7未来、夢幻、ラプソディ
食卓を片付けた後、少し遅めの入浴を済ませ、フリータイムになった僕は机に向かって、夏休みの宿題を終わらせていた。
ワーク最後のページまで一気にペンを走らせ、目先の障害を無事一つとりのぞいた僕は浅く息をつき、ゆったりとした気持ちで次の作業に移ることにした。
夏期講習で使うテキストの予習を開始した時だ。
ベッドの上に放り出されたままの携帯電話が聞き慣れぬ着信メロディを奏で、何者からのメッセージの到着を知らせた。
流れる曲は確かラプソディ・イン・ブルー。携帯に最初から入っていた音楽で、SMS着信時流れるように設定していた曲、それが初めて作動したのだ。
普段のやり取りはもっぱらEメールなので、SMSでの受信などしたことがなかった。いずれにしても重要なのは誰からの着信か、という点である。
椅子から腰を浮かし、ベッドの上でピカピカ光っている通信ツールに手を伸ばす。メッセージを確認したらすぐテキストに戻ろう。明日の予習だけだからそんなに時間かからないはずだ。
こんこん。擬音としてはありがちの、そんな音が僕の部屋に転がった。ノックの音に伸ばしかけた手を戻し、視線を部屋のドアにやる。
「どうぞ」
「お邪魔するね」
ドアを控えめに開けて中に入ってきたのは居候一日目の少女であった。
「どうしたの?」
「あっ、えっと、ね」
花見川は妙な戸惑いを見せた後、意を決したように言葉を紡ぎ出した。ノックもどことなく控えめだったし何か予期せぬ事でもあったのだろうか。
「トウちゃんに聞いてほしい話があって。ほら、昼間に私、あなたに助けを求めたでしょ。その事について言っとかないといけないことがあるの」
「あーはい。あれね」
言って「座れば」と先ほどまで自分が腰を下ろしていた学習机の前にある椅子を指差した。恥ずかしそうに頭をポリポリ掻いていた花見川は「ありがと」とお礼を告げ、ちょこんと腰かけた。彼女に向かい合うように、僕はベッドに全体重を預けた。
「家が火事になったからお世話になりますって意味だったんだね。それならそうと言ってくれればよかったのに」
「違うの。えっと、それも、その、そうなんだけど、」
「そういえばよく僕が花見川がお世話になる白江家の人間だってわかったね」
「そう、そこ!重要なのはそこなんだよ!トウちゃん!」
「……どこ?」
ふと口をついた疑問にテンション高めに花見川は食いついた。
「私がなんでトウちゃん家にお世話になるか分かっていたかと、言うとね。……信じてもらえないかもしれないんだけど、」
「なにがどうした知らないけど緊張する必要はないよ。昼間言ったように話だけなら聞くから」
「あ、ありがとう。うん、」
覚悟を決めたように、彼女は小さく息を飲んだ。大した話でないだろうと、決めつけていた僕は、予想だにしていなかった続きの言葉に衝撃を受けることになる。
「私には、予知能力があるの」
「は?」
その時まで、ドミノがカタカタと進むよう良い感じに続いていた僕の集中力は、ストッパーをかけられたかのようにブツリと途切れ、一瞬意識のヒューズがとんだ。何度か彼女の発言を頭の中で繰り返してみたけれど、頭蓋骨内でこだまする度にそれは『ぽかん』という間抜けな擬音に変わっていった。ブラックアウトしかけた意識で片眉をあげ、理解不能な言葉を吐き出した花見川の意思を読みとろうと、彼女を見つめてみる。
部屋の電灯の明かりをその茶色がかった虹彩に宿し、白磁器のような肌の上には汗をうっすら浮かべ、何かに耐えるように待っていた。なにを?それは、…僕の言葉だろう。
「あっ、えっと、予知?未来がわかる、あの」
「うん。単純に言えばそう」
「アニメとか漫画とか、超能力、の?」
花見川は無言でこくりと首を縦にふった。
なんて言えばいいんだ?夏の暑さに頭がやられたか、と気遣うフリして皮肉を言うのは簡単だけど、果たしてそれでいいのだろうか。
「……やっぱ、信じられないか」
花見川は、栗毛の髪を耳にかけてから、しょんぼりと呟いた。切なさが滲み出すようなその仕草に、どうしていいか反応に困る。
「ごめん。忘れて。何でもないよ、私だけでどうにかするから」
そのまま音もなく立ち上がった花見川は出口に向かおうと足を動かしはじめた。
「待ちなよ」
気がついたら消えかけた彼女の背中に、トーンを一段階あげて言葉を投げかけていた。
『あなたなら出来るはずだから』昼間の彼女の言葉が蘇える。
「え」
呼びかけるように言ったその一言に、振り向いた彼女の表情は春の陽気のように希望に溢れていた。もう一度椅子に座るように促してから僕は言葉を続ける。
「話を最後まで聞かせてよ。信じる信じないはその後の段階だろ」
オッケイオッケイ。いくら非現実の特集能力が僕の心の玄関扉を叩こうと、そこから先そいつを採用するか決定を下すのは最終的には僕の意思だ。同様に目の前の花見川が夢追い人の思春期少女だろうと、それは彼女だけの問題で口出しする権限はない。ただ、バラエティー番組のいやに緊急来日したがるサイキッカーより、目の前の花見川むくげという少女は信用に足る人物だと僕は判断している。
「ただ、一つ。君のそれは信憑性を高める必要がある」
ぴっ、手の平を彼女に向け、待ったをかける。喜びの色が一瞬陰った。
「汎用性がどれくらいか知らないけど、予知ができるなら、簡単に提示できると思う。未来を示せばいいだけだからね」
「証拠を見せてほしい、ってわけだね。それで私は何をすればいいかな」
少し勝ち気な口調で、静かに瞳を細めて彼女は僕に尋ねた。 何をすべきか予知をしてみろ、と挑発的な発言が刹那脳裏を掠めたが大人げないので自重することにした。
ESPカードでもあれば話は早いのだろうが、あいにく地球防衛軍でもない一般人の僕はそんなもの持っていないので、ふと思いついたお手軽ゲームを提案してみる。
「これから紙を渡すから、その紙に僕の次の発言を書いて事前に予知してみてよ」
いつかテレビでマジシャンがやっていたネタみせをアレンジした超能力テストだ。タネも仕掛けも存在しないこの状況で、それを成功させたなら、手放しで僕は彼女を信用するだろう。
「どうかな?予知というよりは透視に近いけど、未来を視るって点では、これでいけると思うんだけど」
思いつきにしては上手い方法だと自画自賛したくなったのだが、
「最初に言っておくと、私のは予知夢なんだよ」
そう上手くはいかないみたいだ。
「……つまり、寝てる時だけに視えるって、こと?」
「うん。私が望んだ未来のビジョンの、なんて言えばいいのかな」
「ぼんやりとした未来が視えるってわけで、くっきりとそれを伺うことは出来ないのか」
都合がいい能力である。花見川を疑うわけじゃないけどなんだか理由を付けて誤魔化そうとしているみたいだ。
「あ、そういうのは大丈夫。寝る前に何が見たいとか強く念じれば、見えるようになるの。例えば、『どうしたらトウちゃんは私の言うことを信じてくれるか』とか」
「予知っていうより夢のお告げに近いものがあるね。それ」
心の中だけで僕は頭をおさえた。
「そう!一番しっくり来る言葉がそれだね!夢のお告げ、まさにその通り。的中率100%の占いなんだ」
「ふーん。予知ちゃあ予知だけど、自分が望んだ答えが得られるならそっちな方が都合がいいかもなぁ」
あくまで彼女の言葉をまるっきり全部信じるのであれば、である。
「そうは言っても制約はあるんだけどね」
そう言ってから彼女は自分の持つ、夢のお告げ能力の説明をしてくれた。
1.夜寝る前に『何が知りたいか』を強く念じる。
「コックリさんにする質問みたいね」
「オカルトだな」
なんにせよ人外の力は不気味ではある。不可思議な能力を信用するのはある種の危険を孕んでいるように思える。
2.そのまま眠りにつくと、夢の中でぼんやり“ノート”が浮かんでいるのが見えてくる。
「ノート?」
「うん。キャンパスノートって感じかな。そこに文字が書いてあるの」
神秘的な能力が、現実の要素を伴って、摩訶不思議を演出しだした。シーンが見えるのでなく、文字媒体で、ということだろうか。
3.夢の中に出現したノートには寝る前にした質問の答えが“漠然”と書いてある。
「ってどういう意味さ?」
「そうだなぁ。本筋の直球ど真ん中、のみって感じ。キーワードしか書かれてないわけ。例えばジャンケンの予知なら、結果だけで過程が書かれてないの。綴られるのは試合の勝者だけ。」
「宝くじなら当選番号だけが視えるわけか。それだけでも随分助かるけどなあ」
「やったことはないけど多分そうなるだろうね」
4.夢の中での“お告げ”は覚醒時でも記憶している。
言い終わってから花見川は疲れたように息をついた。
「浅い眠りのレム睡眠時に夢を視るわけだけど、通常覚えている夢は最後に見たもののみとされるよね。そのノートを見てる時、はっきりとこれは夢だ、って自覚はあるの?」
ルールを聞き終わった僕の口は自然に動きはじめていた。
「あるよ。ハッキリと質問の答えだって自覚してるもん。意識を持ってなくちゃ記憶できないじゃん」
「その状況を明晰夢っていうらしいけど、そういう状態なら自分で夢をコントロールできるらしいんだ。つまり未来予知ってのは捏造の空想でそう思いこんでるだけなんじゃないの?」
言ってから、しまった、と思った。話は最後まで聞くと言ったのに、これでは非科学を言及する頭でっかちの研究者みたいになってしまっている。
僕の指摘に花見川はショボンと肩を落としてポツリと呟いた。
「それじゃ証拠みせるよ」
態度とは裏腹な強気な発言の意図がつかめない。
「証拠?さっき言ったようにそれは寝ないと出来ないんじゃ、」
「昨日の夜、質問してから寝たの。内容は『どうすれば信用してもらえるか』。ピンポイントで内容は知る事はできないけど、これで合ってると思う」
器用なマネは出来ないと言っていたのに、果たしてどんな答えが提示されたのか気にはなる。その為に必要なのは彼女から証拠を受け取ることだ。
とにもかくにも彼女は昨日のうちに今日の今この時を予知していたというのだ、非常に興味深い話である。
「方法はどうする?」
「さっきトウちゃんが言ってたので」
花見川が『予知』を紙に書き、僕がその通りの行動をとれば、花見川の力は本物ということになる。 もしハズレたら花見川は嘘つきだ。
「――という訳でいいのか?」
「それでいいよ」
花見川は机の上に転がっていたペンで、僕から受け取った紙の切れ端に『予知』を書き始めた。迷いなど一切見られない。さて、僕は次になんて言おうか。
彼女の能力の裏付けとなることだ、できれば予想がつかないようなのがいい。彼女が行動を起こしている間、もう一本のペンを持ち余った切れ端の部分に文字を書き付けた。
「出来たよ」
そうもしないうちに花見川が声を上げて予知を書いた紙を見えないよう机に伏せた。
「早かったね。それじゃ僕の発言だけど、」
待っている間に書いた文字を見えないように彼女に示した。
「この紙に僕がなんて書いたか当ててもらう」
僕がそう言うのを待ってたかのように花見川は『予知』が書かれた紙を、僕に見せてきた。まさか、これすらも予知されて…
『君が好き』
とんだ的ハズレだった。ほら吹き、か。仕方ないが、そういうルールだ。
「残念」
下でお茶でも飲もうと立ち上がった時だった。
「最近のマジシャンは最初わざと間違えて、場を盛り上げるんだって。それはそうと、トウちゃん、」
花見川がベッドの上の携帯を指差し、
「携帯光ってるよ」
その指摘に、小首を傾げながら、携帯を開く、そこには『080…』と見知らぬ番号からの着信と、
『僕は年上より年下が好きだ』
紙に書いた文が、画面に表示されていた。




