6時事、夕餉、夏の夜
夕飯の支度は僕がすることになった。こうは見えても料理は結構得意なのだ。放浪癖がついたのも、もしかしたら郷土料理を楽しみたいからなのかもしれない。
買い物は先ほど済ませたので材料に困ることはない。費用に関しても、子供三人が1ヶ月は優に暮らせる金額が封筒に入れられ冷蔵庫にカエルのマグネットで止められていたので、余裕はある。『生活費その他もろもろ』とだけかかれていたので使い方は自由であろう。
そう、年長者として今この家の財政は僕が握っているのだ。妹は料理の腕はからっきしだし、居候の花見川にやらせるわけにはいかない。
ふっふっふ、つまり食事をとる為には、僕に頼らなくてはいけないのだ。どんなに可愛げがなくてもお腹が栄養を欲する限り、僕に従うしかない。母さんもあちこちうろちょろする僕を『頼りがいのない兄さんねぇ』と冗談めかして評価していたけどなんだかんだで長男ということは認めてくれているのだ。
さあ、腕によりをかけて、クッキングといこう。
グツグツと気泡が上がり初めた熱湯風呂にキャベツの葉を投入し茹ではじめる。その間に挽き肉にみじん切りしたタマネギ、卵、小麦粉、塩胡椒を加えてよく混ぜ合わせ、茹で上がったキャベツの葉でそれをくるみ、コンソメの素をいれ煮込みはじめる。トマトスープ風味にしようか迷ったけどシンプルにいくことにした。後は片栗粉やらでとろみをつけて、ロールキャベツが完成だ。三つ葉なんかを浮かべたら見映えも良いってもの。
ご飯も炊いておいたし、前日母さんが作り置きしておいてくれたものがあるので、とりあえずはこんなところだろう。
食卓が整ったので二階に向かって、「ごはんできたよー」と大きく声をかけた。
ややあって二人が降りてくる。僕が買い物に行っている間にすっかり打ち解けたらしい花見川とモモちゃんの二人は、自分たちの部屋でテレビゲームに興じていたのだ。
降りてきた花見川の格好が変わっていた。僕と不法投棄場で初めて会った時も含め先ほどまではレース柄のワンピースだったのに今は水玉模様のパジャマ姿に変身していた。何回かモモちゃんがそれを着ているのを見たことがあるので、借りたのだろう。
気のせいか髪が湿っているし、どことなく頬も紅潮している。料理してる間にでもお風呂に入ったのだろうか。僕も食べ終わったら行くことにしよう。それはそうと外に出ずっぱだった花見川はともかく、不思議なのは家に引きこもっていた挙げ句、昼間湯船に浸かっていたモモちゃんまでもが、花見川と同じ状況なことだ。こちらはピンクの花柄パジャマだが、1日二回のお風呂とは贅沢な身分である。
「わー、おいしそうだねぇ」
「そう言って貰えると作ったかいがあったってもんだ」
花見川の実直な感想に鼻を高くする。料理を作る上で一番大切なのは、絶対美味いという自負心と、向上心、ついで美味しくなぁれという気持ち。白く優しげな湯気を上げるロールキャベツとみずみずしく光る白米、愛情料理に花見川に加えさしものモモちゃんも感服といったところか。
先の一件以降、僕の事を路傍の石のように扱っていたモモちゃんも、これらがそろえば好感度を取り戻すことも容易だろう。
「いただきます」
三人で食卓について、早速箸を動かす。うん、文句のつけようのない味だ。
「おいしい〜」
「たしかに」
花見川は頬を綻ばせ、モモちゃんはいつものクールフェイスで感想を述べてくれた。
料理とはいいものだ。昼間のチャーハンしかり人の心を和ませる力を持っている。どんなに種族が離れていようと食の楽しみには変わりはないのだ。そう考えると、料理人でもない僕にも、何かしらの力が満ち溢れる気がする。
今日の夕餉、ロールキャベツはこれまでにないってくらいいい味を出しているし、ご飯の炊き上がりも最高だ。僕らの胃を満足させる要素はバッチリそろっている。
ただ、一つ問題があるとすれば、
「……」
肝心の食卓に、場を盛り上げる会話が存在しないことだろうか。会話が最上の調味料とは誰がいった言葉か、とにもかくにも全体的にそれが足りなかった。初め「おいしい」という至高の誉め言葉を与えてくれた二人は今は黙々と胃に栄養を与えているだけである。普段喧しい花見川は、食事中は静かにするように躾られてきたのだろうか。
「テレビつけるよ」
許可を待たずして行動に移す。
沈黙を気にするような甲斐性はないけれど、咀嚼音だけのこの状況が妙に寂しかったので、誤魔化すようにリモコンのスイッチを押し、テレビの電源をオンにした。黒い画面がすぐに色彩豊かな番組を映し出す。40インチの薄型テレビに表示されるのは夕方のニュースだった。
番組は犬猫の殺処分について特集を組んで長々やっているようだった。僕以外の二人は食事を続けながら画面にも目をやっているようなので、食事中にテレビを付けるというグレーなマナーを許容しているようでよかった。
罪のない命が年間40万、殺処分されているんですっ!と悲壮感に満ちた表情で若い女性アナウンサーがトピックをしめたところでCMに入った。
CM中も黙々と三人食事を続ける。画面は今話題のブランドムックの広告を知らせていた。
「酷い話ですね」
モモちゃんがぽつりと呟いた。
「ペットブームの無責任な産めや増やせな考えがすべての元凶なんです。純潔種にしろ雑種しろ、産まれてきたからには平等に命が与えられるべきなんです」
「私は血統書付きを買う飼い主より、無闇に繁殖させるブリーダーにも問題があると思うよ。悪徳を検挙出来ない警察にもね」
花見川もモモちゃんに概ね賛成のようだった。僕ももちろんガス室送りになる動物たちのことを思うと沈鬱な気持ちになってくるが、ペットブームを散々盛り上げたメディアの手の平返しの状況がなんだか釈だった。このテレビ局だって別の時間になれば人気のペットランキングとか無遠慮な企画を行ったりしてるのだ。実に下らない。
CMが明けた。画面はまた別のVTRを放映している。
どこにでもあるような閑静な住宅街が広がっていた。そこをメガネをかけた男性記者がゆっくりと歩きながら、何が起こったかを説明している。
悠長に聞くのも面倒くさいので画面右上に表示された文字を読んでみた。
『連続殺人 3人目の被害者』
洒落にならない凄惨な文が目に飛び込んできた。
「連続、殺人?」
小説の中ではよく扱われるテーマだが現実世界で目にすることはあまりない珍しいワードである。そんな悲惨な事が平和な世界に訪れていたとは知らなかった。
ぽかんとする僕に、モモちゃんがチラリと目をやってからため息をついた。
「兄さん、もしかしてこの事件知らないんですか?」
「うん。最近バタバタと慌ただしかったからね。夏休み前は旅行とかしてたし」
「呆れた。1ヶ月前くらいから話題になってましたよ。ほら、」
モモちゃんは言葉を区切って僕にテレビを見るように促した。
画面には第一の被害者という表記と男性、6月21日という先月の日付と聞き覚えのない地名が上げられていた。
「最初の遺体が発見されたのが6月21日。遺体の状況から死後そこまでたっていないそうです。鋭利な刃物による刺殺、即死だそうです。この時兄さん何してました?」
「時期から考えて、旅行はしてないし何でだろう。このニュースそんなに話題になってた?」
「どうでしょう。マスコミが本格的に騒ぎだしたのは次くらいですから」
「連鎖性でもあったの?」
共通点に死体には必ず赤いバラが添えられてたとかそういうミステリー小説にありがちな展開が。
「いえ、ただ被害者男性二人ともが一突きで抵抗した様子もなく死に至っており、地域も関東のみだとしたら同一犯としてみるのが一般的なのではないでしょうか」
「ふぅん。……3人目の被害者は?」
「それは、ニュースを見てください」
モモちゃんはそう言って、喉が渇いたのかコップに口をつけ中の麦茶を飲み干した。
言われた通り視線をテレビにやる。画面は今までの復習を終えたのか、新たな殺人についてのニュースを報じていた。
『一昨日朝、市民の憩いの場となるこの公園で、彼の遺体は発見されました。被害者は41歳の男性で、死因は刺傷とみられます。茂みに隠れるように遺棄されていた遺体を見つけたのは、近所に住む男性で犬の散歩中発見したそうです』
画面が切り替わり第一発見者の男性のインタビューが入る。彼は終始落ち着いた様子で淡々と発見当初の詳細は語っていった。
それが終わるとすぐにまた発見現場の公園が映し出される。
『男性は発見される2日前には死亡していたとみられ、警察は地域で起こっている通り魔殺人との関連性を視野に調査を進めていく方針であります』
スタジオに返されコメンテーターが適当に警察批判を終えたところで、番組のメニューはスポーツニュースに切り替わった。テレビではメジャーリーグでの日本人選手の活躍を語りだし、オマケのようにプロ野球の詳細を告げている。
「通り魔だなんて物騒な世の中になったもんだね」
「金品に手をつけていない事が逆に恐怖です。純粋な狂気しかないということですから」
「案外怨恨とかかもよ。もしくはただの偶然とか」
「そうですね」
ほどけたキャベツを物干し竿にかかった洗濯物のようにしながらモモちゃんは眺めている。中のお肉はすでに平らげたようだ。
「3人も亡くなってるだなんて人ってのは案外簡単に亡くなるもんなんだなぁ」
「まさか犯人は兄さんじゃないですよね?」
「んぐっ」
突然の決めつけに口腔内部で小爆発が起こり、鼻からご飯粒がでそうになる。
モモちゃんは「ごほごほっ」と咳をする僕に気遣いの言葉なく、ほうとうを食べるようにキャベツをすすった。
「と、突然、なにを言い出すんだ、モモちゃん。どんな根拠で白江家の血筋に殺人者を生み出そうとしてるのさ」
「別に。ただ兄さんはフラフラとして家に寄り付かないのでどんな疚しいことしてるのかと思っただけです」
「だからただの旅行だって。僕に疚しいことなんてこれっぽっちもありゃしないよ」
器にやっていた視線を一瞬だけ僕によこし、苛立ちを隠そうともせずぶっきらぼうにモモちゃんは呟いた。
「それは良かったですね。あなたの世界は全く平和です」
「……」
モモちゃんが言いたいことがなんとなくわかった。おそらく昼間のDVDについて言っているのだろう。誰か彼女の一部分の記憶を削除させる魔法を唱えてくれ。
「あ、は、花見川、箸が進んでないようだけど、どうしたの?何かマズいものでもあった?」
冷たく細いモモちゃんの視線から逃れるために、箸をもったままぼんやりしている花見川に話かけた。
急に話かけられて驚いたらしい花見川は、びくりと肩を震わせ、
「な、なんでもないよ。ただ、ちょっとお腹いっぱいになっちゃただけ。ご、ごめんトウちゃんごちそうさま」
「あ、そう。食器は置いといていいよ。後片付けは僕がしとくから」
さっきまで「おいしい、おいしい」とコンベアのように進んでいた箸が動きを止めていたから、よっぽど彼女は少食なのだろう。おそらくたぶんきっと不味いものが入っていたわけじゃないはずだ。
「ありがとう。それじゃ荷ほどきしなきゃいけないから部屋に戻ってるね。ロールキャベツ美味しかったよ。ごちそうさま」
食事を締める挨拶をまた言ってから彼女は食卓を立ち、二階にあてられた部屋にむかっていった。




