13誤解、紅潮、怠惰
昼間のワイドショーは、芸能ニュースをおもしろおかしく放映している。自宅で一人、リラックスしてテレビを見ている僕の耳に、慌ただしい足音が聞こえたのは、くつろぎだしてそう経たないうちだった。
「兄さん!」
勢いよくリビングの扉を開かれ、妹のモモちゃんが息をきらせてあらわれた。あの電話からけっこう時間がかかっているが、無事帰宅出来たのならそれで良いだろう。
「おかえり」
「ただいま、……じゃ、ない、ですっ!兄さん!」
帰宅の挨拶はこのやりとりで合っているはずなのに、なぜか半分怒鳴る勢いのままつかつかとソファーに座る僕に詰め寄った。
「なんていう人なんですか。あなたは。呆れました。まさか、そんな人だったなんて」
「……いきなりどうしたの?」
「どうしたもこうしたもありません。あなたが縁者で私は恥ずかしいです!兄だなんて認めたくないほどです!」
驚いた。面と向かってそんな言葉を言われたのは、初めての経験である。いつもは何も言わず、不機嫌そうに顔をそむけるだけなのに。
「そりゃ、モモちゃんは若いからいろんな考えが頭の中に巡ってるかもしれないけどさ、兄妹は変わりようない事実なんだからいい加減受け止めてよ」
「知ったような口きかないで下さい。私はあなたの思春期に絶望してるんですから!」
昨日までそこそこ良好だった彼女との関係はこの数時間で一変してしまったらしい。いや、DVDとか色々あったけど、夕飯時には機嫌治ったと思ったんだが、ぶり返してしまったのだろうか。
「突然何を言いだすんだ。もしかして去年から妙によそよそしくなった態度について説明してくれるの?ずっと疑問だったんだ。なんでモモちゃんは急に僕相手に敬語でしゃべりだしたのか、とか」
「今は関係ありません!」
僕はタンスの上に飾られているモモちゃんの去年の修学旅行のお土産に目をやった。私立だからと調子に乗ってニュージーランドに行ったモモちゃんのお土産は、母さんにはキウイのぬいぐるみ、父さんにはデフォルメされた羊のステッカー、僕には、何もなし、だった。催促したら淡泊に「元気な私がお土産です」と返され何も言えなくなったのはいい思い出だ。
「兄さんはわかってないみたいですね」
「えーと、……なにが?」
けんもほろろな彼女に対抗する手段はクエスチョンマークを浮かべるくらいしか残されていない。モモちゃんは憎々しげに眉をよせ、僕を睨みつけている。
「私がなぜ今ここにいるか、言ってみて下さい」
「ここ、って……家?」
「そうです。なんで私がママやパパに着いていかなかったか。さぁ早く!」
いきなりの問題形式に、寝起きドッキリを仕掛けられた芸能人の気分を味わっていたら、時間切れになってしまったらしく、僕にぐいっと顔を寄せてモモちゃんは呆れるような口調で言った。
「あなたが男子高校生らしく、疚しい行動を起こさぬよう私がいるんです」
「やま、……は?何?」
僕の戸惑いとは裏腹に、モモちゃんは冷静なボソボソと小さな子供に言い聞かせるようにそっと囁く。
「一つ屋根の下に同年代の少女がいればムラムラするんですか?まさか兄さんがそういう人間だとは思いもよりませんでした」
「もしかして、花見川の事を言ってるの?」
「ママやパパが、預かる女の子と兄さんと二人っきりするは倫理的にマズいだろう、と相談してた時、私は大丈夫だと思っていたんです。兄さんにそんな勇気ないし、なによりクラスの男子とは違うって。それなのに、」 とりつくしまもない、僕の声は彼女にとって心臓の鼓動のように意識しないものになってしまったようだ。
少しだけ悲しそうに、眉尻を落としてから、彼女は続けた。
「まさか、実際はそんなエロティシズム溢れる男の子だったなんて」
「なに意味がわからないこと言ってるんだ」
「信じてたんです!兄さんは精神的に成熟した男性だって。それなのに、性欲まみれ……。汚らわしい!思えば昨日のDVDとか、あれもだったんですね?」
「いや、違うから。何いってるかわからないけど」
「あんな言い訳信じた私がバカでした。いくら女に飢えていようとお目付役の私がいるにも関わらずむくげさんに手を出そうとするなんて」
「やっぱり勘違いしてるな」
薄々感づいてたんだ。話が妙に噛み合わないと思っていたら妹は僕のことを、軽蔑しているのだ。今までの彼女の瞳は、冷たくてもそんなに酷いものではなかったのに、今日のそれは昨日のDVDを見ている時と同じだったんだ。
僕の妹は清廉なのか知らないけれど、エロスに関しては妙に毛嫌いする傾向があるようだ。ひたすら僕を『不潔』扱いする花見川同様。
そういうデータを統合してみた結果、導き出した答えは、モモちゃんは先ほどの僕の発言、『大事な話がある』、を男女の思いの伝え合い、『告白』かなにかと勘違いしているようなのである。
そして僕の発言は電話だったため花見川しか聞いていなかった。又聞きのモモちゃんが勘違いしたという事は、花見川も、なのだろう。
「どうやら二人とも僕の言葉を履き違えているみたいだけど、僕が花見川に言った……、
ってちょっと待て、花見川はどこにいるんだ?」
今更ながら当事者の花見川がリビングにいない事に気がついた。
「まさかバラバラに帰ってるとかじゃないだろうね」
不安が脳裏を掠めた。それは、マズい。よりにもよって彼女を一人きりにするのは。
「むくげさんには廊下で待っていてもらっています。私が兄さんに一言あるって先に中に入ったんです」
しれっとモモちゃんは言った。ホッと安堵の息をつく間もなく、
「ともかく時と場所をわきまえて下さい兄さん。あなたがそんな低俗な人間だったのはこの際気にしません」
隔靴掻痒、なんてもどかしいのだろう。きちんと話を聞いてもらえれば、わかってくれるはずなのに。
「ただ、よそ様の娘さんに対し劣情をそそるのは、最低の屑の所存です。最後の頼み綱であるあなたの理性に語りかけます。正気を保って下さい」
実の兄貴が、畜生以下と彼女は認識してるのだろうか、ショックを通り過ぎて絶望だ。
「ただ、」
ぐわんぐわんと頭の中に鐘の音が鈍重に響きわたり、誤解をいかにして解くか思考を巡らせていた中、モモちゃんは言葉を区切ってから、少しだけ複雑な表情を浮かべてから呟いた。
「むくげさんは可愛いくて、優しくて、……あなたがそう思ってしまうのも理解出来ないわけじゃありません」
嬉しさと悲しさが半分半分入り混じった不思議な表情だ。
「あー、モモちゃん、君は重大な勘違いを、」
「私からは以上です。ここから先は兄さんの自由。私がししゃり出るのはこれが最後」
モモちゃんはそう言うと悲しさが睫毛をにじませるまで幾ばくもない危うげな表情でそっと離れ、キッチンの椅子に座った。
「モモちゃ、」
「むくげさん、話は終わりました。どうぞ入って来て下さい」 大きな響きわたる声で、モモちゃんが言ってから、リビングの扉が再び開くまでそう時間はかからなかった。
「えっと、」
もじもじしながら、女の子がドアを開けて入ってきた。
一瞬誰かわからなかった。
シンデレラとか、眼鏡からコンタクトとか、サナギから蝶とか、そんなの比にならないくらいの、大変身だ。
「花見川?」
戸惑いから唇が震える。昨日屑鉄造りの海で初めて出会った時のように、言葉がこれ以上でそうにない。あの時は、まだ幼さが残る少女と言った感じだったのだが、今は完全に一人の女の子、だった。
昨日からの花見川の容姿も彼女の性格にマッチしていたが、180°の方向転換した彼女もなかなかお似合いだ。
「うん、どうかな、トウちゃん……」
照れたように頬を紅くして、
「似合う?」
恥ずかしそうに花見川は聞いてきた。
「よく、似合ってるよ」
今の彼女の格好は似合いすぎるくらい合っていた。こじゃれた言い方が何も浮かばないのでストレートに表す。予想外のインパクト。昨日からの花見川の容姿がベストな状態だと思っていたが、垢抜けるとこんなにも、……止そう、こっぱずかしくて、僕が死にそうだ。
「ほんとっ?ありがとう!」
心底嬉しそうな声を上げた。
今の花見川がテレビのオシャレチェックに出たら文句のつけどころがなく最高得点を叩き出すだろう。
僕の注文した帽子が、いいかんじに彼女の頭に乗っかっている。サングラスは装備してないみたいだが、ブラウスとスカートをドレス風に組み合わせたシックなチュニックドレスが大人っぽさを演出していた。
髪型も昨日と違いまとめておらず、フワフワと下ろした栗毛の髪がたまらなく、似合っていた。
「たった数分でむくげさんはそれだけオシャレできるんだから脱帽です」
夏休み明けで垢抜けた同級生をからかうような口調で、頬杖ついたモモちゃんが声を上げた。
「そ、そんなことないよー!桃里ちゃんが手伝ってくれなかったら出来なかったってー」
「私は似合いそうな服を見せただけ。それを見事に着こなすから凄いんです」
「う〜、あんまり冷やかさないでよー」
モモちゃんはケラケラと笑い声をあげた。
「あ、私は部屋に戻って夏休みの宿題でもやるとします」
気を使わせたのかわからないけど、モモちゃんは寂しげな笑顔のまま居間を後にした。
リビングに花見川と僕で二人きりになる。
「と、トウちゃん」
「あ、何?」
見とれてたワケじゃないけど、無言になっていた僕の方を向きなおり、花見川がまばたき多めで呟いた。
「本当に、変じゃないかな?お化粧慣れてないから、不細工になってないよね?」
「ああ、大丈夫。よく似合ってるよ」
逆に驚いた。なぜならよくよく考えてみれば昨日までの花見川は全く化粧をしてなかったのだ。少女特有のあどけなさが、カバーしたのかわからないが、昨日の花見川も十分に可愛いかった。
今はほんのりとしたナチュラルメイクを施しているみたいだけど、それはそれでプラスになってるから、女性、いや花見川は凄いのだろう。
ああもう、なんか僕は花見川教の信者みたいになってるが、彼女が綺麗なのは事実だ。
それだけお洒落に気を使っているからこそ、残念なのだ。
彼女はおそらく、僕からの大事な話を愛の告白か何かと勘違いしているのだろうが、実際は血なまぐさい赤髪殺人鬼が近くにいるというなんとも落差が激しい話なのだ。
「そ、それで、大事な話って?」
いじいじと指を絡ませながら花見川は俯きがちに尋ねてきた。
そのまま告白とかした方がシチュエーション的には正しく頬を上気させる花見川を見てたらそうしてあげたいとは思うのだが、
……そうはいかないだろう。
さあ、なんて言おうか。
新たな命題は、僕には少々難しいみたいだ。




