幼馴染はどうしたいのか②
「なんか驚愕だわ」
ボソっと鬼怒川さんが呟く。
「藍浦って家庭的な男子だったんだ。結構掘り出し物?」
「昔から器用だったよねー。私も鼻高々だよ」
「なんで円香が嬉しそうなの?」
「友達が褒められるって嬉しくない?」
「あー、わかるわー」
女子が話している間は基本的に男子は空気になる。
そういう世界の決まりがある。
背景に溶け込み、相槌を繰り返す機械だ。
「だからって円香、自分が食べる分までみんな分けて上げるのは、やり過ぎじゃない?」
「あはは……、ちょっと藍浦くんが他の人にも褒められて調子に乗りました」
言われてみれば確かに、食い意地の張ってる円香が自分から目の前の料理を差し出すとか、不思議なこともあったもんだ。
紙コップに入っているお茶をくるくると回す。
手軽だし片付けも楽だけど、紙皿と紙コップって彩りはないよなー、なんて考えて時間を飛ばす。
林間学校って大層な名前がついているが、要はキャンプだ。むしろ、紙食器のほうがお似合いか?
「この後ってまだなにかイベントあるのかな?」
「さぁ? オクラホマミキサーとか? 小学校でやったなあたしは。男女で踊るやつ」
名前はよく聞くが、実際にやる学校あったんだ。
保護者がうるさそうな気がする。
考え過ぎだろうか。
小さく折り畳まれたプリントを手に取り出し、スケジュールを確認するが、円香が妙な事を言い始めた。
「ベントラーベントラーってやるやつだ」
いや誰か突っ込んでやれよ。
俺と石井には荷が重いぞ。
咳払いを一つ。
プリントを班のみんなに広げて見せる。
「キャンプファイヤーとかはないみたいだよ。片付けのあとは施設の風呂にはいって自由時間。んで、そのまま就寝だってさ」
今日はテントの中で寝ることになっているが、敷地は広く施設の中には宿泊施設もある。学生向けの、左右に二段ベッドが六つずつあるタイプの部屋だってある。
バスを降りてからの山登り。
森林に囲まれた涼しく、舗装された山道だったが、それでも疲労の蓄積はある。
俺と鬼怒川さんだけぜーはーぜーはーと肩で息するレベルで体力がなく、妙な仲間意識が出来ていた。
それから飯食って、テントを建てて、夕飯をつくって食べる。
親しい友人が出来たとしても、慣れない環境で精神的な疲れも出てくる。
まだ初日。
明日もまだ林間学校は続く。
「林間学校って言ってもあっさりしてるだねー」
円香が言うようにあっさりしているぐらいが、丁度いいのかもしれない。
空腹を満たされた満足感と疲労で既に眠いのだ。
「あたしは円香とこうしてキャンプみたいに泊まれるのは楽しいけどね」
「それは私もだよ」
少しテントで休んで、時間が来れば風呂に入ってそのまま寝ようと立ち上がる。
「藍浦くんどこ行くんだい? 夜はまだこれからだぜい」
「ちょっとテントに」
彼女の表情が心配そうになる。
なんでもないよと首を振る。
「もう寝ちゃう?」
「特にやることもないし少し休もうかなって」
「ならまだ私たちと話そうよー。ね、きぬちゃんも話したいよね?」
「んー、まぁ今日一日で藍浦が良いやつだってことは知ったし」
ここまで言われたら、一人テントに戻るわけにも。
逃げにくい。
円香に退路を絶たれた形。
「石井はどうする?」
「僕もここに残って君たちの話でも聞いてるよ。僕は話すより聞くほうが好きだから」
「ほーん」
「でもここで話すのは味気ないし、男子たちのテントで話そー」
円香の提案を受けて、男子のテントへ向かう。
女子のほうに向かうことは出来ないしな。
途中で折りたたみ式の椅子を借りるために、班のみんなと外れる。
やはりというか、円香は俺に着いてきた。
誰も椅子を借りないのか、ここにいるのは円香と俺だけ。
貸出ノートに組と名前を記入。
脇に纏めて抱えて、来た道を少しだけ戻る。
三つほど借りて、円香にも一つだけ持ってもらうことにした。
「どうだった久しぶりに女の子と話した気分は?」
「聞きたかったのはそれかよ」
「きぬちゃん、いい子だったでしょ」
「思ったよりは親しみやすいな」
最初は口が悪いところが目立っていたが、ただ思ったことを素直に言ってしまう性格だっただけ。誤解されるタイプだろうが。
「仲良くなれそ?」
「どうかな」
少しずつ離れて、俺の先を進む。
手を伸ばしても、触れられそうで触れられないギリギリの距離。
「今はまだきぬちゃんだけだけど、いーちゃんが誰かに認められるって嬉しいね」
「……」
そんなこと考えていたのかこいつ。
「いーちゃんの良いところ、もっと皆が知ってくれたらいいなぁー」
「変なこと気にするんだな」
「そりゃ気にするよ。幼馴染だもん」
「余計なお世話だって言ったらどうする?」
「それだけは、いーちゃんに言われたくないかなー」
「円香……」
「ほら、二人が首をなっがーくして待ってそうだから、急ごっ」
「あぁ……」
テントまで辿り着き、ぱぱっと椅子を組み立てる。
円香と鬼怒川さんはテントの出入り口に置いた椅子に並んで座り、反対側に置かれた椅子に石井が座る。
俺はテントの入り口のファスナーを開いて、そのままそこに座る。
この中で鬼怒川さんと俺の身長はあまり変わらなかったはずだが、このような編成になったおかげでかなり見上げることになってしまった。
「篝火があったら本当にキャンプみたいに雰囲気でそうなのにー」
「確かに」
俺は納得してしまったが、なんていうかレベル上げとかファストトラベルになりそうな場所になりそうだなと後から気づいた。
石井は兎も角、鬼怒川さんは頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる。
「篝火?」
「焚き火のことを言いたいんだと思うよ」
「なんで難しい言い方のほうが出てくるのよ」
「それを俺に言われてもね」
似たような物だけど用途が違う。
あのシリーズ俺ら好きだったもんな。
「椅子を借りる時に見たけど遊具以外の貸出と販売は学生には禁止だって」
薪から着火剤まで売っていた。
「まぁしゃーないか」
納得したようで鬼怒川さんがぐっと伸びをする。
立ち並べは鬼怒川さんと身長がほとんど変わらない俺だったけど、今の見上げた状態だと円香よりデカい胸がより強調されて、目をすぐに逸した。
ごっっと脚を蹴られた。
「あ、ごめんね。藍浦くん」
「あぁ……、大丈夫」
当たり前だがわざとだ。
綺麗な大きな瞳が友人を変な目で見るなと語っている。
「でも、近くに明かりがないからすっごい星が綺麗だよ」
さり気なく石井が言葉を紡ぐ。
言われて俺らは黙って空を仰ぐ。
そこには息を呑むほどの光景。
真っ暗ななはずの空は月で照らされて淡い紫色。
星が散りばめられ更に明るく感じる。
七夕ですら見たことのない星の川がそれは見事に流れている。
「すごぉー」
「めっちゃ綺麗……」
女性陣にも勿論好評で、美麗な彼女たちの瞳の中にすら星が生まれている。
「山から見える星ってこんなに綺麗だったんだ」
俺も同意するように自然と言葉が流れる。
「うん……。私たちが悩んでいることとかちっぽけな物に思えちゃうね。心が洗われるってことはこういうことなのかも」
「円香恥ずかしいこと、口走ってる」
「……うぐっ。でも、言いたいことわかるでしょ?」
「まぁーねぇ」
二人の会話を聞いていた俺は、一つ思うことはあった。
本当に悩んでいる者は空を見上げることすら出来ないんじゃないかって。
でもそんな俺たちはこの星空を堪能出来ている。
悩まない人間なんていない。傷つきながらも、鍛えられてどうでもいいことと割り切れるだけの余裕があるのだろう。
※
「あっちぃ~」
大浴場を出て、肩にタオルを掛けたまま施設を歩く。
少し離れた自動販売機のある休憩所くんだりスポーツドリンクを買いに来た。
今日は大勢の人が居て少し疲れた。
静けさを求めた。
「いーちゃんもここに来たんだ」
でもそんな静けさを破るのは、幼さを残す凛とした声。
「まぁーな」
「今日はなんだか二人っきりになること多いねー」
「大概、お前のせいだけどな。ストーキングしてる?」
「いーちゃんをストーカーしてどうするのさぁ、あははー。幼馴染だし考えていることが一緒ってだけだと思うよ」
「そうだな」
隣に座る円香。
風呂上がりのいい香りが漂う。
「あ、いーちゃん。いつも違う匂いしてる」
「備え付けのボディソープにシャンプーだからな」
人の頭の頭頂部に顎を乗せてくる。
スンスンと鼻を鳴らしている。
「んー、ごわごわだし。なんかチープなニオイ」
「だな」
「やっぱり明日貸す?」
「いや、いい」
頭から重量が消える。
その変わり、手に持っていたペットボトルも消えてしまった。
「ぷはぁーっ。お風呂上がりのジュースはうまい」
「おっさんか」
「私のパパ、もうおっさんだけど言わないよ」
「うちの親父も言わないな」
そろそろ夫婦揃って帰ってくると思うが……。
また賑やかになるな。
夫婦の仲は新婚かというほど良いし、円香の事も自分の子供よりも可愛がっている節がある。
美少女ってお得だな。
「あ、いーちゃん。ちゃんとピアスつけてくれてるんだね」
「ん? あぁ、忘れてた。そろそろ外そうかと思ってたんだけどな」
「なんでさー。結構似合ってるの選んできたんだけど?」
「なんで俺に似合うの選んだんだよ」
「いーちゃんが似合うような物は私だって似合うからね」
「結局、自分を褒めたいのね」
「いーちゃんが普段褒めてくれないからだよ」
「それはいいから、いい加減ジュース返せ」
「バレたか。褒めてくれたら返してもいいよ」
「はいはい、可愛い可愛い」
唇を突き出し不満を表す。
あざとい奴め。
「ま、しょうが無いから返してあげる」
「どもども」
「自販機の光があっても星が綺麗に見えるね」
「だな」
テントから見える星のほうが圧倒的に綺麗だったが、街から見える星よりも断然綺麗であるのは間違いない。
「いーちゃん」
「なんだよ、改まって」
「もう一人にはしないからね」
いつものように巫山戯た雰囲気はなく真剣。
「……別に俺はぼっちじゃないぞ」
「知ってる」
「なら、いいじゃないか」
「駄目」
彼女の否定する言葉は短くわかりやすいもの。
でもその声色は不思議な物で、複雑な感情を込められているように感じた。
「私が嫌なんだ」
これを受けて返す言葉は見当たらず、視線が彷徨う。
煌めく星を見ても答えはない。
円香が口をつけたばかりのペットボトル。
カラカラになった喉を潤す。
「俺は……」
「いーちゃん」
口を指で塞がれる。
妖艶とも言える雰囲気。
今まで妹のように感じていた彼女の大人な部分が見えて、少し遠くに行ってしまったんじゃないかって。
「いいよ。答えは聞いてないから」
ぴょんっと弾むように立ち上がった円香。
それはいつもの円香の仕草そのもので、内心ホッとしたりもした。
「いーちゃんは望んでないかもしれないけど、私はいーちゃんの傍に学校でもいるからね。これは私の我儘」
だらしなくにへっと笑って、小さく手を振り円香は帰っていった。