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序。−終

薫を一時保護して分かりだしたこと。その一つは、彼女の日本はこの世界の日本の過去ではないこと。

薫はパラレルワールドのタイムトラベラーであった。

それも含めてどうしても薫を手中に入れたいTCA本部は、国と警察庁に残酷な提案をする。

 (かおる)がゴッドネスとグランドブレイン参號(さんごう)から部屋のあれこれに関する説明を受けている間、現場から帰ってきたばかりの御堂(みどう)と、静中都市管轄支部内で彼らを待っていた三宝(さんぽう)が所長室の、間にエキゾチックな装飾を施した花梨(かりん)製のテーブルを挟みつつ向かいあわせで座っていた。

「……彼女をどうするのがいいと思う?」

 博士は実体音声のみで会話するよう、御堂に求めている。

 脳内で答えを返したはずがスピーカーが切られていることで不自然な間合いを作り出し、御堂は慌てて口を開いた。

「すみません、声を出すのでしたね。ええと……彼女の処遇ですが、二者択一ですよね、やっぱり」

 今は体内の有機ナノロボットの通信機能もオフにして、それゆえに自分が考えている内容はブラック・ウィドウへ流れることはない。御堂は突きつけられた問題を心の中で反芻する。

「……現場にいた時も考えたのですが、このまま警察へ報告するのは……その」

「反対か?」

 三宝の問いかけに御堂は彼らしくない仕草で頷いた。

経茅花(たちばな)さんが本当に過去から来たタイムトラベラーなのかわかりませんが、もし本当に警察に引き渡して国で監禁なんてされてしまったら、何て言うのか……後味が悪いです」

 まあなあ……と顎をさすりながら、三宝が相槌を打つ。

「それに、たった少し話しただけなのですが、不思議と同情がわきまして」

 それを聞いて博士の指先が顎から離れると、コツ、と指先で机を鳴らした。

「君が言いたいことはわかる。まだ素性の知れない、もしかすれば身分を偽っている犯罪者かもしれないのにそれでもなぜか私も、彼女の身の上に同情してしまってね」

 それから無言になって、所長室に沈黙が降り立つ。

「……グラン、経茅花さんの脳内地図は取れたかね?」

 博士はグランドブレイン参號に対しても無線による通信をこの時だけは止めるように命令していて、机の中央に備え付けた滅多に使うことのないホログラフィ装置を起動させた。

「三宝博士、経茅花さまの脳内地図ですが取得はできませんでした」

 頭上からのまさかの返答に「は?」と間の抜けた声が室内へ響く。

「経茅花さまの身体からは今も激しい【ユラギ】の数値が観測され、そのユラギにより脳内地図を探る波長がことごとく阻害されます」

 グランの返しに三宝と御堂が顔を見合わせ、つい、考え事をするために口をつぐんでしまった。

「経茅花さまのユラギがこの建造物内へ入れば消えるものとの博士の予想でしたが、どうもそうはいかないようです」

 グランのぼやきのような続ける言葉に、三宝が唸る。

「……てっきり一時的なものだと思っていたが、そうでもないのか。グラン、このまま彼女をここへ置くと支部内への影響はどこまである?」

 数秒ののち、グランが答えた。

「未知数です。ユラギを抱えたままの人間自体、ここへ保護することは初めてなのでわかりません。ですが、この数時間の間ずっと彼女のそばにいるゴッドネスには何の数値の乱れがありません。通常(どお)りで変化の一つも見られませんので、今のところは大丈夫かと」

 人工知能からの何とも頼りない返答に、男二人は当惑する。

「……博士、まさか以前に保護をして行方不明になった男性も、このユラギまみれだったのでしょうか?」

 三宝はグランに百三十二年前の男がどうであったのか、保護当時の記録を調べさせた。そこには確かにユラギの件が書いてあるものの、薫と比べ違うのは男から発せられる【ユラギ】が『微弱』であったことだ。

「どう思う?」

 こちらをじっと見つめる三宝へ、御堂が重い口を開く。

「……まずいでしょう。非常にまずい。微弱なユラギをずっと持っているそのイワサカさんでさえ監禁された可能性なら、強力なユラギをもつ経茅花さんは監禁確定じゃないですか」

 ふうむと鼻息を出して三宝が前屈みになると机の端に置いてあったすでに飾りとなっている万年筆を手に取り、それを親指の背に乗せて器用にくるくると回した。

「御堂くん、私はね、素直に彼女のありのままを警察庁へ報告しようと思っているよ」

 目の前の男から吐露される内容に、御堂は目を丸くして言葉を受け取る。

「君が帰ってくる間にTCA上層部と話し合ったんだ。彼らとの話し合いでの結論は、彼女をこちらで保護し続けると言うものだ」

 警察庁への届け出とこちらで保護し続ける内容が噛み合わず、御堂が眉根を寄せた。

「こちらが彼女の秘密を隠したまま、いつもの迷子として警察に届け出たとしても先ほどのグランが言ったとおり、もしかすれば彼女を中心としてこの静中都市のような得体の知れない何かが起こる可能性もある。それならいっそ、包み隠さず彼女の情報を届けてしまおうというのが、上層部と私の考えだ」

「でも……」

 前のめりで口を開きかける御堂を突き出した片手で制し、三宝は話を続ける。

「だが、もし、彼女を渡してくれとあちらから言われても我々は素直に渡すつもりはない。渡さない代わりに交換条件を設けるつもりだ」

 うん? と首を傾げる男へ、持っていた万年筆をペン立てに置いてから博士がため息をついた。

「彼女に首輪をつけようと思う」

 御堂はそれを聞いて一瞬だけ息を、止めた。

「……ナノロボットの適応検査はしないのですか」

 その問いに三宝は首を横へ振ると、

「経茅花さんへ首輪をつけ、身体機能のデータも逐一とって相手に随時渡すのさ。それに加えて……まあ、彼女にとっては恥辱(ちじょく)かもしれないが、彼女の原始卵胞(らんほう)の一部を相手方に渡し、それと同時に残した卵巣でどのような生理機能があるのかも調べさせてもらおうと思う」

銀縁眼鏡の奥の瞳が少しだけ、懊悩(おうのう)に揺らぐ。

「人の行為に(もと)るものだと思うだろう? でも、ここまでやってやっと、国は彼女を我々の元へ置いていいと許可を出してくれると思うのだよ」

 そんな……とうめく御堂の前で博士は眼鏡を取ると、空いた片手の指で眉間を揉みほぐした。

「TCAの権力で彼女の保護をこちら最優先でできないかと口出ししたが、正攻法でねじ伏せた方が良いとの上からのお達しだったよ。……本部の連中も彼女がタイムトラベラーである可能性と、ユラギを保持して歩き回っていたこと、そうして……」

 今日一番のため息を三宝は吐き出すと、先ほどよりも声を落として語りだす。

「グランたちの予想らしいが、どうも彼女……経茅花さんはただのタイムトラベラーではないとの予想を弾き出してね」

「……博士、お言葉ですが【タイムトラベラー】自体が普通ではないと思いますが」

 部下の呟きに上司はふ、と唇を緩めると、

「その普通じゃない、にもう一つ、普通じゃないが上乗せされるらしい。何がって、彼女の住んでいた世界は我々の過去ではないらしい、ってことなんだよ」

目を(つむ)りながら外していた眼鏡をかけた。

「あの……え?」

 戸惑う御堂へ説明を続ける。

「上層部は彼女の着衣や持ち物の他にこちらへ来てからの言動や仕草を全て、グランたち皆へ解析に回したらしいが、その中に気になる言葉があったそうなんだ」

 もう一度首を傾げる部下へ、管轄支部のグランドブレイン参號から受け取った情報をありのままに話した。

「君と話していて彼女、『空襲』との単語を発したのを覚えているかい?」

 耳慣れない言葉に再度、御堂の眉が寄せられる。

「私も初耳だったよ。調べてみれば戦争などで空から攻撃する、その多くは航空機によって地上を爆撃したり銃撃したりすることらしいが、そんなこと、かつての日本には無かった」

 当たり前じゃないですか、と返しかけて御堂は口をつぐんだ。

——日本には無かった。我々の住む日本の歴史には「無かった」が、博士の言葉の裏を返せば彼女の住んでいた過去には「有った」というのか?——

「……博士」

 フッと今度は短いため息を吐き出して、三宝が皮肉混じりの笑みを浮かべる。

「これが決定打であったようだよ。TCAのさ。タイムトラベラーかもしれないだけで上層部の連中も保護をすぐに名乗り出せとの騒ぎになったらしいが、並行世界から来たらしいと分かったら上層部の意見は二つに分かれてしまったそうだ。警察に届け出ないか、圧力をかけて保護を強行するか」

 でもねえ、と三宝が机を指先でコツコツと叩いた。

(から)め手で行こうとグランたちに(いさ)められたそうだよ。正確には先ほど私が言った交換条件の原案はほぼ、グランたちが出したものなそうだ」

 有機ナノロボットの恩恵を与えず、尚且つ原始卵胞の一部まで相手に渡すなんて人の心がないと思ったが、まさにそうだったのかと御堂は肩を落とす。

「これらの足枷をこちらから進言して、ようやく彼女の本当の保護に乗り出せると思う。他に何か君からの提案はあるか?」

 いや、ありませんと御堂の答えを聞いて、目前の博士はゆっくりと頷いた。


 薫は空腹を覚えないまま、用意されていたベッドへ横になる。

 布団も枕も一九八六年から来た彼女でさえ年代を感じる古びたデザインの割には埃臭くもなく、枕に頭をもたれさせると肺の奥から「ふう」と息を深く吐き出した。

 カーテンの締め切られた部屋の中、どこに光源があるのか分からない薄い灯りの空間でぼんやりと天井を見上げ今日の出来事を思い出す。

 見たこともない……いや、テレビで何度も見たことのあるビル群が滅びたここは四百年後の世界だという。確かにこの、天井にペンダントライトすらないこの部屋は薄ぼんやりとした光に包まれているし、部屋の隅にはコンセントはなく、確認したどの電化製品にもプラグは()()()()()()()()。いわば未知の、薫にとって未来の機器に囲まれているらしい。

 右も左も分からない薫へ支部から寝巻きがわりの病衣を貸与(たいよ)され、こちらへ来てからの着衣は全て取り上げられる。

 それから浴びたシャワーは天井から聞こえた声が言っていたとおり一瞬で終わるし、そもそも浴びるのは湯ではなく吹き付ける湿った風のようなもので、シャワールームとされた小部屋に入った途端、その風が吹いてきて洗浄は全身から髪と頭の地肌に至るまで全てが終わっていた。ただ、脇や股など自身の肉体同士が重なる場所や局所だけは己でその風を当てねばならず、少々妙な気分にはなったが。

 ……それにしても、と、薫の怜悧に見える奥二重の瞳が昼間の女性を思い出してギュッと閉じられる。

(助けられなかった)

 あの少年、ゴッドネスはビルに取り込まれた彼女が何度も死んで何度も生き返っていると言っていた。しかも、あの状態から抜け出せない繰り返す世界をなん度も経験しているのだと。

 もし自分があのような状態になったなら、どんな心情になっただろう。

 空腹なのに死ねない。眠りたいのに眠れない。体が固定されていて筋肉を動かせない痛みに悩まされる。そうして、トイレに行きたいのに行けない。恥も外聞も捨ててその場で出しても、体外へと排泄できない。

——これはすでに、地獄ではないか?——

 なん度も繰り返す地獄に身を置かれる苦痛を我が身に当ててみて、とてもじゃないが許容できないだろうと想像して息を止める。

 できない、何もできないあの世界では狂うことも許されないらしい。ただ、唯一の救いは、自分が苦痛の世界を何度も繰り返していることには気づかない、記憶に残らないことだと少年は言っていた。

 彼は彼で何度もあのような人々を目にしては、命を摘み取ったと言う。

 実際は朽ちてゆくビル同様に、建物に取り込まれ生きている人間たちは時間の経過と共に(せい)を手放すらしいのだが、その間に(さいな)まされる苦痛を考えると命を強制的に終わらせてあげるのが一番らしい。

 かつてあの女性のように嘆き続ける人々の姿に耐えかね、工具を使い助けようとした誰かは数多(あまた)のようにいたらしいが、その結果はグロテスクなものに終わったのだと少年は坦々とした表情で語っていた。

 たとえば今日、出会ったあの女性を助けようと思い工具を使ってコンクリートを崩したとしても、彼女の埋まっているはずの身体も脚もコンクリートの中からは見つからないだろう。それでもどこにあるはずと崩し続けると、埋まっている人間は突如として絶叫をあげる。なぜなら身体があるはずと見込みをつけた場所のコンクリートはすでにその人物の身体と完全に融合していて、なのに見た目はコンクリートの『そこ』には感覚が残っているらしい。

 悲鳴に慌てて崩してしまったコンクリートを元に戻そうにも、その欠片からコンクリートの粉に至るまで固形物を『完全な元の状態』に戻さない限り、彼らは死に物狂いで痛みを訴えてくる。そうなるとあとは彼らに与えてあげられるのは『死』のみ。

 あの女性は排泄をうったえていたが実際はすでにその器官もコンクリートとなっていて、小水をした気分だけになっていたのだろうと少年から聞かされる。

 薫は自分の両親を亡くした時、そうして敗戦を迎えてその後のしばらくの間、地獄を見てきた。だが、これはまた別の地獄だと唇を噛み締める。

(……今日はもう、何も考えたくない)

 ショッキングな出来事の連続で落ち着かない心を抱えて入眠できるだろうかと危ぶんでいたが、意外と早くそれは彼女に訪れる。

 薫は苦悩の表情で眠りの中へと深く落ちていった。




 薫が眠っている間、有機ナノロボットによる通信機能と脳内再生を使い、三宝博士とテスラ・コイル・アソシエーション、いわゆるTCAは遠方にある警察庁と厚生労働省を相手に侃侃諤諤(かんかんがくがく)と議論を続けた。

 やはりTCA側の予想どおりに経茅花薫の身柄をよこせと国は言ってきたが、三宝側はそれを(がん)として受け付けない。

 その代わりと言って交換条件を差し出すと、相手は戸惑いはしたものの態度をあっさりと軟化させた。

 薫へ首輪と称する有機ナノロボット不適合者へ着ける生殺与奪用のアイテムの装着、彼女のバイオリズムを逐一首輪から警察庁と厚生労働省に送信すること、そうして薫の原始卵胞の一部を国に渡すこと。

 これらの薫には残酷で不利な条件を全て受けた上で、国はもう二つの条件を挙げてきた。


『経茅花薫は静中都市から出ることはあたわず。』

『経茅花薫を第二十五世代亜種ホムンクルス実験体3号中人の教導員にすること。』


 この提案に三宝とTCAは仰天する。

〈待ってくれ。彼女を教導員にすればゴッドネス……【第二十五世代亜種ホムンクルス実験体3号中人】は今より自由が利かなくなる。()()が戦闘用ホムンクルスだと知って、それを言っているのか?〉

 所長室で独り座っている三宝は何もない空間を見つめつつ怒り露わにするも、無味な対応をしてくる相手は〈もちろん〉と静中都市より外にあるずっと向こう……大阪の厚生労働省の屋内から返答してきた。

〈あとで可能な限りの資料を送るが、ユラギを抱える人間はユラギが微弱であれど扱いが難しい。何が起こるのか予想はつかないし、現在、君らの研究棟が無事なのはその静中都市にあるから……その可能性は捨てきれない〉

 それと、と厚生労働省の人間が話を続ける。

〈我々は二重の意味でその戦闘用ホムンクルスの役割に期待しているのだよ〉

 期待しているとの言葉に、三宝の片眉がぴくりと動いた。

〈君たちにも過去の、百三十二年前のイワサカトシアキの資料は少しだけ残っているだろう? あの彼をこちらに移送した後が大変だったのだよ。はっきりと言ってしまえばだね、移送後の彼によって当時の職員三十二名とロボット七機がやられてね〉

 聞き捨てならないと、博士が口を挟む。

〈やられたってことは、負傷か? 死亡か?〉

〈三十二名、全員死亡だよ。ロボットも修理及ばぬレベルにまで分解された〉

 ロボットが壊されたのではなく『分解された』との言葉の違いに三宝は眉を寄せるが、厚生労働省の官僚はそれ以上の詳しい話を途切れさせる。

〈……はっきり言おう。【ユラギ】は人智の及ばないものなんだよ。本音としては彼女を冷凍して地中奥深くに埋めて以降は随時その状態を記録するだけにとどめたいが、上の連中がアンタたちの意見を持ち上げているよ。そうなると危険を野放しにするわけにはいかなくてね、せめてそのホムンクルスに監視してもらいたいんだよ〉

 即座に彼女を殺そうにも多分、殺せないだろうしね、と男は付け加えた。

〈そうしてもう一つの期待はだね。第二十五世代亜種ホムンクルス実験体3号中人がホムンクルスだからこそ、彼女の傍に置いてもらいたいそうだ〉

 妙なことを言ってくる男へ話を続けるよう、疑念を含む声で博士が促す。

〈こちらの何人かが物理と数学出身でね。そいつらが言うには【ユラギ】によって何かホムンクルスに影響があるんじゃないかって期待しているそうなんだ。ホムンクルスはどう足掻いても人になれない人造人間だ。だが彼女のユラギによってホムンクルスの何かが変化して、一つでも人間に近づけることができるんじゃないかって、そう目論んでいるらしい。私にはあの人らが何を考えているのか分からんけどよ〉

 今まで事務的な話し方だったのに、最後だけはぼやきに聞こえて三宝は少しだけ相手に人間味を覚えた。

〈それではこれで、話し合いは合意の上での締結で終わっていいかね?〉

 博士の脳内通信へ〈ああ〉〈これでいい〉と向こうからの声が重なる。……が、そこで九州にある警察庁の一人が確認を入れた。

〈彼女の首輪の色は?〉

 博士はそう問われて、うん? と考え込む。

 TCAと国際条約によって首輪の色は決められている。有機ナノロボットアレルギーの人間は白、殺人者であれば赤、殺人に至らぬまでも要監視の犯罪者は青、有機ナノロボット注入拒否者は黄。

〈黒ですよ〉

 その時、あまり話すことのなかったTCA幹部が口を出した。

〈フィラデルフィア型の事件に関係ありそうな人間は全員、黒です〉

 世界中で黒い首輪を着けているのは現在居ないのだと、この会議に集う皆の脳内へ資料を送りつけてくる。

〈過去四百年間で五人、黒い首輪をつけた人間はいましたが、現在はいません。フィラデルフィア型の事件が都市レベルの規模で継続中なのはこの日本だけです。そのせいなのか黒い首輪の五人中、三人は日本国籍です。こちらで保護できなかったイワサカトシアキ以外で知られていない、黒い首輪を着けた者はあなた方へ届け出ずにTCAで秘密裡に終身隔離されていましたから、この会議中の通信で繋がっている方々……博士も含め誰も知らないかと〉

 フィラデルフィアタイプの事件とは、人も含めた空間転移、有機体と有機体・有機体と無機物・無機物と無機物の融合や結合、過去・未来・現在とされる時間の混濁などをいう。

 国際条約の起案を作る際に黒い首輪について一度は入れられたものの、フィラデルフィアタイプの事件はTCA絡みでなければ起きないとされ、条約に入れられることはなかったのだとTCA職員は彼らに語った。

 三宝やこの場の数人は、その黒い首輪を着けられた当人たちがどのような状況下で首輪の装着へ至ったのかの資料を求めるが、そこまでは公開できないとTCA本部からすげなく断られる。

〈とにかく彼女の首輪の色は、黒です。皆様ご存知のとおり有機ナノロボットではなく半永久稼働可能なナノロボットをいつもどおりに注入、これで運用いたしますが、他に希望のオプションはございますか〉

 そつがない内容に一同満足すると、あとはその場で解散となった。




 薫が起床したとゴッドネスがグランから知らせを受けたのは、朝の五時半ぴったりであった。

 外側から鍵をかけていた元宿直室の扉をノックしてから開けると、煤けた木製のベッドの上で病衣を着た女がぼんやりと、窓の外を眺めている。

「経茅花さん、おはようございます」

 おはようと抑揚のない声が返ってくるが、薫は挨拶をかけてきた少年を見ようとはしない。その代わり窓の外を見たまま、彼女は話を続けた。

「ここからの風景って、海が見えるのね」

 気づけばいつの間にかカーテンが開けられていて、彼女の肩越しの窓には朝日がのぼる太平洋が広がっている。

「この静中都市管轄支部のある場所は昔、銀座と呼ばれていたそうです。不思議なことにここの屋内のどこからでも断崖絶壁に建つ管轄支部の建物側面とその先の海が見えるのですが、外に出ればわかるようにここはビル街の中の一つなんですよね」

 古くは海が見える岸辺もあった銀座らしいが、過去であってもこのような風景はちょっと江戸時代初期の銀座とも違うのではないかと、人工頭脳の推測を少年は語る。

「それなら……ゴッドネスくん、あの太陽もこの建物独特のものなの?」

 何を言っているのか分からないと少しだけベッドに歩み寄る少年へ、薫は言葉を重ねた。

「なんで太陽が黒いの?」

「え?」

 太陽は黒いものではないのか? と首を傾げる彼へ、小さなため息が聞こえる。

「……今の質問がおかしいものなら、この未来では太陽は黒いのね」

「あの、経茅花さんの生活していた四百年前も、太陽は黒いはずですが」

 今度は薫が息を止めた。

「……そんなはずはないわ。一九八六年の日本も、その昔の日本も、太陽は赤とされているし、もしくはオレンジや黄色、白っぽくも描かれるわ」

 この会話をどこからか聴いていたグランドブレイン参號が、突然頭上から話しかけてくる。

「経茅花さま、わたくしどもでは太陽は昔から黒と決まっております。なぜか日本国国旗に描かれる太陽は赤ですが、太陽は遥か昔から黒色です」

 そこでノックが聞こえた。それと同時に入ってきたのは三宝博士で、手には何やら黒い輪を握っている。

「話の腰を折るようですまないが経茅花薫さん、君の処遇が決まったよ」

 目を覚ませばとんとん拍子に進められる自分の行く末に、薫は暗澹(あんたん)たる気持ちで振り向いた。

「処遇……ですか」

 暗い表情を見せる彼女に三宝は、今からすでに薫は静中都市から出られないことや一度、避妊ではないものの卵巣への手術をしなければならないこと、そうしてゴッドネスと呼ばれる少年を常にそばに置かなければいけないことを説明される。

「それと、これだ」

 ゆっくりと目の前に掲げられる黒い輪を薫は見つめた。

「この首輪を生涯、身につけてもらう」

 それらに従わなければ国かテスラ・コイル・アソシエーション、いわゆるTCAに終身で監禁されると言われ、女は無言を保つ。

 たった三十秒、されど三十秒。

 薫は三宝響也に首を差し出した。

「……受けるわ、その条件みんな。あの時に助けてもらったこの命、無碍(むげ)になんかしないわよ」

 彼女の奥底で何を思っているのかは分からない。だがその覚悟、しかと受け取ったと三宝は頷くと黒い輪を(うやうや)しく一度掲げ、それを今度は女の顔の下へ潜らせる。


 ガチャ。……と室内に鳴り響く音。

 そこから経茅花薫のこれからが始まった。


2024−06−16 了

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