幼馴染の評判
円香がサッカー部のマネージャーを手伝うと言ってから数日が経過した。
朝練には参加しないようで放課後の練習だけ手伝っているらしい。
一緒に帰ることはなくなったが、相変わらず夕飯とお風呂はこっちの家。
帰りは別だけれど、行きは一緒。
なんだかんだで円香とは一緒にいる。
教室の中で円香と別れる。
彼女と登校してくる事に対しては誰も何も言わなくなっていた。
それが当然のことのように受け入れられている。
時折、休み時間や臨時的な組分けがある時ぐらいに羨ましがられる程度。
ただ少し違和感もある。
教室の入口付近、俺の机……いい加減席替えとかないのかと言いたくなる場所で円香と別れる。
今日はいつものグループのメンバーが遅いのか、円香一人だけであり、それならそうと他の女子に声を掛けに行くのが彼女の行動。
明るく朗らかに声を掛ける円香とは対象的に、彼女に声を掛けられられた生徒たちは引き気味。
二軍より下のカースト。
有象無象にも隔たりもない。
いきなり一軍である円香に話しかけられて引いている訳では無いと思う。
円香が誰に対しても態度を変えないのはクラスは理解しているし、それでいて容姿が良いのに圧を感じさせない。クラスの人気者である。
相手の態度に円香も少し疑問を持ったのか小首を傾げていた。
でも、そこは流石洗練された一軍であり女子のリーダー格である円香、少しの時間でまた元の雰囲気に戻っていた。
……。
なんだかなぁ……。
男子はいつも通りだが、女子の雰囲気が全体的に悪い。
「どうした? 藍浦」
「お前、いつ来たんだよ……。足音も立てないとかびびるっつーの」
「悪気があったわけじゃないんだ」
悪気があったらなにする気だと思う。
癖になってんだとか言われたら、こいつ殺し屋一家だなって納得するところだが。
そんな訳ないか。
……円香なら言いそう。
「それで?」
「女子の雰囲気ってこんな悪かったっけ」
聞かれたら反感を買いそうなので小声になる。
「君って敏感なのか鈍感なのか判断に困るよね」
「なんだよ」
呆れるように言う石井。
さらに続けて勿体ぶるような物言いを続ける。
「ま、昼休みにね」
しっかりと時計を見ていたのか石井がそう言い切るとチャイムが鳴り、ざわざわと騒がしい教室は何十人もの足音を一斉に鳴らした後、静かになる。
HRから授業中は普段通りで女子の雰囲気の悪さは消えて、余計に不思議に思うのだった。
石井以外の男子ともそれなりの交流をしながら、授業や合間の休憩時間を過ごし昼休みになる。
食堂や購買に走り出す者、教室に残り鞄からコンビニで購入してきたであろうビニール袋から、家庭的な布に包まれた弁当を取り出し机をくっつけて簡易的なテーブルにする者に分かれる。
俺たちも後者だが、わざわざ机を動かすことをしない。
席が前の俺が横向きになり弁当を手に持つ。
「で?」
「まぁゆっくり昼食楽しもう」
石井の視線が動く。
その動向で大体のことは把握出来る。
事前に不思議に思っていたこともあるし、原因は円香にあるという。
前との違いはマネージャーになったという事ぐらいしか思い当たらない。
ただこんなことでこうも雰囲気が悪くなるのかが謎。
「女子は怖いよね」
考えていることがわかりやすいと石井と円香にもっぱらの評判の俺。
すぐにバレてしまったようだ。
「共感性の高さは怖いな」
「悪いことなのかそれ」
「一種の集合体みたいじゃん」
「ふん?」
「個性個性って言ってる割りには流行に敏感で誰も彼もが似たような見た目してる。バケモンみたいじゃん、ドッペルゲンガーかっての」
最近の流行りのアイドルなんか区別がつかない。
誰々が誰々でって言われても、誰? となる。
俺の親父も似たようなこと言ってたから、すでに俺はおじさんかもしれない。
「女子に聞かれたら一斉に顰蹙買うだろうね」
「やっぱり怖いじゃん」
「……僕は何も言ってないからな」
一度話しの流れを変えて雑談に興じる。
というか、石井が強制的に話題を変えてきた。
おそらく原因である円香たちのティア1グループがいる教室で話すことでもないだろうしな。どのみち俺も話を変えるつもりでもあった。
最後に残ったからあげを口へ放り込み、よく噛んで嚥下。
お茶を飲み口をまっさらな状態へ。
そして、ようやく本題に入る。
見た目通り食べるペースが遅い自分。
気づけばクラスのほぼ全員が机の上を綺麗に片付けており、教室は雑談色に変わっている。
円香のグループもいなくなっているしで好都合である。
「で、アイツが入ったことでなんであーなるだ」
「そこまで気づいたなら僕が言うことは少なそうだね。簡単に言ってしまえば嫉妬だよ」
「ほーん」
男子のマネージャーになるだけで妬みを買うものなのか。
彼女が仮所属する理由は友人を手伝うって理由もあるのに。
というか、元々所属している前田さんも似たような境遇になる。
「前田さんは最初から部活に所属しているから、君が思っている程じゃないよ。それでも彼女も容姿が優れているし、というより君の幼馴染のグループで唯一黒髪で大人しそうで男ウケがいいからね。最初からあまり女子から好かれてはいないみたいだけど」
「石井も中々言うね」
「僕は思ってないよ、藍浦を通して仲良くさせてもらっているし」
「言ってることは理解出来る」
「周りからは最初からモテるくせにサッカー部で男漁りをしているっていう風に噂されてるみたいだね」
最初に受けた印象は俺も似たような物だった訳だし。
俺よりも低い身長で幼さが残る顔立ち。
仕草も相手が男子でさり気なく触れてくる。
円香とは違う男子との壁の無さ。
「わかるんだけどさ、わかるんだけど。クラスメイトとかって円香とか前田さんの性格とか人柄って理解してるわけじゃん」
「コミュニティはクラスだけじゃないだろ?」
「部活とかか……」
「正解。クラスメイトで目立ったグループと言っても僕らはまだ一年、本当に怖いのは上級生ってことだよ。最近は上級生にも立花さんの話題が上がっているようでね、寧ろ僕らの学年よりも上の世代が立花さんを嫌っているみたい」
「……友達いないのに詳しいな」
部活にも所属していなかった筈なのに。
彼女が年上なのか。
俺の顔色を見て、微笑む。
腹立つな……。
「それにサッカー部に所属しているだけで男子は人気があるからね。レギュラーにもなればそれはもう芸能人みたいな扱いだよ。一年筆頭は速見君だけれど、三年の東城先輩とか有名だよ」
「俺は知らないんだが」
「君は興味ないからだろう。僕も普通に過ごしているだけで情報は入ってくるよ」
「それもそうだな」
アンテナ張ってるのはうちの生徒がどうのというよりは、次に実装されるキャラはなんなのかだったり、ネトゲのメインジョブの調整がどうなるのかという事。
あとはマウスとかキーボードとかのデバイスぐらい。
ラビットトリガーが熱いらしい。
「どうなることやら」
「幼馴染なんだから気にしてあげたらいい」
「それは勿論だけどさ」
石井に背を向けて机に肘をつく。
欠伸を漏らしながら、本人のいない空席を眺める。
※
珍しくその日は円香と話すこともなく放課後を迎える。
いつも女子三人で話している彼女は普段通り笑顔を絶やしていない。
余裕そうに見えるけれど、どうなんだろうな。
石井が知ってるぐらいだから、円香が噂のことを知らないわけもないと思う。
今日は家で聞くだけに留めるだけにして自宅に戻ることを選択。
少しの気まぐれで夕飯ぐらいは円香の好物でも用意してやろうと寄り道をする。
静まり返った家。
行き場をなくした空気が籠もり、扉を開けた瞬間気持ち悪い風を一身に浴びる。
思わず「うぇ……」と嫌悪を表し、程々にかいた汗に勢いが増す。
全ての窓を開けて換気を促し、その間にシャワーを済ませて、私服に着替える。
浴室から出て冷房に切り替える。
そのぐらいにもなると日の落ちるスピードの遅い夏でも空は茜色に染まっている。
古い写真のような景色の中、自分が始めた夕飯の音が静かに響く。
三十分、一時間と時間が過ぎていきオレンジからパープルに更に色は変わっていく。
炊飯器が音楽を鳴らす頃にタイミング良く、玄関の開く音がリビングまで届いた。
手を軽く洗い拭う。
その間にもパタパタと足音が近づいてくる。
疲れいるようで足音がいつもより鈍いのがわかる。
「おかえり」
「ただいまー。もう、くったくた」
「確かにはんなりしてんな」
「はんなりってどういう意味だっけ?」
知らない。
上品とかだっけ?
うろ覚えをうる覚えと言いそうになるぐらいあやふや。
あれどっちだっけ?
「ご飯は出来てるから、とりあえずシャワー浴びてこいよ」
「はーい。あ、着替え準備してくれると嬉しいなぁ~」
「はいはい」
円香が浴室に向かったことを見届けてから、着替えを取りに行く。
無造作に薄い布とTシャツを掴み、布団の上に捨て置かれているショートパンツを拾い上げて脱衣場へ。棚からバスタオルを取り、着替えと一緒にして声を掛ける。
「置いとくぞー」
「ありがとー」
顔面にシャワーを浴びているのか、途中でごぼごぼ言いながら咽る声に変わった。
苦笑しながらすりガラスから見えるシルエットを一瞥して退出。
リビングで夕食を並べ、一五分程度経過したあと頭にタオルを巻いた円香が出てきた。
「おぉー、今日は私が好きな奴多い。ラッキー」
子供みたいな言動に思わずくすりっと笑ってしまう。
ご飯をよそい手渡す。
律儀に俺が自分の分をよそって席につくまで待っていてくれた。
食事を始めると自然と円香の口が饒舌になり、今日あったことを朝あったことから昼休みに鬼怒川さんや前田さんと話したことまで雑談に交え、最後にマネージャーでこんな仕事をしたんだぞと自慢げに話してくる。
楽しそうに話してくれるし、今のところは問題ないのかなって改めて思った。
「そうだ、いーちゃん」
手に持っていた箸を茶碗の上に置いて佇まいを直す。
いちいちそんなことをするのだから、何か頼み事があるのだろうと長年の経験値でわかってしまう。
「ん?」
「明日、ごめんだけどちょっと手伝ってほしーなぁーなんて」
「あぁ、少しならな」
「ありがとっ」
「で、何すればいいんだ?」
「洗濯っ」
「……他にないの?」
「ないっ」
「あ、明日特売日だからやっぱりなしで」
「断るにしても男子高校生らしくないよ。いーちゃんらしいっちゃらしいけど」
「ま、冗談だ」
「うへへ」
「なんだよ、気持ち悪いな」
「やっぱり、なんだかんだ優しいね。……というか気持ち悪いは酷い、やっぱり優しくない。最近頑張っている幼馴染には優しくするべき」
拗ねたようにご飯をかきこむ。
マナーが良いとは言えないが、誰も見てないから別にいいか。
頬に米粒までついてる。
とってやろうと手を伸ばすと何故か威嚇するようにファイティングポーズをとってくるが、構わず頬に触れて摘み取ると、警戒は解けてだらしない笑みを浮かべてくる。
食事が終わり二人並んで食器を片付ける。
日が完全に暮れ日付が変わるぎりぎりまで一緒にゲームをして、円香の欠伸が増えたところで家まで送り届ける。
自宅に戻り明日のお弁当の下準備だけ済ませて、俺も今日を終える。
彼女の噂について聞かなかったことは正解だろうか? そんなことを考えながら意識は遠のいた。
朝、目が覚めてルーティンをこなす。
教室に入ると女子が一斉に円香を見つけ、一瞬だけ行動を止める。
その異様な光景に戸惑いつつも席に荷物置く。
円香も動揺している筈だが表情には出さず、そのまま自分の机に向かった。
今日は話しを振ってみるか。
そう静かに決めると一限目の授業の準備をする。




