終わり、始まり。
世の中、絶対の尺度なんて無いと思うが、金は限りなく絶対に近い尺度だ。
洋服、家、食事、玩具に嗜好品、果ては人間関係――世の中、金で手に入らないものの方が少ないだろう。
ならその金を生み出すのは、何なのか。
俺――黒羽 理央は、ずばり“才能”だと思う。
才能のある人間がアイデアを生み出し、技術を生み出し、商法を生み出し、金を生み出す。それを利用し、活用し、適用し、上手く回すのも、才能のある人間だ。
何も金持ちが一番の幸せ者だと考えているわけじゃないが、それでもやっぱり金があれば幸せだ、という事実は覆らない。
金は絶対に限りなく近い尺度。
それすなわち、勝ち組、幸せ者の尺度にもなるのだ。
なら、その金を生み出す才能こそ、より絶対の尺度じゃなかろうか?
才能とは、一芸に秀でること。言い換えれば、個性とも言えるだろうか。
話は変わるが、俗に世の中、器用貧乏という言葉がある。意味としては、なまじ器用なために一事に徹することができず、大成しないこと……らしい。
まさに、俺のことだ。
なまじ器用……確かに、初めてのことでもそれなりに上手くこなせるさ。けど、それに秀でることは出来ない。有象無象よりは上手でも、達者な人間には到底かなわない。
一事に徹せられない。趣味は浅く広く、何かに精通することも、何かに熱心になることもない。……まあ、これは自分の性格のせいとも言えるか。
大成しない。ああ、全くその通り。俺が何かで成功したり、有名になったり、優れていたりするビジョンなんて全く浮かばない。一生を平社員で終えるか、惨めな日雇いで終えるか、それとも底辺職にでも就くだろうか。
どれにしたって、冗談じゃない。そんな人生、まっぴらだ。でも、俺に才能が無いことはもはや変えようのない事実。器用貧乏、まさしく俺そのもの。
普通に学校を卒業して、普通に就職して、普通に家庭を持ち、普通に老衰する。そんな普通の幸せを、俺はきっと謳歌できない。そんな平凡な人生は御免で、でも俺に非凡な人生を送るだけの才能は無くて。
だったら、〇〇しかない……?
そんなことを考えながら、俺は今日も退屈な高校生活の放課後を迎えた。
この後、とんでもない事態が起きるなんて、予想もせず。
♌ ♌ ♌
今日も一日、平凡だった。
まだ一日を振り返るには早い時間だったが、俺は早くもそんな事を考えていた。
時刻は……分からないけど夕方。六時間の退屈な時間を適当に過ごして、その後の放課後も近くのCDショップに寄ったりゲームセンターを覗いたりゲームショップに冷かしに行ったりしてダラダラと過ごしていた。
特に当て所もなく、代わり映えしないルートを巡って、夕方。
いつもと変わらない。カラスが鳴いたら帰りましょー、って事だ。空が赤くなり始めた頃、俺はやっと帰路につく。
意味はない。家に居ても暇だし、何となく家族とは顔を合わせたくないし、だったら寄り道した方がまだマシだ――と思ってから、はや二年ほど。中三の頃から何も変わらない放課後を過ごしていた俺は、
「あれ? ……おーい、リオー!」
と元気に俺の名前を呼ぶ声に、顔を曇らせた。
「……クレハ。珍しいな、この時間に」
「うん。今日は部活が早く終わったからねっ。リオは、いつもこの時間なの?」
鈴村 呉羽。明るい茶色の髪(地毛らしい)をショートにしたこの女子は、俺の幼馴染み……と呼べなくもない、程度のクラスメイトだ。
何でも、俺は覚えていないが保育園が一緒だったとかで、しかも俺の名字である黒羽と呉羽が何だか似てる! とか言う理由でやけに絡んでくる奴だ。確かに黒羽と書いてクレハとも読むけど、心底どうでもいい。
こいつ個人としては別に嫌いではないが……コイツを見てると、自分が惨めになってくるからなるべくなら会いたくない。
「リオ? ちょっと? 聞いてますかー?」
「え、ああ。聞いてない」
「ちょっと、素直すぎでしょ!」
あはははっ、と愉快そうに笑う呉羽は、何を考えて俺に話しかけてくるのだろうか。それとも、何も考えていないのか。コイツの場合、そっちの可能性の方が高い気がする。
どちらにしろ、さっさと会話を切り上げたい。どうやら家の方向が同じみたいだし、コイツなら「明日から一緒に登校しよう!」くらいの事なら言いかねない。そんな事になったら、俺の学校での立場が危うくなる。
鈴村 呉羽という人間には、恐ろしい事にファンクラブなる組織がバックにいるのだ。勿論、本人は知らないだろうけどな。
「じゃ、そういう事で」
なので、俺は早々にこの場を去ろうとした。触らぬ神に祟りなし、だ。
なのだが……
「ストーップ! ウェイト! 全然意味わかんないから!」
呉羽はなぜか俺を帰す気が無いらしい。ズサーッ、と土煙を立てながら目の前に立ちはだかってくる。
「なんだよ。俺に用でもあんのか?」
「え、いや……無いけど」
「んじゃ、サヨウナラ」
「だ、だ、だ、だから待ってってば!」
……本当に何なんだ。
面倒だが、このままではイタチごっこになりそうだったので、取り敢えず話を聞いてみる事にする。
「俺、別に理由は無いけど早く帰りたいから要件は手短にな」
「え、えーっとさ……んー……一緒に帰らない?」
なんだそりゃ。
そんな事なら全然――
「嫌だ」
ダメに決まってる。
「……即答は流石に傷つくよ?」
流石にド直球過ぎたか、呉羽は結構しょげていた。言い方がキツかったか? とも思ったけど、冷静に考えればコイツを気遣う理由が俺には無い事に気が付いた。なんだ、問題無いな。
取り敢えず、相手の要求は聞いてやったし、それに対して(拒絶という)返事も返した。これで万事解決、つつが無い。よし、帰ろう。
「あっれー? 呉羽じゃん。……と、黒羽?」
そう思っていた俺の耳に、新たな人物の声が飛び込んできた。飛び込み乗車はご容赦ください。本当に。
「あ、りっちゃん。外で会うのって珍しいねー」
りっちゃんさんとか言うらしい呉羽のご友人は、俺を見るなり首を傾げた。察するに、なんであんたが居るの? って心境だろう。
まあ、この女子もクラスメイトな訳だが、生憎と名前を忘れてしまった。人の名前を覚えるのが苦手なのだ。ってことで暫くはりっちゃんさんで通す事にする。
「黒羽って意外に肉食? 部活帰りの呉羽を待ち伏せて絡むとか」
おいおい冤罪だ。起訴するぞテメェ。
「違うよー。私から話しかけたの」
「え、そなの? なんか呉羽って黒羽のこと好きだよねぇ。なんで?」
「え、な、なんでって言われても……」
「……見た目?」
物凄く恐る恐るりっちゃんさんがそう言った。なぜそんなに躊躇う。というか、
「それは俺の顔が格好良いとか、そういう意味に取って構わないのか?」
「うー、えー? ビミョー……?」
微妙なら言うんじゃねぇよ。
……というか、悩む程度には俺の顔を整ってると思ってるのか、りっちゃんさんは。喜ぶべきなのか? ……でも、微妙らしいしな。
「あ、でもでも、リオは良いところあるんだよ? 優しいし、結構気遣ってくれるし」
優しい、ね。そんなの、褒めるところがない人間を無理に褒める時の定型句じゃないか。
フォローなのか口を挟んできた呉羽の言葉は、寧ろ俺に不快感を抱かさた。無理しなくても、俺に良いところなんて無いってのは、俺自身が一番わかってるっての。
「ふーん? ま、この話はいいや」
りっちゃんさんはそう言うと、至極どうでもいい世間話を呉羽とし始めた。駅前のケーキ屋が美味しいだとか、学校の近くに出来たアクセサリーショップがお洒落だとか。
俺、帰っていいかな。というか俺がここに残っている意味がない気がしてきた。うん、ねぇな。
「じゃあ、俺帰るから」
何度言ったか分からない帰宅宣言を呟いて去ろうとしたが、やはり、呉羽はそれで納得してくれなかった。
「あ、ちょっと待ってって! いいじゃない、一緒に帰るくらい」
一緒に帰る『くらい』、という表現が、何となくカチンときた。その『くらい』が、俺には苦痛なんだって事が、呉羽には理解できないらしい。当然だろうな、だって、お前は俺と違うから。
「俺みたいな非才人とお前みたいな才能人が一緒に帰るなんて畏れ多いのでー」
だから、ほんのちょっとだけ本音を交えてそう言ってやる。ただの冗談に聞こえるように。ふざけてこんな事を言っているんだと、思われるように。
そんな俺の思惑は、俺の予想もしない形で、俺にある決意をさせる事になった。
「ああ、才能と言えばさ。呉羽ってばまた絵画コンクールで金賞取ったんだって? 凄いじゃん!」
始まりは、りっちゃんさんのそんな台詞。
ズシン、と俺の心臓に痛みが走った。
「いやー、これも才能かな? なーんて……」
ズキリ、と頭が痛む。
これは、この痛みは妄想だ。空想だ、現実じゃない。才能のある人間を見た時に生じる、俺が俺自身を傷つける為に生み出す、嘘の痛み。
「本当は、ただ描きたいものを描いただけなんだけどねー。なんか、評価されちゃって……」
その、言葉に、頭痛が止まった。
――ああ、〇のう。
「それを才能って言うんでしょー? 結局自慢かよー」
自分でも驚くほど、簡単にそう決意していた。
「いや、本当にそんなんじゃないってば」
そう明るく笑う呉羽の顔が、俺は、とても〇〇〇かった。
「ほら、黒羽もなんかコメントしなって」
りっちゃんさんが、俺に話を振ってくる。俺の顔は今、たぶん無表情だった。
「おめでとう」
その顔で、自分でも分かるほど抑揚の少ない声で、おめでとうと言えた自分が一番驚きだった。そして、それが限界だった。
「それじゃ、俺、行くから」
「あっ……」
有無を言わせず、俺は自分の家とは逆方向に歩き出す。目指すのは……そうだな、学校の屋上でいいか。
「何あれ?」というりっちゃんさんの呟きと、「リオの家って逆だったと思うけど」という呉羽の囁きが、風に乗って聞こえてきた。
全て、今の俺にはどうでもいい事だった。
♌ ♌ ♌
空は東と西で、綺麗に色が分かれていた。東は濃紺、西は橙。今俺は、夕暮れと夜中の狭間に立っているみたいだった。
ビュオオォォ……と風が吹く。
いざ学校の屋上に着いてみると、そしてフェンスを超えてみると、膝が笑い出した。なのに、心はスッと冷えている。どっちが本音なのか、俺自身にも把握出来ていない。
だけど、結果は多分変わらない。びっくりするほど強気で、躊躇いがなかった。今の俺は、簡単にこの一歩を踏み出せるはずだ。
そう――簡単に〇ねるはず。
「……俺は……」
何を言おうとしたのか、俺の喉は引っ付いていて、それ以上声は出なかった。最期の言葉でも発したかったんだろうか? どっちにしろ、もう、どうでもいいんだ。
どうでもいい。
――『ほ……う……に?』
「…………?」
不意に、どこからか声が聞こえた気がした。男のような女のような、よく分からない声。そんなはずはない。見回してみても、どこにも誰も見当たらない。
幻聴、か?
――『本当に?』
「――ッ、誰だよっ!?」
今度ははっきり聞こえた。本当に? その声はそう言っていた。どういう意味だ……。
――『本当にそれで、満足?』
謎の声は問い掛けてくる。満足か? 満ち足りるか? 未練はないか……?
ふざけるな。
満足か? 満足かだって? 誰だか知らないけど、そんなの、答えは決まってるだろ。
「……満足なわけ、ねぇーだろ……ッ」
それでも、俺には選択肢なんてないんだ……。誰よりも、何よりも、俺自身が俺の可能性を否定してる。
俺自身が、俺の死を、望んでるんだ……!
だから、俺は躊躇わずに足を踏み出した。足場を失って体を支えきれなくなって、俺の体が、前に倒れていって――――
『その才能、失うには惜しいな』
視界が、なぜだか白んで、ボヤけて。
意識が、途切れた。
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