序。−3
薫と合流した御堂一生とゴッドネスにより、自分が400年後の世界へタイムスリップしたことを知る。
それと同時に自分が若返っていることも知るが、どうしようもない立場であることに戸惑う薫を見て、彼女を支部へ連れ帰ることを御堂たちは決める。
手に持った、中にオレンジ色の液体の入る透明な円筒をくるくると回し見る女を無言で眺める男と少年だが、その時、男の「え? あ、はい!」との声に車内の静寂が破られた。
御堂一生はもぞもぞと、狭い車内で身体一つ分空けて座っている目の前の女へ近寄ると、その手のひらからスッと円筒を掴み取る。
〈これは……〉と言いかけその声がブラック・ウィドウから出ていることに気づくと、自分が口を閉じているのだとわかって男は慌てながら自身の声帯を震わせる【実体音声】へと切り替えた。
「これはここから、開けるんですよ」
そう言って手に持つ円筒の上、平らな面の中心部分をトントンと二度指先で叩いてやると、上部の叩かれた面だけがパッと消える。その下からは姿だけ見せていたオレンジの香りを放つ液体が直接現れて、
「へえ、もしかしてこの車と同じ原理なの?」
と感心する薫が中を覗き込んだ。
車とジュースを入れる円筒を同列に薫が語ったことで、御堂が抱えていた緊張が少しだけ解ける。というのも、彼女の無知さ加減に何をどう、説明しながら探ればいいのかあぐねていたからだ。
思いのほか薫は物分かりが早いのではないだろうかと希望を持ちつつ、社外で途切れた質問を御堂は続けることにする。
「あのですね、もう一度お聞きしますがその服、どこで買ったのか覚えていますか?」
向こうまで透けて見える液体の透明さとは裏腹に、オレンジの搾りたてと同じ風味を味わえて目を白黒とさせる薫は小さく咽せつつ、その入れ物から顔を上げた。
「……ん? 服ってこのワイシャツのことよね? これって見てのとおり、私のサイズにあってないでしょ? 男物でブカブカなのよ。仕事柄汚れやすいし、しょっちゅう洗わなきゃいけないからいつでも手に入る既製品を買っているの」
テーラードじゃないわよ? という彼女にもう一度、その服はどこで買ったのかと追り立てると、驚いた表情のまま店の名前を渋ることなくあっさり教えてくれたが、御堂の体内を巡る【有機ナノロボット】を通じてネットワークで検索してもそんな名前は一向にヒットしない。
「……失礼かもしれませんが、その店ってアンダーグラウンドの店か何かですか?」
問われた内容に、女は首を傾げた。
「アンダーグラウンドって、もしかして闇市? もう今の時代、闇市はどこにもないわよ。それに闇取引とかする人たちがワイシャツを売ったりしないわ」
カラカラと笑ってオレンジジュースを一口啜ると、筒を持った手のひらから人差し指の指先をピッと上げる。
「あ、そうか。そうよね。お店の名前だけじゃなくて、お店のある町の名前もか。そこの店の場所って東京の浅草にあってね……」
町の名前を口に出した途端、少年の目は驚きで見開かれ男の口はポカンと開く。
唐突に静かになった正面の御堂を見て、今度はどうしたのかと薫が眉を寄せた。
「……そのう、本当にそこで購入したのですか」
再三再四の確認に気の短い薫はとうとう、自分のネクタイに指をかける。
「既製品だって言っても、そこの店の名前が襟のタグに入っているから見てみるといいわ」
今度はジュースの入った筒を脇に置き、あたふたとする二人を尻目にさっさとワイシャツを脱ぎにかかった。その指先は御堂たちが想像するよりも早くネクタイを首から外すと、ワイシャツのボタン穴からボタンを全て抜き出してしまう。
〈あわわ〉
そんなことを言っている間に女はラクダ色の下着をあらわにしつつワイシャツを脱ぎ、それを手にして襟元にある化繊でできた三センチ四方の黒字に白文字のタグを御堂に見せつけた。
「ね、あるでしょ?」
無理やりワイシャツを手に持たされた御堂はタグを見るよりも、下着姿になった薫に焦ってしまう。
〈あ、あるにはありますが……〉
焦りすぎて御堂はまたもや口を閉ざしながらブラック・ウィドウを介して話していた。
この先、どうして店の名前を知りたかったのか、その店の名前よりもその店のあった場所を聞いてどうしてこのような態度になったのか、それを説明しようにも男は薫の気迫に負けてしどろもどろとなっている。
〈……あー、博士、助けてください!〉
御堂の悲鳴に応えて、ブラック・ウィドウから〈了解だ〉と別の男の声が聞こえた。
御堂よりも少し落ち着いた声が黒い球体から流れるも、その内容に薫はしたたかに驚いた。
「あのお店どころか、浅草が、消えた?」
ブウン……と黒い球体なのかこの車に備え付けてある冷蔵庫の音なのか、低い振動音に紛れてあの見知らぬ声が〈うむ〉と相槌を打つ。
〈一つ教えてくれ。君の誕生日はいつかね?〉
ここで生年月日の何が必要なのかと薫は一瞬だけ訝しむが、ああ、確かに東京の街のあれこれにお互い齟齬が生じているようなら、根本から何が誤りで何が正しいのか振り分けてゆくのだと気づいて、素直に口に出した。
「昭和一一年五月五日生まれ。東北の山の中だから時間まではちょっとね。ただ、朝方に生まれたのは確かよ」
……と、ここまで正直に答えてもブラック・ウィドウからの反応は鈍い。ただ不思議と、この黒い球体の見えない向こうから戸惑いが伝わってくるような、そんな気がした。
〈……昭和? それは確かかね?〉
まさか問い直されると思っていなかった薫は、ああ、と頷き返す。
「西暦の方がもしかしてわかりやすいのかしら。ええと、確か……西暦だと一九三六年よ」
〈いや、そうじゃなくてだね〉と間、髪を容れず男の声が訂正を入れてきた。
〈昭和は今から約四百年以上前に使われていた元号だが現在は皇室以外、一般では使われていないのだよ〉
今度は一拍置いて、薫が素っ頓狂な声をあげる。
「……よ、ヨンヒャクネン⁉︎」
それから数秒、車内がしんと静まり返った。
「……え、ちょっと待って。元号が使われないとか……うん、違うわね。ねえ、あなた……」
〈すまん、私の名前を名乗っていなかったな。申し訳ない。私は三宝 響也。そこにいる彼らの上司だ〉
それを聞き改めて、
「ねえちょっと三宝さん。……今、西暦何年なの?」
ちょっと震える声で静かに尋ねる。
お互いに気まずい沈黙の後、三宝が気重に口を開いた。
「皇紀三〇四六年……西暦、二三八六年だよ」
薫は呆然とし、三宝からの声は途絶える。二人のやりとりを聴いていた御堂とゴッドネスも継ぐ言葉を見つけられない。
薫の言うことが真実なら、三宝たちから見て彼女は四百年前の人になる。だがそんな話、にわかには信じられない。だが、信じざるを得ない物証は確かに出ていて、たとえば彼女が身につけていたネクタイやホワイトシャツ、それから、
「じゃあ、これって……」
薫はポケットから財布を出すと、その中から免許証を抜き出した。
御堂はそれをブラック・ウィドウへ掲げさせ、管轄支部内にいる三法博士へ映像を送る。するとすぐさまそれを解析したグランドブレイン参號が、
〈現在では既に使われていない石油製フィルムとインクです〉
と答えた。三宝はそれに続けて、
〈生年月日が一九三六年……確かに。だが、運転免許証とは何だ?〉
と、グランに尋ね返す。
〈現在では完全に禁止されている、石油から精製されたガソリンで動く車を『自分で』運転する、都道府県公安委員会から出された許可証です。……博士、免許証は現存しているものすら稀ですが、これは経年劣化の状態が見られません〉
車が全て自動運転のみとなった時、免許証は当時プラスチックを使っていたこともあって各人の所持しているものは全て強制的に各都道府県で回収となったのだが、歴史を知る上で残すべきともあって、現存するものは全て博物館へと送られた。
薫の持っているものは紙で作られているが、撥水とインクの擦れを防ぐためにビニールのようなものを表面に貼っている。その表面を保護するものとインクに、グランは反応したようだ。
しかし、一番の問題はその免許証の存在とそれに書かれている内容だろう。
劣化に対する処理はなされているものの、博物館に納められている免許証は黄色に変色しているが、薫の持っているそれは縁は擦れていて所々に傷はついていても黄変の兆候すら見えない。
加えて、彼女の生年月日と免許証に書かれている元号の有効期限、そうして添付されている写真と今、未亡人から送られてくる薫の現在の姿が合致せず、尚更三宝を混乱させた。
〈えー……経茅花さん、その【免許証】の人物の静止画だが、それは君なのかな?〉
そう言われ——当たり前でしょ——と言いかけて、薫は口籠る。この街に来てからずっと感じていた違和感。今も鏡を見ていないが、この免許証にある白髪にまみれ顔は化粧でも隠しきれないシミと皺だらけの老いの滲む自分と、彼らが見ている今の自分は違うのではないだろうかと、ようやく違和感の正体が見えそうで心臓がやけに高鳴った。
「……ごめんなさい。私、ここに来てからちょっとおかしいのよ。その前までは……仕事の最中だったけれど、それまでは身体中は重いし、若い頃のように飛んだり跳ねたりするのはもう辛いし、徹夜もできなくなっていた。ひどい御遺体を見た後でも社長から勧められればお肉も食べられる胃だったけれど、最近では平穏な日でもステーキ一枚、そんなに食べられないわ。……ええと、何が言いたいかって言うと、その写真は私よ。免許の更新は数年前だったけれど、今の私とさほど変わらないわ」
いつの間にか薫と三宝たちの会話に紛れているグランドブレイン参號が人工頭脳らしくないため息を音声で出して、自分のそばに佇む男へ静かに話しかける。
〈三宝博士、このまま質問を続ける前にあの方の『今』をご自分の目で確かめてもらうことを提案します〉
あ、ああ、そうか……と返す横で、グランは現場にいるブラック・ウィドウに指示を出した。それは未亡人のレンズを通して薫の顔を画像化し、黒い球体の機能にある立体映像として彼女に見せよと命令する。
ずっと薫の横で浮いていた黒い球体が彼女の眼前へ進むと、ブゥンッと音をさせて球体の頂から触れられそうな生々しさの静止画を本人へと見せつけてきた。
「……はっ」
乾いた笑いが漏れそうになるも、薫の口から出たのは吐息だけである。
彼女は映し出された『自分』を何度も瞬きをして見つめると、芯の消えた声でこの静止画が自分であると認めた。
「久しぶりね、この顔。三十年ぶりに直で見たわ」
髪が長いのは初めてだけど……と言って、小さく俯く。
再び沈黙が降りて静まる車内で御堂と、静中都市管轄支部に居る三宝とで話し合いが始まった。
〈これはイレギュラーとか想定外とか、そんなものじゃないな。もしかすれば過去から未来へのタイムトラベル事例ではないか?〉
ブラック・ウィドウのスピーカーを使わず無線通信機能と、双方の体内にあるナノロボットを使用して三宝は部下へ直接話しかける。
〈事実は小説よりも奇なり、と言うことですか? エスエフばりに?〉
懐疑的な御堂の言葉に苦笑する声が聞こえると、三宝は笑いを含ませながら彼の会話に続けた。
〈エスエフ……確かに見ようによってはそうかもしれないが、彼女から見たら我々がエスエフじみた世界にいるのかもしれないよ〉
ハッとした音とともに〈タイムトラベルが真実なら経茅花さんにとって、ここは四百年後の世界ですからね……〉と、御堂から送られた脳内の再現音声が落ち込む。
〈しかし、困ったね。いつも通りに静中都市での保護者を警察庁へ届けると、下手をすれば二度と彼女に我々は会えないかもしれないぞ?〉
そう言ってから三宝は、今から百三十二年前の出来事と、当時保護されたはずの男性は行方不明のままであり、彼の詳細な記録も国と警察庁に秘匿されていることを伝えた。
〈……まさか、監禁される可能性が?〉
〈言わずもがな。素直に彼らへ渡せばそうなるだろう〉
御堂は眉間にシワを寄せ、唸る。
ちらりと横を見れば、今も運転免許証を握ったままうなだれている薫だが、どこか品がありながら一本筋が通った顔つきの、老いが見え始めた写真と、現在目の前にいる顎が細いながらもキリッとした目つき、鼻筋のしっかりとした顔立ちはたしかにその将来を予感させると不安が頭をもたげた。
先ほど三宝から聞いた事例も、もしかすればタイムトラベルでこちらへとやってきた人間かもしれない。この、時間が歪みぐちゃぐちゃな静中都市ならあり得る話だが、タイムトラベルの時間旅行者として確証が持てる人間がこの四百年の間でその一人だけなら、この女性は間違いなく、国の監視対象となる二人目のタイムトラベラーになるだろう。
何やら入り組んだ理由で行方知れずとなった男のことを考えると、この女性もさっさと国へ引き渡したほうが得策に思えるが、どうも釈然としない。それは御堂自身がTCA泰東統括部の職員だからだろうか。
〈……御堂くん、思考が丸見えになっているぞ〉
会話と同じ状態で自分の考えが体内の有機ナノロボットとブラック・ウィドウの無線によって三宝へ筒抜けになっていたが、御堂は壁を立てることなくお構いなしに思案を続ける。
——三宝は気づいているだろうか。先程からずっと少年タイプのホムンクルス、ゴッドネスから不安定な波長が発せられていることを。
彼は子供の形をしているが、れっきとした軍事用戦闘型のホムンクルスだ。人の生き死にに関しては倫理コードで厳格に守られているが、もしやこれはひょっとして……彼は珍しく彼女に興味を持っているのではないか?
いや、でもそんなことはあり得ない。ゴッドネスはホムンクルスだ。どんなに逆さになっても彼らホムンクルスは人のような心など決して持たないからだ。
それに精神的にはすでに大人のホムンクルスだが、容姿は十三か十四歳の子どもの彼に、実際は老いが出始めていたはずの彼女が靡くはずもなく……——
〈そういえば……〉と御堂は言いかけて声が黒い球体から出ていることに気づくと、気を取り直して実体音声へと切り替えた。
「そういえば経茅花さんの今日は、本来、西暦何年だったはずなのですか」
あ、ああ……とうつむく女はノロノロと顔を上げ、ぼんやりとした顔つきで答える。
「西暦一九八六年の十二月六日。……夜の十時頃かしら」
そうなると、その時代での薫は五〇歳。写真の彼女は少々老け気味だけど、どうもそれは今までに味わった苦労が顔に染み付いたからかも……と、御堂たちは予想した。
「……こんなに不安になったのは、空襲を受けたとき以来ね。こう考えてみると私、本当に社長と奥さんにすごく助けられたんだなって……」
薫は独りごちると片手で両目を覆う。そんな彼女へゴッドネスは自分の着ている藍色の、甚兵衛様の裾を布状のベルトから抜きさり、それを脱いで未だラクダシャツを晒す薫の肩へと掛けてやった。
右も左もわからない世界へぽん、と突然放り出された人間は何を思うか。
三宝たちは四角四面に事を運ばず、まずは薫を自分たちの施設へ保護することをその場で決めた。
TCA泰東統括部・静中都市管轄支部はこの【ユラギ】にまみれた街中で、奇跡的に【ユラギ】から影響を受けない場所に建っている。
そこへ箱状の黒い車で連れてこられた薫は、声だけで初対面を果たしていた三宝の顔をようやく目にした。三宝も直に彼女の顔を見て、あの老い始めた写真の中にその面影はあるも、今の端正な薫が過去にどんな辛酸を嘗めてあの相貌へと変化したのかと想像して、彼女へ気の毒な心を抱えてしまう。
まずは御堂から今回の件について詳細な報告を、ゴッドネスには薫を今は使われていない守衛室へ連れてゆくよう指示して解散した。
御堂は自室にこもり、そこからブラック・ウィドウを介して博士に報告するつもりが、三宝へ研究室へ来るよう命じられる。
どうにも三宝博士は何かを用心しているらしく、御堂も無言でそれに従った。
「……四百年経っても、意外と私の部屋と変わりないわね」
八畳一間の部屋の中。布団はベッドだが、他はテレビに畳、シンクもステンレスで一瞬、一九八六年のどこかの家を訪問したのではないかと薫は錯覚しそうになる。
ポカンとしている薫へ、ゴッドネスは靴を脱いで畳へ上がるよう促した。
「ここ静中都市管轄支部はユラギの影響をほぼ受けないので、街が転移したときの部屋がいくつかそのまま残されているんです。ですが、ユラギの影響を受けずとも部屋の物が劣化したりホコリが積み重なったりしないので、不思議ですよね」
少年の話によればここはかつて、東京二三区の銀座であったそうだ。しかし、二〇八六年の【都市型フィラデルフィア亡損事件】なる出来事で、当時の東京二三区がそれより過去の『どこかの』都市とまるまる入れ替わってしまったらしい。
そうしてこの建造物も『過去』からやってきたものらしいが、それを今も使えるように改造したのが現在に至っている。
だが、そんな改造はどこにも見えないと薫は首をひねった。そんな彼女をちょいちょいと、ゴッドネスはテレビの近くへと招き寄せる。
「たとえばこのモニターですが、ブラウン管というものが使われていたそうです。それを有機ナノロボット不適合者用の映像を映すモニターに替え、加えてここ……」
少年の指を差した先にはコードもプラグもない。
「電源をTCAのブラックボックスに変更したそうです。どうも過去のものでも、ぼく達が知っている仕様じゃないと、技術職の人たちが驚いたそうですよ」
それは薫も同様だ。
コンセントもプラグもそれを伝えるコードもないのに、どうやってテレビが点くのだ?
「えーと……そういえば、あなたの名前は?」
「あ、ゴッドネスと言います。第二十五世代亜種ホムンクルス実験体3号中人が正確な呼び名ですが、長すぎるので博士からゴッドネスと呼ばれています」
なるほど、確かに本名は長すぎるなと思いつつ、薫は昼間の一件を思い出した。
「改めて、私も名乗るわね。経茅花 薫よ。今年で五〇歳になった……と言いたいところだけれど、もう、なにがなんだかね」
ため息をつきがてら頭の中では色々と昼間のあれやこれやが目まぐるしく回るが、まずはお礼をと自分の胸ほどまでどうにか背が届く少年に、もう一度頭を下げた。
「昼間は本当にありがとう。あの人のことを助けてあげられないし、自分では決心のつかなかった情けなさがあるけれど……なんかね、人の命を奪うのでありがとうも無いけれど、今の私にはその言葉しか思いつかないの。ごめんなさい」
人間からこんな態度を取られることが初めての少年は、あたふたと再び慌てる。
「あ、あの……ぼくはホムンクルスなので、どうかそんなことを言わないでください。それにあの方は今亡くなっても、またいずれ生き返ります」
……へ? 間の抜けた声に反応しながら、眼下では真摯な眼差しがこちらを見ていた。
「静中都市では当たり前のことなんです。何度も死んで、何度も生き返る。実験の被害者の方たちはこの街を抜けることもできず、生死を何度も繰り返しています」
死んでは生き返るコンクリートに挟まる女。境界線があるかのような寂れた街と崩れる街。電気が通ってもいないのに作動するというテレビや他の電気機器。
そうして少年は自分を【ホムンクルス】だという。
様々な疑問を抱えながら、薫はどっと疲れに襲われる。それにドンと置かれる目の前のベッドが、眠るように誘ってきていた。
「……色々とゴッドネスくんに聞きたいことはあるけれど、その……今日はもう、眠ってもいいかな」
もちろんです! と軽快な返事に薫はホッとするが、ゴッドネスに質問を重ねられる。
「あの、経茅花さんはお腹が空きませんか。現在時刻は一八時五三分で、何か食べるものをご用意しますが」
心遣いに感謝しつつも、尋ねられた当人は首を横へ振った。
「もう、いろんな事がありすぎて食欲が湧かないの。気にしてくれて、ありがとうね」
あ、でも、と薫は続ける。
「歯磨きとか、せめて顔を拭ったりするものあるかな。お風呂に入れなくても顔は洗いたいし、せめて口もゆすぎたいわ」
その時、頭上から声が聞こえた。
〈経茅花 薫さま。有機ナノロボット不適合者用のアメニティなどをご用意しています。シンクの横にある引き出しの中に口に含むだけで歯垢及び雑菌の除去を行う洗口液がございます。他にシャワールームもございますのでご希望に添えるかと思いますが〉
すかさずゴッドネスが部屋の脇に置かれたステンレスシンクの横、古めかしい木製の四段引き出しの最下段から透明なボトルに入った液体を持ち上げて彼女に見せる。
〈ゴッドネス、彼女をシャワールームへ〉
「了解」
洗口液を引き出しへしまい薫へ向かうと、
「ちょっと、その……シャワーを浴びるほどの気力も体力も今は無いの。せいぜいの一〇分も立っていられそうにないから、お断りするわ」
もてなされる女が少年に苦笑いを見せた。
だが、それを思いあらためさせる声が頭上から降り注ぐ。
〈経茅花さま、シャワーを浴びるだけで体からは洗浄剤を使用したと同じに汚れが落ちますし、シャンプーとリンス、コンディショナーも全てが一瞬で済みますよ。一分もかかりませんから、いかがですか〉
四百年の歳月が経った今はそんなにも技術が向上しているのかと、説明を受けた薫は唖然としたのだった。




