第一話:二三八六年の常識-2
四百年後の常識と未来ならではの技術に翻弄される薫だが、そのまま受け入れるわけにはいかないものもあった。
それはホムンクルスの扱いであり、彼女の中の矜持よりも自分自身の常識で受けれられない内容だ。
……などと考えていた薫は空腹を覚える。
だがこの空腹を克服するにも再び彼女の前へ、無理難題が持ち上がった。
グランドブレイン参號の報告で、薫が性の処理について説明されて提示されたものへの了承は何一つもなかったこととやけに慌てふためいたこと、そうしてホムンクルスのゴッドネスでの性処理に明確な拒否を示したことを三宝は部下とも情報を共有する。
〈んー……これってもしかして、経茅花さんが性の経験をしてこなかったことに関係あるのですかね?〉
結果から過程を考えればそうかもしれないが、それと同じ質問をグランに出した博士は〈そうとも言い切れない〉と御堂に返した。
〈彼女の過去に性を拒否する出来事があったのならそれなりの反応があってもいいはずなのだが、それは見受けられなかったと言うんだよ〉
薫が何を考えているのか、心を読みたくともそれは彼女の身体から発生されているユラギによって脳波の測定は阻害されるも、体温の上昇、発汗、鼓動と脈拍の計測によりある程度の感情は推測で読み取ることができる。
グランの性処理の道具についての説明と質問で薫の体温の上昇と鼓動が早まる事はあったが、胃の収縮や筋肉の強張りは見られず、加えて彼女の表情、発汗の度合いから過去の経験によっての嫌悪からくるものでは「無い」らしいと、人工知能は結論づけていた。
〈じゃあ、なんでそんなに嫌がるのでしょうかね?〉
御堂の質問に、うーん……と博士は唸ってから、
〈アーカイブの過去の情報から照らし合わせてグランに彼女の拒否に対する推測を立ててもらったが、多分、あれは宗教などの観念からきたものではないかと、そう言っていたよ〉
へ? 間の抜けた脳内の声に三宝は再び深く頷いた。
〈驚くのも無理はない。だがね、もしそうなら面白い。宗教が絡むとなると、とても興味深いよ。なにせ今では宗教を重んじるのは黄色の首輪付きくらいだからね〉
けれども、と三宝は付け加える。
〈彼女の性への潔癖性が宗教由来であると言っても、ちょっと西洋的らしいともグランは言っていたよ〉
興味はまだまだ尽きぬがまずはここで推測をやめておくよと言い置いて、三宝は会話を打ち切った。
御堂は角張った顔をぼんやりとさせたまま、ベッドの中で考え込む。経茅花薫が本当に四百年前からやってきたのだとしてこうも生活の事情が様々と違うのなら、いつか、ストレスが積もり積もって身体に病となるような負担がかかるのではないだろうか。
これは早急ではないにしろ、なるべく早めに現代のここの生活・風俗と過去の文化のすり合わせが彼女には必要ではないかと、眠気の吹き飛んだ頭をガシガシと指先で力強く掻いた。
そろそろ正午になろうとする頃、薫はようやく空腹を覚えた。
今は病衣で足元はスースーとするし、紐一本だけで閉じられている背中もどこかひんやりとしていて、何より下着を上下どちらも着けていないから心許ないったらありゃしない格好なのだが、幸いと言うべきか早朝に三宝博士が首輪を付けに来て以来、大人の男性に会っていないからまだ平気ではある。
平気ではある……が、少しずつ平常心を取り戻しつつある薫は未来的とは言い難い古ぼけた宿直室の出入り口に佇む少年が座りもせず、ずっとここにいることへようやく気にかけられるようになった。
「あのね、ゴッドネスくん。そこに立っているよりも畳に上がるといいんじゃないかな」
有機ナノロボット不適合者用のものだと手渡された静中都市についてのパンフレットから顔をあげ、ベッドに腰をかけたまま部屋に置かれているちゃぶ台へ向かって手のひらを向ける。
「お気遣いありがとうございます。ですが、気にする事はありません。ぼくはホムンクルスですから」
予想はしていたが、やっぱりの返事。
——どんなに彼が見かけとは違う、身体だけは五十歳とプラスアルファの存在だと言われても、百歩譲ろうがなんだろうがどうしたって子供にしか見えない——
とてもじゃないが少年の言葉にはい、そうですかとは了承できない薫は、どうやって彼をちゃぶ台の前に座らせようかと考えを巡らせる。
「その、ゴッドネスくん。よければここに座ってくれないかな。君の言う【ホムンクルス】、それがなんなのか教えて欲しいのよ」
これは命令なのか、お願いなのか。
どちらにせよゴッドネスにとって人間の薫の言葉は絶対なのである。ならば素直に靴を脱ぐまで。
「わかりました」
皮膚にぴったりと沿う特殊繊維の真っ黒い履き物をモルタル製の床に脱ぎ、それをきちんと薫の履いていたスリッパの横へ並べると、ベッドから立ち上がりすでにちゃぶ台の前で待機している薫の正面へと向かった。
「座って、座って」
彼女の正面に置かれた座布団が、少年の前にある。それに座れと言われて、ゴッドネスは言われるままに前屈みになって膝をおき、正座のかたちをとった。
「うん、ありがとう」
ホムンクルスには滅多にかけられない言葉。
……「ありがとう」とは感謝であり、そんな言葉を人間から言われるなんてまずあり得ないのだが、こう言う時はヒトで言う『困惑』を表情に出せばいいと体内を巡る有機ナノロボットの電磁波を使って総合アーカイブから情報を引き出し、ゴッドネスは顔の筋肉をうまく動かして困り顔を作り出す。
「経茅花さん、ぼくはホムンクルスですから『ありがとう』なんて恐れ多いです」
少年の困惑気味の顔を目にして、薫も困った表情を見せた。
「……それなのよねえ。グランさんといい、君を私の『召使い』扱いするけれど、それがどうにもわからないのよ。もしかして君って、ロボットなの?」
未来で人間にこき使われるのはロボット。……と、以前に漫画か小説で読んだ薫はそれに照らし合わせて目前の少年に尋ねた。
「ぼくはロボットではありません。ヒトに造り出された人造人間です」
いや、人造人間もロボットも、人間が造るモノではないのか? ……堂々巡りになりかける質問と答えを呑み込みつつ、彼女は自ずと首をかしげる。
「人造人間……ねえ。んー……ゴッドネスくん、ちょっと手のひらを見せてくれる?」
スッとちゃぶ台の上に出された少年の手のひらは、彼よりも、下手をすれば男性よりも背の高い薫の手のひらにすっぽりとおさまる大きさだ。
その手のひらを薫は下から掬い取り、自分の掌にのせる。
彼女よりもちょっとだけ高い温もりと、しっとりとした手触り。それを手首ごときゅっと握れば、鮮やかな弾力が手のひらに、指先に伝わってきた。
「本物の皮膚にしか思えないし、血管もうっすら透けて見えるし、そうねえ……もしかしてアンドロイドってやつなのかな?」
薫は四百年前の人である。しかも毎日の仕事に忙殺されSF小説や漫画にそれほど接する機会もなかったから、未来の人間以外のそれらしいナニモノかといえば、これくらいしか思いつかない。
そんな彼女へ少年は否定として首を横へと振った。
「ぼく達の身体の組成は全てが有機体。ロボットやアンドロイドと呼ばれるものにも有機ナノロボットや生体チップを使う事はありますが、彼らの組成は主に金属です。ホムンクルスはヒトとは完全に始まりが違う、ほぼヒトと作りが同じ生き物なんです」
眉を寄せて考えようにも何が何だか分からない、そんな顔をする薫へ自分たちの出自の説明を重ねる。
「ヒトがヒトになった過程はまだ未知の部分が多数ありますが、この世界に存在する動物たちと由来は同じではないかと言われていますよね。ですがぼくらは違います。ホムンクルスの祖先はアンドルー・クロスという方が見つけた生命体が始まりなのです」
——時は遡り、一八三七年。ヨーロッパの一科学者、アンドルー・クロスなる人物は高温で熱し、冷まされたガラス管の中に数日後、ダニのような生命体を見つける……——
「初めはそのアンドルーさんだけが創り出せる生命体かと思われていたのですが、のちにどうにか別の研究者も再現の成功をするようになり、そこから徐々に発展させ人工肉を経て一気に家畜を造り出すまでに至り、最後にはぼくらのようなヒトと同じカタチになったのです」
薫は分かったような分からないような顔をしながら、相手が理解しやすいように少年が結構はしょった解説をしてくれたことだけは理解した。
「……でも、こうやってゴッドネスくんは私と会話をしているし、体の構造もほとんど人間と同じなんでしょう? 出自はどうであれ人間と変わりがないのなら、召使いとかそういう上下関係はおかしいじゃない」
そう言われてゴッドネスは再び、総合アーカイブから困り顔を引き出してくる。
「いいえ、明確にヒトとホムンクルスは違います。ぼく達にははじめから『意識』はなく、動けるようになっても『意思』が無いのです」
うん? ……ここでようやく薫がわかりそうな取っ掛かりが出てきて、少年は話を進める。
「ぼく達ホムンクルスは培養槽である一定まで成長しますが、その培養槽から出されても呼吸と循環だけは機能する植物状態で生まれてくるのが、ホムンクルスです」
——彼らホムンクルスは、培養槽の中でも外でも何も施さなければ意識のない植物状態で生まれてくる。
エイジングケアを施さなければ時間と共に身体は成長しても、彼らは植物状態で育つだけだ。もちろん、放っておいても呼吸はするし、血液も何もかも体内で循環するから「生きて」はいるが、ただそれだけなのである。
そんな彼らに意識を持たせ、自力で立ち上がるように筋肉に働きかけ体の動かし方を教え、二足歩行で歩きまわり、声帯や有機ナノロボットを使って話すことも会話することも、人間のように生活できるような体にするものが【生体チップ】の存在だ。
ホムンクルスの脳は人間と同じ前脳・中脳・菱脳と構成が同じなのになぜか意識の機能はせず、何も処置をしなければ生涯、植物状態で過ごすこととなるが、——タンパク質で主に構成された薄い皮膜の——コンピューターの中枢にあたるものに似せて作った生体チップと呼ばれるものを彼らの脳の各所へ埋め込んで馴染ませてやると、ようやくホムンクルスは自力で動きだせるようになる。
だが、肉眼では視認できないとても小さなそのチップを脳に入れるだけで活動できるわけではない。
そのチップに人間と同様の仕草や感情を情報として入力、それから脳にチップを装着してその後に彼らの体内へ有機ナノロボットを注入。以降も体内のナノロボットを介してチップも使い脳に集積された情報を随時上書きしてやらないと人間に近い活動ができないなど、ホムンクルスは創造主の人間にとっても未だ謎に包まれた存在であった——
「……こうやって経茅花さんと話すこと、ぼくが見せる表情、仕草、その他色々と感情にまつわるものは常に総合アーカイブと連携し、状況に合わせて情報を引っ張り出したりしているので、実際はぼく自身の意思で受け答えをしているわけではないのです」
ヒトと同じ肉体を持つ、生身のロボットみたいなモノなのねえ……そういう彼女へ頷く少年に、薫はなぜか淋しさを覚える。
でもね、と薫は少年の目をまっすぐに捉えて口を開いた。
「今の私には君が対等な人間にしか見えないわ。だから、その……グランさんに召使いだなんだって言われても、そんなふうに接することはできないと思う」
それに、その、あれ……と口を濁し、少年に苦笑いを見せてから「ごめん」と前置きをして薫は話を続ける。
「せ、せい、性、欲……処理……なんかに、ね。グランさんはああ言うけれど、あれ、真に受けないでね。そもそも私、そういうのとは無縁だったし、これからもする事はないと思うし……」
ははは……と空笑いをして見せる彼女に、今度は真剣な顔つきの少年が質問をした。
「経茅花さんは今までに、そういう機会はなかったのですか? 夜這いを受けたりは?」
少年の問いへ一つ間をおいて、それから「夜這い⁉︎」と素っ頓狂な声があがる。
「ちょ、え……ええっ⁉︎ 夜這いって……あの、夜這いよね?」
なぜ問い直されるのかと、今度は少年が角度七度で首をかしげた。
「流石に現代では通い婚でなくなりましたが、それでも昔からの夜這いの文化は残っています。以前は主に男性が女性のもとへ通って同衾していましたが、今では男女関係なく、想うどちらかが相手のもとへ行く形になっています。ですがお互いの了解を得てからでないと相手の寝所へ行くことができないなど色々と細かく法律で決められていますが、もしかして経茅花さんのところでは無かったのですか?」
ええええ……と戸惑う声と共に、薫は顔色を赤くさせたり白くさせたりと変えながら、少年の問いに答える。
「有るには有ったけれど……って、そういうの、戦後はほとんどなくなったはずよ。田舎でもめったに聞かなくなったし、どこかで細々と残っているのかもしれないけれど、そんな表に出るようなものじゃないわ」
薫はグランドブレイン参號との会話で当初、この時代は性に奔放なようだと思っていたが、実際は自分のもといた日本とタイムスリップしてきたこの未来の日本は根本的に何かが違うようだとここに至って、骨身に沁みる違和感を噛みしめた。
そうしてゴッドネスたちの話を聞いていたグランドブレイン参號も、薫の口からこぼれ出た『戦後』の二文字を聴き逃さずに鋭敏な反応を示すも、今はまだ口を挟む時ではないと無言を貫く。
「……そういえば、そうよねえ。ここの太陽が黒かったの、忘れていたわ。戦後に進駐軍がきてから生活様式とか色々と考え方が変わっていったって社長と奥さんがよく言っていたけれど、ここの日本ではそういうの、無かったのかしら」
この場で説明するべきか否か、有機ナノロボットを介してグランとゴッドネスは口には出さずに相談するも、結論は「否」であった。
「そうですね。性に関しては実際、江戸時代が一番成熟した考えを持っていたのではないかと識者は考え、それを土台にして今の法律を作っていったそうです」
戸惑いに今も埋め尽くされている薫は、質問の要点をうまく逸らされたことに気づいていない。
「ある程度は国際社会に合わせていますが、日本は日本独自の生活を今も守っています」
「もしかして、江戸時代の鎖国がまだ続いているとか?」
ここは笑って流せと、グランから少年へ指令が飛ぶ。
「そんなことはありませんよ。文明開化で日本は江戸から明治になりましたからね」
笑いを含みながらの言葉に、なるほどと彼女は頷いた。
「まあ、これ以上は教えてもらっても今の私には理解どころか記憶できるかも怪しいわ」
はあ……と息を吐き出すと同時に腹がなり、そこで自分が今は空腹なのだと薫は思い出す。腹の虫がなったことで薫は情けない表情になり、ゴッドネスは彼女の腹へ視線を移した。
「……あのね、悪いけれどご飯はあるかしら。ないならお米とお鍋とお水が欲しいわ。あと、お勝手も良ければ貸して欲しいかしら」
胃腸に何か異常が出たのかと思えば、空腹であるとの訴え。そういえば昨日から薫は何も食べていなかったのだと、ここまでの絶食時間をゴッドネスは無言で数える。
「もしかして未来にはお米とか無いのかしら。だったら空腹を満たせるならなんでもいいの、何かいいものある?」
薫の言うコメとは『米』を言っているのであろうが、その米とは何を指すのだろうか。
「あの、お米ですが、ジャポニカ米、インディカ米、ジャバニカ米のどれを言っていますか」
その問いを聞いて、薫は一瞬にして絶望する。
(そこから説明が必要なの⁉︎)
……そもそも自分が何の種類を食べていたのかなんて、わからない。米屋に行って買うどころか、定期的にブレンド米を米屋から自宅へと配達してもらっていたはず。なので「ジャポニカ米の……」なんて言ったことはないし、何よりジャポニカ米とかインディカ米とは、米の何を指した種類なのかさっぱりわからない。
薫は絶望したうえで、何もかもをあきらめた……。
「……うん、ごめん。お腹がそこそこにくちくなるなら、何かゴッドネスくんが見繕ってくれるかな」
それに対して「わかりました!」と軽快な返事に、薫はなんとなくだが安堵した。
……これ以上、自分の米に対する無知を晒すと、会話が長くなりそうだったからだが……。
このTCA泰東統括部・静中都市管轄支部は薫の予想とは裏腹に、どこまでも昭和な内装の建造物であった。
だが、その風景に薫は違和感を覚える。
「厨房だってのは分かるけれど、冷蔵庫がないわね? ガスコンロとかはどこにあるの?」
その代わりに、食材と思しきものが所々無造作に置かれている。生肉も放り投げるように置かれていて、ここの衛生状態は大丈夫だろうかと危ぶんだ。
過去から転送されたこのビルには社食があったようで、厨房もしっかりとした造りである。
だが、ステンレスのシンクは薫がいた時代と同じ形のものだが、従来ならガスコンロがあるであろう場所にはただの真っ黒い横一メートル、縦七〇センチほどの机が、本来であれば冷蔵庫がある場所にはスチール製の棚が置かれていて、そこにはスライスされた生肉に丸物の生魚がラップすらせずに皿に置かれ、青々としたレタスやキャベツ、根菜類のジャガイモやニンジンも同列に平然と並べられている。
それと同様に他の肉類なども普通は飲み食いするテーブルにすら置かれていて、この光景は衛生観念を疑うレベルであった。
「冷蔵庫、ですか」
ゴッドネスは即座に体内のナノロボットを使いアーカイブ空間へ自身の脳を繋げると、その【冷蔵庫】の全容を探り出した。
「現在は使われていませんね。二一五二年に部屋の中に置かれた食材へポイントごとの冷却技術ができて以来、家庭にもその技術が広がりまして、経茅花さんの言う冷蔵庫は過去を展示する博物館に置かれているくらいではないでしょうか」
言われてみて薫は六人がけの白いテーブルに置かれたキャベツに触れてみると、驚くほどにひんやりとしている。部屋は過ごしやすい二十三度なのに、だ。
「冷えているのはわかったけれど、お肉とかは蓋をかぶせたり何か入れ物に入れないの? カビが生えたり埃がつくんじゃない?」
薫の危惧は杞憂のようで、肉や魚、作られた食事そのもへのスポット冷却とともに菌の繁殖をナノレベルで抑え埃を寄せ付けない電磁波とプラズマ技術があり、食べ残しすら一週間は余裕で室内に放って置けると知って彼女は仰天する。
「第一に普通のヒトであれば口内の雑菌も有機ナノロボットが処理してしまいますので、直接、料理に口をつけても菌の繁殖の心配はほとんどいりません」
……ああ、未来四百年。技術の進歩のし過ぎに、薫の頭はすでに飽和状態だ。
「この食材は経茅花さんのために取り寄せたものですから、好きに使ってください。まずはこのパンフレットから好きな料理を選べば、あとはオートキッチンが全て調理してくれますよ」
調理メニューのパンフレットは先ほど宿直室で渡された静中都市での暮らし方ガイドと同じ、A4ほどの大きさの白い紙が手渡された。その白い面を少年が指先でポンと叩くと、瞬時にしてメニューが紙面へ現れる。
だが、薫が驚いたのは紙切れがいつの間にか冊子になっていたことだ。
「……あの、ゴッドネスくん。これ、さっきは紙っきれだったよね?」
手渡された本をためつすがめつ眺める彼女に、ゴッドネスは「ああ」と笑みを見せる。
「これは有機ナノロボットを体内に入れていない方用のものなのですが、経茅花さんは冊子よりも一枚で読みたいのですか?」
何を言われているのかさっぱりな薫は、眉間に皺を寄せて少年へ顔を向けた。
「厚さは変わっても重さは変わらないですよ」
薫の両手の間にある冊子をつんと突くと、今度は冊子が一枚の紙になる。突如として本からペラになったものだから持ち上げていた指の間からそれは床に落ち、慌てて薫は屈んで取り上げた。
「……これってもしかして、あの車やジュース缶の蓋と似たような技術なのかしら?」
ペラを見回す彼女を、黒い球体越しに観察していたグランは無言で感心する。どうも彼女は柔軟な応用力があるようだ。
そんなグランの関心をよそに、薫が見ている一枚の紙切れの表面を少年がさっと擦れば、紙面に描かれていたメニューがスッと切り替わる。
「一枚で読みたいのならこの表面に指をのせたまま読みたい方向へ動かせば、ページがめくれます。ですがこの端末を利用する方は何度も指を動かしてページをめくるよりも、冊子タイプで目的のページを一気にめくったほうが早いと言って、こちらを好まれますね」
言うやいなや紙切れをトントンと二回叩けば、あっという間にペラが冊子へと変化した。
「はあ……その、私も本になっている方が楽かな……」
これ以上は何を教えられても頭の中が飽和状態で知識を詰め込めやしないと薫は以降、少年に言われるままにメニューを選び食事を機械に作ってもらうのであった。




