雨女の「陰気令嬢」と疎まれてきましたが、砂漠の国では国宝だったようです ~国王陛下は十年前の雨の日から、私を探していたそうです~
雨の音で目を覚ます朝は、もう数えきれない。
けれど今朝は、窓の外がよく晴れていた。私がまだ一歩も外に出ていないからだ。
私、エステル・ロウレインは、屋外に出ると必ず雨が降る。
生まれつきの体質だった。玄関を一歩出れば、さっきまで晴れていた空がにわかに曇り、ぽつりと落ちてくる。庭を散歩すれば小雨。馬車で出かければ本降り。気分も天気も関係なく、私が空の下にいるかぎり、雨は必ずついてくる。
「お姉様、今日だけは絶対に部屋から出ないでちょうだいね」
妹のカトリーヌが、扉の隙間から念を押した。淡い金の髪に、陽射しのような黄色のドレス。今日は妹の婚約を祝う園遊会だ。
「ええ、分かっているわ」
「本当に? この前みたいに、窓から顔を出すのもやめてね。あれでも降ったんだから」
それは私のせいではなく、本当にただの通り雨だったと思う。けれど、言っても信じてはもらえない。
「……気をつけるわ」
扉が閉まり、外から鍵のかかる音がした。
(鍵まで、かけなくてもいいのに)
心の中でだけ、小さくつぶやく。
社交界で、私は「陰気令嬢」と呼ばれている。灰色のドレスを着て、黒い傘を差して、いつも雨を連れている娘。茶会に呼べば庭が水浸しになり、狩りに誘えば獲物が巣穴にこもる。最初のうちは物珍しがってくれた人たちも、いつのまにか私を招かなくなった。
父は私を屋敷の奥に置き、来客があるときは表に出さない。それがこの家の「普通」になってから、もう何年も経つ。
(仕方がないわ。せっかくの晴れの日を、私が台無しにするわけにはいかないもの)
窓辺の椅子に座り、膝の上で刺繍の続きをする。図案は雨粒。子どもの頃から、私はなぜかこの模様ばかり刺している。
理由は自分でも分かっていた。
七歳の誕生日、庭で開かれるはずだった祝宴は、私が外に出た途端の大雨で中止になった。招待客は濡れた裾に眉をひそめて帰っていき、母が亡くなってからは私の誕生日を祝う人もいなくなった。
あの日、木陰で泣いていた私のところに、見知らぬ男の子がやってきた。
日に焼けた肌に、旅のための粗末な外套。彼は雨の中に飛び出していって、両手を広げて笑った。
「すごい……! 空から、こんなにたくさん水が落ちてくるなんて!」
びしょ濡れになって振り向いた彼は、私に言ったのだ。
「雨は、僕の国では神様の贈り物なんだ」
私は持っていたハンカチを彼に渡した。雨粒の刺繍をした、初めて自分で仕上げたハンカチだった。彼はそれで顔を拭いて、大事そうに懐へしまった。
名前は聞きそびれた。たぶん、どこかの客人の従者の子だったのだろう。
あれから十年。あの子が言ってくれた一言だけを、私はずっと胸の奥にしまっている。
(贈り物、なんて。この国では誰もそうは思ってくれないけれど)
針を進めていると、庭のほうから歓声が上がった。
「ザハリア国王陛下のご到着です!」
思わず手を止める。
ザハリア。南の大砂漠にある王国だ。少し前に若い王が即位したと聞いている。妹の婚約祝いに、そんな遠い国の王が来るなんて。
窓の端から、そっと庭を見下ろした。
白い天幕の下、色とりどりのドレスの中に、ひときわ目を引く人がいた。褐色の肌に、白と金の衣。黒髪を風になびかせた背の高い青年が、父と挨拶を交わしている。
「ようこそおいでくださいました、陛下。こちらが娘のカトリーヌでございます」
父が妹を前に押し出す。カトリーヌはとびきりの笑顔で淑女の礼をした。
けれど王は、妹にはほとんど目を向けなかった。
「伯爵。ひとつ、お尋ねしたい」
低く、よく通る声だった。
「この家には、雨を連れてくる令嬢がいると聞きました。その方はどちらに?」
庭がしんと静まり返る。
(え……?)
私のことだ。この国で「雨を連れてくる令嬢」といえば、私しかいない。
「あ、ああ、あれは……長女のエステルは体が弱く、人前に出られる状態では……」
「そうですか」
王は空を見上げた。雲ひとつない青空だった。
その横顔を見た瞬間、胸がどくんと鳴った。
見覚えがある気がした。けれど、まさか。あの子は粗末な外套を着た従者の子で、この人は一国の王なのだから。
「エステル様」
扉の外から、小さな声がした。古くから仕えてくれている侍女のマーサだ。かちりと鍵が回る。
「旦那様には内緒ですよ。裏の勝手口なら、庭からは見えませんから」
「マーサ、でも……」
「あの方、エステル様をお探しなんでしょう? それに、ずっと外の空気を吸っていらっしゃらないじゃありませんか」
マーサはそれ以上何も言わずに、私の背中をそっと押した。
気づけば、裏階段を降りていた。
(遠くから、もう一度だけ顔を見るだけ。すぐに戻ればいいわ)
勝手口を開けて、裏庭の石畳に一歩踏み出す。
ぽつり。
頬に冷たいものが落ちた。
見上げると、さっきまでの青空に、みるみる灰色の雲が広がっていく。
(いけない、戻らなきゃ……!)
慌てて振り返った背後で、表の庭から悲鳴が上がった。
「雨よ!」
「どうして、こんなに晴れていたのに!」
ざあっと音を立てて降り出した雨の中、招待客たちが天幕へ逃げ込んでいく。私は勝手口の扉に手をかけたまま、その場で立ちすくんだ。
その時。
逃げていく人の流れに逆らって、まっすぐこちらへ歩いてくる人がいた。
白と金の衣が、雨に濡れて色を変えていく。それでもその人は傘も差さず、足を速めもせず、ただ私だけを見て近づいてくる。
金色の瞳だった。
「……見つけました」
ザハリアの王は、私の前で立ち止まった。濡れた黒髪から雫が落ちる。
「あ、あの、申し訳ございません! すぐに中へ戻りますので、雨もすぐに……」
「戻らないでください」
そっと、手を取られた。
「エステル・ロウレイン嬢。どうか、私の国に来ていただけませんか」
話は、驚くほど早く進んだ。
「娘の体質がザハリアのお役に立つのでしたら、喜んで」
応接間で、父はもみ手をせんばかりの笑顔だった。ザハリアからは、この家が数年は遊んで暮らせるほどの支度金が差し出されたらしい。
「よかったじゃない、お姉様。砂漠の国なら、どれだけ雨を降らせても文句を言われないわ」
カトリーヌは扇で口元を隠して笑った。
「それにしても、雨を降らせるための令嬢だなんて。まるで水がめね」
水がめ。
その言葉が胸に引っかかったまま、抜けなかった。
(そうよね。陛下が欲しいのは、私の雨なのだわ)
ザハリアはここ数年、ひどい干ばつに苦しんでいると聞いた。国を背負う王が、雨を降らせる娘の噂を聞きつけて迎えに来た。それだけのことだ。
あの子に似ている気がしたのも、きっと私の願望にすぎない。
それでも構わない、と思った。
この家で、扉に鍵をかけられて暮らすよりはずっといい。誰かの役に立てるなら、それだけで十分すぎる。
十日後、私は灰色のドレスと黒い傘だけを持って、ザハリアへ向かう船に乗った。
港から砂漠を渡る旅のあいだ、私はずっと馬車の中にいた。外に出れば、慣れない砂の道がぬかるんでしまう。陛下は「好きにしていい」と言ってくださったけれど、迷惑をかけるわけにはいかない。
そして、王都に着いた日。
「エステル様、どうぞお降りください」
馬車の扉が開いた。
目の前に広がっていたのは、白い石造りの街並みと、乾ききった空。それから、通りを埋め尽くす人々だった。
(え……?)
何百、何千という人が、王宮へ続く大通りの両脇に並んでいる。みんな、じっと空を見上げていた。
「大丈夫です」
先に降りた陛下が、私に手を差し伸べた。
「皆、あなたを待っていたのです」
おそるおそる、その手を取る。
石畳に、靴の先がついた。
ぽつり。
乾いた石に、黒い染みがひとつ落ちた。ぽつり、ぽつりと、それが広がっていく。
次の瞬間、大通りが揺れるほどの歓声が上がった。
「雨だ!」
「雨だぞ! 本当に降った!」
子どもたちが駆け出してくる。大人たちが両手を空に向ける。老人が膝をついて、濡れた石畳に額を押し当てていた。誰かが太鼓を叩き始め、誰かが歌い出し、雨の中で人々が踊り出す。
私は傘を開くことも忘れて、その光景を見つめていた。
(雨で……喜んでいる)
祖国では、私が外に出るたびにため息が聞こえた。眉をひそめられ、窓を閉められ、扉に鍵をかけられた。
この国では、同じ雨に、こんなにも多くの人が笑っている。
「……っ」
目の奥が熱くなる。顔が濡れているのが雨のせいなのか、自分でもよく分からなかった。
「ようこそ、ザハリアへ」
隣で、陛下が静かに言った。
「あなたは、この国の宝です」
王宮での暮らしは、拍子抜けするほど穏やかだった。
与えられたのは、中庭に面した広い部屋。侍女たちは親切で、食事は香辛料が効いていて美味しい。灰色のドレスしか持っていなかった私のために、空色や若草色の衣がいくつも仕立てられた。
けれど、ひとつだけ分からないことがあった。
「陛下。今日は、どちらへ出ればよろしいでしょうか」
毎朝、私は陛下に尋ねる。
畑でも、貯水池でも、枯れかけたオアシスでもいい。私の役目は雨を降らせることなのだから、必要な場所へ出向くつもりでいた。
けれど陛下の答えは、いつも同じだった。
「どこへも。外へ出るのは、あなたが出たいと思った時だけでいい」
「ですが、それでは私がここにいる意味が……」
「意味なら、あります」
陛下はそれ以上言わず、困ったように微笑むだけだった。
(どういうことなのかしら)
王宮の回廊を歩いていると、重臣たちのひそひそ話が耳に入ってくる。
「陛下も慎重なことだ。雨の令嬢には機嫌よくいてもらわねば困るからな」
「国益のための婚姻とはいえ、ずいぶんと大切になさる」
やっぱり、と思った。
陛下が優しいのは、私に気持ちよくこの国にいてもらうため。雨を降らせる力を、損なわないため。
(それでいいのよ。分かっていたことだもの)
そう言い聞かせるのに、胸の奥がちくりと痛んだ。
ある日の午後、陛下が部屋を訪ねてきた。手には細長い包みを持っている。
「これを、あなたに」
開けてみると、繊細なレースの縁取りがついた白い日傘だった。持ち手には、小さな雨粒の彫刻がある。
「日傘……ですか?」
「ええ。この国の陽射しは強いので」
私は思わず笑ってしまった。
「陛下、私が外に出れば、必ず雨が降りますわ。日傘はいりません」
「分かっています」
陛下は、まっすぐに私を見た。
「それでも、あなたにはもう、雨から身を隠すための傘を持っていてほしくなかった。ここでは、陽射しから守るための傘を持てばいい」
黒い傘のことを言っているのだと、すぐに分かった。
祖国で、私はいつも黒い傘を差していた。雨を防ぐためではなかった。人の目から、自分を隠すためだった。
陛下は、それを知っているのだろうか。
(……どうして、この方は)
国益のためなら、そこまで気づく必要はないはずなのに。
日傘を胸に抱えたまま、私は何も言えなかった。
ラシード・アル=ザハルは、十年間、一枚のハンカチを持ち歩いてきた。
雨粒の刺繍がされた、小さなハンカチだ。端はほつれ、色はすっかり褪せている。それでも、手放そうと思ったことは一度もない。
十二歳の時、俺は父王の使節団に紛れて北の国へ渡った。王子だと知られると面倒だからと、従者の子の外套を着せられて。
そこで生まれて初めて、空から降る大量の水を見た。
砂漠の国では、雨は数年に一度の奇跡だ。降れば祭りになり、子どもが生まれれば「雨の子」と名づけられる。その奇跡が、目の前で惜しげもなく降り注いでいた。
夢中で雨の中へ飛び出して、ふと気づいた。木陰で、小さな女の子が泣いていた。
「わたしが外に出ると、雨がふるの。だから、みんなわたしのこときらいなの」
泣きじゃくりながら、彼女はそう言った。
信じられなかった。この奇跡を連れてくる子が、嫌われているなんて。
だから言ったのだ。雨は僕の国では神様の贈り物なんだ、と。
彼女は泣き止んで、俺にハンカチをくれた。濡れた顔を拭けるように。自分のほうがずっと濡れていたのに。
あの日から、俺の世界の真ん中には、ずっとあの子がいる。
(迎えに行く理由が、欲しかった)
即位してすぐ、俺は北の国へ使いを出した。雨を連れてくる令嬢は今も生きているか。どうしているか。
返ってきた報告に、奥歯が軋んだ。
陰気令嬢。家の恥。来客の日は部屋に閉じ込められている。
あの子は十年間、ずっと「贈り物」ではなく「厄介者」として扱われてきたのだ。
すぐにでも連れ出したかった。けれど一国の王が、ろくに言葉も交わしたことのない異国の令嬢を妃に迎えると言えば、重臣たちは首を縦に振らない。
だから「国益」を掲げた。干ばつに苦しむ国のために、雨の令嬢を迎える、と。
それは嘘ではない。けれど、本当の理由でもない。
たとえ彼女の雨が一滴も降らなくなったとしても、俺は同じことをしただろう。
(だから、雨を頼むわけにはいかない)
あの家で、彼女はずっと「雨」としてしか見られてこなかった。降らせるな、出てくるなと言われ続けてきた。
ここでまで「降らせてくれ」と言ってしまえば、同じことだ。理由が逆になっただけで、彼女を雨としてしか見ていないことに変わりはない。
毎朝「どちらへ出ればよろしいでしょうか」と尋ねてくる彼女を見るたびに、胸が痛んだ。あの子は今も、役に立たなければここにいてはいけないと思っている。
ハンカチを、まだ見せていない。
十年前のことを打ち明ければ、彼女はきっと恩を感じるだろう。そして恩返しのために、また自分を差し出そうとする。
それでは意味がない。
彼女が自分の意思で、ここにいたいと思ってくれるまで。
俺は、いくらでも待つつもりだった。
ザハリアに来て、ひと月が経った。
その日の夕暮れ、私は中庭の回廊で、ひとりの少女に声をかけられた。侍女見習いの、まだ十歳くらいの子だ。
「エステル様。あたしの名前、ミーナっていうんです。ザハリアの言葉で『雨の雫』って意味なんですよ」
「まあ、素敵な名前ね」
「えへへ。あたしが生まれた年、何年かぶりに雨が降ったんです。だから雨の子なんです」
ミーナは嬉しそうに笑って、それから声をひそめた。
「あのね、陛下には内緒ですよ。陛下、小さい頃に北の国で、雨を降らせる女の子に会ったことがあるんですって」
心臓が、止まりそうになった。
「侍従長様が言ってました。陛下はそれからずっと、その子のことを話してたって。王様になってすぐ、北の国に人を送ったのも、その子を探すためだったって」
「……その、女の子のこと」
声が震える。
「陛下は、なんて……?」
「えっと、たしか」
ミーナは首をかしげて、思い出すように言った。
「『僕の国の、神様の贈り物みたいな子』って」
気づいた時には、走り出していた。
回廊を抜けて、王宮の門をくぐる。衛兵たちが驚いて道を開けた。日傘も持たずに、私は砂の上を走った。
背後で、空が曇っていくのが分かる。
構わなかった。
誰かに言われたからでも、役に立つためでもない。
(会いたい)
あの日の男の子に。雨の中で笑ってくれた、あの人に。
王宮の外れ、街を見下ろす砂丘の上に、陛下はいた。毎日夕暮れになると、ここで国を眺めているのだと侍女たちが話していた。
「エステル……?」
振り向いた陛下が、目を見開く。
ぽつり、と雨が落ちてきた。
「陛下」
息を切らしたまま、私はその前に立った。
「十年前、私の誕生日に……雨の中で、笑っていた男の子がいました」
陛下の表情が、ゆっくりと変わる。
「その子は、雨は神様の贈り物だと言ってくれました。私はその言葉だけを支えに、ずっと……」
言葉が続かない。雨脚が強くなっていく。
陛下は何も言わずに、懐から何かを取り出した。
色褪せた、小さなハンカチ。
ほつれた端に、私が七歳の時に刺した、下手くそな雨粒の刺繍があった。
「……あ」
「ずっと、返せずにいました」
陛下の声が、かすかに震えていた。
「あの日から、俺はあなたのことしか考えていなかった。国益というのは、重臣たちを黙らせるための建前です。たとえあなたの雨が二度と降らなくなっても、俺はあなたを迎えに行った」
「でも……どうして、黙って……」
「打ち明ければ、あなたは恩を返そうとするでしょう。俺のために、また自分を差し出そうとする」
図星だった。きっとそうしていた。
「俺は、あなたに役に立ってほしいわけじゃない。ここにいたいと、思ってほしかった」
陛下は、濡れた手で私の頬に触れた。
「エステル。あなたが自分から外へ出てきてくれたのは、今日が初めてです」
その時になって、ようやく気づいた。
そうだ。私は今、誰にも言われずに、自分の足でここまで来た。
雨を降らせるためではなく、この人に会うために。
「……陛下」
「ラシードと」
「ラシード、様」
名前を呼んだだけで、胸がいっぱいになる。
「私、ここにいたいです。雨のためじゃなく……あなたの、そばに」
次の瞬間、強く抱きしめられていた。
雨の中で、ラシード様は少しだけ笑った。十年前と同じ、びしょ濡れの笑顔だった。
「エステル・ロウレイン。俺の妃になってください」
「……はい」
その夜、雨は街じゅうに静かに降り続けた。
そして翌朝。
王宮のバルコニーに出た私は、言葉を失った。
見渡すかぎりの砂漠が、花で埋め尽くされていた。
白、黄、薄紅、紫。砂の中で何年も眠っていた種が、一夜の雨で一斉に目を覚ましたのだ。地平線まで、色とりどりの花が揺れている。
「砂漠の花は、雨を待っているんです」
隣に立ったラシード様が言った。
「十年でも、二十年でも。たった一度の雨のために、ずっと」
その横顔を見上げて、私は笑った。
「……あなたみたいですね」
「ええ。俺も、ずっと待っていましたから」
祖国から手紙が届いたのは、婚礼の準備が始まった頃だった。
差出人は父だった。
私がいなくなってから、国にはまったく雨が降らなくなったらしい。麦は実らず、川は細り、領地の収入は半分以下に落ちたという。カトリーヌの婚約者の家も不作に苦しみ、結婚の話は立ち消えになりかけているそうだ。
『お前がいないと、この国は干上がってしまう。家族なのだから、戻ってくるのが当然だろう』
手紙の最後には、そう書かれていた。
私は少し考えてから、ペンを取った。
『お父様、カトリーヌ。
私はこちらで元気に暮らしております。
晴れの日のお祝いを、もう私が台無しにすることはございません。どうか、晴れの日のよく似合う方々だけで、お健やかにお過ごしください。
エステル』
封をして、侍女に預ける。
窓の外では、ミーナたち子どもが中庭を駆け回っていた。私が外に出るのを、今か今かと待っているのだ。
「エステル」
扉のところで、ラシード様が手を差し伸べていた。
「少し、散歩をしませんか」
「はい」
白い日傘を手に取る。今日も、きっと開くことはないけれど。
中庭へ一歩踏み出すと、空から、やわらかな雨が降り始めた。
子どもたちの歓声が上がる。ラシード様が、雨の中で私の手を握る。
もう、黒い傘はいらない。
この国では、私の雨は贈り物なのだから。
(完)




