11虚偽、真実、誤魔化し
「花見川むくげだよ」
樒原と名乗った青年は僕の様子を確かめるようにもう一度同じ言葉を投げかけた。
エウスタキオ管を跳んだり跳ねたりする花見川むくげという名詞に聞き覚えがあるかと問われたらイエスとしか言いようがないのだが、
「花見川むくげ?さあ。知っていたらどうなんだ?」
赤い髪をしたこの人だけにはそう易々と答えを教えてやるわけにはいかない。
花見川の名前が飛び出した時点で確定だろう。こいつは、考えうる最悪のパターン、通り魔犯だ。僕と花見川が今、もっとも接触を恐れている人物。
「とぼけねぇで正直に答えろよ」
「一切がっさい存じあげません。……と言ったらどうなる?」
本当なら、そう言いたいところだが、庇ったところであまり意味をなさない。なぜなら僕に花見川の事を尋ねる時点で彼女が僕の家に転がりこんでると当たりをつけているだろうからだ。よって濁した言い方が僕に残された最後の防波堤である。
「さぁて、ね。質問が拷問に変わる、なんて事もあるかもな」
「それは怖いね」
大げさなため息をついてから、味噌汁に口をつける。パニック状態を悟られないよういかにも冷静を装ったわざとらしい仕草だ。自分の演技の下手さを誤魔化す手段に食事を選んだのはなかなかいい選択だろう。そうだ、忘れちゃいけない、今僕は昼食を取っているんだ。
「正直に答えた方が身のためだぜ?
一度でいいからこのセリフ言ってみたかったんだよ」
クシャとシワよせて笑っている彼から悪意というものは全く感じられないが、最初のセリフにはゾクリと鳥肌がたったのは事実だ。
「花見川、むくげ。彼女については知ってます」
「ほーぅ。んで?」
べつにへたれたわけじゃない。ここで意地はって彼を挑発し続けても意味をなさないし、なにより大まかな大筋を樒原は知っているのだろう。
火事で家を失った(実際は住めなくなったくらいだけど)花見川が白江家に居候しているということを。
「んで、と言うのは?花見川については知ってるけど、その続きになにを求めてるんだ?」
「むくげを探してんだ」
「探す?なんで?」
「秘密。そりゃ本人にしか言えねーよ。それで今、あいつはどこにいるんだ?」
なぜ下の名前で彼女を呼んだのかはさておき、秘密とは上手い言いようである。言及しようと思えば出来るけど、したところで誤魔化されるのがオチだろう。自分の犯行の目撃者に会った犯人が取る行動、昔から相場が決まっている。
花見川も花見川だ。現場に個人情報の詰まったカバンを忘れるだなんて、ベタな事をしてくれたものだ。それではわざわざ私を狙って下さいって言っているようなもんじゃないか。
「それよりなんで僕に花見川の事を聞いてきたんだ?」
「先に質問に答えろよ、今花見川むくげは何処にいるんだ?」
僕は何も言わずに唐揚げご飯を口にかけこまし、これ見よがしにもぐもぐと咀嚼した。その様子に樒原はやれやれと小さくと息をはいた。
「あいつんチが火事にあったらしくてな。家に行っても不在なんだよ」
樒原は僕が通り魔犯の正体に気付いている事を知らないみたいだ。これは一つのアドバンテージ。
彼は元から花見川の知り合いだと僕に思わせようとしてるみたいだ。不審火で花見川の口封じに成功したと判断してるのだろうが、残念。僕は花見川から事の詳細を構わず報告されている。なんてったって僕は彼女の救世主、だからな。……なんも嬉しくない。
「それで調べてみたら彼女の親父さんの同級生の家に転がりこんでるそうじゃねぇか。それでその息子のあんたに接触を図ってみた、ってわけだ。それで、実際はどうなんだ?」
「どう、とは?」
彼が何を聞きたいのかわかっているがとぼけたふりして会話を引き伸ばす。僕はその間に何を言うべきか、言わざるべきか、考えを必死になってまとめていた。
「だから火事で自宅を離れた花見川むくげはあんたんチにいんのかって話だ」
「ああ、はいはい」
火事を起こしたのはお前だろ。そう思いつつも口にはださない。
……ん?ふと疑問に思った。口封じのために小火を起こしたのになぜ花見川の行方をこいつは知りたがっているのだろう。喋るな、と脅しをかけて花見川の家に火をつけたのなら、もう彼女の前に現れる意味はないだろう。それとも、警察には言うなよ火事のように俺は本気だぜ?と会ってわざわざ言いたいのだろうか。
もしくは元々あの火事は花見川を天に送る目的で起こしたのだろうか。失敗したので、会ってもう一度、とか。
どちらせよ、危険極まりない男だ。
「ああ、確かに花見川は居候してるよ」
「ほう、そうか。会わせてくれ」
さて、
「だけど彼女、僕の両親にくっ付いて実家の方に行っている。だから今、この街にはいない」
嘘だ。だけどそれくらい言っておかないとこの場を誤魔化しきれないだろう。
自分の強行を目撃した花見川をこいつがどうしたいのかは知らないが、助けを求められて何もせずに傍観してたのなら寝覚めが悪くなるというものだ。
「……実家だぁ?どこだよ」
「島根」
短い返答に樒原は一瞬当惑で目を円くしてから、
「シジミ?」
「うん」
「石見銀山?」
「うん」」
樒原は目をぱちくりさせている。
「出雲大社」
「うん」
「鳥取県とよく間違えられる?」
「そうなの?隣の県なだけじゃん」
「一年計の砂時計?」
「サンドミュージアムにあるね」
「……中国地方?」
「うん」
彼は僕の頷きを受け、無言になった。あと、松江城や宍道湖を付け加えようかと思った矢先、樒原は大きく声を上げた。
「遠いじゃねぇか!」
「ごもっとも」
立ち上がって睨みつけられてもこればっかりはどうしようもない。正直に『嘘ぴょーん』と言っても許してもらえそうにない雰囲気だ。花見川がそんな遠い場所に行っていると認識したら樒原もそう易々と手を出せないだろう。
「なんでそんな遠いとこに行ってんだよ」
「親戚の集まりがあるんだよ。花見川は特別ゲストだ。僕は夏期講習があるからお留守番」
花見川の件だけ嘘で、あとは全部真実だ。真実の中に嘘を織り交ぜることで見破りにくくなるとテレビで言っていた。
樒原は文句を言いたげに唇をとがらせているが、口を開かず、そのまま椅子に座った。
「と、いうわけで花見川はいまここから単純に片道800キロ先にいるわけだ。何か言いたい事があるなら電話で言付けておくけど、なにかあるかい?」
「いや、いい。それよりいつ頃帰ってくるんだ?」
彼が僕に伝言を頼めないのは当たり前だ。まさか自分が殺人者だと明かすわけにもいくまい。生憎僕は知ってるけど。
「多分一週間後くらいになるかな」
「一週間か」
大まかな日付を聞いて樒原は何かを考えこむように顎に手をあてた。
とりあえずの猶予期間を得たな、と思いながら僕は食事を続ける。
大丈夫そうだ。樒原は信じた。僕を疑ってはいない。帰ったら速攻花見川と相談会だ。
「よし、むくげが帰ってきたら教えてくれ」
ポンと思いついたように樒原は朗らかに僕に告げた。何を言ってるんだこのキラー。
「メルアド教えてやる。今なら特別電話番号もだ。むくげがお前んチに帰ってきたら連絡してくれ。赤い髪の男が話があるってな。それだけ多分向こうは分かるだろう」
十分すぎるくらい知り得るだろう。心労で殺す気かこの男。
「それでいいよ」
「おし、それじゃあ早速」
彼はそう言ってポケットから、赤い携帯を取り出して僕にかざしてみせた。どんだけ赤が好きなんだろう。
「おい、お前も出せよ、携帯」
「なぜ?」
「なぜ、じゃねぇーよ。連絡先交換しようってのになんで動かねぇんだ」
なるほど、ね。
「ああ、携帯今家にあるんだよ。学校に持ってきちゃいけない決まりでね」
本当はポケットにサイレントマネーでしまってある。それを出さないのはただ単純に彼に自分の連絡先が知られるのが嫌だからだ。
「ふーん、そうか。んじゃ仕方ねぇな」
樒原はそう言って自身の携帯をポケットにしまった。それから何かを要求するように手のひらを上にして僕に差し出してきた。
「なに?」
「ペンと紙貸してくれ。学生ならカバンにそれくらい入ってるだろ」
言われた通りノートの切れ端とボールペンを渡すと、流れるような動作で何かを書き付け僕に一式を返した。紙には文字の綴られている。
「電話番号とメールアドレスだ。あとで連絡くれ。花見川むくげが帰ってきてもな」
「了解」
短く応じて、メモをズボンのポケットにしまう。
誰が連絡するか。一生この番号をマイセルラーフォンに入力することはないだろう。
会話が途切れたと同時に食事も終えたのでお盤を持って立ち上がる。セルフサービスなので食べ終わった食器類は流しに返しにいかなければならないのだ。
椅子に座ったままの樒原が驚いたように僕を見上げていた。
「おい白江。まだ漬け物が残ってんじゃねぇか」
「柴漬けが苦手なんだ」
「いらないなら俺にくれよ。好物なんだ」
「……」
とりあえず学食のおばちゃんの心遣いを無駄にしないで済みそうだ。




