幼馴染と特にないもない一日
「でもなんで藍浦との関係を隠す必要があったわけ?」
「私はしらなーい」
鬼怒川さんの問に円香が否定するものだから矛先がこちらに。
「それは僕も気になるな」
うるさい、お前は黙ってろ。
「うちだったらこんな可愛い幼馴染いたら自慢しちゃうけどなー」
とは前田さんの言葉である。
それは男女の違いかもしれない。
「俺もこいつの幼馴染であること自体は誇らしいよ」
「……いーちゃん」
褒められて緩んだ顔を戻せ。
あとあだ名で呼ぶな。
全員の視線がこっちに集まったところで、どう答えるか考えつつ口を開く。
「立花がモテるのはご存知の通りで」
にやにや顔の幼馴染が身を寄せてくるので、軽く指先でこめかみの辺りを弾く。「あうっ」っという情けない声を上げて離れていくのを眺めて、再度言葉を紡ぐ。
「その幼馴染がこいつみたいに長身でイケメンみたいな奴じゃなかったら、『紹介して欲しい』だの『告白するのを手伝って欲しい』だの面倒なことばかり」
石井を親指で示しながら言う。
中二の野球部の奴に睨まれるまでに、両手の指じゃ数えきれないほど同じことを何度もお願いされた。
座っていれば目線はやや上で済むが、立って横に並べば見上げる事になる。
身長が低いことにコンプレックスはないが、低いことで舐められることはムカつく。
高身長でイケメン。
それだけで何故か劣等感のようなものを感じる。
よくわからない潜在意識みたいな。
「そればかりか、偶にだけど陰湿な奴もいたしな」
給食で出たパン。
いつ出された物かわかないほどの年代物が机の中に入っていたこともあった。
未だに犯人もわからない。
単純に俺が虐められてるという可能性もなくはないが、円香に告白して振られた奴の誰かだろう。円香が告白されたと自慢げに言ってくる日の翌日が常だったし、腹いせなんだろうな。
前田さんが「うげぇ……」と、嫌悪感丸出しでえずく。
「いーちゃん、そんな事あったの?」
「あったんだよ。言わないだけで」
今思うと気まぐれや気の迷いで、そんな奴らを円香に紹介しなくて良かったと心の底から思う。
身内目線で彼らもまた円香には似合わないと感じていた。
「ありがとう」
「礼を言われるような事は何もしてないだろ」
ただ気に入らない奴を円香に紹介しなかっただけの話。
確かに円香はいい子で一緒に居て楽しい奴だ。
けれどそれだけじゃないってこと。
「それでも、ありがとう」
「……おう」
純粋なお礼を受け取るには自分が捻くれすぎていて気恥ずかしく、頬を掻いてしまい円香を捉えていた視線も天井へと移る。
「まぁ、色々考えて他人のようにしてたんだけど……」
逃げているだけ。
面倒事や円香から。
それは中学から続いて今に至る。
天井から正面に視線を戻すと視界の端に映る円香の姿。
彼女の唇よりも大きく切り分けたサイズのおかずを口に運びに、頬をパンパンに入れ膨らませている。
口元が汚れた彼女に紙ナプキンを取って渡そうとするが、円香は手を伸ばすことなく変わりに顔を突き出してくるので拭き取って上げる。
その様子を見ていた周りからは冷ややかな視線を受ける。
「いーちゃんはこうやって私を甘やかすんだよ。私のこと大好きすぎでしょ」
「はぁ……」
「ため息は酷くない?」
「そんな訳で俺と円香はただの幼馴染だよ。幼馴染と言っても、仲がいいだけの」
「無視も酷くない?」
テーブルの下で足を踏んでくるのも無視すると、しょんぼりとした顔文字のような表情になっている。
その様子を苦笑いを浮かべながら円香を嗜める鬼怒川さん。
「学校では今まで通りでいいのかな?」
「うん」
鬼怒川さんの問に頷くと隣から「えーっ」と不満そうな声が聞こえる。
「今みたいな俺と円香の関係をそのまま学校でも続けてみろ。いらぬ誤解を受けるだろ」
今でも十分誤解を与えているが、付き合っているとかそういう噂はまだ流れていない。
速見みたいに直接言ってくるだけで危害はないし、彼も生真面目なのか本音を晒してくれている。
あれが全てではないだろうが。
「別にいいけど」
「……」
「あ、そっか。いーちゃんがまた面倒事を抱えることになるのか」
「人のことも考えられて偉い」
「えへへ」
皮肉なんだが、言葉そのまま通りに受け取っている。
「でもでも、この三人の前なら幼馴染ムーブしてもいいよね?」
「どんなムーブだよ」
「言ってて自分でもわかんない」
「なんだよそれ」
「いいじゃん。これからもよろしくね、いーちゃん」
「はいはい」
この会話をきっかけに今日の勉強会は終わりの兆しを見せた。
食事を終えた後、前田さんが門限が近いということもあり彼女を駅まで送ってから、そのまま解散となる。
二人で家路を歩く。
明るかった空も綺麗な夕焼けを見せ、隣に並ぶ円香の顔も茜色に染まっていた。
弾むような足取りの彼女。
白い太腿がちらりと眩しい。
「円香」
「なぁに?」
「今日楽しかったよ」
「そっかそっか」
「でも、たまにでいいかな。大勢の人と絡むのは楽しいけど疲れる」
「あはは。それは私もわかるよ、一緒だもん」
「そうなんだ」
ちょっとだけ意外。
円香のグループ、それだけに留まらず彼女の交流関係は広い。
教室で二軍と勝手に呼んでいるグループにも円香は自分から友好的に混じっていることもある。彼女からしてみればクラスカーストなんて存在していない。
ただ仲が良いから鬼怒川さんや前田さんと一緒にいることが多いというだけ過ぎない。
まだ上の学年に見つかっていないのは、彼女が部活に所属していないからだろう。
それも時間の問題かもしれない。
「まぁ私もいーちゃんと一緒いるときが一番安らいで楽しいんだけどねー」
なんてことないように彼女は言ってのける。
「私もって一緒くたにするな」
「えー」
「楽しいのは同じだけどな」
「いーちゃんってツンデレだよねぇ」
他人には見せない幼馴染の素顔。
こうやって頼って懐いてくる彼女に優越感を覚え、一緒にいることで比較されることで劣等感を覚える。そんな自分に自己嫌悪することもある。
ファミレスでは言わなかった俺の彼女に対する気持ち。
いつか大人になって彼女と離れることになれば消えるのだろうか。
※
翌日の土曜日。
円香とファミレスから帰宅。
それから風呂に入り、ちょっとだけ勉強するつもりで彼女と同じ部屋で教科書とノートを広げたのだったが、気付いたら二人してゲームをしていて寝落ちていた。
目が覚めると隣に寝息を立てている円香の寝顔が見える。
柔らかそうな唇からよだれが垂れていて、綺麗な顔立ちのせいかただ可愛く見えるのはずるくないだろうか。
相変わらず薄着でスポーティなグレーの下着にTシャツ一枚という痴態を晒している。
気温が上がってきているからこの姿が家ではデフォルトになってきている気がする。
ブランケットを布団の替わりに円香に被せ退室。
朝食はどうしようかと頭を悩ませる。
あの熟睡をみるに昼までは起きてこないだろうと予想。
それなら朝食を作る必要もないかと、お湯を沸かしてコーヒーだけを啜る。
円香もいない部屋はとても静かで、外の鳥のさえずりがしっかりと聞こえる程。
二度寝を誘う環境音。
ポチポチと無音でスマホゲームのデイリーを熟していると、いつの間にかテーブルに突っ伏して眠ってしまう。
「……ちゃん」
綺麗な声。
テレビでも付けていただろうか。
「いーちゃん。こんなところで寝てると風引くよ」
「なんだ、円香か」
テレビなんて見る習慣なんてないしな。
精々ゲームする時ぐらいだ。
そのゲームですら俺の部屋だし。
「なんだとはなんだっ」
「特に意味はないよ」
「ならよしっ」
今日も幼馴染は元気です。
「円香がこんな時間に起きてくるなんて珍しいな。朝ごはん作ってないぞ」
「何言ってるの?」
「ん?」
「もう一時だよ」
「え?」
「だからもうお昼だって……。お腹空いた」
テーブルの上に置いてあったスマホを手にすると午後一時になろうとしていた。
俺が動くとタオルケットが床に落ちる。
「ありがとう」
「どういたしまして。いーちゃんもありがとうね」
「何が?」
「同じようにブランケット掛けてくれてたでしょ」
「あぁ、うん、癖でな。もう毎回のことなのに礼を言うなんて律儀だな」
「いつも傍に居てくれる人に感謝を忘れたらおしまいだよ。いーちゃんのおかげで私は健康的に育ってますから」
「確かにそれはそうだな」
「いつもお世話になってます」
「ういうい」
袖をまくりキッチンに立つ。
冷蔵庫を見るが、明日買い出しの予定であり空に近い。
「悪い、昼飯カップラーメンでいいか?」
「うん。全然オッケー」
「今回ヤケに素直だな」
「いーちゃんがお疲れなのもあるけれど、同じ物食べるんだったら不満はないよ」
「言いように言ってるけれど、前は円香だけ昼間に弁当食べてるからな?」
「えへ」
「あざと……」
「男の子ってあざとい子好きじゃないの?」
「バレなければな。俺はお前のこと知ってるからムカつくだけだぞ」
「ちぇ。折角、きぬちゃんに教えてもらったのに」
なんて事を教えてるんだ。
「醤油ととんこつどっちがいい?」
「同じやつー」
「じゃあ味噌な」
「選択肢になかったじゃん……。私、味噌苦手なんだけれど」
「知ってる」
「いじわる」
「気分的に今日は醤油だから」
「うん」
「あと」
「何?」
「円香が嫌いなもん、うちにあるわけないだろ」
「やさしいっ」
どっちだよ。
ちなみに言うと真っ赤な嘘でこいつの好き嫌いを無くそうと、人参を工夫して食卓に並べてみたりしていた過去がある。
今でも人参が嫌いで、直る気配はない。
彼女は忘れているようで素直に喜んでいるので良しとしよう。
何もないお昼をこうやって静かに二人でラーメンを啜るのも、まぁ悪くない。
遅くなりました。