幼馴染は怒っている②
「で? 何か言い訳は?」
「いーちゃん、女の子の襟首掴むのは良くないと思うの」
それもそうかと彼女から手を離す。
逃げれば良いものを円香は律儀にそのまま佇む。
しょぼんとしたように眉をハの字に。
「本当にたまたまだよ。一旦自宅に戻ってから着替えて荷物取ってきただけだし、いーちゃんがこんなに早く出てくるとは思わなかったんだよ」
「俺も円香がこんなに早く出てくるとは思わなかった」
「いーちゃんが事前に準備してくれたおかげだね」
少し大きめのボストンバッグを持ち上げて見せてくる。
「着替えにもうちょっと時間掛かると思ったんだけどな」
「気合入れる必要もないし、私何着ても似合うから」
「……こいつ」
「いーちゃんも格好いいよ。私が選んだだけあるね」
「あ、そう。じゃあもう行っていいよ」
「幼馴染が冷たい……。どうせこうして話しちゃったんだから、もう一緒に登校しようよ」
「あ゛?」
「ちょ、いーちゃんマジギレ禁止。本気で怖いからね? 目つき悪いんだから余計に」
「なんで一緒に登校する流れになるんだよ」
「ほら、周りよく見て?」
言われて見渡す。
高校の最寄りの駅――桜台中央高校前、駅を出たところにあるバスロータリー。
制服を来た学生に、私服の同年代が結構見える。
みんながみんなという訳じゃないが、大半の視線を集めてしまっていた。
「ね?」
「何がね? だよ。別にここから別々で歩いても変じゃないだろ」
「何を言ってますか、いーちゃんさん」
妙な名つけるな。
変わった帽子でも被れとでもいうのか。
「私を誰だと思っているのかな?」
「立花円香」
「そうです。私が立花円香です。学年一の美少女として認識されていてスタイルも自信あり、これからの成長も期待できる」
流石にあんだけ持て囃されてるんだから自覚もするだろう。
自分で言うことではないと思うが。
「これでも努力してるからね。動画や雑誌でメイクも学んでるし、トレンドを追ったりとかもしてるし。素材が良くても磨かなきゃ、いーちゃんみたいに陰鬱虫になるだけだし」
幼馴染。
考えていることが割りと筒抜けになっている。
俺の表情を見て、そう答えたのだろう。
「痛い痛い痛いっ。いーちゃんアイアンクローはなし、砕けるっ」
「最後のは余計だろ」
なんだよ虫って。
ばーりあっ! って小学生の頃の記憶がうっすらと思い出される。
なんとか菌が伝染るぅーって逃げられてたっけ。
あれ、俺虐められてた?
泣けるぜ。
「大丈夫だよ。いーちゃん、私がいる」
「あーそうね。どうも」
気にしてないが。
こいつの隣にいる事はそういう事は良くあった。過激になったのは中学のあの頃だが。
言ってしまえば、慣れている。
慣れているから、傷つかないという訳でもない。
「ちなみに言うと、いーちゃんを虫扱いしてた男の子は私に良くちょっかい掛けてたから、そういうことだと思うよ」
「……色恋で恨みを買うのは子供も一緒なのか」
「子供の方が感情の意味を理解出来ないから、そういう事でしか発散出来なかったんじゃないかな? 今は可愛く思えるけど、当時だとムカつくよね」
「ほんと、俺にとってはいい迷惑だよ」
「話が脱線しちゃったから戻すけど、私と話したクラスメイトは自然と私の隣を歩いてついてくるんだよ。だからいーちゃんが離れていったら、かえって不自然かも」
「ん? うん」
言われてみれば、確かに学園での彼女の隣には誰かしら居る気がする。
「同じ班なんだし、しかも皆が私たちが仲良く話しているところ見てるんだし、一緒に登校したほうが無難だよ」
「そっか、じゃあ行くか」
「ごーっ」
元気よくあるき出す円香に着いていく形で俺も歩き出す。
暫く一緒に歩き、校門が見えた辺り。
本日乗り込むバスの姿はまだない。
そして唐突に円香が駆け出した。
「いーちゃん素直で可愛いっ。女子の友達はいつも一緒にいるけど、男子とはいないからね。私の幼馴染にちょろすぎっ」
「……こいつ」
ここで追う訳にもいかず、ゆっくりと一人で校門を潜る。
あとで憶えてろ。
※
教室に向かう必要はなく校庭で待機。
クラス毎に纏まっているが、円香の周りには別のクラスの生徒も混じっている。
俺と石井は少し離れた木陰に腰を下ろして座っていた。
「石井って身内に姉か妹でもいるのか?」
「いや、僕は一人っ子だよ」
この石井。
見た目は優男。
服装もなんだか大学生のような落ち着いた感じでセンスが良かった。
身長は175を超えているのだろう、だからこそこの服装が似合うのかもしれない。
髪は自然な感じで綺麗に染めている。
どうしてこいつ友達がいないんだろうと不思議に思う。
「なんか変なところでも僕にあるかい?」
「いんや、不躾な視線を感じたのなら謝るよ」
「大丈夫だよ」
石井はくすりと笑う。
「不快な視線ではなかったし、なんとなくだけれど君が僕を褒めているような感じがしたし」
「凄いなお前」
「藍浦は表情が素直すぎるんだよ」
「初めて言われた」
「だから君が立花さんと何かあるんじゃないかって勘ぐってしまうんだけどな」
「……」
「無言は肯定と受け取るよ?」
表情に出ると釘を差されたばかり、適当なことは言いづらい。
「中学校からのクラスメイトって言ったけど、小学校も同じなんだよ」
「所謂腐れ縁ってやつかい?」
「みたいなもんだよ」
「にしては君たち余所余所しいね」
「腐れ縁って言っても仲が良いとは限らないだろ」
「それもそうだね。でも、なんか君たちは違うような気するんだよね。お互いに気を使っているというか……」
う~ん、と唸りながら考え込む石井。
遠くにいる円香と俺を交互に見てくる。
「そうだね。立花さんは君に気を使っているのは間違いなさそうだ。でも、藍浦は彼女をガラス物のように大切に扱っていると言った感じかな」
「すごいな、お前……」
「僕の趣味は人間観察だからね。面白そうな関係があれば注目してしまうんだ」
「あっそ……」
当たらずとも遠からず。
核心に一瞬触れそうになっている。
俺は降参のポーズを取る。
「昔は仲が良かったけど、円香が成長して綺麗になったから、近づきづらいんだよ」
よくある幼馴染。
成長して距離が出来たと伝える。
これも嘘じゃない。
意外と長時間石井と話してしまったのか、今日乗るバスが校門付近に並ぶ。
「君一つ、間違いを犯したよ?」
「ん?」
「円香」
「あ」
「そんな風に呼ぶのであれば、まだ君たちはそこそこの関係を続けているようだね?」
「うっ……」
「大丈夫だよ。友達になった人に悪いことはしないから」
掴めないなこいつ。
良い性格をしている。
友達になったのは早まったかもしれない。
「藍浦くん。あと、石井くん?」
「僕をおまけみたいに言うね、立花さん」
背後から円香の声。
石井に気を取られて気づかなかった。
「えへへ、ごめんね。石井くんとは同じ班になってもあまり話してなかったから」
「構わないよ」
「それで立花さん、どうして俺らの方に?」
「あー、うん。バスが到着したから藍浦くんたちと合流しようと思って」
そう思って行動したのは円香だけのようで、彼女のグループがこちらを見ていた。
石井もその視線に気づいているのか、円香に聞こえないような声で「確かに僕たち陰キャにはこれは居心地が悪いね」と苦笑いを浮かべている。
「私もこっちで待たせてもらってもいいかな?」
「あぁ」
「どうぞ」
「良かったぁー。それで二人は何の話しをしていたのかな? 結構真剣そうっていうか、藍浦くんが困ったような顔してたけど」
「藍浦くんのことが心配だったみたいだね?」
円香がどう答えよかと口ごもる。
「立花さんっ」
「え、な、何?」
「その合流するんなら、鬼怒川さんを呼ばなくていいのかなって」
「あー、そうだね。うん、じゃあきぬちゃん呼んでくるね」
円香の後ろ姿を見送り、離れたところで。
「何が友達の悪いようにはしないって?」
「友達の友達は友達だろ?」
「本気で言ってる?」
「僕はいつだって本気だよ。彼女も何か秘めていることがありそうだから、ちょっと手助けをしてあげようかなって」
「余計なお世話って良く言われないか?」
「僕は友達が少ないからね。言われないよ」
本当に早まったかもしれない。
「ほら、立花さんたち来たみたいだよ」
「あとで覚えてろよ」
「怖い怖い」
何食わぬ顔で笑いやがって。
暫くしたのち、班ごとに纏まり号令を取る。
人数が最初から揃っていた俺たちは円香が誰よりも早く担任に報告していた。
揃った者からバスに乗り込むことになっていた。
バスの横側、荷物を入れておく場所に立つ。
隅から自分の荷物を置く。隣には円香、鬼怒川さん、そして石井が並ぶ。
「ほら……。立花さん、荷物」
「あ、うん。あはは。ありがとうっ」
「鬼怒川さんも」
「さんきゅ」
中腰で結構重い荷物を出し入れするのは、案外きつい作業だ。
「石井も」
「うん。助かるよ」
C班の荷物は綺麗に並んで置かれ、俺たちはバスへと乗り込む。
一番後ろの席に一列になるように円香が引いたくじ引きで決まっていて、正面からみて右側から円香、鬼怒川さん、そして僕。ど真ん中は石井となる。
少し心配になって円香を見てしまう。
彼女は俺の視線に気づいてにこっと微笑む。
朝に酔い止めを飲ませたし、大丈夫かな。
バスは俺らを乗せて出発する。
車内はお祭り騒ぎ。
初の旅行のようなものだからだろうか、誰も彼もがテンションが高い。
だからだろうか円香とずっと話していた鬼怒川さんも普通に俺に話しける。
「藍浦ってさ」
「なに?」
「なんか妙にいい匂いするよね」
「そうかな」
「それにしてもどっかで嗅いだことのある匂いなんだよねぇ……」
思い切り俺の近くで鼻を鳴らす。
距離ちけぇ。
円香もこちらをじっと見つめてくる。
なんか妙に嬉しそうなのはなんなんだろう。
「あ、これ円香と同じシャンプーの匂いじゃん」
「……」
鬼怒川さんはそう気づくと、円香の方に振り返り思い切り匂いを吸い込む。
「ほらっ、やっぱり」
勘のいいなんとやらは嫌いだよ。
というか、席の場所が悪いな。
俺と円香の間に挟まれれば、気づくのも時間の問題。
「妹と同じシャンプー使ってるからかな。立花さんともしかして同じなのかも」
と銘まで伝える。
嘘を言っても仕方ない。
鬼怒川さんに見えないように彼女の背後で、口パクで『ばーかっ』とちょっぴりムスっとした円香の姿が見える。
「円香とマジで同じじゃん。こういうことってあるんだ。というか、そのシャンプー流行ってんのかな?」
「どうかな」
「ちょっと藍浦、髪触るよ」
許可などは必要なく、勝手に触りだした。
この人距離感がバグってて怖い。
「うわっ、めっちゃサラサラじゃん。色抜いてない分、円香よりもサラサラ」
「そうなの? 私も触りたいかも」
鬼怒川さんの肩に手をおいて身を乗り出してくる。
「ほんとだぁー」
と、バスが高速へ入り口に向かうため大きく曲がり、車内が大きく揺れる。
円香が小さく「あっ」と声を溢す。
体勢が崩れた。
脚に力が入っておらず片足だけになり、倒れるようなモーション。
咄嗟に円香に手を伸ばし、下から持ち上げるようにして支えた。
程よい肉感のあるお腹が腕の腹に。
脇をぐっと掴んでしまったせいで、胸の横を軽く触れる形になってしまった。
「大丈夫か」
「う、うん。ありがとう。助かったよぉー」
一番驚いたであろう彼女はホッとしている。
そんな彼女の手を握り、体勢を整えさせ、乱れた髪も直した。
俺は俺で気を抜いてしまったのかもしれない。
円香が怪我をしなくて済んだという気持ちが先行していた。
石井のニヤけた表情。
鬼怒川さんの呆けた顔。
「すまん。咄嗟のことだったから妹と同じ扱いしてしまった」
「ううん、大丈夫。ありがとっ。でも、藍浦くんってシスコンなんだ?」
お前だお前。
「いや、アイツ。落ち着き無くて心配になるだけだよ。見てないとどこかで怪我とかしてそうで」
「ふぅ~ん。そんなに落ち着きない子なんだ? でも、気にかけてるってことは、可愛い可愛い妹さんなんでしょ?」
「どうかな。見てくれはいいかもしれないけど」
「えへへ」
褒められて喜ぶ円香。
「まぁでも、中身はガサツでズボラだし、私生活はおっさんみたいだよ」
「なんだとーっ!?」
「妹の話だよ」
「そうでした。妹扱いされちゃったから私のことかと思っちゃったかもー?」
肩眉がぴくぴくと動いている。
知ってか知らずか鬼怒川さんが後ろで笑っている。
「円香と急激にこんなに仲良くなる男子って初めてかもね。今日まともに話した二人とは思えないかも」
「「そんなことないんじゃないかな?」」
「ほらもうすでに息ぴったり」
円香は俺の太腿を誰にも見えないように抓って、自分の席に戻っていく。
バスは高速道路を走行。
円香は鬼怒川さんにちょっとだけ寝ると伝えて、目をつぶって静かになった。
彼女が静かになったことで鬼怒川さんも静かになり、スマホの画面に釘付けになっていた。
その後、バスは一度パーキングエリアで停車した。
長めのトイレ休憩。
バスの中には俺と円香だけ。
「馬鹿だなお前」
「うぅ゛……、キモチワルっ。そんなに怒らなくても」
「ほら、悪いがちょっと触るぞ」
「うん」
円香の私服。
窓を開けベルトを緩めさせる。
少し汗をかいているようで、タオルで拭ってやる。
「酔ってるなら酔ってるってちゃんと言え」
「でも、いーちゃん。学校じゃ他人の振りするじゃん」
「俺じゃなくて鬼怒川さんにだよ」
「友達に舐められたらおしまいじゃん」
妙な反論だな。
でも本音かもしれないと、なんとなく理解する。
「アホ。女の子は弱さを見せたほうが可愛く見えるぞ」
「あざとー」
体勢を変えさせ寝かせる。
俺は着ていたシャツを脱ぎ、丸めて枕を作る
時間が経過して少しは元気になったのか、笑顔を見せるようになっていた。
起き上がろうとする円香の額に手を添え、押し倒すようにする。
「暫く横になってろ。すぐに動いてもまた調子崩すかもしれんし」
立ち上がると円香が俺のズボンをきゅっと握る。
「どこ行くの?」
「スポーツドリンク買ってくる。汗かいたんだから補給しとかないと」
「もう少しここに居てくれない?」
弱った表情。
風邪を引いたときのような、心細いといった感情が円香から溢れている。
そう言われてしまったら。
「少しだけな」
「いーちゃんと居ると落ち着く」
だらしない顔を見せるので、力の込めていないデコピンを食らわせる。
「あうっ。怒ってる?」
「ちょっとな」
「ごめんね」
「いいよ。慣れてるし」
学生の一人がバスに乗り込むまで隣にいることを続けた。