プロローグ
VRMMOから異世界へのトリップ物です。
誤字・脱字、ありましたら是非ご報告ください。
――目が覚めたら、そこは見覚えの無い場所だった。
老朽化し今にも腐り落ちそうに見える木製の床と壁。
薄闇を作り出している天蓋のように掛かっている布は酷く汚れ、ところどころが破れてしまっている。
更にはこの狭い空間の中に7人ほど人が居るようでえらく息苦しい。
俺はその隅のほうで膝に顔をうずめて眠っていたようだ。
――――ガタンッ!
衝撃により、未だに半分眠っていた頭が覚醒する。
……何処だ、此処は?
もう一度周囲を見渡して確認するが、状況は変わらない。
が、分かった事が一つ。ここは部屋では無く何かの乗り物のようだ。先ほどから何処かへと動き続けているのか振動が伝わってくる。
俺は困惑する心を抑えつけてとりあえず記憶を辿ることにした。
眠る前は確か……いつもやっているVRMMORPG『ヴィラージュ・オンライン』をやっていた。
先月、サーバー内で初のEXジョブに転職したためやる事が多く、つい徹夜を続けてしまい――そう、恐らく寝落ちしてしまったのだ。
その後は覚えていない。寝落ちを感知したシステムが強制的にログアウトを実行させたはずだが……目の前に広がる光景はどう考えても俺の部屋ではない。
何度か手で目をこすっていると、おかしなことに気がついた。
……誰の手だ、これは。
まるで病気でも患っているかのように白く、まるでモデルのような繊細な指。
何度か訝しげに眺め、紅く染まった爪を見て俺は思い出した。
……あぁなんだ。『レキア』か。
『レキア』とは俺がゲーム内で使用しているプレイヤーネームだ。
見た目は白髪赤目の中性的な青年といったところか。
転職と同時に容姿も大幅に変更したため気付くのが遅れてしまった。
ってことはまだログインしたままということか?
強制ログアウトが実行されなかったのだろうか。
特に支障があるわけではないが、後でバグ報告をしておこう。
しかし、なんでこんな訳の分からん場所に居たんだ?
寝落ちする前は工房で作業をしてたはずなんだが……。
まぁ、いいか。とりあえずログアウトして飯でも食おう。
俺は目の前の何も無い空間を軽快に2回ノックしてコンソールを呼び出す。
ぐるりと青白い光が円を形作り、その周囲に4つのアイコンが灯る。
『スキル』『ステータス』『インベントリ』『装備』の4つ。
コンソールを操作する指が行き場を失い、やがて凍り付く。
……無い。
一瞬、自分の目を疑った。
見落としたのかと思いアイコンを見直すが肝心の物――5つ目のアイコン『システム』が無い。
システムからログアウトを選択して接続を切らなければ、現実世界で何かしら弊害が発生する可能性が出てくる。
いや、待て、違う。何かがおかしい。何かを見落としている。
――なんだ、この異臭は。
まるで人が何ヶ月も風呂に入らなかったかのような酷い悪臭に思わず顔をしかめる。
何故、気がつかなかった。
現在、一般的に普及しているVRゲームは五感全てに対応していない。
再現されているのは視覚、触覚、聴覚の3つだけ。
しかし、切り捨てられた味覚、嗅覚、痛覚のせいでリアリティが失われることは無い。
人は、物事を知覚するときの大半を視覚に依存している。
これを利用することで本来あるはずの無い物を頭の中で想像させるのだ。
あるいは味を、あるいは匂いを、あるいは痛みを。
さらに切り捨てによってデータ量に余裕を作り、快適なプレイや迫力のあるクオリティを実現しているのが現在のVRゲームの主流となっていた。
だが……この臭い――鼻を突く悪臭はあまりにリアリティがありすぎる。
まるで、ここが現実のような錯覚に俺は惑わされていた。
そんな中、この劣悪な環境の乗り物が止まる。
馬の嘶きが聞こえる――どうやらこれは馬車だったらしい。
ガチャガチャと金属同士がぶつかる耳障りな音が幾つも鳴り響いた後、後方のボロ布が勢い良く開かれ日の光が薄暗い馬車の中を照らす。
「着いたぞ。一人ずつ降りろ!」
男の声に従い、同乗していた7人が立ち上がり列をなして降りていく。
ボロ布の隙間から覗くと、一人一人の名前をリストと照らし合わせているようだ。
何が起こっているのだろうと思案していると7人目が降りたので思わず慌てて後に続く。
日の光に目を眩ませながら降りると目の前に広がったのは巨大な都市。
ゲーム内に存在するあらゆる都市よりも大きく、その存在を誇示している。
こんな場所、俺は知らない。
「……ん? おい、何を呆けている。さっさと来い!」
鎧で武装した男に腕を掴まれ無理やりに歩かされる。
足元が覚束無い。一体何が起こっているんだ?
……分からない。
俺はリストを持った男の目の前に立たされる。
周りには同じような格好の男達が剣や槍を携えている。
「8人目……? おいお前、名は?」
「……レキア」
この姿で本名を名乗る気は無いので迷う事無くプレイヤーネームを名乗る。
男はふむ、と小さく思案すると何処からか黒いブレスレットを取り出しおもむろに俺の右手首に嵌めた――その瞬間。
「っぐぁ―――――!?」
激痛、激痛、激痛。
耐え難い激痛が右腕を中心に全身を襲う。
まるで何本ものナイフを突き立てられているかのような、全身の至る所に焼きごてを当てられているような、血管という血管に毒を流し込まれているような……。
こんな痛みは知らない。
想像したことがある。
片腕を吹き飛ばされた時、全身を業火で炙られた時、罠にかかり毒を全身に浴びた時。
あぁ、これがリアルだったらどれだけ痛いのだろうか。
そんな生温い妄想など軽く超越されてしまった。
俺は知ってしまった。本当の痛みを、此処はリアルじゃないのにも関わらず!
男達の声が聞こえてくる。
「おいおい、どうしたんだ?」
「何の事は無いさ。リストの記入漏れだ。腕輪も嵌められてないみたいだったからたった今嵌めてやったところだ。……ったく、これだからお役所仕事はよぉ」
「ははは、実は何の変哲もない一般人だったりしてな」
「アホ。ただの一般人が罪人と一緒に護送車に乗ってるわけ無いだろうが」
「それもそうだな。さて、これで無事終了だな……」
膝が崩れ落ちる。
体を壊れたマリオネットのように地面に投げ出し、必至に痛みに耐える。ただ、ひたすらに待つ。
口の中が切れたのか、血の味が滲む。
知ってる――これは、現実の、味。
俺はこの日、異世界へと迷い込んだ。