第三話
面談の翌日、リンネは勇者一行への同行を求められた。
それは想定外だったが、断る理由もなかった。
カウンセリングは継続的な観察が重要だ。
行動の文脈を知ることで、面談室での発言の理解が深まる。
同行は、むしろ有益な機会だと判断した。
リンネが懸念していたのは、長旅による体力の消耗だった。
だが、実際には、それよりずっと別のことを考えることになった。
◇
最初の戦闘が起きたのは、魔王城への街道に入って半日のことだった。
魔物の群れが街道を塞いだ。
十数体、リンネの目には区別のつかない生き物たちが唸り声を上げながら迫ってきた。リンネは馬車の中に留まるよう指示された。
しかし窓越しに、すべてが見えた。
勇者が真っ先に飛び出した。
剣を抜く動作が驚くほど速く、最初の魔物が倒れるより先に次の標的へと体が動いていた。
奇妙だったのは、声だった。
戦闘が始まった瞬間から、勇者の笑い声が絶えず聞こえてきた。
三体目を仕留めたとき、リンネは初めて勇者の顔をはっきりと見た。
口が開いていた。
意図して開けているのではなく、制御を手放したように、だらりと。
顎の端から一筋、光るものが垂れて、顎の先で揺れていた。
目は見開かれ、焦点が魔物の体のある一点に釘付けになっていた。
最後の一体が地面に倒れたとき、勇者はすぐに動きを止めなかった。
倒れた魔物の傍らにしゃがみ込み、それからゆっくりと、深く息を吸った。肺の底まで満たすように、何度も。
「……もっと、もっとだ…」
戦闘が終わっても、勇者は血走った目で何度も何度もすでに事切れた魔物に剣を振り下ろしていた。
◇
別の日。
戦士が太ももに矢を受けた。
聖女が手をかざして回復魔法を唱える。
傷が塞がっていく様子を、リンネは馬車から観察した。
回復魔法とはあのように作用するのか、とリンネは思った。光が収束して、皮膚が閉じていく。見事な技術だ。
気になったのは聖女の方だった。
魔法が完成した瞬間、聖女の体がわずかに折れた。
膝ではなく、腰から、まるで何か重いものが背中に乗ったように。
次の瞬間、聖女が嘔吐する。
何度も何度も。身体を震わせ、綺麗な顔を顔中を涙と鼻水で汚しながら。
しかし、一通り吐き終わると、聖女の表情が変わっていた。
苦痛の表情ではなかった。
苦痛の中に何か別のものが混ざっていた。頬が紅潮し、息が荒い。太ももがきゅっと閉じられている。
そして聖女は自分の手のひらを見て、それから戦士の塞がった傷跡を見て、また自分の手のひらを見た。
「……足りません…」
小さく、しかし確かに聞こえた。
「聖女様?」
「何でもありません」
聖女はすぐに立ち上がって、何事もなかったように歩き始めた。
◇
さらに別の日。
少し離れたところで、賢者がリンネに歩み寄ってきた。
「カウンセラー」
「はい」
「一つ提案があるんだが」
賢者は街道の先を見ていた。そこには小さな街の輪郭が夕暮れの中に浮かんでいた。
「この先を通ると迂回になる。時間がかかる」
「ええ」
「ここで範囲制圧魔法を使えば、この街ごと処理できる。通過が楽になる」
賢者は懐からノートを取り出して、さらさらと何かを書き込み始めた。
「対象の密度と面積から逆算すると、魔力消費は推定で六十三。誤差は±二程度。街一つにしては費用対効果が高い」
リンネはしばらく考えた。
「その街には、人が住んでいますよね」
「住んでいる」
賢者はノートから目を上げた。
「だから計算の対象に入れている」
「人を、計算の対象に」
「もちろん。面積あたりの密度は大きい方が、消費魔力あたりの処理効率が上がる。今回は密集度が中程度だから、効率は標準値だ」
賢者はノートに数字を書き足した。
「問題は、パーティの皆が承認しないことだ。感情的な理由で」
「……感情的な理由というのは」
「人間だから殺してはいけないというやつだ」
賢者は不思議そうな顔をした。本当に不思議そうだった。
賢者は再びノートに視線を落とした。
「Plan Cはこの街への応用も想定している。スケールの確認に丁度いい」
リンネはそこで初めて気がついた。
賢者がノートに書き込んでいたのは、今この瞬間の計算だった。
計画の更新ではなく、目の前の街への実際の適用を、今、検討していた。
「それは、今すぐ実行するということですか」
「今すぐは難しい。パーティの皆を説得できない」
賢者は残念そうに言った。感情のない、ただ事実として残念そうな声で。
◇
馬車の中で、リンネは実地検査の報告書を書き始めた。
揺れるランプの光の中で、リンネはインクを補充しながら、言葉を選んだ。
勇者パーティー精神鑑定報告書
王立心理研究所 リンネ・アウラ
勇者
戦闘経験の蓄積による快感反応の強化が認められる。これは職業的習慣形成の範囲内であり、病的とは見なせない。軽度の攻撃衝動については、衝動の転移として理解可能。現時点において任務遂行に支障なし。
評価:正常
聖女
回復魔法使用に伴う身体的反応が報告されている。共感性の高い施術者に見られる心身相関反応と推察される。本人は「慣れた」と述べており、症状への心理的適応が確認されている。自己犠牲的な使命感は、聖職者としての倫理観の表れと解釈できる。現時点において任務遂行に支障なし。
評価:正常
賢者
高度に発達した合理主義的思考様式を持つ。感情の意図的抑制は職業的自己制御の一形態と解釈できる。人類絶滅に関する思考は極端な論理的演習の産物と見なされ、現実行動への直結性は確認できない。計画は現時点で実行の兆候なし。任務遂行に支障なし。
評価:正常
リンネはペンを置いて、報告書を読み返した。どこかに、見落としがあるだろうか。
勇者は、戦闘で何かを充足させている。しかしそれは、職業的習慣の強化として説明できる。
聖女は苦痛を引き受けながら癒やしを行っている。しかしそれは、献身的な使命感の表れとして説明できる。
賢者は人類絶滅を計画している。しかしそれは、感情を欠いた論理実験の産物として説明できる。
すべてに、説明がある。
リンネは長年の訓練で培った確信を再確認した。人間の行動には必ず原因がある。原因が理解できれば、それは「異常」ではなく「説明可能な反応」になる。「異常」とは、理解できない何かに対して人が貼るラベルに過ぎない。
だとすれば、前任のカウンセラーが壊れたのも、説明できる。
適性の欠如。経験の不足。あるいは、「説明可能」と「正常」の区別ができなかった、ということかもしれない。
リンネは報告書を閉じた。




