愛人と公妾
応接室では、異様な空気が漂っていた。
にこやかな建築ギルド長ヘイオス。
顔面蒼白のウッドヴィル伯爵ジョエル。
驚きながらも、どこか嬉しそうなレベッカ。
「いや、本当に、待ってくれ」
ジョエルが片手で顔を覆い下を向いたまま、ヘイオスへ片手を上げて止める仕草をする。
「なぜ俺の妻であるレベッカの別館を、王太子殿下が建てるんだ? しかもうちの敷地内に?!」
顔を上げたジョエルが、叫ぶようにして問い掛けた。
いつもなら体面を保つ為に自分を「私」と呼ぶのに、それすら忘れている。
「は? いや、白い結婚をするとの魔法契約まで交わして、レベッカ嬢を王太子殿下の公妾に差し出したのですよね? 昨日、王太子殿下からの依頼が来て驚きましたよ」
ヘイオスがどこか馬鹿にした声音を出す。その目は、お前は溺愛していた婚約者が妻になって嬉しい、と盛大な結婚式を挙げておきながら、翌日には王太子へ公妾として差し出した男だろ、と暗に言っていた。
その不名誉さに、ジョエルの顔色は益々悪くなる。
「今日のところは一旦帰ってもらってもいいだろうか……」
ようやく絞り出した声で、ジョエルが告げる。
しかしヘイオスの返答は冷たいものだった。
「申し訳ありませんが、王太子殿下より貴方を優先する理由が私には有りませんね。別館を建てる場所だけ決めてくださいよ」
大きな溜め息と共に否定の台詞をぶつけられ、ジョエルはグゥと喉から変な音を出す。
レベッカはといえば、最初の挨拶以降、ずっとキラキラとした視線をヘイオスへ向けていた。
厳密には、この場にはいない依頼主へ、だろうか。とにかく嬉しいという表情を隠しもしない。
「おい、お前……いや、君も何か言え、いや、意見した方が良いんじゃないか?」
グダグダである。
まだジョエルは仲の良い夫婦を演じたいのか。
しかしレベッカには、露ほどもそのような気持ちは無い。
初夜の晩……いや、この屋敷で彼の態度が急変した時に、彼への情は雲散霧消した。
「この建物とは離れていて、日当たりが良い場所が良いです」
ジョエルの予想とは真逆の、別館建設に意欲的な意見をレベッカが話す。
「おい!」
思わず、といった感じでジョエルが大きな声で止めると、レベッカはキョトンした顔を向けた。
「何か? 貴方はロラ様とこのお屋敷に住むのでしょう? それならば、私が愛人と過ごす屋敷は別に必要でしょう?」
レベッカの、なぜ怒っているのか解らない、という不思議そうな表情に、ジョエルの苛立ちは募っていく。
「俺は、お前に愛人を作れとは言ったが、王太子の公妾に差し出した覚えは無い!」
ヘイオスの前だという事も忘れ、ジョエルはレベッカを怒鳴りつけた。
「アル……王太子殿下が私の愛人ですよ」
レベッカは、満面の笑みをジョエルへ向けた。
本来、公妾というのは、妾の夫にあたる人物との契約が必要だった。
公妾となった人物が産んだ子供にも、王位継承権が発生するからである。
夫となった人物は白い結婚を貫くと、王家と魔法契約を交わすのだ。
そして、妻を公妾として差し出す代わりに、何を得るかの交渉もする。
公妾契約を交わせば夫側の愛人に、戸籍上の妻にはなれなくとも、公の場で夫人として名乗る事の許可も与えられる。
その場合、愛人の子は婚外子の庶子ではなく、嫡子として認められる。
正妻とは白い結婚を貫かなくてはならない事への配慮である。
しかし今回、ジョエルは妻を公妾とする契約を結んでいなかった。
その為、愛人は愛人のままだし、婚外子は庶子のままで、後継者にする為には養子として迎えなければいけない。
それに、このままでは何も恩恵を受ける事が出来ない。
身に覚えの無い公妾の話。
正に寝耳に水、である。
だから公妾の夫としての権利を、ジョエルが主張したのも当然と言えば当然だった。
「王太子に、公妾契約を要求してやる!」
「無理ですね」
ジョエルが叫ぶのに、否定の言葉を返したのはアンだった。
皆の視線がアンに集中する。
「まず、ウッドヴィル卿は白い結婚である事と、レベッカ様が愛人を作る事を魔法契約しております」
冷たいと感じるほど感情の無いアンの視線がジョエルを見ている。
「王太子殿下は、レベッカ様の愛人となりました。新たにウッドヴィル卿と公妾の契約を結ぶ必要は無いのです」
淡々と進められる説明に、ジョエルの顔から赤みが引いていく。
「レベッカ様は公妾となりますが、それは王太子殿下が王宮へ届け出れば良いだけです。ウッドヴィル伯爵、いえ、ブーケ家から見れば、単なる愛人なのですから」
白い結婚の契約書は既にありますからね、とアンが口角を上げながら告げた。




