夜の男
子供の頃から眠ることが苦手だった。
眠ることが苦手なのだと意識したのは早かったと思う。
母から「早く寝ないと山から怖いものが降りてくるよ」と言われて、布団の中で丸まった。アニメで見た怖い話に怯えて、オバケに手足をとられまいと夏でもブランケットで全身を被って眠った。
子供なりに対策を立てたものの、わたしは眠ることが下手くそだった。だから毎日、物語の登場人物が怖い目に遭わず、楽しく過ごす様子を妄想して眠りに落ちるのを待った。
小学生までは夜に眠れずにいた時、何かの気配に追い立てられるようにして両親の寝室に逃げてふたりの間に挟まって眠ることもあった。だが、中学に上がるとそうもいかなかった。
両親との仲は悪くなかったがさすがに恥ずかしさが勝った。だから私は夜になると、妄想の中に逃げた。
考えることは自由だ。特に夜は誰にも邪魔されない。ひとりの時間は嫌いじゃなかった。
そんな私を邪魔する者が現れたのは、高校生になったくらいだろうか。
目を閉じ、思考の海に揺蕩う私だけの物語を拾い上げる。
─── と、ブランケットに潜り込む気配を感じる。
爪先を撫で、ゆっくりと這い上がるてのひらは男のそれだった。目を閉じていても男の様子がみえる。
その時の父よりもすこし上くらいだろうか。30後半くらいの、土色の作業服を着た男だった。
男の手が、体のラインを辿る。
爪先から足首、足首からふくらはぎ、そして、太腿の内側をなぞる。
汗ばんでいる。
煙草の匂いと、土埃のざらつき。
性的な経験がなくとも、その意味に肌が粟立つ。
男の両手が左右の太腿を割り、気配だけがその間に忍び寄る。
ああ、嫌だな。
しかし己の意思で体を動かすことができない。
自身に向けられる性的な感情に対しての気色悪さが色濃く肌に残った。
それから、夜は男の気配に侵された。
妄想の海の深い深い場所まで、男は追いかけた。
私はより、眠ることが苦手になった。
男の手から解放されたのはいつの頃か。大学進学の為にひとり暮らしを始め、昼は働き、夜は大学へ通う生活を続けるうちにそれは手を引いた。
多分。
大人になって、不眠の為に医者にかかるとその原因が自身の特性にある為だと言われた。それでも私は、あの汗ばむ男のてのひらを忘れることはできない。