幼馴染は怒っている
林間学校の前日。
つまりは通常の授業が終わり、石井に別れの挨拶をしてから一人自宅へと戻ってくる。
他の生徒とは顔見知り程度にはなっているが、特に挨拶を交わす間柄にはなっていない。
円香は放課後は暫く教室に残っていることが大半で、もとより一緒にいるつもりもないので、早々に学校から引き上げる。
自宅に戻ると鞄から弁当箱を取り出して、朝食の時に使った食器と同じように水の溜まった桶に一緒に浸ける。
自炊する高校生。
帰ってきたらまずやるのは夕飯の準備だ。
冷蔵庫を開いてメニューを考える。
豚肉に大根と冷蔵庫の中身はほぼ品切れ状態。
ちょっとしなったキャベツもある。
豚バラ大根にするか。
いや、それだとキャベツが完全に余ってしまう。
そろそろ食べきらないと腐るだろうし。
明日から家にいない。
料理は趣味ではなく、ある意味必然的に覚えた物。
栄養バランスには気をつけているが、こだわりを持って突き詰めることはしない。時間と消費を天秤に掛け、美味しく食べられて手軽ということを念頭に置いて考える。
ほぼ毎日作っているわけだし、コストを掛けると疲れてしまう。
手を抜くところはしっかり手を抜く。
「よし」
制服のブレザーを脱ぎ、折りたたみながら椅子に掛ける。
シャツの袖を捲り、手を洗う。
最近、夜も温かいし冷しゃぶでいいだろう。
キャベツは下に敷くだけでいいし、大根は味噌汁の具にでもすればいい。
僕はポン酢で円香は胡麻ダレ派。
外では大人っぽく見える彼女は、その実子供舌なのだ。
弁当にミニハンバーグとか入れるとめっちゃ喜ぶ。
米を炊いている間におかずを作っていると、玄関からものすごい音とともに円香がリビングに到着した。
「ちょっとは静かに出来ないのか」
「あ、ごめん。ちょっとムカついてて」
そう言えば昼休みが終わった頃に妙に機嫌が悪かったな。
「昼休み中になにかあったのか?」
「あ、わかる? 流石いーちゃん」
「なんか機嫌悪いなとは感じてたから」
「それでこそ幼馴染だよっ」
なんだよ、急にテンション高いな。
綺麗な顔でキレられる、結構怖いんだよ。
ずいっと身を乗り出してくるものだから、身長差もあってこちらが縮こまる。
「お弁当食べて友達と駄弁ってたんだけど」
「うん」
その友達に何か気に触るようなことを言われたのだろうか。
「彼氏の惚気が続いてね」
「うん」
「星谷ちゃん幸せそうでいいなーって話しになったんだよ」
「お、おう」
「でさぁー、駄弁るのも飽きて各々好きなことやって」
「うん」
話しの流れがわからねぇ。
「でね。暇だかったから先に教室に戻って、スマホで小説読んだんだ」
「うん」
「恋愛小説のタグで色々探しながら見てて思ったんだよ」
「何を?」
「幼馴染って浮気過ぎじゃないっ」
「あぁ……、なるほどね」
浮気されて始まるタイプの奴か。
他には許嫁破棄とか婚約破棄とか。
その後、他の美少女に絆されていくタイプの。
「それで?」
「幼馴染って掛け替えのないものだと思うんだよ。お互いのことをよく知っている一番身近な異性って感じで」
「まぁ、そうだな」
大体、最近幼馴染は負けヒロインが大半を占める。
昔のシミュレーションゲームをアーカイブで買ってプレイしてみると、案外ちゃんと幼馴染はメインヒロインを張っていたが、時代はいつの間にかヒロインの一人に落ち着いている。
今でも色褪せない名作の中には幼馴染ヒロインもいるんだが。でも昨今の勝ちヒロインになった幼馴染は腹黒かったりと特徴付けがされている。
ゲームはルート分岐があって、それぞれのヒロインごとに楽しめるからまた違ってくるから、小説とはまた違う。
基本一本道の小説だと、王道の幼馴染は負けヒロインに落ち着いてしまっている。
「そんな幼馴染を裏切るとかありえなくないっ!?」
「つば飛んでるって……、少し落ち着け」
「あ、ごめん」
そう言って、円香がタオルを鞄から一つ手渡して来るので、それで彼女の唾液を拭った。
タオルは妙に甘酸っぱい匂いがして、家で使っている洗剤の匂いと何かが混じったような香り。
「……お前、これ体育の後で汗拭った奴だろ」
「どうせいーちゃんが洗うからいいじゃん」
「こいつアホなのか」
「聞こえてるよっ!?」
「まぁ落ち着いて冷静に考えなって、円香が言うように幼馴染はお互いのことをよく知っている一番身近な異性。信頼と信用もあって、小さい頃に結婚の約束したりとか思い出があるみたいな、よくある話だ」
「そうだね。私たちはしてないけど」
俺の話に妙な茶々を入れてくる。
だが、思い返してみると、子供の頃にそんな約束した記憶は一切ない。
俺ら幼馴染らしいことしてたっけな。
おままごととか?
本気で純粋無垢な瞳を輝かせて、泥だんご食わされそうになった記憶が。
「してないな。……それはどうでもいい、小説の話だ」
「うん」
料理の手を止めて向かい合う。
未だにご立腹のようで瞳が爛々と輝いている。
「恋人でも裏切られた時のショックはデカいだろ? もう異性のことを信用できなくなったりとかトラウマが残るほど。どうだ? 家族のように育ってきた幼馴染が裏切るって、思い出も沢山あるのにその恋人が裏切るんだ、だから余計に傷つくという出来事になる」
「うんうん」
「その御蔭で傷ついた主人公の心を癒やしたヒロインたちが可愛く見えて頼りになってくるっていう話だ」
「つまり」
「うん?」
「幼馴染は当て馬ってことかっ」
円香の眉が釣り上がる。
俺の肩を掴み、前後に揺さぶる。
俺に怒っても仕方ないと思うんだが。
「そういうこと」
ついでに言えば、浮気した相手に捨てられたりして不幸になり、主人公に縋り付く様をみて快楽を得るための役割も残されている。
と、そこまで考えているかどうかは知らない。
ただそうこじつける事が出来るという話。
愚かな事をしでかして、不幸になるためだけの運命を定められる。
恋愛に限らず裏切ったものが不幸になる。
因果応報ともいえる摂理。
俺は賛成だけど。
なんなら罰せられて欲しい。
大昔の日本には姦通罪なんて物があったらしい。
不貞を働いた女性とその相手にしか適用されたなかったが、時代の流れで男性にも適用される話になり、世論では両罰化に賛成。年配者が廃止に賛成。結果として姦通罪がなくなった。
なんとなくだけど、年配者が廃止に賛成って疑うよね?
絶対罪を犯してるだろって。
自身の保身のために消えたような気がする。
個人個人のは意見はあるだろうが、俺は賛成というだけ。
今現在、好きな人もいなくて交際相手もいないが、ある意味において結婚後の不安要素が減るのであれば復活してくれたほうが個人的には良いんだが。
罪を犯す奴は犯すだろうが、それでもきっちりと犯罪ということになれば抑止力も働くだろう。
余計に結婚する人が減りそうな気もするが、でもそんな人間が結婚しないというほうが正しいとも思える。
アメリカには南東を中心に半分ぐらいの州には残っているらしいけど。
考えていても仕方ないか。
これ以上は黙っておこう。
こんな雑学を円香に疲労したところで、『きもっ』とか言われるオチ。
「幼馴染の地位をもっと上げるべき」
「んなこと言われてもな」
でも最近個人的に一周してこっちの背中がムズムズするような純愛物が流行りだしているような気がしないでもない。
ドロドロしていたり、泣けるような話に読者がやや疲れてきたのかもしれない。
実際どんな人間も純愛を求めている、ただ裏切りを起こすのは人が弱く、快楽に流されやすいのだろうと想像する。
先程の話にも通ずる。
「ふと思ったんだけど、最近勝ちヒロインの王道ってなんだ?」
「んー。凛々しい先輩とか、あざとかわいい系の小悪魔的後輩とかかな。あとは完全無欠の同級生様とか。あー最近はギャルが多いかも? ほらコスプレのやつとか、ラノベ好きなギャルとか」
多様化して特にないような物。
みんながヒロインになれる時代かもしれない。
「結構お前読んでるんだな」
「自分の恋愛とか興味ないけど、こうやってお話として読むのは面白いからね」
それには完全同意。
「でもこのやるせない気持ちをどうしたらいいのか……」
うーんっと悩む円香。
「そういう時は面白い作品を読んで上書きするんだよ」
「おぉー、流石いーちゃん。頼りになる。して、おすすめの本は?」
「スマホ貸してやるから、その中から気になるの読め」
「うぃーっす」
同じような感性を持っている。俺が面白いと思った物は彼女も面白いと思うはずだ。
俺の脱いだブレザーの胸ポケットから青いスマホを取り出して、その席に座って暫くして円香が静かになった。
おかげで調理が順調に進む。
そして間もなくして夕飯となる。
今日は泊まるというので、食後に円香に風呂を洗ってもらいそのまま沸かしてもらう。その間に俺は片付けを済ませ、客間に入り円香用の布団を敷く。
あいつ帰るのが面倒だと思ったなと考えつつ、彼女が戻ってくるまでそのまま部屋でゲームをする。
円香は部屋へ入ってくるなり俺のベッドにドサリと音を立てて座り、ぼりぼりと尻を掻きながら話の続きを読んでいる。
暫く静かな時間が続いたが、読み終えたのか円香が口を開いた。
「人気あるキャラだから、主人公とくっつって言うわけじゃないんだね」
「そうだろうな」
俺らは主人公を通してその世界を見ているが主人公ではない。
誰を選ぶのかは作者のみが知る。
稀に別ヒロインと結ばれる、別次元シナリオもあったりする。
時刻は午後十一時。
話しかけられたタイミングで集中力が切れて、キリの良いところまで進んだこともあって、セーブをして電源を落とした。
明日は弁当を作らなくて済むので、もう少し深い時間まで起きていてもいいのだが、次いつ丁度良いタイミングが訪れるのかわからないので断念。
寝る子は育つという言葉を信じつつ。
円香の隣に腰掛けぼんやりとする。
スマホがないので手持ち無沙汰。
「もう寝る?」
「そうしよかなーって」
「じゃあ私も寝ようかな」
「おう、そうしろ。明日から林間学校なんだし、休んだほうが得策かもな」
「私はいーちゃんより体力あるけどね」
「うるせぇ」
本来は眠る時は別の部屋に移動する。
前回は泊まったというよりは徹夜で、お互いに死んでいたから同じだっただけ。準備する気力もなかった。
円香が部屋から出るのを見届けると、パチンと壁に備え付いているスイッチを切り消灯。
一瞬にして真っ暗。
見えずとも感覚を便りに、先程まで円香が座っていたベッドに戻る。
妙に温かい。
電車で知らないおっさんが座った後のような温もりのような不快感はない。
女の子特有の甘い残り香があって、円香の香りだからだろうか落ち着く。
子供の頃からずっと握りしめているタオルとかそういう物みたいな。
気づけば暗闇に溶けるように眠りに落ちた。
カーテンの隙間から木漏れ日が顔にかかる。
静かな部屋に鳥のさえずりがBGMとして忍び込む。
むくりと上体だけ起こし、あくびを一つ。
ぼんやりとそのままの状態で過ごす。
徐々に頭が冴え始めたところでスマートフォンを手に取る。
アラームの鳴る一時間前。
弁当を作らなくていいからとアラームの設定を遅くしたのに、いつもの時間に目が覚めてしまった。
二度寝をするほどの眠気もなく廊下に出た。
しーんっと静まり返った家内。
ぺたぺたと自分の足音が聞こえる。
折角だからとシャワーを浴びる。
ひっそりと残っていた眠気がお湯に流されて排水溝へと吸い込まれていった。
円香が選び、僕が買うシャンプー。
ちょくちょく銘柄が変わるが、今使っているのはお気に入りなのか半年以上は使っている。
ゆっくりと三十分ほど掛けて上がり、バスタオルで身体を拭う。
下着を履いたタイミングで急に扉が開いた。
「……びっくりした。いーちゃんが朝からシャワーなんて珍しいね」
びっくりしたのはこっちなんだが。
「予定してた時間より、かなり早く起きてしまったしな」
「いーちゃんも色づいてきたのかと思っちゃった」
「なわけないだろ」
「だよねー。でも髪ぐらいは切ったら? 切ってからもう3ヶ月は過ぎたでしょ」
「確かにな」
目の下まで伸びてきた前髪。
ゲーム中はヘアゴムでパイナップルを作っているから、気にしてすらなかったが。
「「めんどい」」
俺の口調を真似した円香と揃う。
「えへへ、言うと思った」
円香は笑いながら顔を洗い始めた。
先に服を着終えた俺が脱衣所を出て、一度部屋へと戻りしっかりとした動きやすい服装に着替える。今日は私服が認められている。
注意事項にはスカートや短い丈のパンツを履くことは虫刺されや、怪我の原因になるので控えるようにとだけ書いてあった。
ちなみに俺のファッションセンスは悪くない。
何故ならオカンが買ってきた服ならぬ、円香が選んだ服だからだ。
必要に迫られて自分で買うことになっても似たような物を選ぶ。
着替えが終わり朝食を作りに戻る。
円香もここで合流。
「円香」
「はーい」
皿を取り出してくれて、盛り付けた物からテーブルへと並べてくれる。
最後にお茶を二人分用意して、席に着く。
「今日から林間学校だね」
「そうな」
「ゲーム出来ないね」
「やらない日だってあるから問題ないだろ」
「やらないのと出来ないのとじゃ大きな違いだよー。私は何かに強制されるのが嫌だもん」
箸で俺を指す。
行儀が悪い。
円香の手を掴み下ろしてやる。
「まぁわからんでもないが」
「でもいーちゃん。気をつけなよ」
「ん? 何が?」
「ほら中三の修学旅行は私と別クラスだったからいいけど、今回は私と同じクラスでそれに班まで同じになったんだから」
「それはお互い様だっつーの」
「私は別にバレてもいいし」
「やめろよ?」
妙に最近こだわるな。
そのせいでちょっと怖い。
円香の食事が終わり、食器を纏めて片付ける。
男女の差があるのか、食べるスピードは俺のほうが早い。
いつもは夜の分とまとめて洗っているが、今日はそうもいかない。
彼女も手伝ってくれようとするが。
「手伝いは今日はいいよ。寝巻きのまんまだろ? 一旦帰って準備してきな」
「あー、そうだね。うん、そうする」
「そこに洗濯物置いてるから、ついで持って帰ってくれ」
「はーい」
提案を受けて彼女は家を後にした。
食器を洗ったら戸締まりをして俺も行くとしよう。
次回、次次回から少しずつ変化を持たせていく予定ではあります。