1.潜入
歓迎されない空気はすぐ分かる。
子どもの頃の学校の教室、初めての職場、会食やパーティー、親族の集まりですら…
私が店に入ると、いつもの冷ややかな空気を感じた。
早い時間で客の入りは少なく、ガールズバーの着飾った若い女性たちは、カウンターの中から中途半端な笑みを浮かべた。
私は隅の席に座ると、「悪いけど、佐知子と話したいんだ」と手近な女性に頼んだ。
「ちょっと、店に来るなんてどういう気?」と佐知子が割り込むように目の前に来た。「それに、本名で呼ばないでよ!」
「ああ、すまん。話をしたかった。仕事で明日早くに出る。しばらく帰れない」
「何その雑な説明。ふざけないで!こっちのバイトが終わるまで待てないの?こんなとこで話なんかできないわ」と佐知子は身を乗り出し、押し殺した声で囁いた。
視線を感じたので目を向けると、数人の客がこちらをチラチラ見ている。私が見返すと、彼らは目を伏せた。
「それに酒を一杯、飲みたかった」
佐知子はため息をついた。
「こんなとこで飲まなくたって…
で、どこ行くの?」
「ちょっと耳貸してくれ。…“クレーター監獄”って知ってるか?」
「嘘っ、また潜入?」と佐知子の顔が険しくなった。
「もうやめてよ」と私の側頭部を横切る傷を指先で触った。銃弾が頭蓋骨を滑った跡だ。「この前、死にかけたじゃん」
私は三年間、広域暴力団“盟心會”への潜入捜査に従事し、二次団体“鴉氣組”若頭補佐の地位まで駆け上がった。
一次(親)団体である盟心會の若頭をこの傷と引き換えに敵の襲撃から守った功績は、出世に大きく影響した。
「やめなかったら、ここで叫ぶわよ?“皆さん、この人は暴力団員に化けた組対の刑事です!”って」
「構わない。バレたらダメな相手はみんなクレーターの中だ」
半分嘘だが、半分は本当だ。
盟心會は昨夏、凶暴な半グレ集団“東京紅蓮隊”との血で血を洗う壮絶な抗争に突入した。
今年に入り、双方の主要幹部と、合わせて五〇〇人を超える構成員が逮捕され、特に量刑が重い二〇〇人が“クレーター監獄”に収容され、その他も懲役刑に処された。
私の生殺与奪に関わる盟心會の幹部連中は、みなクレーターの中におり、塀の外の周辺者、関係者らも連絡が一切取れない。
「それに、埼玉のクレーターでしょ?今は刑務所って言うけど、あの近くに友だちがいて、その子に聞いたけど、あそこ怪しいよ。隕石っていうより、原発事故の跡地みたいな処理されたと思ったら、凶悪犯を閉じ込めるとか…」
「ああ、分かってる」私は佐知子の頭を撫でてやった。
音楽しか聞こえない。
周りを見ると、カウンターの中の女性たちは宙を眺め、客たちは黙って下を向いている。
「邪魔したみたいだ。そろそろ行くよ」と私は佐知子に別れを告げた。「ありがとうな。お前の顔を見れて良かった」
「気をつけてね。龍司たちのおかげで新宿も平和になった。感謝はしてる」
佐知子は腕を組んで背を向けた。