幼馴染との距離感
五月にもなり、外の光が眩く感じる。
所々夏の気配がしていて匂いも色も変わっているようだ。
見た目の変化はそれだけではない。
登校する時には来ていたブレザーも、ほとんどの人が椅子の背もたれに掛けている。
朝は涼しく、昼は少し暑い。
俺は寒がりなのでブレザーを着たままだったが。
そんな中、ちらりと隣を見ると円香は最初からブレザーを着てくることなく、シャツの上にセーターを着込んで対応していた。シャツの第二ボタンまで外されており、彼女お気に入りのネックレスが光を受けて反射している。
円香の近くにいる鬼怒川さんも似たような服装で、セーターの色が違う。
朝のホームルームの前。
各々好きな事が出来る時間帯は気心のしれた友人とつるむのが常であり、円香と鬼怒川さんが一緒にいるのも頷ける。
所謂、一軍。
別名、円香のグループの二人だからだ。
そんな彼女のグループで知っている人がいるとすれば速見である。鬼怒川さんを間に円香と挟んでいる形で立っていて、なにかと円香に話しかけている。
盗み聞きしたい訳でもなく、どうしても聞こえてしまうのだ。
この三人が一番目立っているが、それ以外にもいて長身の牛田と呼ばれる男子がいて、円香たちの話しを聞きながら首肯を繰り返している。
彼女たちのグループは六人組であり、今日は前田さんと呼ばれる黒髪ボブの女子生徒は体調不良で岡咲と呼ばれる茶髪の男子は寝坊とのことだった。
クラスメイトだから名前を知っているわけでもなく、話が聞こえてくるから自然と覚えてしまった。
「ねぇ伊月くん」
鈴を転がしたのような声に呼ばれる。
間違いようもなく円香の声。
毎朝毎朝、彼女が俺の隣に勝手に座るものだから結果として彼女たちのグループが教卓付近からやや外れてこの場所がグループのたまり場になってしまった。
決して俺と石井がグループ入りしたわけじゃない。
いや、違うな。
円香がいる場所が彼らのたまり場だ。
石井なんてイヤホンなんかつけて、読書に勤しみ周りを遮断している。
こうやって学校で円香が話しかけてくることに慣れてきて、こっちも多少砕けた口調になっている。 クラスの中では俺と円香の仲を邪推する人は少なからずいるが平和そのもの。
たまに昼食を一緒しているが、羨望の眼差しを向けられることは幼い頃から慣れているため、気付いていても問題にしていない。
思ったよりも充実した日々を送れている。
「帰りにさ、新しく出来たお店あるんだけれど一緒に行かない?」
「どんな店?」
「スイーツ食べ放題っ」
「……胸焼けしそう。遠慮しとく」
「えー。じゃあ、しょうがないから洋服でも見に行く?」
「なんでファッションなんだよ。鬼怒川さんでも誘って行けばいいのに」
「そろそろ夏服揃えようかってきぬちゃんと話に出てて」
つまりどういうことだよ。
「荷物持ちが欲しいなって」
「最初からそう言ってくれればいいのに」
「その御礼に奢ってあげようって思ってたんだけど。どうしよう、きぬちゃん?」
「放課後に円香と遊びにいけるんだから、それが褒美になるんじゃない?」
「だってさ」
そこで俺を見るのはやめて欲しい。
正解ないだろ。
「ってか、荷物持ちなら俺じゃなくて速見とか誘った方が良いんじゃないのか?」
「僕達も行きたいところだけれど、部活があるんだよね」
「速見って何の部活に入ってるんだ?」
テニス部とか似合いそうな雰囲気がある。
「サッカー部だよ」
しかも俺とも普通に話してくれる。
円香の事を好いているという事が表にだだ漏れ以外は良い奴という認識。
敵対するつもりもない。
敵にすれば、間違いなくこのクラスで排除される立場に追いやられることになるだろう。
女子では円香、男子ではこの速見の発言力が強い。
「うちのサッカー部は強いんだ。だからこの高校選んだんだよ」
「速見くんは目的があって入学したんだねー」
「牛田も似たような理由だよ」
牛田と呼ばれた男子は頷くだけ。
寡黙らしい。
後で知った話だが単純に照れ屋だけらしく、女子のいる前では口数が極端に減るということだった。石井も女子がいる前では微笑んでいるだけだから似たようなものだろうか。
「立花は部活には入らないのか?」
「私? そうだなぁー……、特に興味ある部活は今のところないかな」
「よかったらマネージャーやらないか?」
割りと自然な流れかつ、少し強引。
速見だから許される交渉のような気がする。
他の男子が言おうものなら距離を取られる。
「んー、悪いけれどパスかな」
「そっか。興味が出てきたら言ってよ、僕から先輩たちに伝えとくからさ」
「うん。その時はよろしくね」
最初から断られる前提で速見は話していたのか、断られても残念がる様子はなく涼しいまま。
マネージャーになってくれればラッキー程度にでも思っていたのだろう。
「伊月くんは部活興味ないの?」
「そんな時間はないかな」
家事もしているし、ゲームで忙しい。
質問してきた円香は期待していた答えが返ってきたとばかりに満足そうに「そっかそっか」と頷きながら呟く。
「藍浦ってバイトでもしてんの?」
「してないよ。家でやることがあるってだけだね。興味自体はあるよ」
「それこそあたしのバイト先紹介しようか?」
鬼怒川さんのバイトか。
何しているんだろう。
「きぬちゃん駄目だよ。きぬちゃんがバイトの時に遊んでくれる人が減っちゃうっ」
「……円香が断るからそういう事かと思ったけど、それはそれで変じゃん」
「あははっ、確かに」
チャイムが鳴りグループは解散となる。
離れていく彼女たちを目で追うと、速見と牛田が少しだけ神妙な顔つきでこちらを見ていることに気がついた。牛田が速見の背を軽く叩き、更にグループは分断されていく。
牛田が速見を慰めたとか、そういった感じだろうか。
そんな彼らの様子を知ってか知らずか、円香はこちらを見ていて目があうと小さく手を振ってくる。
ま、大丈夫だろう。
アイツは無邪気なだけで馬鹿じゃない。
彼女のことを一番知っているのは俺なんだ。
※
昼食のあとに体育があるのは遠慮したい。
が、そうも言ってられないのが授業。
五月に行われる中間テストが終われば、六月には体育祭。
気が重い。
本日は長距離走。
ますます気が重い。
石井とペアを組み準備体操。
そしてどちらかが先に走り、もう片方がタイムを測るという流れだ。
「藍浦どっちが先に走る?」
「俺からでいいか」
「もちろん」
「ついでにこれ預かっといてくれ」
石井にジャージの上着を預けて、白線のスタートラインに並ぶ男子たちの一番後ろで教師の合図を待つ。
体格に恵まれてない自分が前に並ぶと潰れる。
――つんつん。
脇腹を突かれ、振り返る。
「いーちゃん頑張って」
耳打ちするように円香が呟く。
「なんでお前がいんの?」
「男女混合だからじゃん」
「女子はあっちだぞ」
対面を指をさす。
男女で距離が違うため、スタートもずらされている。
「えへへ」
「笑って誤魔化すなよ。早く行ってこい、皆困ってるぞ」
鬼怒川さんなんか可哀想なめで円香を見ている。
困っているのは男子たちだ。
男子が密集しているむさ苦しい場所に一人だけ薄着の女子が紛れている。
「あははー、勘違いしてた。みんなごめんねー」
手を大きく振って離れていく円香を見送ると、前線に居たはずの速見がこちらに入れ違いに向かってくる。
「可愛いね、立花は」
「あれはアホなだけな気がするが」
「何の話をしてたんだ?」
「長距離走がんばろうみたいな話だよ」
瞬発力には自信があるが、スタミナには違う意味で自信がある。
「ちょっとこれには僕も危機感が湧いてくるな」
「前も言った通り」
「あぁ、わかってるよ」
「ならこの話は終わりだ」
話を打ち切り、スタートの合図が鳴る。
ゆっくりと走り出し、徐々に男子たちの距離が空いていく。
それでも隣にはぴったりと速見が着いてくる。
「勝手に終わらせないでほしいな」
「俺は喋るほどの余裕がないんだよ」
「鍛えた方がいいんじゃないか……」
「うるせぇ」
もう三周目になろうとしている頃には息が上がってきた。
というか普段ならもうちょっと余裕があるが、こいつが話しかけてくるせいだ。
「ま、答えなくて良い。こっちが勝手に話すだけだから」
「好きにしろ」
「君も律儀だね」
爽やかに笑いやがる。
「君がどう思おうと立花がどう思うかは別だろ」
それはそうだ。
だが、俺らの間に恋愛感情はない。
家族愛、兄妹愛のようなものはあるだろうが。
「最近の立花を見ているとね」
「何がだよ」
「明らかに他の男子と扱いが違う」
それは感じている。
幼馴染だから、というのもあるだろうが、他の男子を下の名前で呼ぶようなことはしない。
まだこれはクラスの中だけの話。
明確に俺と他を分けている。
「まだ一ヶ月程度しか経ってないだろ」
「一ヶ月にしては立花の君への距離感が近すぎる」
「速見は立花に対しての好意がダダ漏れで距離取られるんだろ」
「好きなのにどうして好意を隠す必要がある?」
イケメンすぎる意見だな。
俺には無理だ。
「じゃあ告白でもすればいいだろ」
「振られることはわかりきっている」
「だろうな。で、お前は何が言いたいんだ」
いい加減、話を終わらせたい。
2400メートル長すぎだろ。
こっちは馬じゃねんだぞ……。
脇腹痛ぇ……。
「敵情視察かな」
「敵って……」
「恋敵とも言うだろ」
言っていて恥ずかしくないのだろうか。
「まぁ勝手に頑張れ」
「その通りだね。君と戯れていても意味がないことがわかったから」
ナチュラルに酷いな。
本当のことだが。
「立花も同じグラウンドで走っていることだし、いい所を見せないとな」
速見はそう言うとギアを上げ、遠ざかって行く。
気づけば彼に三周遅れでゴールした。
俺に合わせてゆっくりスタートしたのに、早すぎだろアイツ。
横腹を押さえながら石井からストップウォッチと預けていたジャージの上着を受け取る。
下から数えたほうが早いゴールなので石井たちはすぐにスタートラインに並んだ。
荒い呼吸を整えながら外れまで移動して、腰を落として項垂れる。
額から滲む汗が頬を伝い、顎まで垂れると、最後にはコンクリートで固められた地面の色を濃くした。
更に色が濃くなり、空が曇ったように暗くなる。
それは俺の周りだけで、よく知る人物を模った陰。
「はい、これ。いーちゃん、お疲れ様」
「さんきゅ」
淡い水色のハンドタオルを受け取る。
少し湿っているのは彼女の使用後だからだろう。
汗を拭うと円香が隣に座りながらこんなことを言ってきた。
「ちゃんと洗って返してよね」
「……最初からそのつもりで渡してきたな」
「うんっ」
「まぁいいけど」
いつもやってること変わらんし。
「円香」
「はいはい。どうぞ」
今度は飲みかけのスポーツドリンクを受け取り一気に煽る。
残ってた容量は少なく空に。
「こっちで捨てとくわ」
「うん、お願い」
遠くで生徒達が号令とともに走り出したのが見え、速見と同じくらい身長の高い石井はここからでも確認出来た。
ストップウォッチを起動するだけで、移動はせずにこのまま休む。
酸欠で頭は回らなかったが、ようやく回復してきた。
「そろそろ、戻るね」
円香は立ち上がり、尻についた砂を叩いて落とす。
揺れる円香の尻から視線を上げる。
「円香っ」
「なに?」
振り返った彼女に紺色のジャージを投げて渡す。
「体操服乾くまで着るか掛けてろ」
「んー? おぉ。ありがとう」
「黒はやめとけよ」
「最初にみられたのがいーちゃんで良かったよ」
「はいはい」
「じゃあまた後でね」
円香は受け取ったジャージを羽織り、女子の群れの中へ。
その中でも輝きを放つ彼女は他人事のように凄いなという感想が漏れる。
トラックを走る石井が完走。
ストップウォッチを止めて教師の元へと報告しに行き、終わった者から各自解散ということで石井と合流して教室へと戻る。
その道中。
「藍浦ってさ立花さんと仲が良いの隠さなくなったよね」
「ん?」
「グラウンドの端で気付いている人は少ないと思うけど、あんな堂々とイチャイチャするのは流石にどうかと思うよ」
思い返してみる。
疲労と酸欠。
いくらぼーっとしていたとしても、あれは完全に家で行っている素の状態。
「……気の所為だろ」
これだけしか言えなかった。
石井は何も言わなくなったが、含みのある笑顔。
俺らがどう思おうと受け取る側はまた違う。
自分はどんなことを言われても気にしないが、円香はどうだろうか。
彼女が起こした行動でこうなっている。
心配はないのかもしれないが、不安はうっすらと残る。