2.墓標
潜入捜査に復帰する計画はなかったし、二度と御免だった。
顔をどうやって整形するか、佐知子や医者と相談して決めたところでもあった。
あの写真を見なければ断っていただろう。
「これを見てちょうだい」
暴力団対策課潜入捜査班付きの卯月理事官が赤表紙のファイルを広げた。“特定秘密”とスタンプされている。中身は衛星写真と英文資料だった。
「本来、あなたには見せられないモノだけど、先方がエージェントとの情報共有を認めたのよ。しかも積極的にね…」
「先方って?」
「ラングレーよ」
なるほど、CIAか。
画像の出元は国家偵察局(NRO)だろう。解像度が異常に高い。
「エージェントって?」
「あなたよ!」
卯月理事官はにらみを利かせると、有無を言わせぬ勢いで喋り続けた。
「時系列でいくわよ、まずこれ。盟心會と東京紅蓮隊はクレーターの中で抗争を再開した」
赤外線写真を見ると、数十個の赤い楕円が集まり、くっつき合い、もつれ合い、渦を巻いている。所々楕円から突き出しているのは腕や脚だろう。その周辺に同じ数ほどの倒れた人形の影が散らばっていた。
人形は青く、中にはうすピンクのものが混じっている。
「赤いのがヤツラか。青いのは冷たくなってる?道具なしで殺し合いか?」
「そうみたい。最近はこうよ」
次は光学写真だった。
均等に地面を掘り返した跡が見えた。次々に増えて最新の写真ではざっと八十。
「まさか…」
「ええ、墓ね。全部、盟心會側」
「道具がないにしても、半グレのガキどもにやられっぱなしか?信じらんねえ」私は呟いた。
「どうやって墓穴掘ったんだ?」
「農作業の道具は与えてるわ」
ヤクザが“道具”と言う場合、普通は拳銃を意味する。
「…しかし、なんでまたアメリカさんはこんなものを?それに、俺らも空撮してたんじゃないの?」私は率直に尋ねた。
理事官は口を曲げて嫌そうな顔をした。
「塀の監視カメラじゃ目が届かなくて、正直知らなかった。あそこは外周以外の施設は整備中なのよ。で、肝心なのはこれ」
私は覗き込んだ。
拡大画像も添付されている。
「なんだ?黒い鳥、カラスか?いや、ちょっと待て。デカすぎるな。動きが速すぎてぶれてんのか」
私は顔を上げた。
「なあ、なんだコレ?」
「知らないわよ!だから見てきて!」
卯月理事官は腕を組んだ。
「これ一枚しか撮れてない。なぜ先方がこの影をここまで気にするのか不明。あたしたちもドローンやヘリを飛ばしたけど不明。もちろん画像のノイズの可能性はある。彼ら、中の懲役どもは何か見てるかも。あなたは何か見て来れるかも。長くて三日。それ以上は入らなくていいわ。いずれにしても、塀の中の抗争でバタバタ死んでる時点で異常事態よ!」
「ヤクザと半グレの潰し合いは想定済みでしょ?それより、あそこは隕石が墜落した跡だろ?こいつが隕石にくっついて来たエイリアンだったら?」私は写真をつまんでぶらぶら振った。
卯月理事官はこれ見よがしに顔をしかめ、鼻の頭にシワを寄せた。
「そのときは援軍を送るわ」
そんな上司とのやり取りがあって、佐知子に別れを告げた日の翌朝、私は車を飛ばして“クレーター監獄”に向かった。
正式名称は“埼玉刑務所”。
隕石衝突の衝撃波が造り上げた直径約十キロの円環状のクレーター壁がコンクリート補強され、高さ五メートルほどの絶壁となってそびえ立つ。
間近で見ると壁は左右に果てしなく、地上の行き止まりのようだ。
壁の外に建てられた詰め所で最後の打ち合わせを行い、囚人服に着替えた。
出入口は三重構造になっており、第一、第二の鉄扉が轟音を立てて閉じると、第三の扉がクレーター内部に向かって開いた。
振り返り仰ぎ見れば、歩哨に立った刑務官たちが塀の上から見下ろしていた。コンクリート塀がそれだけ分厚いということでもある。
目の前に広がるのは、鬱蒼とした雑木林だった。下草が生い茂り、ブヨが飛び交っている。
日差しを遮っているのはクヌギやコナラといった木々のようだが、隕石で焼け野原になってから九年そこそこで植物の成長が早すぎる気がした。
盟心會のアジトの場所は分かっている。その方向にヤブをかき分け進んでいった。
三十分以上歩き続けると、開けた野原に出た。
地面がデコボコに掘り返されており、すぐに気付いた。例の墓場だ。
真新しい墓穴の前で、一人の男が背を向けていた。
男は、私の気配にぎょっと振り返ったが、すぐに笑い出した。
「てめー!どこほっつき歩いてやがった?こっちの生き残りは五人だぞ?」
彼の名は、鬼柳一穂。
盟心會の若頭であり、私の四分六の兄貴だ。