幼馴染との放課後
「藍浦くん、一緒に帰ろ」
授業が終わり放課後。
帰り支度をしている俺の元に円香が跳ねるように近づいてきた。
その様子に教室に残っていたクラスメイトの大半がこちら興味津々と見てくるか、気にしない素振りをみせながらもチラチラと覗き見る。
そして俺は怪訝な顔を彼女に向ける。
「あははっ、すっごい嫌そう」
「わかってるじゃん」
「それじゃ帰ろっか」
会話になっていただろうか。
「話し聞いてる?」
「うんうん、聞いてる聞いてる。帰ろ?」
「……」
こいつ。
流石に腕を掴まれることはなかったが、変わりに背中を押されながら教室を出た。
幸いかどうか怪しいところだが速見の姿はなく、様子見をしていたクラスメイトたちの視線も混じり集中砲火を浴びる。
教室を出て扉を閉めれば幾分かマシに、物理的に視線を遮る。
ちらほらと廊下にも生徒がいるが、彼らは目的があって行動しているためか、いくら円香といえど足を止めてまで見られることは流石になかった。
多少はいるんだけどね。
「一緒に帰って友達に噂されると恥ずかしいし」
「攻略しているって点では同じだけど……。いーちゃん友達いないじゃん」
「……いるもん」
石井とか。
一応鬼怒川さんも。
入学してからの友達と呼べるのこの二人だけ。
二人いるなら十分だろ。
「落ち込んでないで帰りましょうねー。アイス奢ってあげるから」
「落ち込んでないっての。あと子供扱いするな」
割りと現状に満足しているのは本当だ。
「といういーちゃんも私もそのゲームやったことないでしょ」
「ネタとして知っているだけだな」
「やれる方法限られてるしね」
「ってかマジで二人で帰るのか?」
「そだよ? きぬちゃんはバイトがあるし。いーちゃんが良ければ他の人誘ってもいいけど」
「絶対に嫌だ」
「だよねー」
半分諦めた心情で円香の隣に並ぶ。
駅までの道をただ歩くだけ。
少しだけご機嫌な彼女の横顔が見える。
こうやって一緒に帰宅するのも本当に久しぶりに思う。
弾むように歩く彼女の肩まで伸びる髪もリズムを刻む。
長いまつ毛に高い鼻。
正面から見れば鼻筋は真っ直ぐ通っていて、パーツの一つ一つが精巧に出来ている。
共有する時間が長すぎて気づかないこともある。
不躾な俺の視線に円香が気づき、視線の高さを合わせるようにやや前かがみになりつつ首を傾げてみせた。
着崩した制服から谷間が見えてしまう。
誰にでもそうしているのか、俺の前だからそうなのか。
隙が大きく見える。
「お前……」
「何かな?」
「本当に可愛くなったんだな」
俺の中での円香のイメージというのは、小学生高学年ぐらいで止まっている。
ただここ最近の彼女の行動を見ていると、更新されている気がする。
いつも後ろを着いてきていた彼女はもういない。
喜ぶことでもあるが、同時に寂しくもあった。
まだまだ女の子といった姿だが、直に女性と呼ぶべき存在になるんだろう。
「へぇー……」
にまにまとしただらしない顔。
褒められたとでも思っているのだろう。
「なんかムカつくよなぁ~」
「なんでっ!? 褒めてくれたんじゃないのぉ?」
「お前なんか褒めるかよ」
「なにをぉー」
こんな言い合いは日常的で円香も怒ったポーズを取るだけで、「えへへー」と最後に笑って終わらせてしまう。
「でも、いーちゃんが容姿のことで褒めてくるなんてどうしたの? 明日雪でも降る?」
「もう少し早い時期に雪が降っていたら幻想的だっただろうな」
桜の花びらとともに雪が降る。
桜隠し。
稀にある光景らしいが、まだ見たことはない。
「私の話を流そうとしてない?」
「これだか幼馴染は……」
「お互い様だからねー」
後ろで手を組み、長い脚を突き出すように歩く。
透き通るような白い太腿が眩しい。
電車に乗り自宅の最寄りの駅で降りる。
車内では他愛ない話が続いた。
自宅のある道を進むが、途中の十字路で脚を止める。
真っ直ぐ通り抜ければ俺の家。
左に進めば円香の家。
そして右に進めばコンビニへ続く。
「そうだ、円香。コンビニ寄って帰るか」
「うんっ。お菓子のストックなくなってから補充しとこー」
「今日、機嫌いいな」
「まぁねん。出来なかったことが出来るっていいよねー」
「今こうして一緒にいることがか?」
「そうそう」
「そうか」
「なんだよぉ、いーちゃんは嬉しくないの」
少し怒ったような口調。
口も尖らせている。
「嬉しいとかはないけど、悪くないなって思うよ」
「素直になればいいのに」
「俺が素直じゃないのは知ってるだろ」
「あははっ。そっか、そうなんだ」
そう。悪くない。
無くした時間を取り戻しているような感覚さえ。
「ほら、着いたぞ。好きなカップラーメン選んで来いよ」
自動ドアを潜り、カップ麺のコーナーを指差す。
「あれ本気だったの……。晩ごはんカップラーメンかぁ……」
「焼きそばでもうどんでもいいぞ」
「そういうことじゃないんだけどなっ!?」
「しょうが無いな。弁当でもいいぞ」
「私が悪いみたいになってるんだけれど」
「悪いだろ」
「……そうでした」
今更怒る気にもならないが、残った弁当と円香だけのために夕飯を作るつもりはない。食材が余ってしまうし、生活費を預かっている身としては無駄にしたくはない。
一食だけを考えるなら高くついてしまうが、たまにはいいだろう。
今夜の献立を明日に回すだけで良い。
「次からは前もって言うね」
「そうしろ」
「あはは。引っかかってやんの、次回もおっけーってことだね。言質とったからね」
円香に一杯食わされた。
勝ち誇った円香に対してデコピンを食らわせておいた。
レジで会計を済まし、先に外に出て彼女を待つ。
四月も終わりに近づき夕方でも気温も空も高い。
ビニール袋から二つに分けることの出来るチョココーヒー味のアイスを取り出す。
手の熱で外袋に入れていたままの未開封のアイスが少し柔らかくなった頃、通学に使っている鞄を片手に財布を仕舞おうとビニール袋を手首に掛けながら、両手の塞がった円香が出てきた。
「あ~ん」
顔を合わせるなり要求してくる。
雛鳥か。
「おいひ」
「静かに食え」
「ふぁーい」
十字路に戻り、今度は自分の家のある方に進む。
円香もそのまま着いてくる。
今日ぐらいは本人の家に帰っても良さそうなものだが、自宅の前に着くまでその事に一切気が付かなかった。
習慣とは恐ろしいものである。
彼女は家主よりも先に室内に入り、ソファに鞄を放り投げると
「そういえばいーちゃん」
返事の代わりにゴミを彼女に渡す。
「ほいよ。でさ、藍浦くんって呼ぶの変えていい?」
「は? 学校でもあだ名で呼ぶつもりなのか」
「違う違う。流石にそこまで急接近するつもりはないよー。私も変な誤解されるのは嫌だし」
「既に俺は変な誤解を受けているぞ」
速見の質問のこともあるし、クラスメイトが俺を見る視線もまた疑惑の目に変わっている。
毒にも薬もならない存在が、どちらになるのかという。
「いーちゃんは良いんだよ」
「なんでだよ」
「人の評価なんて気にしないって常々言ってたのいーちゃんだもん」
「いや、まぁそうなんだけどな」
自分の行動での評価ではないから腑に落ちない。
「たまにいーちゃんって呼びそうになるだよ」
「知らんがな」
「いいのかな? 急接近するつもりはないけど、バレても別に私はいいと思ってるしー」
脅しだ。
これは条件を飲むしかない。
「大体いーちゃんは何を恐れてるのさ」
「何を、か」
何を恐れているのか。
そんなことはない、恐れなんてない。
冗談で噂されても恥ずかしいとは思わない。
それは既に散々通った道。
ただ面倒だなって思うだけで。
それ以外にも思うことはあるが、決して口には出さない。
「ま、お前にはわかなんないよ」
「そりゃ言われなきゃわかんない」
口調は穏やかで喧嘩にもならない。
会話自体はカップルの喧嘩みたいなもんだったけど。
「今こうして一緒にいるんだし、学校でも円香の思い通りになりつつあるからいいだろ」
「そうなんだけどねー」
納得いかないような顔でソファに沈み、靴下を部屋の隅へ投げつける。
その隅に衣類を纏めて置くのをやめろ……。
「ま、いっか。これからこれから」
「はいはい」
滅気ないようだ。
積極的に俺から絡むことはしないが、向こうから寄ってくる分には、もういいかなって許容していくつもりではある。
ここまで頑固なんだったら、どの道巻き込まれる。
「明日も一緒に帰ろうねー」
「はいはい」