5自宅、失敗、言い逃れ
目眩が覚えるほど明るい笑顔で人を魅了するのが特技といった少女の瞳を例外的に曇らせることができるのが、僕という存在なのだと錯覚をおこすように、彼女は近所中に響きわたる大声で不名誉たる称号を僕に与えていた。
悲鳴ともとれる嘆きに引き寄せられた桃里が二階からせわしく下ってきて、
「今の声はなんですか、兄さ……」玄関に佇む彼女の姿を視認した。
妹の状況適応能力の高さはさておき、この僕と花見川の不可解の邂逅シーンだけで彼女はすべてを理解したらしい。僕が導き出すのに数分はかかった答えをいとも容易く呟いてみせた。
「ひょっとして……今日からウチに泊まる花見川さん、ですか?」
階段の中ほどでモモちゃんは尋ねた。自己紹介は不要らしい、するまでもなく花見川むくげについての詳細を知っているようだ。
僕と違い、モモちゃんは家なき子になってしまった女の子については十分理解しているのだ。
一方花見川はというと、いきなり奥から現れた妹に、のけぞらせるように僕に向けていた体を、別段慌てた様子なく、きっちりと背筋をのばしてから、見事なほどの挨拶をしてみせた。切り替えの速さは尊敬に値する。
「はい、今日からお世話になる花見川むくげです。不躾な頼みをきいてくださって有難うございます。不束者ですがしばらくお世話になります!至らぬところが多々あるとはは思いますが、何卒よろしくお願いします!」
気味が悪いくらいきっちりとした挨拶。なんで妹のモモちゃんに対してはこんな丁寧すぎるくらいにへりくだってるのだろう。その微妙な差別に首を捻る。
「あ、そんなに固くならなくて大丈夫です。敬語じゃなくて、タ、タメ語でも全然」
普段から敬語のモモちゃんが言うようなことじゃない、家族では僕限定だけど。
「本当?平気?結構馴れ馴れしくなっちゃうかも、だけど……」
「あ、え、えぇ。気にしないでください。好きなようにしてもらって」
許可とった途端、砕けた喋り方になる花見川に脱帽だ。モモちゃんもいきなりの変貌に戸惑っているようである。
「ありがとう!!敬語意識して使わないと直ぐに崩れちゃうから、そう言ってもらえるとすごい助かるよ!お世話になりっぱなしだね」
「困った時はお互い様です。それよりむくげさん、こんなところで立ち話も何ですから、とりあえず家に上がりませんか?」
「お言葉に甘えさせてもらおうかな……。いろんなとこを渡り歩いてもうクタクタなんだ」
花見川は日光浴を始めたトカゲのように緩慢な動きで我が家の敷居をまたぐと、そのドデカい荷物を足ふきマットの横にそっとおいた。
「荷物はとりあえずそこに置いといて下さい。後で部屋に案内します。それじゃリビングで一息つきましょうか」
花見川はモモちゃんの言葉に感謝するようにぺこりと頭をさげてから靴を脱ぎ、家にあがる。その様子を僕はただ眺めているだけだった。
「あ、リビングに行く前に自己紹介しておきます。私の名前は白江桃里。そちらが兄の藤吾」
「あ、お世話になります!」
深々とむくげは頭をさげた。モモちゃんだけに。
「あと、父と母がいるんですが、大事な用事が入ってしまって、二人とも実家に帰っているので家にはこれから私三人だけで暮らすことになります。すみませんこんな時に」
「急に無理言って、迷惑かけたのはこっちだから、謝るのは私がすべきこと、だよ」
「いえ、気になさらないでください。と、とにかく私がいいたいのは母さんのように家事が出来るわけじゃないので仕事を三人で分担しましょう。って、ことなんです。こんな時になんなんですが」
「おっけー。まかせてちょうだい。こう見えても私家事全般できるんだー」
「ふふっ、頼もしいです」
モモちゃんは僕にはめっきり見せることがなくなった笑顔を優しく振りまいて花見川に目を細めた。
花見川も楽しそうに微笑むと、リビングに向かって歩きだした妹に続いて足を動かしだす。
玄関とリビングとではすぐの位置にあるのだ。
リビングに入るドアに手をかけたところでモモちゃんはピタリと動きを止めた。
「なにをボーとしてるんです?兄さん」
「え?僕?」
二人に取り残されるように僕は未だに玄関の出入り口付近で立ちすくしているだけだ。時代の波に取り残された異物のようにただ一人ポツンと突っ立っているだけである。靴をしっかり履いていつでも外に出れるような格好だが。
「兄さん以外に誰がいるんですか?はやく来て下さい。むくげさんに家の勝手を教えないと」
「これからコンビニにピノ買いにいかないといけないしさ。モモちゃんにまかせるよ」
「買い物なんて後でもできます。どうしたんですか?いつもなら不気味に行動を移すあなたがそんな鈍重なこというなんて。……さては、それ」
僕の手に持つDVDをまるで穢らわしい物をみるかのような視線で射抜いた。まあ実際そうなのだけど。
「捨てに行こうとしてるんですか?」
ご明察である。
一枚くらいなら、ゴミ捨て場に放置できるかなと考えていたのだ。
「やめて下さい。仮にも白江家のあなたがそんなことするとこを他人に見られたら、世間体ってものがですね。それに今日は燃えるゴミの日です」
「いやだなモモちゃん。そんな面倒なことするわけないだろ。こいつの持ち主である橘の家のポストにでも返却しようとしてるだけだよ」
「……なんだかそれも問題があるような気がします」
とっさに口から出たごまかしは思った以上に功を奏したらしい。モモちゃんを釈然としないが一応納得させることはできた。それに誤解をとけたようだし、万々歳である。
そんな僕の杓子定規な計画を崩すのは、家族というコミュニティー外のイレギュラーであった。
「え。アダルトの山じゃなくて友達の家に戻すの?」
「ばっ、」
ばかやろう!口から出そうになった言葉をなんとか飲みこむ。
そんな僕の思いを知ってか知らずか、きょとんと花見川は腕に出来た虫さされを平然と掻いている。
「アダルトの、山?」
モモちゃんは思った以上に花見川の発言が気にかかっているらしい。片眉をあげて、機械音声のような不自然なイントネーションで尋ねていた。
「うん。トウちゃんがさ、紙袋いっぱいのHビデオをそこに置きに言ってるのを、見たんだ。あー、もしかしてアレ全部トウちゃんのコレクションだったりして」
「断じて違う!僕にそんなリスみたいな習性はない!なんでそう君は誤解を招くような言い回しをするんだ……」
「え?でも小屋にアレを捨てに行ってたんだよね?」
それはそうだけど、なんだかなにもかもが予想外の方に行きすぎているような気がする。
「兄さんどういうことです?」
モモちゃんの目つきは気温とは相反して、鋭く冷たい。
どういうことと言われても、なんて返せばいいのか僕にはさっぱりだ。何を言っても言葉が続かずしどろもどろになるのが目に見えているので口を閉ざすしかないだろう。嵐が過ぎるのに時間かかるけど、沈黙の中で光ある答えが浮かぶまで待機だ。
「なぜ口を噤むんです?」
沈黙について格好いい言い回しをしてみても、現実世界じゃなにも言わずに、無口になっているだけである。
さあ、どうしようか。
誰かいい言い訳を僕に与えてくれ。
「どこで買ってきたんだか不思議だね。なんにせよトウちゃん、エロスはほどほどになー」
花見川はさらに混迷を極める一言を吐き出した。
頭が痛くなる。ちらり横目で確認するとモモちゃんは眉間にシワを寄せて、不快感を露わにしていた。
「最初から最後まで誤解があるようだから言うけど、まず僕がこういう、」
「あの、ちょっと」
泥沼の現実を脱出しようと紡ぎ出した言葉を遮るようにモモちゃんは語尾を強めて、僕を睥睨した。
「喋らないでください。もう、沢山です」
「……」
「さ、むくげさん。遠慮なくあがってください。自分家のようにくつろいでもらってけっこうです」
リビングの扉を開けて、モモちゃんは花見川の方を向きそう言った。完璧に僕の事をスルーすることにしたらしい。
呼ばれた花見川は視線を僕とモモちゃんとで往復させどうすればよいかと戸惑っているようだ。
事態を悪化させた元凶のくせにいけしゃあしゃあとされるのもムカつくが、中途半端に気遣いされるのもまた困りものである。
「なにしてるんです?早く中にはいりましょう。今クーラー入れます」
モモちゃんはオロオロしている彼女に笑いかけ、再度言葉をかけた。
その言葉がスイッチになったのか、小動物めいた花見川むくげは戸惑いながらもリビングに足を運ばせはじめた。
僕はただ石像のようにぽつねんとしているだけである。
最後のチャンス。
そんな言葉が浮かんだ。
今を逃したら、この先一生、妹(と花見川)の誤解をとく機会はないだろう。
ここだ。この時だけだ。
「ちぇぇいぃぃぃ!!」
雄叫びをあげた。二人の注意をひくようになるたけ大きな声で。
注目を集める目論見は成功し、二人の少女は驚愕で目を円くしている。その様子を一瞬だけ観察し、僕は瞳を閉じた。視線を合わせていると恥ずかしさで悶死しそうだからだ。血液が体を駆け巡る、真夏の熱気を体内に取り込み
「す、とぉぉぉッッ!」
気合い一発、これ以上ないってくらい強烈な膝蹴りを手に持ったDVDに浴びせた。右手左手と橋渡しするように支えられたパッケージの中心に、渾身の一打を叩きこむ。
割れることはなかったが、割ろうとする意志、は伝わっただろう。不自然に凹んだあられもないパッケージの女性が、僕の意志を伝えてくれるはずである。
「しゅぅー」
僕の目的は、こんな物興味なんかないよ、と二人の目の前でDVDを破壊せしめた後で懇々と真実を伝えることである。
壊すまで至らなかったが上々だろう。
「だから、一回僕の話を落ちついて聞いてく、」
顔をあげる。
一息ついた僕の視線の先には閉じられたリビングの扉があるだけで、モモちゃんとむくげはいなかった。
「……」
正真正銘、一人きりだった。
どうやら二人はすでにリビングに移動してしまった後らしい。なにこの放置プレイ。熱で頭がイカレたとでも見られたのだろうか。なんにせよ虚しすぎる。
僕はため息を一回だけつくと、目頭を軽く押さえた。落ち着くべくは、この僕だ。
さそり座の運勢は最悪なのだから今更気にするもんではないさ、ともう一人の僕がポンと肩に手をやった。




