作用反作用
「愚物が……」
呪いでも込めているのかと言うほどの低音で呟いたのは、ガストンの予想通りアンだった。
事実を報告しただけのガストンでさえ、恐怖で身を竦ませる。
「契約、ねぇ……」
そこに更に冷たい声が加わった。
本来の報告先、ディオンである。
「出産間近のリーを本館に呼びつけるなど、どれだけ不敬な行為なのか彼には教えた方が良いのかな?」
ディオンが笑顔らしきものを顔に貼り付ける。
王太子の子供を身ごもっている女性を呼びつける行為は、王族を呼び付けるのと同等の行為にあたる。
招待ではなく、一方的な呼び出しなど、例え書類上の夫であっても、有り得ない。
「リーには伝えなくて良い」
ディオンが隣で眠るレベッカの頬にそっと触れた。
暖かい部屋でディオンと話しているうちに、レベッカはうたた寝を始めてしまったのだ。
臨月の妊婦でも微睡む事が出来るほど快適なソファに、眠りに誘われてしまったらしい。
そして三日後。ジョエルがレベッカを呼び出した時間には、まんまとディオンが別館に居た。
元々ほぼ毎日来ているので、レベッカがそれを不審に思った様子は無い。
「え? 本館の使用人が私を迎えに来ている? なぜ?」
ジョエルからの手紙の件を知らないレベッカは、当然の疑問を口にした。
そして今、使用人が迎えに来た事を伝えに来た警備兵も、手紙の件を知らないので「わかりません」と素直に答える。
あの手紙の事は、その場に居た人間だけで情報共有されており、ガストンと共にいた警備兵には誰にも言わないようにと口止めがされていた。
「殿下がいらしているので無理だと伝えてくださる?」
レベッカが言うと、伝令係になっている警備兵は戻って行った。
「私とアルの関係を抜きにしても、なぜ自分が王太子より優先されると思っているのかしら?」
レベッカが首を傾げる。
「それとも、アルも一緒に来いという事かしら?」
益々不敬だわ、とレベッカは少し怒ってみせる。
「ほら、あまり怒ると可愛い子猫ちゃんが驚いてしまうよ」
ディオンがレベッカのお腹に優しく触れながら、とろけるような笑顔を向ける。
「アルは優しすぎるわ。貴方が怒るべきところでしょう」
本気でそう思っているのか、レベッカは笑うディオンの頬に手を当て、心配そうに言った。
レベッカの台詞を聞いて、ガストンは苦笑していた。
未だにディオンは、ここ以外の場所では他人に絶対零度な対応をしている。但しレベッカは知らないし、信じないだろう。
無論ガストンも言うつもりは無いが。
誰でも自分の命は惜しい。
現に今、ディオンはレベッカにバレないように、ガストンをひと睨みしてきている。
「どこにでも命知らずっているもんだね」
リズがディオンがガストンから視線を逸らした瞬間に呟く。
「え? それ、俺の事? 本館の馬鹿の事だよね?」
ガストンが隣に立つリズへ問い掛けると、ニヤリと意地の悪い笑顔が返ってくる。
「さぁ、どちらでしょう?」
どこか揶揄う口調のリズに、ガストンは情けない表情を向けた。
「は? レベッカが来ない、だと?」
追い返された使用人は、それをそのままジョエルに報告した。そもそも使用人が別館に行ったのも、時間になってもレベッカが来なかったので、ジョエルに呼びに行かされたのである。
「あの警備兵が立っている所より奥には行けなかったので、伝言を頼んだのですが」
そこで使用人は一度喉を鳴らし、唾を飲み込む。
「王太子殿下がいらしているので、無理だと断られました!」
怒鳴られると思って肩を竦め下を向き報告をした使用人は、何も反応を示さないジョエルにそっと視線を上げた。
「ヒッ!」
そこには、顔を真っ赤にして怒りを露わにしているジョエルが居た。
断る理由としては、至極真っ当であり、この上無いものだった。
しかしジョエルにとっては、触れられたくない傷を抉られたような気分だった。
利用したつもりが、利用された。
世間知らずの箱入り娘だと思ったから結婚を申し込み、初夜の晩に種明かしをした。
皆が帰った後に冷たい態度の自分に驚いて、傷付いたような顔をしていたレベッカ。
トーマスを愛人としてあてがうのは決定だったが、ロラに隠れて初物をいただこうと密かに思っていた。
自分を愛している哀れな妻への、夫としての温情だった。
それが、ロラとの初夜を見せつけ更に優越感に浸ろうと呼び出した時には、態度が豹変していた。
まるで部屋の隅に溜まっている埃でも見るような、何の感情もこもっていない目。
しかも魔法契約が出来るメイドなど、いつの間にか屋敷に入れていた。
そして翌日には、王太子の公妾となっていたレベッカ。それを更に翌日に、赤の他人から聞かされる間抜けな夫に成り下がっていたジョエル。
忘れられない、屈辱的な記憶だった。




