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18安心、展開、お守り


 色々なことが起こりすぎて未だに混乱したままである。玄関の扉を閉め泥のついたスニーカーからかかとを解放した時、音で無言の帰宅を察知したらしい花見川が明るい笑顔でひょっこりと出迎えてくれた。

「おかえりぃ。トウちゃん」

 優しさ溢れる声音に、無事帰ってこれたと張りつめていた糸がそっと解かれた感じがした。

「ただいま」

「コンビニ行くのに随分と時間かかったねー。もう料理できてるよっ!餃子!」

「餃子か。好物だよ」

「うんっ!桃里ちゃんも好きだって言うからコレにしたんだぁ。それにしてもトウちゃん、汗だくだね」

「ん、ああ。外がすごい蒸したんだ。冷房を入れてくれないか、花見川。今日は寝苦しくなりそうだよ」

 僕に汗をかかせた犯人、樒原との会話を彼女に教えるのはまた後ででいい。ご飯を食べて、気分をいくらか落ちつけてからだ。

「うん、わかった。あれ?そういえばトウちゃん、」

 靴を脱ぎかがめていた腰を戻した僕にリビング前の扉にいる花見川は言った。

「コンビニに行って来たのに、手ぶら?」

「見て回ったけど欲しいのが特になかったんだ」

「ふぅん、そっかー。桃里ちゃんアイス楽しみにしてたから謝っといたほうがいいよ」

「ああ、そうだったね。忘れてたよ」

 ピノ買ってきてって頼まれたんだった。まあモモちゃんなら許してくれるだろう。

「それじゃ早くいただきますしましょ!トウちゃんの帰りを待ってたんだからね。お腹ペコペコだよ」

「ああゴメンゴメン。今いくよ」

 リビングの戸をあけて、芳しい香りただようニンニクの園に足を踏み入れた。



 花見川特製餃子を食べ終え、妹のモモちゅんがお風呂に入っているのでリビングには僕と花見川の二人きりになっていた。一番風呂の花見川はソファーに座りバラエティー番組をクスクスと見入っている。

 ほどよい満腹感を樒原の不快な顔を思い浮かべることで取り払い、口内に残る餃子の旨み成分を喉の奥にゴクリと追いやってから、僕は花見川の隣に腰をおろした。

「餃子おいしかったよ」

「そう?誉められると嬉しいよ」

 ケラケラとテレビを指さす彼女を横目で見ているとそっとしておきたくなったがそうもいかない。

「話がある」

「……なに?」

一転真剣な目つきで彼女は僕と向き合った。

 花見川も分かっているのだ。僕がこういう態度の時、必ず樒原という通り魔の名があがるということを。

「花見川、君の超能力の話だけど」

 まずは軽い雑談から始めることにした。

「昨日はどんなお告げがでたんだ?」

「ん?えっとー」

 特定の質問を心に思い浮かべてから床につくとそれに対するベストな答え、お告げが与えられると彼女の超能力が明かされたのが昨日の夜のことだ。

 だとしたら、殺人鬼に狙われ危機的状況の彼女が1日に一回の奇跡を起こせるチャンスを無駄にするとは考えつらい。

 ほぼ間違いなく彼女は昨日も自身の能力を発動させているだろう。

「私とトウちゃんが明日無事に過ごせるか、って」

「それに対する答えは?」

「うん」

 彼女は頷いてから続けた。

「概ね無事」

「それだけ?いやに短くないか。それになんて曖昧な表現なんだ」

「私に言われても困るよぉー、そう出たんだもん」

 頼りがいがないお告げだ。確かにダメージはないけど心的外傷は確実に与えられた激動の1日をそんな一言で片付けられるとは。

「それにしても『概ね』ってなんだろうね。こんな漠然とした言い方はじめてだよ。トウちゃんが危険な目にあったからかな」

 ついさっきもね。といいかけて、ひとまず忠告をしておくことにした。

「今日の夢は花見川がどうなるか、だけでいいよ」

「え?なんで?危ないんじゃない?」

「僕はなんだかんだで大丈夫だし、範囲を二人にすると予知が広く浅くなってしまうかもしれないからね」

「でも」

「その証拠が『概ね』だなんて妙な言い回しだ。やっぱり範囲は一人に絞ったほうがいい。花見川が今までしてきた質問も限定しているほうが答えは明確だっただろう?」

「そう言えば、そうだね」

 じゃなきゃ僕の年下趣味がバレた理由が見つからない。

「んじゃ、そういうことだから僕のことは心配しないでくれ」

「う、うんわかった」

 花見川はおどおど頷いた。よし。これで変な答えで花見川が妙に気に病むこともないし、彼女は逃げに専念できる。

 後は僕が樒原をどうにかすればいい。アイツの性格上そう簡単には殺そうとはしないだろう…と信じたい。

「トウちゃん」

「ん、なに?」

「震えてるよ」

 指摘されてはじめて気が付いた。夕食を挟んで鎮めたはずの恐怖が樒原を思い出すことで再び蘇ってしまったらしい。カタカタと自分でも気づかない震えが、今頃になってどれだけ綱渡りだったかと遅れて倍になってぶり返してきたらしい。

「少しクーラーが効きすぎてるのかな。寒いんだ」

「嘘」

 看破された。真面目な嘘が見破られたのは久しぶりである。

「だってトウちゃん、汗かいてるもん」

 ほっぺたをそっと触ってみた。冷や汗というやつだろうか。気がつくと、寒気と同時にさらに汗が吹き出すような気がした。

「……あ、ああ。か、風邪でもひいたのかな。少し体調が、」

「トウちゃん、これ」

 花見川はソファーの上に投げ出されていた僕の右手をつかむと、自分の両手でそっと包み込んだ。人肌が、冷たくなった僕の手を温め、鼻孔が風呂上がりの彼女の匂いにくすぐられた。

 ポカンとしているのも数秒、花見川は子守歌のように静かに語りかけてきた。

「握ってみて」

「あ、え?」

 サラリと僕と彼女の手の平の間に布のような物の感触を感じた。

 花見川が手を外したので、シャンプーの残り香とともに渡されたそれをマジマジと見てみる。

「お守りなんだ。お母さんから渡された、私の」

 赤い地に金色の刺繍が施された、紛うことないお守り袋が僕の手にあった。『家内安全』とか『安産祈願』とかの文字が書かれていないのでどんな効力を持つのかさっぱりだが。

「亡くなったお母さんの形見、みたいなものなんだ。私の一番古い記憶はそれをお母さんから受け取ってる時のこと」

「大事な物じゃないか」

「うん。だからこそトウちゃんに見せたかったの。私の宝物」

 彼女は優しい微笑を浮かべた。。

「そのお守りを持ってるとね、気分がポッとあったかくなるような気がするんだ。きっとトウちゃんも励ましてくれるはずだよ」

「ああ」

 そういえば先ほどまでの最悪な気分が多少和らいだ気がする。

「ありがとう、花見川。だいぶ楽になったよ」

「どういたしまして」

 茶化したようすの彼女にお守りを返す。効力が実際にあるかはともかくお陰でパニックになりかけた思考が戻ったのは確かだ。

「落ち着いた?」

「うん、すごく助かったよ」

「よかったぁ」

 ホッとしたのも束の間、

「そ、それでトウちゃん」

 ほころばせた口角を元に戻して、彼女は戸惑いがちに続けた。

「何があったの?」


 閑話休題。本筋に戻る。

 説明には時間を要しなかった。花見川にはただ僕が樒原と再び会ったとしか伝えなかったからだ。樒原が彼女を仲間に引き入れようとしていることと、彼が自称超能力者なのは黙っておいた。

 これ以上悩み事を増やすのは可哀想だし、何より明日樒原はお縄につくのだ。ならばイタズラに彼女の気を刺激する必要はないし、僕も下手にパニックを起こされなくて助かる。超能力なんて、この世には存在しないんだ(一部例外を除く)。

 明日、彼女と一緒に警察に走りこめば国家権力の名のもとに胡散臭い超能力ユニット樒原カンパニー(仮)を捻り潰してくれることだろう。何が超能力集団だ。宇宙旅行中に未知の放射線でも浴びでもしたのだろう、勝手に世界の危機でも救っててくれ。

「それで、樒原さんは私と連絡を取りたがってるの?」

「ああ、どうせ警察には行かないでくれっとか懇願する気だろう」

 ただ会ったと伝えるだけでは話が上手く伝わらないので幾らか脚色を加えて花見川に言った。樒原が囀っていたことをそのまま彼女に言ってもよかったのだが、超能力の件を入れてしまい変に花見川が感づいてしまうと困るので、やっぱり伏せたままにしておいた。

「そんなに私に会いたいなら、家にくればいいのにねぇ」

「白江家に疫病神を招き入れないでくれよ」

「わかってるよぉー。戸締まりキチンとして誰も家にいれません」

「だといいんだけどね」

「むぅ〜。信用してないなぁ。私こう見えてもクラスじゃ学級委員で通ってるんだからね。信用の塊!」

 胸をはる少女に、精一杯訝しんだ視線をプレゼントしてあげた。

「でも本当に不思議。脅しならトウちゃんを通さないで直接私に強請ればいいのになんでそうしないだろう」

「ああ、脅しと言えば、花見川」

 それは僕が樒原に君は島根に行っていると適当こいて振り回したからだよ、と思ったが口に出さず代わりに新たに仕入れた情報から統合された質問をしてみた。

「君が見舞われた火事のことだけど」

「ん?火事はねぇ、全焼ってほどじゃないけど住むのは難しそうなんだよ。お父さんが代わりの家を今探してるんだけど、条件にあう物件がなかなかね」

「あ、いや規模の話じゃないんだ。僕が聞きたいのはその、」

 少し迷ったが、樒原が嘘をついている様子じゃなかったのを思い出し続けた。

「それは本当に樒原が君を口止めする為にやったことなのか?」

「口止めって、……殺そうとしたってこと?」

「違くて、えーと単純に警察には行くなっていう脅しで君んちに火をつけたと君は考えているのか、って聞きたいんだ」

「私は、そうだと思ってるんだけど……違うの?」

 僕もあの赤髪通り魔犯樒原の話を聞くまでそうだと思っていた。あの状況ならそう考える方が自然である。

「樒原はやってないって言ってたよ」

「……そうなの?」

 彼女の反応になんら変わったところはない。まさしくたった今聞きましたと驚いている。向こうが嘘をついている!と言われた方がまだいい。天然でこんな演技が出来るならアカデミー賞並みだ。

「ああ。あの態度からは嘘をついてるとは思えなかった。花見川は他に心あたりはないの?」

「う〜ん、わかんない。私だって人間だから嫌われてるかもしれないけど、さすがに火をつけられるくらいには……。あっ、そういえば」

 たった今思いだしたのだろう。彼女はそのまま言葉を続けた。

「消防の人が言ってたんだけど、家の内部から火が上がってるから放火の可能性は低いって」

「それを早く言えよ。どうやら通り魔と火事は無関係っぽいね」

 花見川の勘違いで、ただ偶然ことが重なっただけなのだろう。たまたま辻斬り樒原を見た日に火事が起こっただけなのだ。

「ち、ちがうよトウちゃん!だって消防の人も放火の確率は低いけど火元の断定が難しいって言ってたもん」

「不審火ってやつか」

「うん。私だってその日火を使う料理はしてないし、電子機器もそんなに利用してなかったもん。誰かが持ち込まなきゃ火災が起きるはずないんだよ」

「……」

 どうやら花見川はよくある被害者意識に捕らわれているらしかった。どんなに自分に過失があろうと見えない悪を仕立て上げそれに罪を被せようとする。気持ちはわかるが時にはなにもかも認めて楽になるのも必要だ。

「話を聞いてよトウちゃん!ウチは煙草を吸わない家庭だから前提からして火事にあうはずがないんだってば」

 どんなに力説されても言い訳にしか聞こえなかった。

 さて、これでとりあえずの懸案事項ははれた。

 ずっと引っかかっていた、樒原の危険性。奴が人を殺しているのは確かだが、話をしている限りやたらめったら殺人を犯す奴には思えなかった。火事があいつのせいでないなら、少しは安心して樒原に臨めるというものである。まあもっともこの先あいつと会うことはないのだろうが。




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