文学と青春と友人
私は文学が分からない。
机に広がった赤点だらけのテストを前に私は盛大に愚痴った。
「そもそも、文学って何なの? 国語の教科書に載っている話を読んでも何にも感じないのよ。何を言いたいのか、ハッキリ言わないことが多いし、主人公がうじうじグダグダ悩んでて、あー! まどろっこしいぃ! ってなるの」
「そう」
正面に座る友人が素っ気ない返事とともに頬にかかる黒髪をハーフアップにして髪ゴムで留める。
朝は肌寒かったが昼には夏日のような気温となったため、ウザったくなったのだろう。薫風がこめかみに残った艶やかな髪で遊び、爽やかなシャンプーの香りが舞う。
その様子を眺めながら、私は愚痴を続けた。
「表現もさ、比喩? 揶揄? っていうの? とにかく、何が起きているのか分かりづらいのよ! 空想なのか、現実なのか分からない状況とかさ。なんか、ぬめっした気持ち悪いものが張り付く感じで、読み終わってもスッキリしなくて、結局、現実だったの!? 空想だったの!? なんの世界なの!? って、なるわけ!」
「はい、はい」
だんだん声が大きくなる私とは反対に、冷静な友人はカバンから可愛らしくラッピングされた袋を出した。
細く長い指が袋を抱きしめていたリボンをスルリとほどく。すると、袋の口から溢れたバターの香りが私の鼻をくすぐった。
赤点テストの上に手作りクッキーを置いた友人が私に訊ねる。
「食べる?」
「当然!」
友人の手作りクッキーは私のお気に入りの一つ。
私は程よく焼きあがった星を手にして、ポンッと自分の口へ放り込んだ。サクッという小気味よい音とともに香ばしい小麦の風味と、蜂蜜の甘さが口内を満たし、心がほわんと軽くなる。
この美味しさは市販のクッキーでは味わえない。
私はじっくりと幸せを満喫しながら、水筒に入ったお茶をコップへ注ぐ友人を褒めた。
「本当、お菓子作りが上手だよね。この前の溶けるチョコも美味しかったし」
「それは、トリュフ。好きなお菓子の名前ぐらい覚えたら?」
「それはまた別よ。でさ、話を戻すけど、やっぱり……」
つらつらと愚痴を続けようとする私に友人が呆れたように眉尻をさげる。でも、澄んだ黒い瞳は穏やかに見つめていて、拒絶していない。
そのことについ甘えてしまう私は軽く咳払いをして続きを話した。
「ほら、文学って思想や感情を言語で表現した芸術作品なんでしょ? ということは、絵画とか彫刻とかと同じってことでしょ? あれって鑑賞する人によって意見が違うし、好みもあるよね? だから、文学も個人で好き嫌いがあると思うのよ」
「そうだね」
「だから、こうしてテストで押し付けるのは違うと思うわけ」
声をあらげずに力説しながらも、クッキーを食べる手は止まらない。
可愛らしくラッピングされた袋が空になったところで、私はコップを手にした。口に含んだお茶は渋みや苦みがなく、独特の香ばしい風味と、あっさりとした口当たり。
「これ、何のお茶?」
「ほうじ茶」
「なんか聞いたことがある」
「三日前に美味しいって飲んだお茶だよ」
「そうだっけ?」
誤魔化すように首を傾げれば、悪戯な風が空袋を浮き上がらせた。
「あっ」
飛ばされないように慌てて押さえると、そこに友人の手も伸びて……
「んっ」
ほんのちょっと。爪の先がチョンと触れた程度。
それなのに、触れた指先が熱くなり、もどかしいような、くすぐったい気持ちが溢れてくる。
私はそんな感情を誤魔化すように笑いながら顔をあげた。
「危なかったね……え?」
窓から入る日差しを遮るように影が落ちる。
ふわりと唇に触れる柔らかな感触と、クッキーの残り香。
目を大きくする私の前で、何事もなかったように離れた友人がクッキーの空袋を片付けた。
「じゃあ、赤点の復習をしようか」
「……う、うん」
これまでの文学への怒りが消え、妙な恥ずかしさから目を伏せる。
そんな私に代わって、友人がテストを手にした。
「それだけ文学が分からないって言いながら国語は満点で、他の科目が赤点ってどういうこと?」
「……雄太が勧めてくる文学を読んでたら、こうなったの」
チラリと視線をあげると、頬杖をついた友人が意地悪く目を細めた。
「じゃあ、他の科目もボクが問題集を勧めたら満点をとれるようになるのかな?」
「そ、それはまた別よ」
プイッと顔を背けた私に苦笑が落ちる。
「じゃあ、いつになったら、友人から恋人に昇格してもらえるのかな」
「……それは、もう少し待って」
「なら、『沼堕』を読みながら気長に待ってるよ」
雄太が口にしたのは、どろどろとした恋愛感情を持て余し、闇へと堕ちていく主人公の青春恋愛小説。
こういう場合は、もっと明るくてハッピーエンドになる恋愛小説を読みながら待つのではないだろうか?
――――――やっぱり、私は文学が分からない。
よければブックマーク・評価☆をポチッとしていただけると励みになります!(/≧▽≦)/