた、妙に冴えた辰蔵の一手が……私の軽挙を諌める。
こちらの考慮時間を使い、辰蔵が続けて話す。
〈生まれた人魚を、まさか村で育てる訳にもいかず……かと言って、殺す事も出来ず……。二人は結局、海へと通じている手取川に、異形と生まれ付いた我が子らを放したそうだ。〉
ここまで聞いて私は思った。ははん、さては日本神話がこの伝説の元だな。
伊耶那岐命、伊耶那美命の間にも、幾人もの子があった。そして、二人の最初に生んだ子を『蛭子神(ひるこがみ』と言う。
蛭子神も、異形に生まれ付いたその身体を忌み嫌われ、海へと流される事と成る。まず間違いなく、この神話が、当地に残る伝説を作ったものと思われる。しかし……。
何とはなしに、稔郷村の伝説には親の情の様なものを感じる。人魚に生まれ付いたのであれば、陸では暮らして行けまい。いずれは、離れ離れとなる宿命。それ故に、子らを川へ流した八尾比丘尼たちの行いは、伊耶那岐命と伊耶那美命が子を捨てたのとは違い、巣立ちを、子の独り立ちを連想させるのだ。
それに、辰蔵の続けて聞かせた話がまた、揮っていた。
〈人魚の子が川を下って行く。それに色めき立ったのは、稔郷村より下流にある揚郷村の村人たちであった。揚郷村は海に面した漁村。当然、そこに住まう漁師連中は、人魚の肉の効能を、人魚を食べれば不老長寿の命を得る事を知っている。人魚を手に入れたなら、食うもよし、自分で食わずとも、人に売れば良い金に成るだろう。しかも、絶対に網に掛からず、とても海では捕まらない人魚。それが追い込むまでもなく、こちらへ向かい川を下って来るのだ。腕を伸ばせば、手で掴み上げられそうな近くを……だが、そうは問屋が卸さない。〉
辰蔵が西瓜の汁に塗れた手で、膝を叩く。その拍子に私の頬へ汁がかかり、ついで、名調子にも拍車がかかった。
〈八尾比丘尼の夫だった男は、周囲の村々でも、並ぶ者のない程の分限者だった。その為、揚郷村の村人たちへ睨みを利かせ、川を下る人魚に手を出すのを固く禁じたそうだ。それが為に、揚郷村の村人たちは、手で取れそうな所を泳いで行く人魚を、指をくわえ見て居るしかなかった。そんな事が続く内、誰言うともなく、人魚の放される稔郷村を『人魚村』と呼び、人魚の流れて行く川を『手取川』と呼ぶように成った。皮肉と、羨望を込め。〉
面白い話だった。肩の力を抜き、将棋を指しつつ、そうして聞く話としては持ってこいのものだろう。しかしながら……。
いつしか、私たちの会話は、そして盤面の形勢も、膠着状態に陥っていたのかも知れない。
私も、辰蔵も、駒を動かす手を止め、人魚の話に熱中していた。
〈八尾比丘尼の夫は短命であった。夫亡き後、八尾比丘尼は村を去り、稔郷村で人魚が生まれる事もなくなった。それから月日がたち、分限者だった夫の家は二人の、子供の一人が後継ぎと成った。それが今の、荘野の家の前身である。〉
そこで辰蔵は話を結んだものと、私は思った。しかし、こちらを見てニヤリッと笑った顔。それを見て私は、話がまだ終わっては居ない……そう悟ったのだ。
〈都会で住んでいたお前には、自分のした話が迷信の類と聞こえたのであろう。だが自分たち稔郷村の者は、これを実際の出来事と受け入れて居る。そして村人は、今でも、その伝説を目の当たりにしている。〉
駒を掌の上で転がし淡々と話す。辰蔵のその様子に、私は『祭りの事か』と尋ねた。今度の農閑期の祭りが『人魚祭り』と言うのを、初音から聞かされ知って居た。もっとも、今朝それを聞いた時には、『人形祭り』と聞き違えていた為……どういう祭りかなどとは、問い返せなかったのだが……。
〈『人魚祭り』もその一つだ。だが、それよりも身近なものがある。〉
前置きの後、辰蔵はまた笑っていたと思う。
〈初音は、お前の目から見ても美しい方だろ。〉
少なからず気を抜いていた……いいや、正直に記そう…まさにその初音の顔を思い浮かべて居た私は、はっきり、たじろいでいたのだろう。辰蔵は満面の笑みで、二度頷いた。そして……話し始める。
〈初音の美しさこそが、稔郷村に残る人魚伝説の生きた証。その美しさと、神秘的な力が、稔郷村を裕福な土地にした。荘野の家は代々、美男美女の生まれる血筋。幾人もの荘野の娘たちが、加賀の殿様方の妾として嫁いでいった。その為、稔郷村は加賀藩より篤い庇護を受ける。遂には、自治領の様な形にまで成った。お陰で、稔郷村の村人たちは、年貢の負担が減り、戦に駆り出される人数も少なく済んだ。村人が荘野から受けた恩は、それだけではない。揚郷村、稔郷村は、長らく水害に悩まされていた。それはどうやら、両村を恨みに思う人魚たちの祟りであったそうだが……何故、恨まれたのか。それは今もって定かではない。しかし、その恨みの念も、荘野の一族が行った善行で消える。稔郷村で生まれた人魚は、八尾比丘尼の夫の号令によって捕らえられる事もなく、海まで辿り着いていた。それは海に住んでいる人魚たちの知るところと成り、彼らの心を鎮めていった。以来、両村が水害に悩まされる事は、一度としてなかった。この二つの大恩を知ればこそ、稔郷村の村人たちは、荘野の家の者に伏して仕えるのだ。ただ残念な事に、荘野の血筋はその儚げな美しさ故か、病弱な者が多い。〉
それから辰蔵は、こう続ける。
〈瑠璃子もそうだった。〉
その後、辰蔵は瑠璃子の事を話してくれた。しかし、それを瑠璃子の前で……この人形の前で記すのには、少し、気が引ける。続きは私室で、明日の朝にでも書くとしよう。
どうせ今夜は、早々に布団へ潜り込む以外、する事もないのだから……。」
「八月五日――雨。明け方より、そぼ降る小雨に蜩の鳴き声混じる。
昨晩はさっさと横に成ったものの、暑さの所為か寝付けず。ようやくうとうととし始めた頃には、空が白み始めていた。
結局は、それからも眠り切れず、こうして朝飯前に日記をつけている。こうなるのであれば、夜更かししてでも、昨日の続きを書いて置くのだった。そうしていれば、眠れないまでも、書き掛けの文章と一晩中取っ組み合いしないですんだろうに……まったく……。
お糸さんか、それとも、他の使用人か。朝食の支度が出来たと告げに来るまで、あと二時間程ある。この間に、瑠璃子に関して知り得た事を記す。
辰蔵の話しによれば、『瑠璃子』という名の少女は確かに存在した。それも間違いなく、初音の娘として……。
その娘がどうやら、戦中に亡くなったらしい。
私は瑠璃子の死の経緯を聞かなかったし、辰蔵も詳しい事は話さなかった。理由など掃いて捨てるほど考え付くし、考えたくもなかった。
瑠璃子は、初音が私に言った通り、病弱な娘であった。そんな娘を初音は舐める様に可愛がり、片時も離れず看病したそうだ。
しかし、献身的な世話の甲斐もなく、瑠璃子は息を引き取る。それと同時に……愛娘を失った初音は、精神の平衡を保つ事が出来なくなった。初音は、瑠璃子の遺骸を手放そうとせず、生前と同じ様に世話をし続けたそうだ。
荘野家には恩がある。そして、初音の人柄を知っている為、村人の中に彼女を悪く言う者は居なかった。だが、遺骸を葬る事なく傍に置いておくなど、いつまでも見過ごせる訳もない。無論、それは荘野の家人とて同じ事。
あの人形は大志が用意させた。……それ以外に考え様もなく、村人もそうなのだと信じて居る。大志があの精巧な人形と……本人の生き写しであるあの『瑠璃子』と、遺骸をすり替えたのだと……。
瑠璃子の死には本来なら、村を挙げて葬儀を営むところ。しかし、初音の手前もあり、村人はただ静かに喪に服し、夭折の儚くも美しい少女を見送った。それだから、村人の誰一人として、瑠璃子の埋葬された地を知る者はない。
辰蔵の話を聞くにつけ、得心するところが多かった。しかしながら、私は不思議と驚いてはいないのだ。
人形は人の心を慰める為、傍らに置かれる物。そして娘を失った初音には、それが必要だった。そこに何らの不自然さもないと、本心から思えたからなのだろう。
おそらく、村人たちの思いも、辰蔵の思いもそれと同じ。辰蔵がこの話を私に聞かせたのも、あるいは、私の不安を解消する為ばかりでなく、初音を蔑んでくれるなと、頼む様な気持ちだったのかも知れない。
一昨晩はもう一つ、もう一つだけ……瑠璃子の父親の事を……初音の夫である男の事を聞いて置きたかったのだが、折悪しくか、それとも折好くか、ここでお糸さんが帰ってきた。
だが、あのままで……。あのまま将棋に興じた事は、正しかったとも思える。瑠璃子の父親が生きているのなら、自ずと噂を耳にするであろう。
それよりも今は、考えなければいけない問題が別にある。
私は瑠璃子という少女が存在した事を知った。そして、あの人形が……人形の瑠璃子が、初音にとっては愛娘そのものである事も……。それを知った上で、私はここに居るべきなのだろうか。
荘野の家人、それに村人たちにとっては、初音の気が済むのであればと、食い扶持の一人分増えるだけで彼女の気が休まるのならと、その程度の腹積もりであろう。しかし、私は……。初音はどうだろうか。
私は初音の娘の教育係としてここへ来たのだ。まぁ、満足のいく指導が出来るとは、正直言って思えなかった。村に着き、瑠璃子と対面した後にも……外聞を憚り、不適格と知りつつ、身内の私を選ぶしかなかった……荘野の者たちの弱みにつけ込み、この家に居座った。
だが、そんな私の不誠実を、村人たちの腹の底を、初音は知らない。初音だけは、私が瑠璃子の指導に励んでおり、村の者たちもそんな私を受け入れて居るのだと、信じ切っている。
それを知ってなお、私は、私の心は、ここに居続ける事を良しとするのだろうか。……そんなはずある訳がない。あって良い訳がない。」
「八月六日――快晴。空は一点の雲も留めず、軒下の影黒々と涼を誘う。
昨日一日考え抜いて、結論を出した。六日後に催される人魚祭りまでは、このまま、何も言い出さぬ事にする。皆の楽しみしている祭りだ。水を掛ける様な真似はしたくない。
しかし、祭りの終わった後には……翌日の八月十三日には、東京へ帰る旨、伝えよう。
瑠璃子についての事情を知った上で、ずるずると、荘野の家に居座る訳にはいかない。皆、解かってくれるだろう。いいや、こんな事はいつまでも続かないと、解かっているはずだ。私が居ようと、居まいと……。
さて、こうと決めたからには私も、張り切って、初音のままごと遊びに付き合うとしよう。祭りまでの六日を、皆が恙無く過ごせる様にする。それが私に出来る、そして、私に求められている唯一の仕事なのだ。」
人形の瑠璃子が初音の為に果たしている役目を知り、そして、自分が稔郷村の村人たちの為に果たすべき役目を知った。それで吹っ切れた彼の日記には、後ろめたさが晴れ、気持ちの余裕まで表れ始める。
しかし、周りに目を向ける心のゆとりが生まれた事は必ずしも、彼と、彼が関わった者たちに幸福を運ぶとは限らない。
気が張って居る時には、往々にして、視野が狭くなるもの。それがかえって、余計なものから……見なくても良いものから、距離を置く助けになる場合もあるのだ。
彼自身にも知られぬ内、不穏な気配を捉える余地が、目の端に広がっていく……。