毒にも薬にもならない
俺に任せろと言って離れていく幼馴染の後ろ姿。
(あれ……? いーちゃんの背中ってあんな大きかったっけ? 身長も伸びた気がする)
ふと彼の背を見てそんなことを思った。
思わず呼び止めてしまったけれど、次に繋がる言葉を見失う。
いつだって傍にいて、誰よりも一番知っている筈なのに知らない顔を見せられてた気がした。
でも、どこか懐かしく。
『任せろ』とたった一言。
気が緩み、伸し掛かった物が崩れ落ちていった。
あぁ……。
違うなぁ。
ただ私が忘れていただけだ。
あの後ろ姿をみて思い出した。
そうだ、どうして忘れていたんだろう。
私が困っていると真っ先に救いを差し伸べる男の子。
良く泣いていた私の手を取って無言で家まで連れて帰ってくれた。
今も泣き出しそうになった私に救済をもたらしてくれた。
当時は友達も多かった筈なのに、私と遊んでくれる。
大事なモノとそうでないモノに切り分ける、そんな彼。
いつだって、いーちゃんはいーちゃん。
自分の罪に囚われすぎて彼本来の特性をないがしろにしていた。
「円香ちゃん、顔赤いよ。……大丈夫?」
心配そうに覗き込む咲希ちゃんの声で我に返る。
そうだった。
今、気にするべきは咲希ちゃんのほうだ。
「風邪でもひいたのかも。でも、私はもう大丈夫だよ。いーちゃんがなんとかするって言ってくれたし。それよりも、咲希ちゃんのほうこそ大丈夫だった?」
色々あってメンタルが凹んでいたのは事実で、緊張していた糸が切れたのか体調を崩したのかもしれない。
自覚はないけれど。
自身の頬をぺたぺたと触り、仄かに熱いことを感じながら咲希ちゃんの返答を待つ。
「うん、全然平気だよ。途中で藍浦君も見守ってくれたみたいだし」
はっきりと平気だと言う。
彼女は私達のグループでは控えめな性格をしているが、それは言い換えれば少し大人びていて心が強いのだろう。
達観しているとも言える。
どこか彼に似ている。
「すぐに助けてあげればいいのに」
「あれはあれで正解だと思うよ……。女子ってめんどくさいし、藍浦くんのクラスでの立場なら彼が何を言ったところで彼女らが引くとは思えないしね」
「……そうだね」
言われてみればその通りで、私たちのグループと関係性があるいーちゃん。
だからといって私と速見君のグループという訳ではない。
いーちゃんと速見くんは時々話している姿を見かけるが仲が良いという印象はない。
あくまで私たち女子と仲が良いというだけ。
その彼がどうやってこの問題を解決するのだろう。
子供の頃は喧嘩をして、複数人を相手にして解決していたけれど。
高校生となった今はそうもいかない。
それに体格的にも不利なのは明らか。
女子を殴るというのも外聞が悪い。
男子にはまだ流れていないだろうけれど、今後多分広がってしまう下世話な噂を殴れるわけでもない。
このまま任せてしまってもいいのだろうか。
絶対になんとかしてくれるだろうという信頼はあるけれど。
子供の頃の喧嘩だって無傷という訳にはいかなかった。
「ごめん、今日は部活休むね。咲希ちゃんも私のせいで大変なのに」
それに私がいると余計に問題が増えそうだし。
「ううん。元はと言えばサッカー部の問題だったんだし、手伝いにきた円香ちゃんが悪いわけじゃないよ」
「それでも迷惑掛けたことには変わりないから」
咲希ちゃんに謝罪と感謝を述べて、私も学校から去ることにした。
両親が家をよく空けるようになってからというもの、自宅よりもいーちゃんの家にいるほうが長いような気がする。もちろん、寝る時にはもう一度帰ってきているので記憶がない状態なら自宅のほうが長くいる。
ただいまって言えば、おかえりってキッチンから彼の声が聞こえると安心して、安らぎを得ながら一日の終わりを感じる。
放課後にあんな事があったばかりだけれど。
「ただいま」
「おかえり。早かったな」
「うん、流石にね。今日はサッカー部に顔は出せないよ。それに少し体調悪いみたいだし」
「体調?」
いーちゃんは濡れた手をタオルで拭い、近づいてくると手を伸ばして私の額にあてる。
「な、なになに?」
「なにって、熱でもあるのかって気になっただけだぞ」
「そ、そうだよね。うん」
体調悪い時はいつもこうやって計ってたのに、なんで動揺しているんだろう。
良くわかんないから体調不良のせいにしよう。
※
朝起きて身だしなみを整え、家から家へ。
準備されている朝食に舌鼓。
ゆっくりといーちゃんと雑談した後はお弁当を鞄にしまい登校する。
一人で登校するのが億劫だなって考えていると。
「円香、一緒に行くぞ」
「へ?」
「なんだよ、そんな変な顔して。いつもなんだかんだ理由つけてついてきているくせに」
「いーちゃん優しいんだぁー」
「うっさい。ほら行くぞ」
照れるとわかりやすく口が悪い幼馴染。
まぁまぁ捻くれているけれど素直。
思わず、ふふっと笑ってしまう。
一日休みを挟んでの教室。
好奇の眼差しを向けられる。
最初の頃は女子数名から、今はクラスのほとんどから。
少し怖いとも思う。優しく仲良かった人たちの瞳が、嘲笑するようなモノに簡単にひっくり返るのは。
「気にすんな。すぐには無理だけど、いずれ終わらせるから」
一緒に登校してきたいーちゃんが優しく声を掛けてくれた。
「……うん」
昨日のうちにいーちゃんには暫くの間、一人になってもらうと言われていた。
きぬちゃんや咲希ちゃんは理解しているようで、私には近寄らないようにしている。ただ、こちらを心配するような視線を送ってくれていて、たったそれだけのことがとても嬉しい。
改めて思うのは、私には味方がいたのに。
彼には当時味方らしい味方がいなかった。
本当に強いなって。
友達とは話せなくなったけれど、時折いーちゃんと速見くんだけが話しかけてくれる。
……速見くんも協力者なんだろうか。
肝心なことは説明してくれないんだよなぁ~。
一日と日が過ぎていく。
嫌がらせはなくなることはなく、偶然を装ってぶつかってきたり机の脚につま先を当てたりなんかしてくる。
一つひとつは小さな嫌がらせ。
でも積み重なると本当に腹が立ってくる。
しかも立ち上がって抗議しようモノなら教室の雰囲気を更に悪くして、自分の敵を増やすことにもなるというおまけ付き。
私が無視というか、平気な顔をしているせいか相手も苛立ってきているようだった。
昼休みにいーちゃんに昼食に誘われ、何故か教室で二人で食べることになった。
妙に周りの視線を集めているが彼は気にする様子はまったくない。
嫌だ嫌だと言っていた彼はどこに行ってしまったのだろう。
小声で彼女らの行動をいーちゃんに伝えると「そろそろかな」と神妙に頷きどこかに連絡を入れている。彼の連絡先なんて私が把握してるので特定は可能。教室にいない三人のうちの誰かで、無茶振りをするとなれば一人に絞られる。
スマホを無造作に仕舞い、こちらに向き直るいーちゃん。
きぬちゃんや咲希ちゃんにそれとなく連絡を取って、何をやるのかとそれとなく探りをいれてみたものの答えてくれなかった。二人の様子をみるに協力するけれど、少し迷っているような? そんな気配がある。
もうちょっと突けば情報が出てくるような気もする。
「そういえば円香」
なにがそう言えばなんだろうと思うが、はっきりとした声。クラスにも聞こえるような声量ではっきりと私の名を呼ぶ。流石にもこれにはびっくりした。
周りも少しざわつき聞き耳を立てる。
「な、なに?」
「今日一緒に帰らないか」
「いいけど」
「ついでにどこかに遊びに行こう。どこか行きたいところあるか?」
「いや……、特には」
あの二人デートするんだって。と、どこかのグループが話しているのが聞こえる。それだけではなく、私といーちゃんまで悪口を言われている。
けれど彼はどこ吹く風。気にする様子もなく私の手を取り教室を出ていく。
触れられた部分から熱を帯びていく。
※
翌日になって、ついに嫌がらせをしてくるグループに放課後に呼び出さた。
相変わらずサッカー部がいる間は静かなものだが、速見くんを筆頭にいないときは私に対して辛辣だった。
どういうことがあったのか逐一いーちゃんに知らせていて、今日も昼休みに知らせるつもりだった。
最近いーちゃんがぐいぐい近寄ってくれるお陰で楽しい昼休みを過ごしている。なんだか、本当に昔に戻った気分。
「お疲れ、円香」
「え?」
「円香が辛抱強く耐えてくれたおかげで解決出来そうだよ」
「えーっと? つまり……、現行犯で押さえたかったってこと」
「うん。前田さんの時は準備もしてなかったからな」
「先生とかに言うの?」
「教師に言っても無駄だろうな。嫌がらせかいじめか怪しいラインだし、有耶無耶にして厳重注意がいいところだろう。学校側に不都合が起きない限り動くことはなさそうだしな。往々にしてそういうニュースばかりだ。教師は聖人でもない、ただの社会人で仕事だからやっている。学校も企業みたいなもんだしな」
「じゃあ現場を押さえてどうするの?」
「速見に教える」
「なんで速見くん?」
「なんでって、クラスで一番力を持ってるのはあいつだろ? それも学年が上がるほど力を増していくタイプの。よほどのことがない限り揺るがないよ」
「それはそれでいいとして、他の問題は?」
「そっちは円香がサッカー部に顔を出さなくなって解決済み。あっちもただの嫉妬だよ。石井を通じて生徒会から、サッカー部に迷惑が掛かること、自身が所属しているバレー部にも問題をこれ以上起こすようなら出場停止も視野に入れると脅されてすっかり大人しいもんだよ。元々、素行がそんなに良い方じゃないのが災いしたな」
「なんで石井くんと生徒会?」
「石井の彼女、生徒会長だったんだよ……。あ、これ秘密な」
生徒会長といえばものすごい美人だった。
まさか石井くんと交際しているなんて驚愕。
「なんで現場押さえて速見を誘導すれば終わりだな」
「そっか……。じゃあ彼女達が静まれば噂も落ち着くかな?」
「どうだろうな」
「え?」
「速見に任せるってことは内々に処理しようとするだろう。いくら相手が悪いからと言って彼女たちを追い込もうとないだろう。それは俺より円香のほうが知ってるんじゃないか」
「……確かに。じゃあ噂に関しては耐えるしかないんだね」
「自然と落ち着くだろうとは思うが、いつになるかだな。立花円香っていう女子はこの学校の一年じゃあ有名だからな。そのスキャンダルともなれば、もうこの学年には知らない奴はいないだろうし、ふとしたきっかけで再熱する可能性もあるだろ」
「うん」
いーちゃんの表情から察するに、これに対しても解答を用意しているようだった。
けれど、散々語っていた彼の口からその答えは出てこなかった。
流石に私を舐め過ぎだと思う、この幼馴染は。
昼休みの終わりに幼馴染から離れて友達に連絡をする。
ただの答え合わせ。
そこから私がすることは。




